162. フランネルの試着
だいぶ前に振ったきりの話なので、もうお忘れかもしれませんが…
『鬼ごろしの生涯(上)』
『鬼ごろしの生涯(下)』
『若き英雄の悲劇 鬼ごろし2世の生涯』
図書室の窓口の奥に、そんな表題の本が1冊ずつ平積みされている。
(「鬼ごろし」、か)
ベルシア神殿の書籍には、冒険者の「活躍」を記したものは少なかった。
それでも、オーガとゴブリンの生態に関しては、詳しく観察された資料が整っていた。
その資料は、冒険者ギルドから提供された情報を参考に編纂されていた。その「情報」を収集し整理したのが、冒険者「ユグロ・イムリオ」だった。
ユグロ・イムリオは、アスマにおいて多数のオーガ・ゴブリン討伐依頼を請け負い、それをことごとく成功させて、「鬼ごろし」の異名を取った。
その事実だけは、ベルシア神殿の資料にも申し訳程度に記されていた。
「ビリアさん、そこの平積みの本は? 貸出が多いんですか?」
由真が問いかけると、ビリア司書は振り向く。
「あ、いえ、その、『鬼ごろし』の伝記は、写本購入が多いので、平積みで用意してあります」
――どうやら「ベストセラー」の扱いらしい。
「そうなんですか。それじゃ、せっかくなので、その3冊もいただけますか?」
「はい。こちらは、現物でお渡しできます。……1冊8デニ、3冊で24デニです。こちらの年次報告書と、まとめて精算します」
そう言って、ビリア司書は窓口の奥に入った。
その後、コーシア川の治水の歴史に関する本も見つけたため、それは借りることにした。
4冊の本を抱えて、宿泊棟の部屋に戻る。
購入した伝記は、後々で暇つぶし――無聊を癒やすために読むことにして、まずは治水の本に目を通す。
コーシア川は、北シナニア県の多くの川を集めてくる上に、コーシニアでもファニア川と合流するため、特に春の雪解けには水量が増す。
合流地点のコーシニアは、河川敷付近の低地はしばしば増水にさらされるため、街区はその上に建設されているという。
メトロの橋梁から見下ろした河川敷は、確かに広大だった。それが遊水池としての機能も持たされている。
その開発思想は、北部の新市街地や南西のサイトピアの整備においても守られている。
タツノ副知事が取り仕切ったのなら、そこに遺漏はないはず――
「由真ちゃん? いる?」
不意に、そんな声とともに扉がノックされる。相手が美亜だということは、扉を開けるまでもなくわかる。
「どうしたの?」
「服、できたからさ。ちょっと試着してもらっていい?」
扉を開けると、開口一番でそう言われた。
今朝言っていたフランネルの服が、もうできあがったらしい。
「いいけど、晴美さんのぶん……」
そう言いかけたところに、他ならぬ晴美が姿を現した。
「……も、できてたんだ」
「美亜は、針仕事はすごいのよ」
晴美は苦笑交じりに言う。
その晴美とともに、美亜の部屋に入る。
水色の半袖ワンピースが2着つるされていた。
「無地なのは勘弁してよ。染めるとこまで手が回んなかったから」
――そんなことまで要求するつもりはない。
2着のうち長い方が晴美に、短い方が由真に手渡される。
上着とスカートを脱いで頭からかぶると、毛織りのセーラー服とは比較にならない涼しさだった。
「由真ちゃん専用なら、もうちょっと攻めてもよかったんだけど、他のみんなの分も考えるとね」
「……僕のも、そんなに攻めるとかはしなくていいけどね」
裾は膝が隠れる程度。生地がフランネルのためか、暑苦しい感覚はない。
「でもこれ、いいわね、涼しくて。デザインも、シンプルで落ち着いてるわ」
晴美も、満足している様子だった。
「まあ、そうだね、これは着やすくていい……」
(って、あれ?)
晴美に応えた由真は、ふと我に返る。
(このワンピに、違和感なくなってるって……)
この世界に「召喚」されて、「女体」となってから2ヶ月近く。
この「女体」に合う服は、ワンピースかセーラー服しかなかったため、ズボンとはすっかり無縁になっていた。
「ところで美亜さん、ズボンとか、そういうのは、作らないの?」
「ズボン? なにそれおいしいの?」
美亜はしれっと言い返してきた。
「衛くんとかだって、ズボンはいるでしょ?」
「まあ、必要なら仙道君のは作るけどさ。この腰回りで、同じサイズは無理じゃない?」
――「ウエスト55センチ」。美亜は今朝採寸したから知っているものの、他の女子たちには言うのもはばかられる。
「第一、アスマだってレディースのパンツなんてロットが出ないでしょ? ましてこの細身サイズなんて、相当後回しだと思うわよ?」
横から、晴美もそんなことを言い出す。
(二人とも、わかってて言ってるな、これは)
男物風のズボンを着用したい――などという要望に応えるつもりはない、ということだろう。
「体操着なんかは? 和葉さんだって必要じゃない?」
「和葉は、ベルシア神殿の支給品をそのままもらってきて使ってるから、当分は必要ないみたいだけど?」
「洗い替えとかは?」
「光系統魔法の洗濯機もどき、ここにもあるからそれ使ってるみたいよ? 1回10デニだけど、そっちにお金は惜しまないみたいね」
ベルシア神殿の晴美の部屋に備え付けられていた、全自動洗濯機と同等の機能を持つ魔法道具。
服を濡らすことなく30分ほどで洗い終えられる優れもののそれ。
1回10デニは割高ながら、本人が出費を惜しまないというなら問題にならない。
「そもそも、ズボンなんて見るからに作るのが手間じゃない? 私は、ミシンがあっても作れる自信はないわね」
晴美にそう言われては、被服の心得のない由真には返す言葉もなかった。
結局、晴美と由真は、美亜が作ったワンピースを着て夕食に向かう。他のメンバーもそろって、「お披露目」のような形になった。
「いいじゃんこれ! 涼しそう!」
「そうね。このセーラー服だと、外に出ると暑苦しいから……」
明美と恵が言う。
「これ、綿?」
香織が、由真のワンピースに軽く触れつつ問いかける。
「フランネル。羊毛と混紡してるんだ。石けんで水洗いすると痛むかも。ポリエステルとかあればいいんだけどさ」
「そうね。柔軟剤か……ポリエステルね……」
美亜の答えに、香織は腕組みする。さらに何かを開発するつもりなのだろうか。
「これでよければ、みんなの分も作るけど、どうする?」
「1着おいくらデニで?」
愛香がすかさず問い返す。
「いくら、って……これ、試作品だし……お金は取らないよ」
「いや、それはさすがに。材料代くらいは払わないと申し訳ない」
美亜にしてみれば「試作品」でクラスメイトから「代金」を取るつもりは毛頭ないのだろう。
とはいえ、せめて材料代程度の原価は負担すべき、という愛香の気持ちもわかる。
「これ、ギルドの実習用の奴使ってるし、みんなの分もそれで足りるから、大丈夫だよ」
そう言って、美亜は苦笑を浮かべる。
「わかった。量産品には、きちんとお金を払う」
「もちろん、そのときは、きっちりお代はもらうから」
そんなやりとりをする2人に、わだかまりの気配はなかった。
スカートとワンピースしかない世界に順応しつつあったTSヒロインが、若干の余裕ができて何かに気づいたようです。
周りの女性陣は、当然のように全力で無視しますが。