172. ゴブリン出現の顛末
宿代わりの詰め所に到着しました。
詰め所の中は、右手――南側に事務室を兼ねた住居スペース、左手――北側に会議室にも使用できそうな食堂がある。
廊下を進んだ先は2階建てで、1階は南向きと北向きに各5室ずつの部屋があった。
部屋はいずれも2人部屋だったものの、他に宿泊者もいないため、6人が1人1室を与えられた。
「いいんですか?」
「ええ。ここは築50年のボロなんで、羽振りのいい冒険者は駅の近くの宿を取ってますから」
由真が問いかけると、ティファナはそう言って笑う。
ガストロが届けてくれた背嚢を受け取り、コーシア県地図帳を取り出して食堂に向かう。
全員そろったところで、ティファナがお茶を淹れてくれた。
それは、由真たちにとって非常に懐かしい香りを漂わせている。口に含んでみると――
「あ、これ、水出しした大麦のお茶なんですよ。香ばしくておいしいでしょう?」
――まさに麦茶そのものだった。
「それで、ゴブリンの出没、というのは、どういう状況で……」
くつろいでしまいそうになり、由真は持ち込んだ地図帳を開きつつ本題を切り出す。
「それが……」
養殖場の傍らを流れて湖に注ぎ込む「アルパラ川」。
その上流にも、最近は宿屋が開業していた。
第3日の夜、その上流に立地する宿の客が、日没後に散歩をしていたところ、林から物音がしたのでのぞいてみたら、小さな影が動いているような気配があった。
連絡を受けたガストロが翌朝その宿に向かうと、裏庭にゴブリンのものらしい足跡が見られた。
第4日の夜、その宿の周りでガストロが見回りをしていたところ、林の中からゴブリンが3体現れた。
ガストロは、これを手持ちの剣で屠り、それ以降ゴブリンは姿を見せなかったため、午後10時過ぎに撤収した。
このゴブリン出現の件は、翌第5日の朝ティファナが各宿屋に伝えて、滞在中の冒険者とも相談して警戒するよう呼びかけた。
その夜、アルパラ川上流の宿は、ガストロが午後11時近くまで見回ったものの、ゴブリンのたぐいは現れなかった。
ところが、鍾乳洞の案内を担当する冒険者ソリストが、その日の仕事を終えて帰る道すがら、夜道で小さな影に襲われた。
ソリストは、手持ちの棍棒で返り討ちにしてから相手を確認したところ――2体のゴブリンの死体が転がっていた。
彼は、その脚で詰め所に駆け込み、顛末をティファナに報告した。
2日続けてゴブリンが出現したということで、明けて第6日の朝、ガストロはギルド通信機構を使ってファニア支部に報告の雷信を送った。
ファニア支部は「観光地における騒動」としてこれを重く見て本部に報告、本部も同様にしてタツノ副知事に報告した。
その直後に、副知事のところへ知事たる伯爵が通信を入れて、ファニア高原云々と言い出したため、副知事が聞いたばかりのこの件を伝えた結果、冒険者である伯爵は「自分で片付ける」と言い出し、そのまま出発して――「今ココ」だった。
「わしらも宿屋も警戒はしてましてね、夕べは、ゴブリンが出たって話はなかったんです」
「とは言っても、ゴブリンは、1体いたら群れがいると思え、ってことでしょう? 本部の応援部隊に速く来て欲しかったんですよ」
ガストロとティファナは、そう言って溜息をつく。
彼らも「冒険者」ではあるものの、ゴブリンが巣穴を作っていた場合――100体規模の群れが形成されている恐れもあり、通常は2人程度で対抗するなど不可能だった。
「すると、ゴブリンが出てきたのは、アルパラ・タクタとオムギザで、ヒルタには出てないんですか?」
ユイナが問いかける。
地名が出てきたので、由真はアクティア湖の地図を他全員に見せる。
「ああ、ヒルタには出てないね」
「ユイナちゃんの結界を破れるゴブリンなんて、どこにもいないからね」
ガストロとティファナがそう答える。
「それは……その結界も、一応確かめた方がいいですし、タクタとオムギザも、結界を張った方がいいでしょうか」
ユイナは、そう言って眉をひそめる。
「ちなみに、『アルパラ』は、このアルパラ川の河口から、ここの駅までの湖畔、アルパラ川の上流は『アルパラ・タクタ』って言って、そっちと区別するときは、この辺一帯は『アルパラ・ヒルタ』って言うんだ。
『タクタ』が『高い』、『ヒルタ』が『低い』って意味だから、日本語にすると『上アルパラ』と『下アルパラ』かな。
あと、こっちの左岸……北西側は、この採石場の辺りを『オムギザ』って言うんだ。鍾乳洞の方は、地名がはっきりついてないから『オムギザ地先』とでも言うしかないかな」
由真は――あらかじめ予習していた知識に基づき――ユイナが口にした地名を晴美たちに示す。
「湖の両側で、ゴブリンが出てきた、ってこと?」
晴美が問いかけてきた。
「まあ、そういうことだよね」
そう答えざるを得ない。3日前に3体出現したアルパラ・タクタと2日前に2体出現したオムギザは、湖を挟んでちょうど対岸にある。
「それって……巣穴?」
和葉は、そう言って不安げな表情を示す。
「まあ、巣穴があるでしょうね。両岸に1つずつ、あるいはそれ以上とか……」
ガストロは、そう言って深い溜息をつく。
「集落の機能は、元々は右岸に集中していたんですよね?」
そのガストロに由真は問いかける。
「ええ。左岸は、まだ別荘みたいな小さいのがポツポツ建ってるだけで……ユイナちゃん、じゃない、神祇官猊下に結界を張ってもらったのも、右岸のアルパラ・ヒルタだけでして」
「タクタの方は……」
「一昨年の夏に、たまたま来てた神官に結界を張ってもらったんですが……さすがに、神祇官猊下の結界とは話が違いまして……」
――「神祇官猊下」は、「3年前」――14歳の頃から、すでに圧倒的な「天才少女」だったらしい。
「それなら、まずは右岸から固めた方がいいですよね」
「そうですね。ヒルタの結界を確認して、あと、一昨年に張られたタクタの結界というのも、見ておいた方がいいでしょうね」
由真の言葉にユイナが答える。
「なんとも面目ない話なんですが、わしらはC級、それも生産者寄りの方で、ゴブリンが10を超えたら、こいつをかばえる自信もありませんで……」
「私も、ゴブリンの2・3体くらいなら、鉈でも振ってどうにかしますけど、群れが来たら、足手まといになってしまって……」
ガストロとティファナは、そういって肩を落として溜息をつく。
「まあ、それは、誰も彼もが『鬼ごろし』夫妻みたいに、っていう訳にもいきませんから、『餅は餅屋』っていうことで、僕らでなんとかします」
「そうですよ。ガストロさんもティファナさんも、ここがこんなに開けて、これからが大変なんですし、こういうことは、私たちに任せておいてください」
意気消沈した様子の夫妻を前にして、由真が思わず漏らした言葉に、ユイナもそう補ってくれた。
「私たちも、及ばずながら力になりますから」
晴美もそう言い、衛と和葉、ウィンタも頷いてみせる。
「よろしく、お願いします」
声を揃える夫妻に、由真たちはもう一度頷いた。
ゴブリンが都合5体も出現すると副知事案件になってしまう。
その程度には平和な行楽地です。
ここに常駐すべきは、魔物退治のプロフェッショナルではなく、観光地の開発やら宿屋のとりまとめやらもできる人物という訳です。
やってきた「魔物退治のプロフェッショナル」は――ゲントさんがウィンタさんになった他は、セプタカのダンジョンをつぶした「レイド部隊」の面々そのままですが……