1. 日常から…
書きためていた分を引き続き投稿します。
長期にわたる休校がようやく終わり、2ヶ月遅れで新学年がスタートしてから5日目。担当教師が7度2分の熱を出したということで自習となった金曜の2時間目、渡良瀬由真はとぼとぼと廊下を歩き教室に帰り着いた。
「セナちゃん、買ってきたよ」
そういって、由真はパック入りのミルクティーを掲げる。
「ん? ヨシやっと来た? って何それ、あたしそんなの頼んでないじゃん!」
振り向いた女子生徒、度会聖奈は、ミルクティーのパックを見るなり眉をひそめて声を荒げる。
「いや、だって、イチゴミルクは売り切れてたから……」
「だったらコンビニにでも行って買ってきなさいよ。全く、相変わらず使えないんだから」
聖奈は、そういうと大仰にため息をついた。
「けど、火曜日と昨日は、イチゴミルクがないから、って、これ買ってたよね」
「なに? ヨシ、あたしに文句でもあるの?」
聖奈は由真の目をにらみつける。
「文句でも、って……そんな言うなら自分で買ってくれば……」
由真がそう言葉を返すと、大柄な男子生徒がつかつかと近づくなり、その襟首を右手で締め上げる。
「おい渡良瀬、お前なに生意気にセナに反抗してんだよ?」
「ぐっ、ちょっ、ちょっと毛利君っ、けほっ……」
その男子、毛利剛に締め上げられて息が苦しくなり、由真はたまらず咳き込む。
「ああ毛利、あんまヨシを締め上げないでよ、イジメー、とか騒ぎになると面倒だしさ」
聖奈に言われて、毛利は由真を締め上げていた手を離す。
「まあ、セナがいいってんならいいけどよ。この陰キャぼっち、見てるだけでむかつくんだよ」
「わかってるよね毛利? ヨシはこれでも学年トップの秀才君だよ? 職員室も目をかけてるんだから、気をつけてよ」
そういって、聖奈は由真が握っていたミルクティーのパックをひょいとつかみ取る。
「今回はこれでいいけど。次はちゃんとイチゴミルク買ってきなさいよね」
聖奈のその言葉で、由真はようやく解放された。大きく息をついて呼吸を整えるとある自分の席に着く。聖奈の席はちょうど一つ前なので、物理的に距離がとれた訳ではないが。
由真と聖奈は、家を三軒ほど挟んだ近所同士で、小学校時代からのつきあいがある。いわゆる幼馴染みであり、小学校時代は勝ち気な聖奈が引っ込み思案の由真を振り回す、という程度の関係だった。
しかし、小学校から中学校に進む頃合い、いわゆる思春期に入って、異性である二人の関係は変化した。
聖奈は、学校一の美少女と評判になり、優れた学業成績とバレー部での活躍もあって、才色兼備・文武両道の華として注目を集めていた。
他方由真は、授業には関心が持てず、半強制的に押し込められた陸上部でも人間関係がこじれて孤立してしまった。学業成績は一応学年10位以内を保ち、陸上でも中距離で県内記録を更新する実績は上げたものの、それで知己が広がることはなかった。
他の選択肢もなかったため、二人は地元で長年の伝統を誇る旧制中学系県立進学校に進んだ。
ここでも、聖奈は才色兼備・文武両道の存在として忽ちに全校の注目をさらった。由真の方は、中学3年間で劣化してしまった対人スキルなど到底使えず、陸上部に入る気力も雲散していた結果、完全に孤立無援になってしまった。
そんな状況で、聖奈に懸想したのが、同級生になった毛利剛だった。毛利は、「家が近所の幼馴染み」として聖奈と一緒に登校してくる由真に嫉妬から敵意を抱き、自慢の腕力で由真をたびたび恫喝するようになった。
聖奈は、「幼馴染み」としてドアツードアで行動をともにする由真を都合のよい「パシリ」として扱いつつ、力自慢の毛利とも友好的な関係を保ち、時として用心棒に、時として由真に対する牽制役にと便利使いしていた。
「お前ら、相変わらず騒いでるな。2年に上がったんだから、少しは成長しろよ」
由真と聖奈と毛利に声をかけてくる男子。名前は平田正志。3人とは1年生のときから同級生で、新学年でやはり同じクラスに所属することになった。
「ゴメンゴメン、平田君。あたしは注意してるんだけどさ、男どもがねぇ」
にこりとほほえみ、聖奈は平田に答える。
「いや度会、渡良瀬をパシリ扱いするのも十分問題だぞ?」
平田は、聖奈にそう答えると、聖奈の左脇に立っていた毛利に顔を向ける。
「毛利、むやみやたらと腕力に訴えるのは程々にしておけよ。問題が起きたら先輩たちに迷惑が及ぶんだからな」
「わかってるよ。俺だって、別に何でもかんでも締め上げてる訳じゃねえって」
「いや、そもそも柔道の理念は『精力善用』だろう? 鍛えた力は善い方向に使えよ」
そんなやりとりをする二人。それだけであれば、優等生とやや問題児という関係に過ぎないのだが――
「何より渡良瀬、お前の態度が一番の問題だぞ?」
平田は、そこで矛先を由真に向けてきた。
「お前は、成績はずっとトップ、陸上の実績だってあるんだろう? なのに、何でいつもそうやって自分の殻にこもるんだ?」
客観的に見れば「イジメ」であろうこの局面で、平田は「被害者」の由真への糾弾を始める。
「お前レベルの人間が、そうやって俺たちクラスメイトとの関わりを拒絶するから、度会も毛利も、多少強引にでもお前にかまってくるんじゃないか。お前が、もう少しつきあいをよくすれば、全て解決するだろう」
――これが、平田が1年を通じて由真に強いてきた思想だった。
「1年B組もいい奴ばかりだったのに、お前はろくに口も聞かないで……」
そんな平田の言葉に、これ以上認識を傾ける必要はない。由真はそう判断し、その音声を注意の対象から外して、机の中に入れてあったポケット辞書を手に取る。
「今度の2年F組も、楽しい連中がそろってる。渡良瀬、お前も、今度はちゃんとクラスに溶け込めよ?」
続いてくる音声。由真は、それに「ホモサピエンスの男の発声」以外の意味を感じていなかった。
「おい、聞いてるのか? そうやって人の話も聞かないで、みんなを拒んでばかりだから、お前は陰キャだのぼっちだのと陰口を――」
それはみんな公然と言ってるんだから陰口じゃないだろう、と心の中で反論したそのとき――