209. アスマ公爵とアスマ軍 (10) 勅語発出
内向きの戦いがエスカレートする一方ですが……
アスマの人々に対して「上意」を振りかざし、憲兵隊の兵力をもってTA貨物を襲撃したアスマ軍。
もはや、アトリアの州庁各機関も「制圧」の危険に面しているといってよい。
「アスマ軍の具体的な配置は、どうなっているのでしょう?」
由真はそう尋ねる。
直接アトリアに向けられる兵力の程度。それがこの先の展開を左右する。
「アスマ軍は、南部コグニアにコグニア第一師団、コグニア第二師団、コグニア第三師団を配置し、中南部旧ナミティアはシアギア近郊にエステラ師団、内陸のコスキアにシクニカ師団を配置、旧トビリアにトビリア師団、北シナニアにシナニア師団を配置しております」
タツノ副知事が答える。ここまでで7個師団。残りは8個――
「他は……」
「アトリア市サイティオ郡に、アトリア第一師団、アトリア第二師団、アトリア第三師団を、アトリア市の南隣に位置するスリギアにスリギア第一師団、スリギア第二師団を、北隣に位置するヒルティアにヒルティア第一師団、ヒルティア第二師団を配置し……」
アトリアとその隣県に配置された部隊が列挙される。ここまでで7個師団で――
「そして先月、当県シムルタにコーシア第一師団を配置しました」
新たに増備された師団は、他ならぬコーシア県に駐留していた。
「半分以上の8個師団が、アトリアを狙っている、と……」
アスマ軍の「刃の向き」が明らかになった今、もはやそう形容するしかない。
「実は、アルヴィノ7世の時代には、全体で7個師団、ベニリアとトビリアは、ベニリア旅団とトビリア旅団、各5000人でした。大陸暦112年に1個師団が増備されて、ベニリア師団とトビリア師団に改組されています」
その時点で、ベニリア以外が7個師団――つまり現在と同じ配置だった。
現国王の治世となり、その病気が長く続いてアルヴィノ王子が名代として振る舞っている間で、アトリア周辺に8個師団も配置される「いびつな構造」が形成されたということだ。
「当県は、山がちで土地が狭隘であり、またアトリアの水源であるコーシア川が流れてもおりますので、駐留の受け入れはできない、と拒絶を続けて参りましたが、今年に入り、『上意』により名指しをされるに至りましたので、致し方なく、シムルタに駐留を容認した、という次第でございます」
「シムルタ、というと……」
「オトキアから南に伸びるシムルタ線の終点です」
そう言われて、由真はオトキアから分岐する短い盲腸線の存在を思い出した。
「シムルタには銅鉱山の跡地があり、用地に加えて高度な汚水処理の機構もありますので、これを月2000万デニで賃貸しております」
1ヶ月でおよそ20億円相当。もっとも、用地は1個師団1万人が駐留するためのもの。高いのか安いのか、由真には判断がつきかねた。
「来月分以降の値上げについて、交渉いたしましょうか?」
タツノ副知事はそう切り出してきた。
「……その辺は、そういうのに強い人がいるので、そちらと相談します」
愛香の顔を思い出しつつ、由真はそう応えた。
日本なら、公共放送を流していればリアルタイムに情報が得られる。しかし、通信手段すら限られているこの世界では、通信か雷信を待つしかない。
結局、TA貨物の事件以外には特別な動きはないまま午前は過ぎ去った。
この日は食堂から野菜焼きそばを配膳してもらって昼食として、引き続き午後に臨む。
「今、『本国』は、午前8時過ぎですよね」
時計を見た由真は、そう尋ねる。
「……そうなりますね」
ユイナが答える。カンシアとアスマの時差に関しては、半月前まで研修生だった彼女が一番敏感だった。
「もう少ししたら、あちらからさらに『上意』だとかいう何かが来るんでしょうかね」
「まあ、ユマさんが気絶させた総司令官も、お昼前には意識が戻ったみたいですし、軍務省なり参謀本部なりからの何かは、あるかもしれませんね」
ユイナは、朝方に比べるとだいぶ落ち着いたようで、「上意」という言葉にも軽口が返ってきた。
時計が午後1時40分を回ったところで、不意に内線の呼び出し音が鳴る。
今度はどこが襲われたのか――知事室に緊張が走る。
「はい、知事室です」
マリナビア内政部長は、それまでと同様の様子で受話器を取り、程なく目を見開いた。
「ナスティアからで、勅書だと……文語……とにかく、全文受信したら、至急こちらに持ってきてください」
そう言って、マリナビア部長は内線を切る。
「ナスティアの副市長から、ここと州庁内務省、それに王国宮内省に同報で雷信があり、内容は勅書の伝達とのことです。本文は文語とのことですので、間違いなく勅書かと思われます。全文を受けたらこちらへ届けるよう指示しました」
由真の脳裏に、先々週ナスティア駅で対面したサリモ・ラミリオ副市長の姿が蘇る。
数分の沈黙の後、慌ただしく扉がノックされた。
「閣下! ナスティアより、勅書の雷信がありました!」
係員が、引きつった叫び声で言うと、紙を頭上に捧げ持って賭けより、そして由真の手元に差し出した。
「……お疲れ様です」
そう言って、由真はその紙を受け取る。
同時に、鐘が鳴り始める。「2回2連」でも「3回3連」でもなく、ひたすら鐘が鳴り続ける。
「こちらは『4回4連』、緊急のときにのみ打たれる鐘です」
タツノ副知事が言うのと同時に、鐘の音がいったん止まる。そこまでで打たれた回数は「16回」だった。
「お知らせいたします! これより、内務省から全県同報通信にて、勅書が奉読されます! ご来庁の皆様、ご起立の上、謹んで聴取願います! 繰り返しお知らせいたします! これより、内務省から全県同報通信にて、勅書が奉読されます! ご来庁の皆様、ご起立の上、謹んで聴取願います!」
アスマ軍総司令官の「布告」のときとは打って変わって緊張をあらわにしたアナウンスだった。
『こちらは、内務省地方局であります。ただいま、勅書を賜り、全県同報通信をもって、これをアスマ全土に伝えよとの勅旨を承りました。これより、謹んで勅書を奉読申し上げます』
その言葉に、由真は、今し方受け取った紙を一瞥して、その内容を読み取る。
そして、由真も、他の全員も、構内放送に従って起立した。
『コーシア伯爵ユマ殿へ』
宛先として由真を名指ししている。テーブルの上に置かれた紙にも、それは明記されていた。
『昨日、参謀総長及び軍務大臣より、アスマ州に於て戒厳令を施行すべき状況なる由を聴き、両名に対し、先ずは具体的事案に迅速・適切に対処すべき旨指示し置きたるも、状況判然とせず、予は懸念を払拭する事を得ず』
その冒頭で、「天聴に達した」具体的な内容が明らかにされていた。
結局、王国軍は国王に対してすら、具体的な説明もなく「戒厳令」云々と奏上していたらしい。
『思うに、アスマの地は、北シナニア及び南シナニアを経て沿岸迄侵略せんと欲する魔族・魔物の徒党に直面する事久し。
就中、ナギナ近郊イドニの砦には、此処に拠りて軍勢を集め、ベニリア川を下らんとする集団あり。之を放置せば、独り北シナニアが蹂躙せらるるのみならず、延て全土人民悉く壊滅に至らん。
此儀が、アスマの地に於ける最大の艱難にして、予の最も憂慮する所なり』
この地が直面する「最大の艱難」とは何か。それを国王が自ら指摘した。
『如此危急存亡の秋に於て、予は親ら其の征伐に赴くべけんも、予の健康が之を許さず、遺憾の極みなり』
続く言葉で、病に苦しみながらもアスマのことを強く気にかけていた国王の姿が脳裏に蘇る。
『予は、アスマ公爵の忠義と器量に信倚し、既にアスマの万機を公爵に委ねたり』
そのことも、拝謁の折に告げられていた。
『卿、予が親ら任じたる冒険者として、セレニア神祇官と倶にアスマ公爵を輔翼し、要すればアスマ軍を統率して、アスマを害せん艱難を悉く排斥し、以てアスマの人心の安寧を堅持すべし』
アスマのために由真の協力を求めるその言葉に、あの拝謁の場面が思い出されて、由真の胸の奥が熱くなる。
『卿、克く予が意を体せよ。……大陸暦120年晩夏の月5日、御名親署。同日、臣、侍従兼王都理事官兼王都ウェネリア県ナスティア市副市長、サリモ・ラミリオ、奉る。
……以上で、勅書の奉読を終了いたします』
その言葉で、勅書を伝える全県同報通信は終わった。
ついに、本当の「上意」が示されました。
国王陛下の思いは、全く変わっていません。
なお、この勅語は文語なので、読み方が特殊になる部分にはルビを振りました。




