200. アスマ公爵とアスマ軍 (1) 戒厳令の要求
200話目となりました。
エルヴィノ王子への報告をどうするか――と話していたところに、その王子から連絡が入った。
由真もタツノ副知事も、即座にヘッドホンを装着しマイクに向かう。
『ユマ殿、今大丈夫ですか? 実は、こちらにいささか動きがありました』
「動き、とおっしゃいますと……」
『実は、先ほど、アスマ軍総司令官イタピラ子爵がこちらに来まして、『アスマ全土に戒厳令を実施したい』と申し出てきました』
その言葉が聞こえて、由真はとっさにタツノ副知事に目を向ける。相手も、険しい表情で由真を見つめていた。
「戒厳令を……今回の件で、ということですか?」
『ええ。この件は全土的非常事態であり、戒厳令をもって迅速に対応する必要がある、とイタピラ総司令官はしきりに強調していました』
「非常事態」から「戒厳令」。それだけを取れば、違和感のない流れかもしれない。しかし――
「この件なら、総主教府への復命で、事態は公になっている、と……」
『ええ。ベニリア川に河竜が出現し、それをユマ殿が追い返した上で、ユイナさんが結界を展開した、ということは、アトリアでもすでに周知のことです。コモディアから下流では、すでに事態は収束したも同然、と、市内の人々はそう認識しています』
「では、なぜ戒厳令と……」
『河竜の件ごときは些細な事案に過ぎず、北シナニア全域、ひいてはアスマ全体が、重大な危機に直面している。それが、相手の主張でした。ただし、その『重大な危機』の具体的な内容も、それに対するアスマ軍の対処の方針も、一切説明がありませんでしたが』
昨日のエストロ知事のときと全く同じ状態らしい。
『実は、その河竜の関係は、総主教府からの復命は受けたのですが、北シナニア冒険者ギルドからの報告が未だ入っていません。河竜の出現も、水鬼の27体という個体数も、いずれも、従来なら本局への報告が必須の規模だったにもかかわらず、です』
冒険者ギルド内の魔物に関する報告のルールは、エルヴィノ王子も当然承知していた。
『今朝9時に、総主教府から復命があったことを伝えた上で、民政省本省へ速報せよと指示を出させたのですが、昼まで待っても、何の音沙汰もありませんでした』
そこまでされても「既読スルー」を貫くとは、確信犯としか言いようがない。
『本来なら、北シナニア冒険者ギルドが警戒を呼びかける情報を発出することになっているのですが、なしのつぶての相手を待っていてもらちがあきませんから、民政省に命じて、本省として警戒情報を発出するよう準備をさせています』
県庁の頭越しということになる。相手のメンツは最大限尊重するとしても、さすがに限度がある。
『ユマ殿とユイナさんに内容を確認していただいた上で、午後にでも発出させようと思っていたのですが……イタピラ総司令官が、11時半に突然来訪して私に面会を求め、先ほどのとおり『戒厳令』云々と言い出しましたから、州庁として後れを取る訳にもいきませんので、正午を目途に発表させることにしました』
アスマ公爵たるエルヴィノ王子に「アポなし突撃」の上で「戒厳令」と言い出した。
イタピラ総司令官も、相当に傲慢で非礼な人物らしい。
『そちらにも情報は届くはずですが、修正すべき点などあれば、折り返しの報告として伝えてください』
そう言われて、由真は当初の本題を思い出す。
「修正などは特にないと思いますが……こちらは、ユイナさんにお願いして、コーシニアからコーシア川とファニア川にかかる水系領域保護結界の補強をしてもらっています。それと、遊撃戦力を確保するため、アクティア湖から晴美さんたちをこちらへ呼び戻しました。
あと、これとは別に、アクティア湖でオーガ30・ゴブリン300の生息事案がありましたので、その関係で注意情報を発出しております」
そこまで一気に口にして、由真はタツノ副知事に目をやる。副知事は、軽く頭を下げた。
『それであれば、最下流のアトリアを含めて対策は済んだも同然ですね。アクティア湖の事案も含めて、措置はユマ殿にお任せします。タツノ副知事と相談して、よろしく取りはからってください』
「かしこまりました。その、アスマ軍との関係で、僕は何かすべきことは……」
『現時点では、心配はご無用です。これは、こちらだけで解決します。実際問題として、北シナニアの敵は河竜だけではありませんから……以前お願いしたとおり、『冒険者』として、そちらへの対処に専念してください』
それで、エルヴィノ王子との通信は終わった。
「アスマ軍が『戒厳令』を要求するとは……」
タツノ副知事は、険しい表情でそう言って、深い溜息をつく。
「副知事、その、こちらの『戒厳令』というのは……」
その「基本」を――今更ながら――由真は尋ねる。
「基本的には、戦闘状態の地域において、現地軍司令官に行政と司法の全権を委ねるという、地球のそれと同じものです」
「ということは、それが発動されると……」
「全土が対象となれば、公爵殿下の統治権がアスマ軍総司令官の手に移ります」
その言葉に、由真の理解力は一瞬追随できなかった。
「第2王子の殿下が、陛下から預けられている統治権が……ですか?」
「はい。ただし、ミノーディア、アスマ、メカニアについては、戒厳令の施行には総州総督又は州長官の承認が必要です」
州長官は他ならぬエルヴィノ王子である以上、本人が同意しなければ戒厳令は施行できない。
「その承認を要求した、ということは……殿下に対し奉り、統治権を差し出せ、と要求したも同然です」
「それは……むしろ、殿下がアスマ軍を指揮するのが筋じゃないんでしょうか?」
普通の封建制なら、現地に存在する軍事力は、現地の領主の配下にあるはずだが――
「それについては、大陸暦の時代に入り、軍を近代化するためということで、領主の統治権と軍の統帥権は切り離されています。王国軍に対する統帥権は、国王及び王位継承者たるミノーディア大公のみが有することとされています」
「それは、つまり……」
「現国王陛下がアスマ大公であられた頃は、ミノーディア大公を兼ねておられましたので、アスマ軍は大公殿下の指揮下にありました。ですが今は……」
「陛下とアルヴィノ殿下の配下にある、と?」
「正確には、統帥権を有されているのは、陛下お一人です。アルヴィノ殿下は、ミノーディア大公ではありませんので、本来は、軍に対する統帥権は与えられておりません。ただ、陛下の御不例が続いて、カンシアにおいてはアルヴィノ殿下が名代となられているため、実質的には、王国軍はアルヴィノ殿下の配下にありますが」
――「正確には」アルヴィノ王子は王位継承者ではない。明示的に言われたのは、これが初めてのような気がする。
「ともかく、今、戒厳令が施行されれば、殿下の統治権全てをアスマ軍が掌握する……事実上のクーデターです」
険しい表情のまま、タツノ副知事は言葉を続ける。
「それは、殿下が、それに応じられるということは……」
「私には、なんとも断言できかねます。ただ、今回の動きで、アスマ軍の刃がいずれに向いているかは、はっきり示された、とは思っております」
「事件」が発生した北シナニア県において何の軍事的行動も示さずに、一方的に「非常事態宣言」を発し、そこから「戒厳令」を要求する。
その態度は、「刃がいずれに向いているか」をまざまざと示していると言ってよい。
(ただの進駐軍……いや、それ以下だな。支配する策の持ち合わせもないんだったら……)
アスマ公爵を恫喝し統治権を奪おうとするアスマ軍。
せめて「軍政」の方策が示されているならまだ救いがある。
しかし、その片鱗すら示すことなく「統治権」のみを要求する。
それは、もはや単なる盗賊も同然だった。
実はこういう大枠になっていました。
竜とか鬼とかより、こういう内側の「魔物」の方が面倒になりがちですね。