184. 混乱する事態
事態はさらに――
「……は?」
「駅で放送が流れてましたよ! 非常事態になったから、コーシニア中央から先は運転見合わせって! そんなことになってるんですか?!」
間抜けな声を上げた由真に、ユイナは強い声でたたみかけてきた。
「ユイナさん……駅は、そんなことになってるんですか?」
惚けてもいられないので、由真はユイナに問い返す。
「え? ユマさん、何を言ってるんですか? ……って、まさか、コーシア県庁には……」
「そのような連絡は、一切受けておりません。それどころか、北シナニア県庁との連絡が、全く取れない状況にあります、神祇官猊下」
――答えたのは、由真ではなくタツノ副知事だった。
「駅では、『非常事態になったから、運転見合わせ』って、そういう放送が流れてるんですね?」
由真は、改めて確認する。
「ええ、そう放送されてましたね」
ユイナは頷く。
「そうなると……大至急手を打たないと、パニックですね」
「と、申されますと?」
副知事が問いかけてきた。
「『非常事態』と喧伝されるような状態になっている以上、問い合わせなどもあるでしょうし、県庁が『全く聞いてません』では済まないでしょう」
――副知事より半世紀遅れて召喚された由真は、その半世紀でちまたに醸成された「危機管理」の感覚に突き動かされていた。
「この際、あちらを悪者にしてしまいましょう。『北シナニア県庁が非常事態を宣言し、コーシニア中央駅以遠の列車の停止を命じた。詳報は追って通知する』という内容の通知を、直ちに出しましょう」
「……かしこまりました」
副知事はそう応えて、通信室に連絡を取る。
「タツノです。県内全市役所郡庁、全ギルド支部に大至急同報雷信してください。内容は『北シナニア県庁が非常事態を宣言し、コーシニア中央駅以遠の列車の停止を命じた。詳報は追って通知する』です」
いったん趣旨が通じると、この人物も話が早い。
「しかし、県庁よりも鉄道が優先されるとはっ」
ウルテクノ警察部長は、苛立ちをあらわに拳を握りしめる。
「これは……今更駅なり鉄道の支店なりに問い合わせる訳にも……」
マリナビア内政部長も、そう言って深い溜息をつく。
「閣下、北シナニア県庁には、抗議の雷信を打ちます」
タツノ副知事の表情も険しい。
「それなら、こういう内容にしてください。『非常事態と聞きコーシア伯爵は公爵殿下と相談に入った』と」
由真は――3人の苛立ちを前にして、そして何より自らを侮る行動を取られたため――最大級の「権威」に訴えることにした。
「……承りました」
副知事はそう応え、内政部長と警察部長も軽い笑みを浮かべた。
「ブラフだけ出しても仕方ないので、僕は殿下に連絡します」
そう告げると、3人は頷いた。
「知事です。公爵殿下に通信をつないでいただけますか?」
『はい。あの、北シナニアから通信が入りましたら……』
「公爵殿下との通信を遮る価値がある連絡なら、そのようにしてください」
由真はそう応えてしまう。
『はい』
エルヴィノ王子との通信は、すぐに接続された。
「由真でございます。殿下にはすでにお聞きかと思いますが、『非常事態宣言』が発出され、鉄道が運転見合わせとなっております」
『ええ。つい今し方、TA旅客の社長から、そのような報告を受けました。それで、状況を確認するため、そちらに連絡しようと思っていたのですが……』
報告を受けたのが「今し方」、報告したのは「TA旅客の社長」。そしてエルヴィノ王子は「状況を確認するため、そちらに連絡しようと思っていた」。
これはつまり――
「ということは、これは、殿下に断りもなく北シナニア県庁が独断で行ったことだと……」
『やはり、ユマ殿にも事前相談はなかったということですね。相談があれば、先ほどの通信の際に話題になっていたはず、とは思っていましたが……』
この「非常事態宣言」は、エルヴィノ王子にすらも事前相談なく、北シナニア県庁が独断で行ったものだったということだ。
「実は、こちらは先程来、北シナニア県庁との通信が全く接続できない状態が続いております」
『それは、『非常事態宣言』が云々ということを巡って、ユマ殿やタツノ副知事と話をすることを嫌った、と見るべきでしょうね』
内心思っていたことを端的に言われて、由真は一瞬返答できなくなってしまう。
『総主教府には、すでに一報してあります。セレニア神祇官が到着したら、程なくそちらに連絡が行くと思います』
エルヴィノ王子は――先ほどの連絡で話題となった――ユイナへの祈祷依頼の件に話題を変えた。
「ユイナさんは、もうこちらに来ています。実は、鉄道の件は、ユイナさんからお聞きしまして……」
『そうですか。それでは、ユイナさんにも一言お伝えしたいのですが、よろしいですか?』
通信を替わるか否かを相談する前に、エルヴィノ王子の方がユイナを指名してきた。
「はい、替わりました」
マイクに向かってユイナは口を切る。
『ユイナさん、帰郷早々に、それも想定外の方向で事態が動いていて恐縮ですが、現状では、冒険者ギルドより神殿の方が融通が利く状態です。ユマさんと協力の上、よろしくお願いします』
「は、はい! かしこまりました!」
ユイナは、ソファから跳ね上がって頭を下げる。
『それでは、ユマ殿もユイナさんも、よろしくお願いします』
そんな言葉で、今回の通信は終わった。
直後、今度は内線の呼び出し音が鳴る。
「はい」
受けたのは副知事だった。
『副知事、北シナニア県庁から通信が入りましたが、殿下と連絡中と返答しました』
――きわめてわかりやすい反応だった。
『それで、あちらから、非常事態宣言の雷信が入りましたので、今お届けに向かっています』
「わかりました」
そんなやりとりで、内線の通信は終了する。
「副知事、その、エストロ知事、というのは、どういう人物なのでしょう?」
由真は、そう問いかけずにいられない。
「オルト・ディグラフォ・フィン・エストロ大将軍は、前アスマ軍総司令官です」
「軍人……なのですか……」
「はい。かつては、シナニア辺境州長官はアスマ軍総司令官を退任した者が5年程度勤めるのが慣例でした。辺境州廃止以降は、北シナニア県知事をS級待遇として、これに充てています」
「それは……僕が言うのも何ですけど、手腕のようなものは……」
副知事は、溜息とともに無言で首を横に振る。
「それでも、王国軍も、ホノリア紛争にも当たっているのでしょうし、何の力量もなしに、大将軍まで昇り詰めるというのは……」
「ホノリア紛争は、実質的にはアスマ冒険者ギルドとホノリア軍の戦争でしたから」
時の冒険者局長官が言うのだから、その形容は正しいのだろう。
「アスマ軍総司令官は、参謀総長、軍務大臣と並ぶ『三長官』の一角であり、直轄の戦力も群を抜く職ではありますが、あくまでも、王都から遠く離れた地の指揮官ということですので、総長や大臣になれなかった者の『終着点』という位置づけです」
「それは……連合艦隊司令長官には到底及ばず、教育総監みたいな便利扱いもされていない、と……」
その「三長官」という言葉に、由真は往年の陸海軍の「それ」を口にする。
扉がノックされて、若い男性職員が入室してきた。
「北シナニア県庁から送られてきました、『非常事態宣言』に関する雷信です」
その職員は、そういって手元の紙を由真たちに配る。
その紙はちょうど6枚用意されていて、ユイナと衛にも行き渡った。
エルヴィノ殿下にご了解をいただかず、隣の伯爵閣下や副知事は着信拒否までしての「非常事態宣言」。
隣県の大将軍閣下、やっかいな御仁の登場となります。
念のためですが、旧日本軍の「三長官」というのは次のものです。
陸軍:参謀総長・陸軍大臣・教育総監
海軍:軍令部長(1933年以降は軍令部総長)・海軍大臣・連合艦隊司令長官