207. アスマ公爵とアスマ軍 (7) 「天聴に達した」
夜が明けて、さわやかな朝が――
由真は、その日も午後10時前には床に入った。
気疲れしたためか、すぐに眠りに落ちて、気がついたら5時50分になっていた。
(早いけど、起きるか)
ベッドから身を起こし、身繕いを整えて、廊下に出て窓外を見下ろす。
庭先に、体操着を着たユイナと和葉がいて――太極拳をしている様子だった。
(ああ、和葉さんに教えるって言って、全然やってなかったっけ)
そのことを思い出して、由真は庭先に降りる。
「あ、おはようございます、ユマさん」
先に気づいたユイナが声をかけてきた。
「おはようございます、ユイナさん、和葉さん。太極拳ですか?」
「ええ。せっかく教わったものですし、毎朝やらないと」
「由真ちゃん、めっちゃ忙しそうだから、セレニア先生に教えてもらってたんだ」
和葉も由真に気を遣っていたらしい。
「ああ、ごめん、なんかバタバタしてて」
「それは、この騒ぎだし、由真ちゃん、陣頭指揮だもんね」
そう言ってもらえるのは助かる。
その和葉は、「二十四式」を通してユイナから教わっていたらしい。「体術指導法」というスキルもあるためか、和葉の動きはすでに様になっていた。
せっかくなので、由真も混じって3人で全体を通してみたところ――
(まずい。サボりすぎてた。体なまってる)
先週「ミノーディア11号」に乗ってから、1週間以上のブランクがあったためか、身体の追従性も持久力も思いの外低下していた。
(ダメだ、最近、ちょっと魔法に頼りすぎてた)
「先輩」に見つかったら小一時間説教されてしまう、などと思いつつ、由真は念を入れて太極拳の動作を通した。
7時前には全員が小会議室に集まり、朝食となった。
この日は、米飯にわかめと豆腐の味噌汁、それと卵焼きだった。
やはりおよそ和風のそれを食べて、お茶を飲みつつ一息ついていると、突然「2回2連」の鐘が鳴った。
「おはようございます。これより、内務省から全県同報通信が行われます。ご来庁の皆様、聴取願います。繰り返します。これより、内務省から全県同報通信が行われます。ご来庁の皆様、聴取願います」
――放送されたその言葉に、全員の表情が険しくなる。
「これ、9年間やってなかった、って話だったわよね?」
「だね。それが2日連続、ってことは……」
晴美の言葉に由真は応え、そして続く言葉を待つ。
『こちら、内務省地方局です。ただいまより、重大な通知があります。皆様、しかと聴取願います』
そのアナウンスが、昨日よりも重い。
由真は、すかさず魔法解析を行い、昨日と同様のネットワーク構成によりアスマ軍総司令部との通信が接続されたのを確認する。
(これは……やっとくか)
術式を組み上げて、呪文を作るのを省略して、手を1回だけ叩く。
「由真ちゃん?」
「ユマさん?」
晴美とユイナが同時に問いかけてきた。
『アスマ軍総司令官、大将軍イタピラ子爵セクトである。これより、州内臣民諸君に重大な通知を行う』
昨日と同じ言葉。しかし、この日は何も起きない。
『アスマ州全土が直面する重大な危機について、すでに昨日通知を行った。我々は、アスマ全土全県の臣民諸君が、これに適切に対応するものと信じていた。しかるに、一部の県より、我々の通知を非難するごとき、不当なる意見がなされた。これは、アスマをさらなる危機に陥れ、ひいてはノーディア王国全体に反旗を翻すものと断じざるを得ない!』
「これ、僕は謀反人認定された、ってことですかね?」
由真は、ユイナに向けて言う。
『この地が本国より遠く離れていると思い、本国を愚弄するごとき輩の存在は、我々にとって遺憾の極みである。しかし、ノーディア王国の手は、謀反人どもが思うよりはるかに長い。事の次第は、すでに天聴に達している!』
その言葉で、ユイナの表情が引きつった。
『アスマ全土に対して断固たる処置を執り、不逞の輩は毅然として排除し、もってアスマの統治を固め、ノーディア王国の権威を知らしめよ、との上意を、我々は承った!』
「そんな……まさか……陛下が……」
ユイナは、蒼白な表情でつぶやく。
『我々は、上意を奉じ、断固たる措置を執ることを、ここに宣言する! 王国に背く輩どもは、すでに逃げ場はないと心得よ! 卿ら臣民諸君は、すでに戒厳令が実施されていると思い、心して行動せよ!』
叫び声が、その場に通っていく。
『私からの布告は、以上である』
昨日と同じ言葉で、その通信は終わった。
『以上で、全県同報通信を終了します』
続く淡々とした声は、昨日と全く同じだった。
「……ユイナさん?」
青ざめたままのユイナが気になり、由真は声をかける。
「ユマさん……『天聴に達する』って、聞こえましたよね?」
振り向いたユイナは、震える声で問い返してきた。
「そう……聞こえましたね」
「この言葉は……国王陛下のお耳に入ったときしか使われないんです。つまり、アルヴィノ殿下に報告しただけで、この言葉を使うことはあり得ません」
――由真の耳に「天聴に達する」と聞こえたそれは、ノーディア王国ではことのほか重大な意味があるらしい。
「あの『上意』というのは……『天聴に達した』上で、ということなら、陛下の……」
ユイナがそこまで口にしたそのとき、扉がノックされて、そしてタツノ副知事が慌ただしく入室してきた。
「閣下、猊下。先ほどの通信は、お聞きになりましたか?」
当然ながら、副知事の用件もそれだった。
「聞きました。術の方は、昨日より入念につぶしましたけど、『天聴に達した』云々というので、陛下の御意なのか、と言うのが気になってまして……」
そう答えると、晴美とユイナ以外の全員があっけにとられた様子になる。
「えっと、さっき、由真ちゃんが……」
「ユマさんは、アスマ軍総司令部の通信機構に介入して音声以外の『ラ』の送信を不可能にして、通信室にいた魔法導師3人の魔法能力と、総司令官本人の『マ』全体を封じ込めました。今頃、総司令官は執務室で気絶しています。魔法導師3人も、今日一日は使い物にならないでしょう」
晴美が言いさすと、魔法解析に関して一日の長があるユイナが、震える声でそう解説した。
「それで、この件は……」
「陛下の御意ではない、と、私は考えております」
タツノ副知事は、毅然と断言する。
「なにがしか陛下の勅許を賜っているのなら、敵は『勅旨』という言葉を使っていたはずです。そこで『上意』という言葉を使ったということは、おそらく、『事の次第』は陛下のお耳に入っていても、『上意』云々というのはアルヴィノ殿下の意向である、ということでしょう」
「そう……でしょうか。そう……思いたいですけど……」
副知事の言葉に、ユイナはすがりつくような表情を見せる。
「その、僕は、陛下にはあのとき一度拝謁を賜っただけですけど、……あの陛下が、あんな『上意』を示されるとは、とても思えません。それに、あのときの言葉は、いかにもアルヴィノ王子らしい言い回しだ、って、僕はそう思いましたよ」
いたたまれなくなって、由真もそんな言葉をかける。
「そう……ですよね……」
ユイナは――あふれ出る不安を抑えるように――そう応えた。
――物騒な文言で、ユイナさんが珍しく動揺しています。
なお、由真ちゃんがこのところ運動不足な件は、(作者としては)密かに気にしていました……




