18. 授業開始
日常生活に入ります。
その「週末」は、晴美は外出せずに過ごした。由真も、「従者」として厨房と部屋を往復した他は、晴美の部屋にとどまっていた。
月曜日――に相当する「第一の日」。2年F組の面々は、教室に見立てられた会議室に集合した。
由真は、支給されたお仕着せの服に身を包んでいた。くるぶし丈の黒いワンピースに白いエプロン。それは、明らかに「メイド服」だった。
「……あれ? もしかして、渡良瀬?」
男子の声で、教室の注目が集まった。
「え? マジ?」
「メイドさんかよ」
「何それ、『従者』だから、って奴?」
男子たちの口さがない言葉に、由真は一瞬硬直する。
「違うわよ。セーラー服をオーダーしたんだけど、届くまで一週間かかるから、今週はこの格好をしてるだけ」
代わりに答えたのは、「ご主人様」――晴美だった。
「勘違いはしないでね。これは、この神殿のお仕着せだから。彼女は私の大事な友達。その友達を邪険にしたり、メイド扱いしたら、……わかってるわよね?」
氷系統魔法を使いこなす「最強」の「聖女騎士」の言葉に、男子たちは忽ち目を伏せる。
程なくモールソ神官とユイナが入室して、全員席に着いた。
彼らの「初期教育」は、午前の前半が座学、後半が必修武芸、午後は武芸か魔法の選択講座とされた。
最初の座学は、モールソ神官が講師となり、ノーディア王国の歴史の講義が行われる。
彼らの大陸はひょうたん型で、中央に魔族が住むという山地がある。ひょうたんの北側は、ノーディア王国が東西を貫く巨大な版図を築き上げているほか、西部にいくつかの王国がある。
ノーディア王国は、大陸中部の騎馬民族が機動力により東西両岸へ領土を拡大し、400年の長きにわたって揺るぎない統治を続けてきた。モールソ神官は、そう説明した。
「我らの君主は、『皇帝』を号することもできる。しかし、魔族どもと一致団結して戦うべく、他国と同等の『王』の号をあえて保っている。これは、あくまでも、魔族どもとの戦いのための、我らの寛恕である」
そう語るモールソ神官の表情は、明らかに得意げだった。他方、その傍らに立つユイナは、一言も発することなく目を伏せたままだった。
「……って言ってたけど……」
「少なくとも、西部は、他の王国と共存せざるを得ない程度の国力だと思う。中央は、たぶん過疎な草原地帯。東部は……説明がなかったからわからない。まあ、高く見ればモンゴル帝国、低く見ればロシアとドイツ辺りを足したくらいの地位なんじゃないかな?」
講義が終わり小休憩に入って、晴美の言葉に由真は応える。
「まあ、十分強いのよね」
「少なくとも、他の王国に西部から駆逐されない程度にはね」
そんなことを話しているうちに、すぐに次の講義になる。今度は、ユイナが講師となる地理学の講座だった。
「我々の大陸のうち北側は、モールソ神官から説明があったとおり、ノーディア王国が両岸に及ぶ領土を築いています。この大陸の西部をナロペア地方と言いますが、ここには、ノーディア王国の他に、南西にベストナ王国、北にダスティア王国があります」
地図に指示棒を当てながら、ユイナは説明する。
大陸の西端は、これを3分するように、2つの「地中海」が入りこんでいる。
南の「地中海」を「ソアリア海」といい、その北岸が「ナロペア地方」。このソアリア海に抉られて、南西部は半島となっている。この半島が「ベストナ王国」の領土だった。
北の「地中海」は、狭い海峡を経て円形の内海がある。この内海を「ダスティア海」という。このダスティア海の西側が大洋と挟まれて半島をなしていて、ここが「ダスティア王国」の領土となっている。
「王都セントラはナロペア地方に位置していて、大陸東方のアスマ地方の中心都市であるアトリアとの間は、直線距離でおよそ5000キロあります」
セントラは大陸西岸付近、アトリアは東岸付近だった。
「ノーディア王国領のナロペアに属する部分をカンシア地方といいます。この地方は、夏の暑さも冬の寒さも中庸程度、降水量は森林が形成できる程度です。他方、南西の隣国ベストナは、夏の高温と乾燥、冬の低温と降雨に特徴があります。北の隣国ダスティアは、全体にカンシア地方より冷涼です」
その説明を受けて、晴美はノートに「ヨーロッパと同じ?」と走り書きして由真に示す。由真は「ここはCfbっぽい」と書いて返す。
「大陸中部のミノーディア地方は、基本的に乾燥していて、草原はありますが森林はありません。この地域は遊牧する騎馬民族の根拠で、我々ノーディア王国もこの騎馬民族に源があります」
晴美は、ノートに「中部はステップ」とメモする。
「大陸東部のアスマ地方は、季節風の影響が強く、年間を通じて一定の降水量があり、夏の暑さと冬の寒さはカンシア地方に比べて厳しくなります。この気候条件のため、アスマ地方は、茶の木、綿、稲など多様な農産物が得られます」
「先生! 綿は品薄って聞いたんですけど、もしかして東部から送られてきてるんですか?」
そこで挙手して発言したのは、桂木和葉だった。
「はい。今カツラギさんがおっしゃったとおり、綿はアスマ地方で採れたものを使います。カンシア地方は気温があまり上がらないので、綿の栽培には向いていませんので。ちなみに、東西は鉄道で結ばれていて、定期的な輸送が可能ではありますけど、距離があるので潤沢な供給は難しいのが現状です」
「先生、さっきの話だと、東部だとお米もとれるんですか?」
「ええ、アスマ地方は稲作も盛んですし、米を使う料理も豊富です」
へえ、といった嘆息がそこかしこから漏れる。西岸海洋性気候と思われるこの場所に比べると、温暖湿潤気候と思われる東部のアスマ地方は、日本人の彼らにとっては寧ろ過ごしやすいのではないか。
「あの、ただ、アスマ地方は、標準ノーディア語があまり通じなくて、方言はそれなりに難しいので、皆さんが今すぐに行くと、あの、観光旅行も十分できないと思います」
あたかも釘を刺すかのように、ユイナは続けた。
この神殿にとどまり「兵団」の選抜に恐々とするより、選抜から漏れてアスマに拾われた方が寧ろ快適なのではないか――という認識が広まることは、神殿の総意に反するのであろう。
「ちなみに、ソアリア海の南岸は荒涼とした砂漠が広がっています。さらに南に進むと、季節が北方とは逆になっていて、これから冬の厳しさが増していきます。こちら側は、先住民族がいるものの、王権を確立している国家はありません」
ユイナは、淡々と説明を続けた。
授業の最初のほうがオリエンテーションになるのは仕方ないですよね…
地理講座のためにケッペンの気候区分というのを久々に復習しましたけど、これってよくできてるな、と感心しました。
「ナロペア」は―いい加減な名前です。