203. アスマ公爵とアスマ軍 (4) 総司令官の布告
洗脳術式はつぶされましたが、演説は続きます。
『州庁は先ほど、魔物が出現したとの情報を発し、北シナニア県においては警戒せよ、と通知した。しかしながら、その魔物云々などは、危機全体のほんの一端に過ぎない』
朗々と響く声。それに乗せられていた洗脳術式を解呪されているとは気づいていない様子だった。
『州庁は、全土が直面する重大な危機には目をつぶり、事態をシナニアに矮小化しようとしている。そして、鉄道会社は、その意図に乗せられ、シナニアに対する輸送の任務を放棄するという意向を示した。この状態が続けば、州庁の弥縫策そのものが、アスマ全体をさらなる危機に陥れることになる』
「ああ、貨物列車を止められたからか」
由真は思わずそうつぶやいていた。
「どういうこと?」
「さっきの発表。TA貨物が列車を止めるって言ったよね? それでアスマ軍は焦ったんだと思うよ」
晴美に問われて、由真はそう答える。
『アスマ全土が現に直面する危機、そして州庁の対応がもたらすさらなる危難、これらを思うに、我々は、もはや州庁にはこの危機を克服することはできないと指摘せざるを得ない』
「これ、完全にクーデターのテンプレだね」
そのまま由真は言葉をかぶせる。
『この危難を克服する手段はただ一つ、速やかなる戒厳令の実施による、強力な対応である!』
「あの洗脳がかかってたら、これでも信じ込ませられたんでしょうかね?」
「それは……ユマさんが出鼻でつぶしてしまいましたから、私にはなんとも」
ユイナが苦笑交じりでそんなことを言う。
『状況は、すでに本国にも伝えている。本国は、速やかに戒厳令を実施して事態を解決すべき、との考えである』
「植民地宣言してますけど、これ、いいんですか?」
「少なくとも、国王陛下の御意には沿わぬところと思います」
ユイナ相手の軽口に答えたのは、タツノ副知事だった。
『さしあたり、TA貨物に対しては、軍用列車の運行を指示する。TA貨物は、護衛が云々との見解を示したが、冒険者のごときならば、コーシニアにたむろしていると聞く。その者らを動員すれば何ら問題はない。この危機において、王国のため命を捨てて奉仕すること、それこそが、コーシニアにたむろする冒険者どもが公に奉仕する唯一の道である』
「え、これ、もしかして、あたしたちのこと?」
和葉が声を上げる。もはや「テレビに向かって文句を言う」空気になっていた。
「私たちはまだしも、『ユマ様』のことをこんな風に言って、この人、大丈夫なのかしらね?」
そう言う晴美は、もはやあからさまに冷笑を浮かべていた。
『状況は、川に魔物が1匹現れたなどという矮小なものではない。冒険者1人の手によって軽く退けられる程度の事件などは、アスマ全体の危難と関わりなどあろうはずもない。我々は、アスマ全体が直面する危難に対して、速やかに、断固たる手段をもって対応しなければならない』
「それ、『軽く退けられる』のはユマちゃんだけだから。王国軍が10個師団いたって、竜に立ち向かえる訳ないじゃない」
今度はウィンタが「ツッコミ」を入れる。
『我々は、アトリア周辺に駐留する8個師団を動員する用意がある。州庁に対して、アスマ全体が直面する危機をしかと受け止め、戒厳令の実施に最大限協力すべきことを改めて要求する。
私からの布告は、以上である』
その言葉とともに、発信元のハブ――おそらくはアスマ軍総司令部のそれとの間の接続が終了した。
『以上で、全県同報通信を終了します』
続く淡々とした声で、「全県同報通信」は終了した。
「何というのか、勢いだけで、ずいぶんとずさんな演説でしたね」
そう口にした由真の胸の奥から、大きな溜息が漏れてくる。
「『アスマ全体が直面する危難』とだけ言われても、何がどう危ないのかわからない……というより、そもそも危機意識の共有もろくにできないですよね。まさか、殿下にも同じ調子だったんでしょうかね」
「おそらく、これと同様であったと思われます。今少し具体的な内容が示されていたら、殿下ご自身が言及されているはずです」
由真の言葉に応えたタツノ副知事も、やはり深い溜息をついた。
「冒険者ギルドとしては、一連の情報で状況は具体的に示しておりますので、抽象的な言葉だけでそれを覆すことはできない、と考えてしかるべきところなのですが」
そうは考えないからこそ、あのような演説を「全県同報通信」で垂れ流すことができるのだろう。
「ただ、一つだけ明示的に示された危機はありますよね」
由真が言うと、タツノ副知事は怪訝そうな表情を見せる。
「とおっしゃいますと……」
「『我々は、アトリア周辺に駐留する8個師団を動員する用意がある』……つまりクーデターの準備はできていると、向こうから宣言しましたよね。それに、『本国は、速やかに戒厳令を実施して事態を解決すべき、との考えである』とも言ってましたから、『本国』……つまりアルヴィノ王子は、アスマ軍のクーデターでエルヴィノ殿下を攻撃するつもりがある、ということですよね」
それは――「第1王子が第2王子を軍事力で圧迫しようとしている」という推測は、ユイナたち現地人はもとより、こちらの世界に長年暮らし高い地位を得たタツノ副知事にも口にはできないことだろう。
だからこそ、自分が明示的に言わなければならない。
「それ、まさか……戦争に?」
晴美が問いかけてきた。その声は、さすがに震えている。
「どうかな。エルヴィノ殿下は軍事力を持ってない訳だから……『戦争』にはならないと思う。ただ、アルヴィノ王子は、あの性格だから、『後顧の憂いを断つ』ために……」
その先を口にすること。由真にとっては、むしろそちらの方がよほどはばかられた。
「ユマさん、それは、結局、戦争になるだけですよ」
ユイナが、暗く沈んだ声を返す。
「アスマの人々は、国王陛下を尊敬してますし、エルヴィノ殿下のことも、その後継者として、やはり敬愛しています。あの洗脳がかかっていたとしても、エルヴィノ殿下を敵視するような意識なら、簡単な祈祷ですぐに解除されます。
それでもなお、殿下に危害を加えようとするなら、アスマ軍は、アスマ人3億人を敵に回すことになります」
「こちらの軍には『火力』がありませんから、少なくとも泥沼のゲリラ戦になります。それに、各地のA級冒険者が敵に回れば、逆に『火力』に正面からさらされます」
ユイナの言葉をタツノ副知事が補う。
「そうなると……それはそれで、住人が『危難に直面する』話ですよね。それを避けるのが、『戦争を避ける』、『戦わずして勝つ』、そういうことですよね?」
住人を危難に陥れる「戦争」は可能な限り回避する。それは、由真とユイナの共通認識だった。
そして「戦わずして勝つ」という基本理念は、タツノ副知事も理解してくれるだろう。
「そうなりますね」
「まさに、閣下の仰せの通りと心得ます」
2人ともそう答えてくれた。
王国軍は隙あらば攻撃を仕掛けてくる困った集団です。
それでも、「戦争を避ける」と「戦わずして勝つ」が基本理念となります。




