173. 静かな湖畔の森の中
説明も聞いたので、いよいよクエスト開始です。
由真たちは、早速任務に着手することにした。
まずは「ヒルタの結界を確認」する。
ガストロとティファナに案内されたのは、由真たちが滞在する部分からさらに廊下を進んだ先だった。
廊下と各部屋に割り当てられていたスペースを一間として広く取っている。
最奥部の中央に女神像を据えて、両脇を固めるようにろうそくが2本、さらに手前には水や穀物などの「供物」が据えられていた。
「ここ……神殿?」
「臨時でそういう用途にも使える、大規模な祭壇ですね」
晴美の問いに答えつつ、ユイナは女神像に向かって一礼する。
「女神様、セレニア神祇官ユイナが申し上げます。この地を囲う結界の相、お示し賜りたく存じます」
ユイナが祈祷すると、女神像の足下に据えられた水晶板に線が浮かび出る。
右側は空白で、左側は折れ曲がりながら縦長の領域を囲んでいる。
直後、今度は横方向に走る直線が8本並ぶ絵が現れた。
それを見たユイナは、大きく息をつく。すると、その8本の線は消えた。
「もろくなったような場所とかは、特になさそうですね」
ユイナは、そう言って振り向いた。
「こっちは大丈夫か、よかった」
「やっぱりユイナちゃんの結界は別物ね!」
ガストロとティファナはほっとした様子を見せる。
「ユイナさん、今のは……」
「結界の全体像、それと現在のステータスを8区画に分けて示す図ですね。ここの結界には、『見守りの式』を組み込んでありますから、この祭壇からこうやって確認できるんです」
由真の問いに、ユイナはそう答える。
「それ……ユイナさんに聞いたら、『簡単にできますよ』って言われるたぐいのもの……よね?」
晴美が耳打ちしてきた。
「まあ、そうなんだろうね。実際、S級のユイナさんだったら簡単にできる、って話だと思うよ」
由真はそう答える。実際には、並の神官――モールソ神官などには実行できない程度には難しい術式なのだろう。
「そうすると、次はタクタですけど、そちらは、張り直しが必要かもしれませんから……少しだけ待ってもらえますか?」
ユイナにそう言われて、由真たちに否やはなかった。
10分後。
ユイナは、えんじ色のワンピースに着替えて、キャスターつきの箱を押して現れた。
「ユイナさん、神官服、それに着替えるんですか?」
由真は思わず問いかける。このえんじ色のワンピースは、神祇理事としての正式な神官服だった。
「ええ。今度のは、結界を張り直すかもしれませんから、そうなると、正規の祈祷になりますし」
言われてみればそのとおりだった。
「その箱は、もしかして持ってくの?」
ユイナが押している箱を見下ろして、晴美が問う。
「ええ。水系統と地系統の祈祷道具です。ここで祈祷するために、一応持ってきました」
――さすがのユイナも、小さな女神像と水晶板だけで全ての祈祷をこなしてしまう訳でもないらしい。
その祈祷道具も載せて、一行は小型バソでアルパラ・タクタに向かう。
養殖場の脇を通り、小さな川に沿って進むと、やがて森に入って勾配が急になる。
「これ、冬は大丈夫なんですか?」
「ああ、こっちは、雪かきはしとらんですね。わしは道を知ってるんで、何かあれば雪車で行きますがね」
由真の問いに、ガストロはそう言って笑う。
森を抜けると、木がまばらになり、コンクリート製とおぼしき建屋が数軒現れた。
最も奥の建物――看板も真新しい「ホテル」だった――の近くでバソを止めて、一行は外に出る。
「この林の奥に祠がありましてね、そこから結界を張ってるんです」
建物とは反対側の林を指さして、ガストロが言う。
「え? それ、普段はどうしてるんですか?」
ユイナが首をかしげて問いかける。
「一応、この辺の宿屋が交代で見ることになってるよ。わしも、それに任せてるからね」
「そうすると、この辺の祭壇は……」
「宿が自分とこのは置いてるね」
ガストロが答えると、ユイナは眉をひそめて錫杖を構える。
「【神祇監査】」
そう唱えたユイナの全身が一瞬光った――ように由真には見えた。
少なくとも、彼女のまとう光系統の「ラ」はひときわ強まった。
「宿4件がそれぞれに祭壇をおいていて、祠……はこの小川の奥、そのほかに石塔が東に2つ、西に1つですね」
――祭壇、祠、石塔のたぐいをまとめて「監査」する術らしい。
「とりあえず、この小川を上ってみます」
そう言って歩き出したユイナの後ろを全員がついて行く。
林の中を流れる小川。踏み跡が獣道程度になっていて、8人が通行する程度には問題はなかった。
「この先に、わき水が……っ!」
先頭で錫杖を構えていたユイナが、突然息をのみ、そして木陰に身を隠す。
「え……あ……」
直後、由真も状況に気づいてしまい――間抜けな声を上げてしまう。
「由真ちゃん、どうしたの……って……」
さらに後ろにいた晴美が言葉を失う。
その前方、わき水の傍らにある切り株で――若い男女2人がたたずんでいた。
2人は身を寄せ、互いの体を抱きしめ合っていた。
「何というか……気まずいですね……」
「確かに、このまま踏み込むのは、気が引けますよね」
先頭のユイナと由真は、そんな言葉を交わしてしまう。
こちらにやましいところなどないはずながら、この状況で踏み込むのは――
「ねえ、こんなとこに、ほんとに祠なんてあるの?」
――若い女性の声が、その空気を切り裂いた。
「あるんだ、って。ここ造成するときに、この小川の先で結界張ってるんだよ」
「けどなあ、あんま深入りしない方がよくないか? ゴブリンが出てるんだろ?」
「大丈夫だって。そもそも、連中が動くのは夜なんだよ。こんな真っ昼間は、連中は巣穴で寝てるって」
若い男たちの声が交差する。
「え? ちょっと、人が来る?」
「まずいな。仕方ない、宿に戻るか」
眼前の切り株にいた男女は――静謐な無人環境が破壊される気配を前に、そう言って切り株から立ち上がり、そそくさとその場を後にした。
ちなみに、例の歌の題名と歌詞は「森の陰」です。
この世界の「最近の若者たち」()は、ゴブリン騒動など無関係に平和なのです。