179. 早朝の駅
仕事はあらかた片付いたので、朝一で出発です。
明朝の始発列車で県庁に行く旨を連絡するようガストロに要請して、由真は部屋に戻って就寝した。
翌朝、4時20分に起床した由真は、最低限の身支度を調えて、詰め所の玄関でティファナと合流する。
ティファナが運転する小型バソに由真も乗り込み、4時50分に詰め所から出発した。
たどり着いた駅舎は、由真たちが昨日通った二等までのものとは別に三等用のものが別にあった。
早朝のためか、開いているのは三等用の方だけだった。
その三等用駅舎は、広間にベンチが据えられた待合室と、それに相対する窓口という簡素な構成だった。
その窓口で、由真はコーシニア中央駅までの片道の三等乗車券を購入する。
アクティア湖駅からコーシニア中央駅までは、営業距離98キロで、三等運賃は18デニだった。
これが100キロを超えると、120キロまでが19.5デニ、次いで140キロまでが21デニとなる。
「ユマ様、三等車でいいんですか?」
「ええ。二等は来るときに乗りましたから」
ティファナに問われて、由真はそう応える。
メリキナ女史の「お仕着せ」だったため、往路は二等車の旅になったものの、自分で選ぶなら、三等車で十分だった。
駅舎から続くホームには、銀地に緑帯の電車がすでに停車していた。
そのホームへ続くのは古典的な有人改札口だった。
先行するティファナは、身分証をかざしただけで通過する。
続く由真が三等乗車券を見せると、係員は鋏ではなくスタンプで券面を挟んだ。
「ここは、夏場は臨時の係員が入るんですけど、冬は窓口も無人、あっちの駅舎はずっと閉じてます」
振り向いたティファナが言う。
「ああ、そういえば、冬は3往復しかないんですよね」
時刻表によれば、ファニアからアクティア湖までの区間は、朝、昼、夕方に各1往復しか列車が運行されない。
夏は特別快速だけでも3往復運行されるので、季節変動があまりに極端といえる。
「まあ、冬は、私たちのほかは、養殖場の人間しかいませんから」
「ティファナさん! おはようございます!」
太い男性の声がする。由真は、気配を消す術を念のため重ねがけする。
「おはようございます! 今日もいっぱい出ますね!」
「いやあ、そうでもないですよ。ロンディアが今週は買い付けが減りましてね。先週は、イデリアがつぶれるってんで、景気がよかったんですがねえ」
――そんな話をこの湖畔の駅で聞くとは思わなかった。
(ロンディアは、イデリアの閉店間際に『死体蹴り』を仕掛けたのか)
イデリアの在庫一掃セールに対抗しようとして、養殖魚の大量買い付けすら行ったのだろう。
「ところでティファナさん、そっちの学生さん、親戚ですか?」
由真の存在に気づいた相手が、そう問いかけてきた。
「ええまあ、朝一番で、コーシニアに行くって言うんで、送りに来たんですよ」
「なるほど。ティファナさんにこんなかわいい親戚がいたなんて、知らなかったですよ」
そう言われて、ティファナは苦笑を返す。
「あの、ティファナさん、お忙しいでしょうし、僕は、これで失礼しますね」
早々に去った方がよいと思い、由真はそう声をかける。
「あ、はい。その、お疲れ様でした」
「いえ、すぐ戻ると思いますけど……お疲れ様でした」
そんな言葉を交わして、由真はティファナのそばから離れた。
列車は全部で8両編成だった。
前の6両はブラインドが下ろされていて、係員たちがせっせと箱を詰め込んでいる。こちらが荷物車だろう。
後方の2両は、窓が塞がれていない、普通の旅客車両だった。
いずれも側面にドアが3枚。
2両の客車は、前方が「1号車」とされている。
1号車の荷物車よりのドアには「二等室」という看板があり、中央の扉との間には、回転リクライニングシートが居並んでいる。
中央の扉と後方の扉の間は、クロスシートだった。
それに続く最後尾が「2号車」で、こちらは扉のそばがロングシート、その間にクロスシートが左右各2組ずつ配置されている。
由真は、2号車の方に乗り込む。乗客は他に誰もいなかった。
並んでいるクロスシートは、左右いずれも2人掛けだった。その代わり、通路が広く取られている。
幅は二等車の倍と見える上に、各ボックスに柱が立っている。立ち席乗客の便宜を考慮しているのだろう。
由真は、後方の進行方向右手のボックスに入って、窓側後ろ向きの席を占める。
ファニアでスイッチバックしてからは、進行方向左手の最前列になる場所だった。
由真の他に2人の客が乗車して、
駅の時計が5時20分を指す。短いベルが鳴り、扉が閉ざされて、列車は動き出した。
床下からIGBTの柔らかい磁励音が鳴る。この車両も、前方6両の荷物車も、最新式なのだろう。
ホームに立っていたティファナが、こちらに向かって頭を下げたのが見える。
とっさに会釈を返すと、相手の姿は後方へと去って行った。
列車は程なくトンネルに入る。抜け出すと、窓外には草原が広がっていた。
(この辺が牧草地帯だな)
遠くファニ山地まで続くように見えるなだらかな丘は、急峻な崖が続く左岸とは全く様相を異にしていた。
列車は減速し、由真から見て左側に揺れて転線する。
眼前のホームに「アクティア台」の駅名標が見える。反対側を見ると、そちらには昨日停車したホームがあった。
昨日は気づかなかったものの、実はここは相対式2面2線らしい。
停車してドアが開いた。しかし、乗客の乗り降りはない。
振り向くと、進行方向側でいくつもの箱が詰め込まれていた。
(牛乳は供給されてないし、バターも品薄って話だから、あれはチーズかな)
需要に見合う供給が確保できているのかは、ここから見ているだけではわからない。
それは、供給側――恵の体制整備と、需要側――愛香の店舗戦略がかみ合う段階の課題だろう。
荷物列車などというもので輸送が行われているとなると、湖畔の高原も都市部の商品需要も無視できない訳です。