154. 「地質学」はない世界
引き続き、図書館で調べ物です。
アスマ州総図が20デニ、アトリア市地図帳が160デニ、コーシア県地図帳が70デニ、アスマ旅客列車の時刻表が250デニ。
ビリア司書が計算してくれた手数料は、総額500デニだった。
由真がギルドの身分証を提示すると、ビリア司書は淡々と手続きを済ませた。残高不足といった心配はないらしい。
それから、由真は「地誌」と「歴史」の書籍を――片っ端からめくっていった。
どの本に重要な情報が含まれているか。背表紙だけでは判断できない以上、しらみつぶしにしていくしかない。
開架図書のうち、アトリア市とコーシア県の地誌に関連するものと、アスマ全体を含む通史に関連するものに目を通したところで、時刻は正午近くになった。
「その、ユマ様、あれで、その、中身など、おわかりになられたのでしょうか?」
その間ずっと由真の近くにいたビリア司書が、おどおどと尋ねてきた。
「あ、いえ。きちんと読む必要があるかどうか確認してただけです」
由真はそう答える。
内容は今のところ頭に残っているものの、小一時間休んで昼食を取っている間で、大半の情報は記憶から整理されていくだろう。
その昼食は、ビリア司書とともに2階の食堂で取ることにした。
彼女が注文したのは「野菜麺」。せっかくなので、由真も同じものを頼む。
配られたのは、人参、キャベツ、ネギなどが煮込まれたスープの麺だった。
「これは、神殿が『肉の日』以外で食べるものだそうです」
ビリア司書が言う。
「ああ、そういえば、神殿だと、肉は毎日は食べない、とか……」
以前――セプタカのダンジョン攻略の「最終決戦」前夜、ゲントたちとともに食事したユイナがそんなことを言っていたのを思い出した。
「みたいです。私は、ああいう仕事で、そんなには動かないので、これくらいがちょうどよくて……」
そう言って、ビリア司書は麺に箸を伸ばす。由真も、レンゲでスープをすくってみた。
「これ、意外と味がしっかりしてますね」
野菜しか入っていないはずながら、カンシアの薄味で貧相なスープとは大違いだった。
「そう……なんですか?」
ビリア司書は首をかしげる。
彼女は、カンシアの食生活を知らないのだろう。それは、積極的に体験しなければならない性格のものでもない。
「ところで、いかがだったでしょうか?」
麺を食べつつ、ビリア司書が問いかけてきた。
「そう……ですね……一通りのことは、見えたような感じです」
コーシア県の地勢や、この世界の「有史以降」については、およそ把握できた。
「ただ、もう少し、深掘りした情報が、欲しいところですね」
由真は、そう言葉を続ける。
「深掘りした情報、とおっしゃいますと……」
「たとえば、コーシニアの右岸と左岸は、なぜああいう地形なのか、とか、サイトピアの地質はどうなのか、とか、それに、アクティア湖の成因も、はっきりした説明を見てませんね」
コーシア県の県都コーシニアは、県全体を東西に貫くコーシア川の本流と、ファニア山地から流れてくるファニア川が合流する地点に開かれている。
旧市街は、正確にはファニア川の右岸に立地している。その上流の左岸にあるのがサイトピアだった。
他方で、新市街は、コーシア川の本流の左岸にある。
ソフィスティア方面から流れてくるタルフィア川以外に川がなく、灌漑ができなかったため、大規模開発までは荒涼とした台地が広がっていたらしい。
――という概況はわかる。しかし、この地形の成因を分析した書物は、午前中に探した範囲では全く見当たらなかった。
また、ファニア川を遡ると、牧草地が多く分布しているとタツノ副知事が言っていた「ファニア高原」に行き着く。
そこには、コーシニアに養殖した鱒を提供している「アクティア湖」もある。
この湖は、南西から複数の川が流入し、北東に伸びてファニア川へと流れ出る
その形状から、カルデラ湖ではないことはわかるものの、堰止湖なのか断層による構造湖なのかはわからない。堰止湖なら火山活動、断層なら地震のリスクを考慮する必要もある。
「アクティア湖の成因、というのは……そういうものを、研究した本というのは、ここの蔵書には、なかったはずです」
ビリア司書は、眉根を寄せて首をかしげつつ、そう応えた。
「そうすると。たとえば、コーシア県は、コーシア川流域以外は、基本的に2000メートルから3000メートルの山脈だらけということも、シナニアが最低標高でも1000メートル級だということも……」
地図を見て感じた疑問を口にしてみる。
「それも、コーシア川沿いと、ベニリア川沿いの測量は、何度もやられてますから、地形は、わかっていますけど、なぜ、そういう地形なのか、となると、そもそも、そういうことを調べる学問自体、聞いたことがありません」
ベニリア川――コーシア川本流の北シナニア県における名称である――の測量は行っていても、地質調査も行われていない。
それどころか、地質学というものがそもそも成立していない。
「地盤の状況とか……軟弱地盤の上に建物を建てるような危険は、なかったんでしょうか」
「それは、その、建物も、堤防とか、そういうものも、建てるときは、大地母神様にお伺いをして、そのご加護を賜って、進めますので、すぐ倒れるような、そういう心配は……」
また忘れかけていた。この世界は「神々と対話ができる」ということを。
ユイナはさすがに別格としても、人並みの神官なら、大地母神に神託を仰ぎ、軟弱地盤を避ける程度のことはできるのだろう。
もっとも、昨日のイデリア店舗跡を見る限り、建築技術の方は「ご加護を賜って」いるとは思われないが。
「そうなると、土地の状況は、ユイナさん……セレニア神祇官に相談するのが、一番ですかね」
王国ナンバー2の神官で、幼少期から大地母神の神殿で育ってきたユイナ。
建設という俗な事業を進めるに当たっても、彼女の助力が必要になるということか。
「そう、思います。大地母神様への、お願いなら、神祇官猊下に、お願いするのが……」
ビリア司書はそう応えた。
彼女も、「冒険者ギルドの図書室」の司書として、ユイナのことは十分承知しているのだろう。
昼食を終えて、由真はビリア司書とともに図書室に戻る。
「午後は、どうされますか?」
「そうですね、閉架図書を見せていただくことはできますか?」
「閉架図書……ですか? あの、先ほど、お話のあったような本は、そちらにも……」
ビリア司書はとたんに当惑をあらわにする。
「ええ、それはわかりました。それはそれとして、閉架図書になっている資料がいろいろあるんですよね? せっかくなので、そちらの方も見せてもらえないかと思いまして」
由真がそう応えると、ビリア司書は目をぱちくりさせる。
「は、はい。それで、その、どういった、資料を……」
そう尋ねるビリア司書を前にして、由真は、考えを整理しつつ、いったん息をついた。
神様にお願いできる世界なので、それで済む分には「学問」が発展していません。
図書館で調べ物――というていで、地理の設定説明回になってしまいました。
そして、そういう話がもう少し続きます、という引きです。