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204. アスマ公爵とアスマ軍 (5) 上申合戦

今回は、「上申書」が飛び交うため縦に長くなります。

 ノーディア王国の「本国」を称するカンシアとの「戦争」を避けつつ、エルヴィノ王子に圧力を加えようとするアスマ軍に対抗する。

 その基本方針に、コーシニアの知事室には異論はなかった。


「次はどうするか、ですね」

「おそらく、北シナニア県は、アスマ軍総司令官の布告に賛同して、戒厳令を早急に施行すべしとの上申を出すと思われます」

 由真の言葉にタツノ副知事が応える。


「それは……北シナニアがそれを望むなら、地域限定で戒厳令でもなんでもやれば、という話ですよね」

「はい。逆にコーシアからすれば、閣下と猊下、それにそうそうたる冒険者の面々の手足を縛られては、河竜対策すらおぼつかなくなりますから、こちらには一切迷惑をかけるな、ということになりますが……」

 そう言うと、タツノ副知事は、一瞬口元に手をやり考え込む。


「あえて、こちらから上申を出す、ということも考えられます。こちらには十分な戦力があり、アスマ軍の介入は必要ない、と」

「こちらから……ですか」

「はい。いみじくも、あちらの方から、閣下と皆さんを名指しするような言葉も向けられたことですから、それに対する反発程度は、示してよいでしょう」

 そう言われて、由真は「コーシニアにたむろする冒険者ども」という言葉を思い出す。

 自分を侮るような言葉は、不愉快とはいえいちいち反発するつもりはない。

 しかし、晴美たちや、まして冒険者全体を冒涜するというなら、それに対してはしかと反撃しなければならないだろう。


 タツノ副知事は、内線で通信室を呼び出して、通信文を口述筆記させてから、原稿を持ち込むように指示した。

 しばらくして係員が原稿を持参すると、それを見て加筆修正する。

 結果、このようなものができあがった。



内務尚書閣下


 別紙のとおり殿下に上申いたしたく、取次及び関係方面への伝達を要請いたします。


大陸暦120年晩夏の月4日

コーシア伯爵


(別紙)

上申


アスマ公爵殿下


  臣ユマ謹んで申し上げます。


 アスマ軍総司令官イタピラ子爵閣下は、アスマ州全土における戒厳令の施行を要求する旨を先刻布告いたしました。

 しかしながら、いみじくもイタピラ子爵が指摘したとおり、臣の知行するコーシア県には、セレニア神祇官猊下が滞在し、また先日セプタカのダンジョンを陥落させた冒険者も集結しております。

 この体制をもってすれば、河竜の襲撃程度の事態であれば、イタピラ子爵の言うとおり些末な事案として対処することが可能にございます。

 これをもってなお克服しがたい危難が迫りつつあるとの由ならば、具体的な事案をお示し賜れば、臣はこれをことごとく排除する用意がございます。

 具体的な根拠を伴わず、重大なる危難との抽象的な文言のみを理由として過剰な措置を執ることは、何ら必要なきことと臣は心得ます。

 殿下の御意を承り、臣はこの地の安泰を保つため全力を尽くす所存にございます。

 殿下にはなにとぞ御心を安んじられますよう、伏してお願い申し上げます。


大陸暦120年晩夏の月4日

 コーシア伯爵ユマ



「各県知事から殿下への上申は、内務尚書を経由して行うこととされておりますので、正式にはこの形式となります。『臣』という言葉で通っておりますのは、ノーディア語では『ニスタ』、これは君主又はその名代に対する場合にのみ用いる特殊な一人称代名詞です。冒頭を2文字下げれば、日本で一番下まで字下げするのと同じ意味を持ちます」


 できあがった「上申書」の原稿を前に、タツノ副知事は「異世界お手紙講座」を開いてくれた。


「よろしければ、こちらを送信させます」

「よろしくお願いします」

 由真が即答すると、タツノ副知事はその原稿を係員に渡した。


「頭語とか結語とか、『御侍史』のたぐいとかは、いらないんですね」

「おんじし?」

 由真の言葉に反応したのは晴美だった。

「え? あ、『御侍史(おんじし)』って、紹介状とかで、『渡良瀬先生御侍史』みたいに使うやつだけど……」

「そうなの? 初めて聞いたわ、それ」

「まあ、確かに、使うのは主に医者だけみたいだけどね」

 それ故に代々医者の渡良瀬家ではなじみのあるものだったが。


「こちらは、手紙に関して日本のように細々した規範はございません。君主への上奏やそれに準じる上申の場合、先ほどの2文字下げ、それに末尾の名乗りで1文字下げるという規範がある程度です」

 由真の当初の問いかけに、タツノ副知事が答えた。


「敬称は、公爵は本来『閣下』ですが、王族であれば『公爵殿下』が正式となります。同輩までは『閣下』が必要ですが、下位に対しては『閣下』は不要です。

 先ほどの上申文で、冒頭は『総司令官』の肩書きなので『閣下』としておりますが、それ以降は『子爵』の肩書きですから、『伯爵』の名義の文書においては『閣下』は不要となります」

 ――それは十分「細々した規範」のように思われるが。


「失礼します。上申の送信は終わりました」

 係員が入室して、そう報告する。

「それと、こちらを受信いたしました」

 その係員は、そう言って紙を差し出した。



至急

晩夏の月4日15:11受信


コーシア伯爵閣下


 北シナニア県庁より別添のとおり上申を受信しましたので、参考まで送信いたします。


大陸暦120年晩夏の月4日

尚書府長官官房長


(別添)

上申


アスマ公爵殿下


 アスマ軍総司令官イタピラ大将軍より戒厳令の実施を求める旨布告がありました。

 総司令官は、アスマ全域が危機的状態にあると指摘し、事態を辺境の魔物出現に矮小化しようとする州庁の行動を不当と断じました。

 総司令官の示した危機感は、アスマの全県が共有するところです。冒険者ごときを頼りとすべき局面ではありません。

 戒厳令の速やかな実施に向け、殿下の英断を求めます。


大陸暦120年晩夏の月4日

北シナニア県知事 大将軍 エストロ子爵オルト



 予想通り、エストロ知事は戒厳令に賛成する上申を送っていた。

 ふとタツノ副知事を見ると、首をかしげて険しい表情をしていた。


「副知事、どうしました?」

「あ、いえ……これが送られたのは、どういうことか、と思いまして……」

「これ、さっき話に出た上申では……」

「ええ、そうなのですが、この形式は……」


 そう言われてもう一度通信文を見ると、冒頭の2文字下げや末尾の名乗りの1文字下げが行われていなかった。


「これをこのまま送信するなんて、あり得ないでしょう」

「知事が相当ごり押しして、下も恥を繕うつもりがなくなった、という辺りでは?」


 マリナビア内政部長とウルテクノ警察部長がそんな言葉を交わしている。


「これ、そこまで非常識……なんですか」

「ええ。ジーニア支部の1年生がこのままメリキナさんに提出したら、彼女からたっぷりお説教を受ける程度には」


 ジーニア支部のメリキナ女史の名前を持ち出されてしまった。


「でもこれ、一応丁寧語……なのは、翻訳スキルのおかげ、ですよね」

「はい。『殿下の英断を求めます』という文言が見えているかと思われますが、この部分だけでも十分不敬です」


 翻訳スキルも、無礼な内容を緩和するところまではサポートしていないのだろう。


「これでも、洗脳が通じていたら、全部の県から一斉に賛成の上申が出ていたのでしょうか」

「いえ、旧ベニリアと旧トビリアは、殿下が遙任(ようにん)で知事を兼ねておられますから、副知事が独断でこれに賛同する上申を行うというのは、あり得ないと思われます」


 その事情は、以前ユイナからも聞かされていた。そのために各県の副知事は「アトリア通い」が常態化しているとも。


「それにアトリアは、副知事4人体制で、重要事項は副知事団の協議で決めることとされておりますので、意思決定そのものに時間がかかります」

 タツノ副知事がそう答えたそのとき、内線の呼び出し音が鳴る。


「はい、知事室です。……はい」

 受話器を取ったマリナビア内政部長が副知事に振り向く。


「副知事、アトリアのフォルド副知事から通信が入っているそうです」

「つないでください」

 今度はアトリア市からの通信だった。由真も受信用のヘッドホンを装着する。


「はい、タツノです」

『あ、タツノさん、フォルドです。お忙しいところ済みませんが、少しだけよろしいですか?』

 この人物も、やはり丁重な態度だった。


「もちろん大丈夫です。例の布告の関係ですか?」

『ええ。どう対応したものかと、副知事団も苦慮していたのですが、おあつらえ向きにコーシア伯爵閣下から上申がありましたので、それに全面的に乗る内容で上申を出しました』

「全面的に乗る内容、ですか」

『我々も、アスマ軍の要求はのめないというところは一致しておりまして、ただ、どう意見を返したものかと悩んでいたのですが、そちらからあの上申を受け取りまして……あのユマ様にセレニア神祇官とセプタカを陥とした面々がいて、タツノさんが補佐しているところで、あの強い内容なら、乗るのが一番、ということになりまして……』


 ユイナや晴美たちの存在にも言及されているとはいえ、やはり面はゆい台詞だった。


『それに、ユマ様のお噂も伺っております』


 そう言われて由真の息が詰まる。「噂」というのは、「アトリア市知事に任命する」という話だろう。


『我々は、いつでも知事をお迎えする準備ができておりますので、その旨もお伝えいただけると幸いです』


 その言葉に、タツノ副知事は由真に目を向ける。由真は――さすがに首を横に振る。


「では、フォルド副知事からご挨拶があった、ということは閣下にお伝えしておきます」

『済みませんタツノさん、後方のアトリアとは違って、コーシアは最前線でお忙しいところに、いろいろおすがりして』

「いえ、こちらには閣下と猊下、冒険者の皆さんがそろっていますから。むしろそちらが、しばらく大変になるかもしれませんが」

『まあ、こちらも、A級冒険者を総動員して、殿下をお守りします』

 そんなやりとりで、通信は終わった。



「閣下、副知事、アトリアからの上申が、内務省から届きました」

 通信を終えた直後、そう言って通信室の係員が1枚の紙を差し出す。


 

至急

晩夏の月4日15:36受信


コーシア伯爵閣下


 アトリア市知事代理より別添のとおり上申の取次を求められましたので伝達いたします。


大陸暦120年晩夏の月4日

内務尚書


(別添)

上申


アスマ公爵殿下


  臣ティルト謹んで申し上げます。


 先刻アスマ軍総司令官閣下が戒厳令の施行に関し布告を行い、コーシア伯爵閣下及び北シナニア県知事閣下より上申がなされた旨伝達を受けました。

 臣らアトリア市副知事団は、総員一致してコーシア伯爵閣下の上申に全面的に意見を同じくしております。

 殿下の御意を承り、コーシア伯爵閣下とともに、臣らは州都アトリアの安泰を保つため全力を尽くす所存にございます。

 殿下にはなにとぞ御心を安んじられますよう、伏してお願い申し上げます。


大陸暦120年晩夏の月4日

 アトリア市知事代理副知事 フォルド男爵ティルト



 確かに「コーシア伯爵閣下の上申に全面的に意見を同じくして」いると明記されている。

 それに続く2行は、コーシア県庁の上申文と同じ文言だった。


「これで、この局面の勝敗は決まったものと思います。州都アトリア市が、フォルド副知事の名でこのような上申がなされた以上、近隣もこぞって同趣旨の上申を行うでしょう」

 タツノ副知事が言う。


「フォルド副知事は、どのようなお人なのでしょう?」

「内務省で主に地方局で活躍していた人物で、大陸暦105年から117年まで内務尚書兼アトリア市副知事の任にありました。117年に内務省の方は勇退して、知事不在のアトリア市を筆頭副知事として預かっています」

 タツノ副知事と同じような来歴の主らしい。


「各県の副知事以下は、内務省と民政省から派遣されてますから、両大御所の意向が明示されたら、皆さん右に倣いますよ」

 ユイナがそう補う。


(『大御所』って、こっちにもそういう概念があるのか)

 由真は、そんなことすら思っていた。

「拝啓-敬具」「前略-早々」のたぐいはなく、「晩夏の候、貴社ますますご清祥のことと~」といったたぐいもない世界です。

「日本のように細々した規範」は、「書札礼」のことも想定しています。「恐惶謹言」とか「くだんのごとし」とかいった言葉を、相手との身分差に応じて使い分ける――というルールもありません。

とはいえ、「殿下」とか「閣下」のたぐいは、相手が偉い人なので、「無礼にならないお作法」が確立されているという設定です。

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