185. 隣県との対話
やっとのことで来たレスポンスは――
晩夏の月3日11:18受信
コーシア県副知事 タツノ男爵へ
本官に対して大至急連絡すること。
なお、本官より本日発出した宣言を参考まで送付する。
北シナニア県知事 大将軍 エストロ子爵
関係機関責任者へ
本日早朝県内において強力な魔物が出現し大規模な破壊活動を行った。
本官は、これを県全体における重大な危機と認め、ここに非常事態を宣言する。
この非常事態に対応するため、次のとおり命ずる。
・ 県民の夜間の外出を禁止する。必要な連絡や物資輸送は住人に行わせる。
・ 県民の不要不急の長距離移動を禁止する。このため、アスマ旅客鉄道運行の長距離列車は全て運行を停止する。
・ 王国軍の制圧行動に向けて県民の最大限の協力を求める。
王国軍の展開に応じて必要が生じた場合、改めて所要の指示を行う。
なお、県内の住人は、上記の措置を実現するため、軍部・臣民の命に絶対服従し、自らの生命を積極的に捨てて、可能な限り最大限の行動を取ること。
大陸暦120年晩夏の月3日
北シナニア県知事 大将軍 エストロ子爵オルト
眼前の文字列を前に、由真は手の震えを抑ええることができなかった。
(なんだよ、なんだよこの手前勝手な宣言は!)
眼前の通知文は、「県民」と「住人」を明確に峻別した上で、前者は安全を確保するための措置を求め、後者に対しては「軍部・臣民の命に絶対服従し」「自らの生命を積極的に捨て」と命じている。
(これが、ノーディアの人権感覚かよ!)
ベルシア神殿やセプタカの攻略のときに体験したと思っていた。
しかし、こうして公式な文書に明記されると――憤りがこみ上げて爆発しそうになる。
「ユイナさん……この大将軍に喧嘩を売ったら……戦争になってしまうんですよね」
自らの声の震えは、十分自覚できていた。
「残念ながら、そうですね」
応えるユイナの声も、やはり震えている。
この大将軍は、カンシアから派遣された軍人――すなわちアルヴィノ王子の側に属する。
その相手と、由真やユイナ――エルヴィノ王子に与する者が争うということは、すなわちアルヴィノ王子とエルヴィノ王子の諍いとなり、ひいてはアスマとカンシアの戦争になりかねない。
犠牲が出る恐れがある以上、「戦争」のリスクを負うことはできない。
「くっ!」
紙をテーブルに叩きつける。しかし、内心の憤りは抑えられない。
折悪しく、そこに内線の呼び出し音が響く。
「タツノです。……今、閣下は外していますので、私が出ます」
タツノ副知事のその言葉で、由真の心は多少静まる。
「殿下ですか?!」
「いえ、エストロ知事だそうです。……はい、タツノです」
よりによってその本人からの通信だった。
憤りに支配されつつも、由真はヘッドホンを装着する。
相手と会話を始めれば、おそらく自分は爆発してしまう。
しかし、相手の声を聞き言葉を認識しなければ、この先の「戦い」を適切に進めることができなくなってしまう。
『私だ。連絡をよこせと言っただろう。何をもたもたしている』
――「だみ声」と聞こえるのは、由真の主観のせいだろうか。
「恐れながら、こちらは再三再四そちらへの連絡を試みておりましたが、そちらからは一切応答がございませんでしたが?」
タツノ副知事は、直球で反撃する。
『まあいい。貴様、殿下に直接連絡を取ったというのは本当か?』
相手は直截に尋ねてきた。
「だとしたら、何か?」
『貴様、この非常時に、側近の地位を利用して殿下と内々の相談か? ただでさえ、殿下は側近以外の話を聞かないというのに』
(それはどっちの殿下だよ!)
アルヴィノ王子なら、側近以外の話など全く聞く耳は持たないだろう。
「まさか。私ごときが殿下に直接申し上げるなど恐れ多いことです」
タツノ副知事は淡々と応えた。
『白々しい! 貴様、『殿下と相談中』などと雷信を送りつけておいて!』
「雷信はきちんと読まれましたか? 『コーシア伯爵は公爵殿下と相談に入った』と、そう明記したはずですが?」
『バカを言え! コーシア伯爵といえば、どこの馬の骨とも知れぬ小娘ではないか!』
その「どこの馬の骨とも知れぬ小娘」も聞いているとは思わないのだろうか。
「失礼ながら……国王陛下より直々に離宮所在地ナスティアの知行を任せられ、アスマ公爵殿下より要衝たるコーシア県の知行を委ねられたコーシア伯爵ユマ閣下を侮辱されるおつもりですか?」
その反撃は大げさ――でもない、単なる事実だった。
「私は側聞しておっただけですが、そもそも、殿下には、大将軍閣下が先ほど上申された直後に、コーシア伯に直接ご連絡をされたのです。『北シナニア県知事から対応策の具体的な説明がなく不安である。よって現地において最大限対策を取ること』というご趣旨で」
それもまた事実だった。
「非常事態宣言の件が、我々より先にTA旅客に通知されたため、今度はコーシア伯の方から殿下に連絡を申し上げたという次第です。なお、殿下はTA旅客より初めてその件をお聞きになり、こちらへ改めて連絡されるおつもりであられた模様です」
タツノ副知事がそう言い終えるまで、相手の答えはなかった。
「それで、これから、事態をどのように収束されるおつもりでしょうか?」
『どういうことだ?』
副知事が問いかけると、ようやく声が返ってきた。
「どういうも何もありません。そもそも、シナニア東線のコーシニア中央・ユリヴィア間はコーシア県の区域です。その区間の列車を勝手に停められては、こちらの社会・経済活動に著しい支障を生じます」
表現はいささか極端ながら、それすらも事実だった。
『貴様、これは非常時だぞ?』
――「非常時」といえば何でも通じるとでも思っているのだろうか。
「それはそちらの非常時でしょう。そもそも、そちらからいただいた雷信では、事案の発生箇所も不明です。なら、カリシニアまで列車を運行させて、何の差し障りがありますか?」
タツノ副知事はそう切り返す。
『ぐ、な、そもそも、あんな辺境の駅で、列車など停められるか!』
「カリシニア駅は、いわゆるユリヴィア回廊の急勾配対応のための補助機関車の連結と切り離し、それに交流・直流の切り替えのために、『ミノーディア』を含む全ての列車が停車しておりますが?」
――そんな機能もあったとは知らなかった。
「こちらの把握している情報はお知らせします。殿下には、魔物発生との報を受けて、アスマ総主教府に対して、結界展開の祈祷を行うよう手配されたそうです。現在、当地にはS1級神祇理事、セレニア神祇官猊下もおられますので、総主教府より連絡があれば、台命を奉じて祈祷に向かうことになろうかと思われます。
その際、列車が運行していないとなれば、TA旅客に対して、コモディアまでの運行を再開するよう、台命が下されるかもしれません」
タツノ副知事が蕩々と告げると、ヘッドホン越しに沈黙が走る。
そこで副知事は由真の方に目配せしてきた。
由真は、無言で首を横に振る。
タツノ副知事も無言のまま首を縦に振り、マイクに向かう。「直接話すつもりはない」という趣旨を汲み取ってくれたのだろう。
「それでは、対応策について整理されたら、改めて相談させていただきたく、よろしくお願いいたします」
そう言って、副知事は通信を終えた。
これがノーディア王国軍のクオリティ()です。