207. アスマ公爵とアスマ軍 (8) TA貨物からの通信
アスマ軍が朝っぱらから仕掛けてきた「戦い」は、まだ続きます。
朝一番から全県同報通信を使い、「天聴に達した」という言葉まで放ったアスマ軍総司令官。
それにユイナが不安を隠しきれない状態で、由真たちは知事室に入った。
「おはようございます、閣下、副知事。あの通信以降、目立った動きはございません」
「県内も特段の騒動は発生しておらず、平常通りの状態です」
マリナビア内政部長とウルテクノ警察部長が、挨拶とともに報告する。
「閣下が術をつぶしていなければ、今頃大暴動、といったところでしょうか」
タツノ副知事が問いかけてきた。
「……その可能性は、十分あったと思います。言葉の節々に総司令官本人の術がこもっていて、魔法導師3人も術式の発動を試みてましたから、放っておいたら、少なくとも、僕はもう謀反人としてお縄ですね」
ユイナが未だ心ここにあらずという趣だったため、由真は仕方なくそう応える。
「そうなりますと、敵は洗脳が効いていると認識しているはずでしょうから、本格的に戦力を繰り出して、アトリア市内の要所で衝突が起きる、ということになりましょうか」
「戦力……ですか……」
市街地を戦車が蹂躙する光景が由真の脳裏に浮かぶ。
「もとより、すぐに主戦力を動かすことはないでしょうから、まずは憲兵隊をもって政府機関などを制圧にかかるものかと思われます」
副知事はそう応える。確かに、「洗脳が効いている」という認識であれば、あえて大規模な部隊を動かすこともないだろう。
そこへ、内線の呼び出し音が鳴った。
「はい、知事室です。……は?」
受話器を取ったマリナビア内政部長が、眉をひそめて首をかしげる。
「……そう呼んでいるんですか? 先方が? ……とりあえず、今、副知事がおられるので、待ってもらってください」
そう言うと、マリナビア内政部長はタツノ副知事に顔を向ける。
「TA貨物のモナリオ社長から通信で、『冒険者ユマを呼び出せ』と言っているそうです」
その瞬間、タツノ副知事は怪訝そうな面持ちになる。
「それは……先方が、そう要求している、と?」
「通信室は、そう答えておりましたので、そういうことかと」
内政部長も同じ問いかけをしていた以上間違いない。
「冒険者ユマ」という字面を取れば、由真の現在の肩書きそのものであり、ジーニア支部辺りで聞いたなら、すんなり通信に出るだけだった。
しかし、ここは仮にもコーシア県庁の知事室で、由真は一応「領主」たる「コーシア伯爵」としてここにいる。
それを「冒険者ユマ」と呼び捨てされては、本人以上に部下として示しがつかないだろう。
「……閣下はおられないので私が出る、と答えてください」
「かしこまりました。……閣下は外されているので、副知事が対応すると答えてください。……では、つないでください」
通信が接続される。タツノ副知事はマイクを取り、由真もヘッドホンを装着する。
「はい、タツノです」
『あ、タツノ長官……ですか。TA貨物のモナリオで……ございます。その……ええ、ユマ様……っ、……冒険者ユマに、お話が……用事が、ある……のですが……』
相手の滑舌がひどく悪い。声もどこか震えて聞こえる。
「その『冒険者ユマ』というのは、まさかとは思いますが、コーシア伯爵ユマ閣下のことではないでしょうね?」
副知事はすかさず問い返す。その言葉が余計に鋭く聞こえる。
『えっと……その、……長官、……あの……っ、わかってます……冒険者ユマに……依頼が、あります』
途中の「わかってます」は、明らかに通信相手に対する声ではなかった。
『その、軍用列車を、運行することになりましたので、これを護衛していただき……護衛せよと、命令です』
相手の様子が明らかにおかしい。
由真は、通信機構を介して魔法解析を試す。相手側の通信水晶が接続された先、社長の執務室とおぼしき空間に――社長以外に5人ほどの「マ」があった。
「これ……まさか?!」
錫杖を握りしめたユイナが金切り声を上げる。彼女もまた、魔法解析で相手の状況を探っていたようだった。
「……それは、護衛の指名依頼、ということになりますか? コーシア伯爵ユマ閣下をご指名、となりますと、当然、相応の報酬はご用意いただいているのでしょうね?」
タツノ副知事は交渉のような会話を始める。彼も、由真とユイナの動きに気づいたらしい。
『え、あ、報酬……ですか……それは……え? 何を言って……それはいくらなんでも……いやそれは……』
「社長室に5人、全員、鎧と剣で武装してますね。別室……社員が30人ほどいるところにも、これは10人ですか」
「……憲兵1個小隊……でしょうね」
魔法解析で把握できる範囲に、武装した人間が15人。ユイナの言うとおり、憲兵1個小隊だろう。
『……あさましい、要求だな、ならば、1デノ支払ってやろう、それで満足か、このごろつきめ』
社長のその言葉は、完全に棒読みだった。そして――
『もう止めてくれ! 私はどうなってもいい! 社員たちは解放してくれ!』
一転して甲高い叫びが上がる。
「やっぱり、人質! ……『人の名を騙る邪心に鉄槌を』! 【地の雷】!」
あっ、と思ったときには、ユイナは呪文を詠唱し、術を発動し終えていた。
「ユイナさん! 落ち着いて! 『かの武装を解除せん』!」
由真もとっさに呪文を組み立てて術を発動する。
ユイナが放った術は、地系統の「ラ」を介して雷系統魔法を放ち、敵に電撃を与えるものだった。
対象は社員たちに向かっていた10人。
死人までは出ていないものの、物理的ダメージはかなり大きい術式。それを「王国軍憲兵隊」に使ったとなると、後々問題になるおそれがある。
そのため、由真は別途15人全員の武装を解除する術を放った。それで、敵全員の持つ剣と鎧が物理的に消滅し、敵全体が無力化されている。
『これは?! もしやユマ様?! それともユイナ様?!』
モナリオ社長の驚きの声が響く。
「後は、一応念のために……【完全記憶抹消】」
今度は術の名称だけを唱える。
ローマの古式ゆかしき「記憶抹消刑」をひもといた記憶抹消の術で、「セレニア神祇官猊下」が行った雷撃に関する憲兵たちの記憶も隠滅しておいた。
「モナリオ社長、こちらから、閣下が術を施されました。執務室にいる賊は、すでに無力化されているはずです」
タツノ副知事がすぐさまそう声をかける。
『これは……おお! なんと! みんな無事か! さすが……さすがはユマ様!』
そんな声が返ってきた。執務室で脅されていた社員たちが、社長室に無事を知らせに来たのだろう。
「【ハイレン】。……一応、憲兵の怪我だけは消しておいたわ。ダメージはそのままだけど」
こちら側は、対照的に落ち着いた晴美の声が通る。彼女も、ユイナと由真の動きに追随して、遠隔で憲兵たちの「怪我だけ」を消す治癒術式を使ったらしい。
『ユマ様! このたびは……数々の無礼な言葉、誠に申し訳ございません! 私どもの社員が、憲兵隊に拘束されており、私には、逆らう力ございませんでした! 誠に……誠に申し訳次第もございません!』
――聞いている方が申し訳なるほどの謝罪の言葉だった。
「社長……閣下は、通信を介してそちらの状況を把握されて、それで、術を施されました。事情は十分承知されています。挨拶などは、また落ち着いてから、ということで、とにかく、社員の皆さんをねぎらってください」
『申し訳ございません! ありがとうございました! また、改めてご挨拶申し上げます!』
そんな言葉で、その通信は終わった。
王国軍の「憲兵さん」は、これがお仕事のようです。
由真ちゃんの呪文その1は「Illa arma amovam.」、その2は「Perfecta damnatio memoriarum」です。
ローマの「記憶抹消刑」というのは、「その人が存在していたという『記憶』を全て消し去る」という刑罰で、記録されていた書物は墨塗的な措置がなされ、コインに名前が刻まれていたらそこも削られるというものです。
「暴君」とされた皇帝に処されることがありました。
ただし、ほとんどはすぐに撤回されています。『テルマエ・ロマエ』でおなじみになったハドリアヌス帝もこれに処されかけましたが、後継者となったアントニヌス・ピウス帝が尽力して撤回させました。




