15. この異世界の基礎知識
サブタイトルのとおりのお話です。小難しい話になります。
その日――この異世界で迎えた最初の夜。晴美は寝室に入り、由真は自分に割り当てられた畳部屋を使う。最低限の毛布と枕は用意されていたため、学ランとスラックスは脱いで、シャツとトランクスで毛布にくるまって夜を過ごした。
翌日。朝食も、前日の夕食と同様に台車で運ぶ。内容は、晴美はパン1切れに生野菜のサラダとソーセージ、由真はパン1切れと昨夜同様のスープだった。
晴美は、ソーセージは3分の1ほどを切り分け、サラダも半分近くを取り分けて、いずれも由真に渡した。
「由真ちゃんのパン、ちょっと食べさせてもらっていい?」
晴美に言われて、由真は硬く黒いパンをどうにかちぎって彼女に渡す。
「ん……これ、ライ麦パンじゃない?」
一口食べて、晴美は首をかしげつつ言う。
「そうなんだ。僕は、ライ麦パンって食べたことないからわからなかった」
「まあ、ライ麦パンが一概に悪いとか言うつもりはないけど……これはひどいわね。ふすまを寄せ集めて作った、典型的なダメなパンよ」
そういうと、晴美は自らのパンをちぎって由真に渡してくれた。口にしてみると、それは普通に「パン」だった。
「ね? こっちは、日本のとも遜色ないでしょ? これは、パンを作る技術の問題じゃなくて、小麦粉とかライ麦とかの供給の方の問題ね」
「それは、貴族と金持ちは目が細かい小麦、貧乏な住人は目が粗いライ麦、って感じ?」
「そう。少なくともその辺は、中世並みたいね」
「そうか……まあ、仕方ないな……」
由真は、ため息とともに晴美に言う。元の世界に戻るすべはなく、今ここで放り出されたら命に直結する以上、待遇が悪くとも耐えるよりない。
「……パンなら、私の分を分けてあげるわよ。私が食べたがってる、って言って、多めに出してもらって」
晴美はそう言ってくれる。自分一人が贅沢をして、「従者」が粗食に耐えているという光景は、見るに堪えないということだろう。その厚意が、今の由真にはとても暖かい。
「ありがとう、晴美さん」
他に言葉も見いだせず、由真はそれだけを答えた。
朝食を済ませると、「39人の召還者」と「その従者1人」は会議室に集められた。
室内には、長机が並べられている。
最前列は2つ、2列目以降は3つずつ。
最前列は革張りソファーが据えられていて、晴美と平田正志に割り当てられた。
2列目は布張りの椅子で、向かって左手に仙道衛と桂木和葉、向かって右手に度会聖奈と嵯峨恵令奈、中央は毛利が一人で占有している。
3列めは、背もたれと座面には布が貼り付けられた木製椅子が、長机1つにつき3つ据えられている。4列目は中央が3列目と同じ、左右は、学校の教室用椅子と同じようなものが、長机1つにつき4つ。
布付き椅子がBクラス用で、木製椅子がCクラス用だった。
ちなみに由真は、背もたれもない木製丸いすで、晴美の机の隅を借りる形とされた。
「異世界召喚特例法に基づき、諸君には休日を含めて50日間の初期教育を受けてもらう。内容は、ノーディア王国で暮らすための基本知識のほか、武芸と魔法だ」
マルコ・フィン・モールソと名乗った男性神官はそう切り出した。
「その間、諸君は昨日割り当てた居住区画で生活してもらう。初期教育が終わった時点でステータスを改めて判定し、その後の処遇を決めることになる。現時点では、希望者中32人以内は兵団に採用する予定である」
――やはり、アルヴィノ王子の意向が強く働いているらしい。
「そのほかの方々についても、アスマ公領において冒険者や生産職などに雇い入れる用意がありますので、ご安心ください」
横から補足したのは、ユイナだった。
「私が初期教育の責任者となるが、細部はこのセレニア神官が執り行う」
「皆さんは、『ニホン』の学校の一学級全員が一度に召喚されたご様子ですので、そのまま、40人の一学級という単位で初期教育を進めさせていただきます」
「ということは、私たちは、モールソ神官が担任教師、セレニア神官が副担任教師であると認識して、日本にいたときと同様の感覚で初期教育に取り組めばよい、ということでしょうか?」
神官二人の説明に晴美が確認の問いを返す。ユイナが、はい、と頷いた。
「……それでは、後は頼むぞセレニア」
そういって、モールソ神官は会議室を後にした。どうやら、担任というほどの関わりを持つつもりもないようだった。
「では、皆さんに初期教育の概要について説明いたします」
残されたユイナは、そういって冊子を取り出した。日本の学校と同様の要領で、その冊子が各自に配られる。
「紙はあるのね」
それを受け取った晴美が小声で言う。「従者」としてその隣に座った由真は、同じ冊子を受け取り頷いた。
「皆さんに学んでいただくのは、ノーディア王国の一般常識のほか、教養科目として地理学、歴史学、生物学。また、護身の目的もありますので、武芸は必修となります。魔法適性のある方は、魔法理論と魔法実技、それ以外の方は武芸の習熟訓練、あるいは生産職の初歩訓練を選択で受けていただくことになります」
――という内容と、それぞれの概要が、配布された冊子に記されていた。それは、「剣と魔法の異世界」らしからぬ「シラバス」だった。
「それでは、まず一般常識の初歩からご説明します」
この世界は、上には空、下には地と海がある。地平線・水平線の存在から、地と海は球体の天体の上にあるものと考えられている。
空は、昼は太陽が浮かぶ。朝に東から出た太陽は、昼に南に上がり、夕方に西に沈む。昼の空は青、白ないしねずみ色の雲が浮き、時には水が雨として降る。夜になると空は闇に覆われ、地球で言う月と同様の満ち欠けする天体が一つ浮かぶほか、点をなす星が多数現れる。
ノーディア王国を含む大陸の東西には大洋があり、東の海の果てと西の海の果てのそれぞれに大きな陸地が存在することは知られている。しかし、航海するには技術的にも経費的にも負担が大きいため、この「陸地」について詳細な調査は行われていない。
ノーディア王国領には春夏秋冬の季節がある。彼らの大陸の中央は年中夏、北端は年中冬で、南方はノーディア王国とは季節が真逆になる。
大陸で統一的に適用される「大陸暦」においては、季節が巡る1年は、通常は365日。4年に1度は366日となるものの、200年ごとに366日としない年が置かれる。
1年は12の月に分けられており、季節に由来して、「初冬の月」「盛冬の月」「晩冬の月」「初春の月」「盛春の月」「晩春の月」「初夏の月」「盛夏の月」「晩夏の月」「初秋の月」「盛秋の月」「晩秋の月」と呼ばれる。
1年は「盛冬の月」の1日目から「初冬の月」の31日目まで。「盛冬の月」「初春の月」「晩春の月」「盛夏の月」「晩夏の月」「盛秋の月」「初冬の月」が31日、「盛春の月」「初夏の月」「初秋の月」「晩秋の月」が30日で、「晩冬の月」は通常28日、1年が366日になる年――すなわち「閏年」だけは29日となる。
さらに、7日を単位とする「週」の概念もあり、1日目から5日目までが「平日」、6日目は半日労働する日、7日目は終日休息する日とされていて、今日は「第6日」だった。
――すなわち、この世界の暦年法は地球の西暦とほぼ同じだった。ちなみに今日は「大陸暦120年(閏年)の初夏の月6日」だという。奇しくも、2020年6月6日と同じ日付ということになる。
「この世界の暦年法は、異世界ニホンから召喚された方々のご意見を参考に制定されました。我々には確認のしようがありませんが、皆さんの暦年法と相当に一致しているはずです」
ユイナは――この世界の立場から――そう言った。その認識通り、西暦2020年の時点では、二つの世界の暦は一致している。
西暦2200年2月28日の次の日――グレゴリオ暦は閏年ではないのに対して、この大陸暦は閏年になるため、ここで1日のずれが生じることになる。それは、由真たちには何の関係もない遠い未来の話だった。
「ちなみに、1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒という単位があり、地系統魔法による時計で時間が管理されています。それ以外の度量衡についても、異世界ニホンから来られた方に学び、メートルとキログラムが採用されています」
MKS単位系すらも導入されている。由真たちにとって、順応が容易なのは確かながら、その知識を得る過程でどれほどの人々が「片道切符」の異世界召喚に巻き込まれたのか――と考えると釈然としないところもある。
「あの、エルヴィノ殿下からお話がありましたとおり、異世界から召喚された方にお戻りいただくことはできません。その分、来られた方々が快適に過ごしていただくこと、そして我々自身の文明を発展させること、これらを目指して、学ぶべきは学び、取り入れるべきは取り入れて、我々の文明は発展してきました。この世界に来られた皆さんとの間にも、かなう限りよい関係を築きたい、と……あの、私は、そう思っています」
そういって、ユイナは深々と頭を下げた。その「誠意」は、受け入れるべきだろう。由真はそう思った。
「異世界」といっても、当然生物が住める環境が要るでしょうから、地球型惑星で公転周期は地球とほぼ同じ、自転を安定させる大きな衛星があって…という辺りは必須かと…
閏年の例外の置き方が違うのは、太陽年がその程度には違うため(という設定)です。