190. 河竜出現
水鬼に続けて現れたのは――
水音がとどろき、川面が大きく盛り上がって、そしてそこに、青い大蛇のようなものが姿を現した。
「河竜?!」
祈祷に入っていたユイナが叫ぶ。
青い大蛇――「河竜」は口を大きく開ける。
「っ! 『大いなる天の光と地の恵み、我らを暫し衛らせたまえ』!」
ユイナはすかさず詠唱する。
「ウグアアア!!」
「【天地の盾】!」
河竜の咆哮とユイナの詠唱が交錯する。
河竜の口から水が噴出した。同時に大きく分厚い光が壁状に展開する。
河竜の放った水は、その壁にぶつかり崩れ落ちた。
(これ……『光の盾』の上位技? あっちはただの放水? それとも毒が入ってる? いや、そんなことより……)
「ユイナさん! これ、どのくらい保ちますか?!」
わいてくる疑問はいったん捨てて、この場で唯一必要な情報を由真は問う。
「あの攻撃、あと2回くらいです!」
ユイナも、すかさずそれを答えてくれた。
(2回なら……躊躇してる余裕はない)
由真は、すかさず弓を構えて矢をつがえる。
前方500メートルほど離れた河竜を射貫く軌道を計算して、地系統魔法と光系統魔法による強化によって矢を放ち、風系統魔法で飛ばす。
さらにもう1本を――「先輩」に仕込まれた連続射撃の要領で――打ち込んで同様の流れに乗せる。
「由真、俺も行く」
衛が後ろから声をかけてきた。それで初めて、由真は自らが棍棒を構えて歩き出していたことに気づいた。
「ありがとう、衛くん」
それだけを答えて、由真は前進を続ける。
矢は河竜の目前まで到達した。由真は、風系統魔法を最終追尾に切り替えて、矢に無系統魔法の物理的消失の術式を込める。矢は、1本は右に、1本は左に急激に旋回し、ほぼ同時に河竜の体を貫いた。
「ギィィィ!!」
河竜が吠える。その「ダ」は強大で、矢に込めた程度の力では、体を射貫く程度しかできなかった。
(なら……)
由真は、弓を構えて矢をつがえると、今度は物体破壊の術式を込める。
(って?!)
不意に現れた「ダ」の気配。由真は、とっさに矢の向きを変えて、そちらを狙い撃つ。
「なっ?!」
直後、前方で声が上がる。
青いものが、剣を振って矢を弾こうとして――矢は落下したものの、その矢が当たった箇所で剣も折れた。
「誰?」
由真は、問いかけつつ棍棒を構える。そして、横から衛が進み出た。
「貴様……俺に気づくとはな……」
相手がうめき、そしてその「ダ」がにわかに強まる。
「これは……」
「気をつけて、衛くん。こいつ……ダニエロ程度には強いよ」
剣を構えた衛に由真は告げる。
セプタカのダンジョンで戦った相手「邪眼のダニエロ」を基準とするなら、眼前の相手も「S級個体」だろう。
その程度には強力な「ダ」を持っている。
「ふん、貴様がユマか。俺を……このオスト・サゴデロを、ダニエロごときと一緒にするな!」
オスト・サゴデロと名乗った相手が叫ぶなり、川の流水が塊となって衛に飛ぶ。
しかし衛は、剣を振り下ろして水の塊を切り捨てた。
同時に、河竜の「ダ」が強まる。その口が開き、再び水が放たれる。
「させない!」
由真は、そちらに棍棒を向けて無系統魔法を放つ。河竜の放った水の塊は、由真の頭上で霧となって消えた。
「奴は俺が引きつける。由真は竜に集中してくれ」
衛は、振り向いてそう言うと、オスト・サゴデロに向かう。
「貴様はマモル・センドウだな。貴様ごときに、俺の相手はつとまらんぞ!」
オスト・サゴデロは、折れてしまった剣を振るう。
次の瞬間、川面の水が3本、槍状にせり上がって衛を襲う。
衛は、踏み込みつつ前方の2本を立て続けに切る。後方の1本はむなしく宙を切った。
「このステンレスは、軽いのによく切れる。ミスリルも身軽でいい」
由真に聞こえる声で、衛は言う。
セプタカのときより身軽に見えるのは、今回の新装備のおかげ――ということを、由真にも告げたのだろう。
「ミスリルだと?! ふざけるなっ!」
激高とともに、オスト・サゴデロは剣を振り上げ衛に斬りかかる。
しかし衛はそれよりも素早く右前に踏み込み、相手の脇腹を斬ってしまう。
(あのときの面抜き胴……ほんとに身軽みたい)
ベルシア神殿の「初期教育」の一環として行われた「実戦試合」。
「勇者」平田正志と対戦した衛は、相手の大ぶりな動きに対して、面抜き胴や面返し胴を駆使してたくみに対応していた。
実戦に慣れて腕を上げ、さらに装備も軽量化されたことで、その動きは一段と鋭くなっている。
「ぐっ! おのれっ!」
オスト・サゴデロは、脇腹の傷にもだえつつ、水系統魔法を発動する。
傷を癒やすなら妨害する。そう思って由真は棍棒を向けて――
(いや、こっちだ!)
河竜の口に再び「ダ」が集積する。
その口が開き、水の塊が噴出した――その瞬間に、由真は無系統魔法を発動してその水の塊を消す。
(衛くんの技に感心してる場合じゃない)
他ならぬ衛に「竜に集中してくれ」と言われたそばからこれでは、「冒険者」失格だ。
河竜は、その「ダ」をにわかに強めた。水系統の「ラ」が川の水から集まる。
(そうか、こいつは水に拠ってる。なら……)
その意思力「ダ」の働きと自然のエネルギー「ラ」の動きを見て、由真は素早く術式を計算する。
「グオアアア!!」
河竜の雄叫びが響く。
「『これらの域にて湿り気を奪わん』……」
そちらに棍棒を向けて、由真は組み立てたばかりの呪文を詠唱する。
「アアア!!」
「……【局所乾燥】!」
相手の叫びを打ち消す勢いで、由真は宣言する。
次の瞬間、河竜の胴の周囲4箇所とのど元の1箇所で、湿気がにわかに消え去る。
「ウグアアア?!」
河竜の叫びは、由真の耳にも苦悶が現れていた。
その依拠するところの「水」。それが文字通り「枯渇」した状況は、この相手にとってことのほか苦境のはずだった。
(一気に……とどめだ!)
セプタカで七首竜に対して使った強化版の即死魔法。それを思い出し、そして自らの意思の力――「ヴァ」を高める。
その瞬間、由真の目線の先に竜の目が映る。その目は、赤く染まっていた。
「ガアアアッ!!」
ひときわ高く強い咆吼。そして、竜の青い体は、刹那に霧状に変化した。
「えっ?!」
とっさに足を止めて、由真は棍棒を構え直す。
しかし、竜が変化した青い霧は、そのまま川に戻り、風に乗って河川敷をぬらした。
「なっ?!」
「せいっ!」
驚きの叫びと気合いの呼気が交錯する。見ると、振り向いたオスト・サゴデロの首を衛が上段の横斬りで斬り裂いていた。
「由真……竜は?」
こちらに鋭く振り向いた衛が、怪訝そうに問いかけてきた。
「逃げられた。そっちは、もう片付いたんだね」
そう答えた由真の目に、転がり落ちる首と倒れていく胴から下が映る。
「ああ。最初に奴の剣が折れたおかげで、簡単に終わった」
確かに、上半分が折れた剣を使っていた敵は、剣戟で不利になったかもしれない。
「でもまあ、衛くんの技に、その軽量装備のおかげだよ」
その「最大の勝因」を、由真は率直に讃えた。
――恐るべき河竜、1話で退場しました。
この主人公が「消せる」たぐいの「弱点」を掌握するとこうなります。
ユイナさんの防壁は、短時間ならダム並の強さです。
そして衛くんは、ステンレスの剣とアルミ合金で強化された鎧のおかげもあり、魔族をやはり瞬殺です。
なお、呪文はラテン語で、次のような綴りを想定しています。
"In his aeris umiditates abducam. 'Siccitates locales!'"