153. この異世界の図書事情
「冒険者ギルド」に「図書室」があります。その中身は――
冒険者ギルドの支部に置かれている図書室。
由真はさして期待していなかったものの、その蔵書の量は多かった。
過去の名だたる冒険者たちの冒険録、それを整理した魔物や城塞の攻略法に関する書物だけでなく、歴史書や地誌書、生物学――薬草や魔物に関する知識も記されたもの、この世界の魔法の教本、果ては計数管理などに関する解説書もあった。
「あの、ここ、ジーニア支部は、その、生産者も、大勢いますので、そういう人たちの、参考になるものも、入れてあります」
「なるほど。今は、平日の昼だから、人が少ない、ということですか?」
「い、いえ……その、ここは、あまり、利用者が、おりませんで、その……」
由真が問いかけると、ビリア司書は萎縮した様子で顔を伏せてしまう。
「生産者の人たちも、本は見ない、と?」
「その、派遣先の、資料などで、必要な知識は、その、得られますから、あの、ここで、というのは、管理官志望の人たちくらい、という、そういう……」
顔を伏せたまま、ビリア司書は答える。
「僕は、ご案内のとおりの事情で、この世界のことは、まるでわかっていないんですけど、その、生産者になる人たちとか、管理官志望の人たち、というのは……」
せっかくなので、就職事情について尋ねてみることにした。
「あ、はい。ここでは、中学を出るとD級生産者、大学を出てC級生産者、となります。どちらも、採用試験があります。その、参考書なら、学校の図書館に、おいてあります」
学校の修了認定だけではなく、別途採用試験を通る必要があるらしい。
「けど、生産管理官になるには、管理官候補生試験に、合格しないと……という仕組みで、そのための参考書、となりますと……学院にあるのは、専門の、研究書のたぐい、ですし……その、ここでも、閉架図書としては、地下に蔵書がありますけど……候補生試験のための、実用書は、こちらの方が、揃えてありますので……」
幹部候補となるための、高度な資格認定試験ということか。
「管理官候補生試験って、やっぱり、すごく難しいんですか?」
「そう、ですね。商業管理、計数管理、農業管理、工作管理の4分野で、どれも、広い実用知識が、要求されますから……あ、その、もちろん、ユマ様の手にかかれば、どれも、造作もないと、思いますけど……」
「そんなことは……そうすると、ビリアさんは、どうやって司書になったんです?」
「『司書』は、クラスとしてお認めいただく専門職ですから、簡単な選考審査を受けるだけです」
この世界の「司書」は、神々に認められる「クラス」であるらしい。
「『管理官』は、メリキナさんみたいな、そこの上級官吏がなりますから」
ビリア司書は、そう言葉をつなぐ。
「メリキナさん、上級官吏なんですか?」
「ええ。民政省の、B級書記官候補生で、研修のために、ここに派遣されている方です」
ただの受付嬢ではないらしい。
「あ、それで、ユマ様は、どういった本を、お探しで……」
いつの間にか世間話になっていたところで、ビリア司書が本題に戻る。
「まあ、いろいろです。とりあえず、コーシアの、地理と歴史、そのほか社会事情とか、からですかね」
「それでしたら……」
そういってビリア司書が案内してくれた区画には、「地誌(地域別)」という看板があった。
目を向けた由真は、真っ先に目についた『コーシア県の地誌』という題の本を手に取り、ページをめくっていく。
地勢の概観、地域の通史、近年――第二次ノーディア朝時代の状況がまとめられていた。
「歴史に関することでしたら、こちらがその区画になります」
次に案内してくれたのは、「歴史(一般・通史)」という区画だった。
隣には「歴史(地域別)」と「歴史(分野別)」という区画もある。
「ちなみに、地図とかは、ありますか?」
「地図は……こちらになります」
地誌の区画を挟んだ先に、「地図」の区画もあった。
居並ぶのは、「アスマ総州内務省国土局編纂」の「アスマ総州地図」、それに「ベニリア州地図帳」「アトリア市地図帳」といった地域別地図帳の類だった。
そのほかには、「メカニア州地図帳」、「ソアリカ総図」なども置かれている。
「ミノーディアとか、カンシアとか、ナロペア全体とかの地図は、ないんでしょうか?」
同じノーディア王国の領地なのに、ここに備えられていない地域。それが気になって、由真は尋ねてみる。
「ミノーディアの地図は、閉架図書です。カンシアは、冒険者庁編纂の地図なら、一応閉架図書にありますけど……」
「閲覧が、制限されている……とかですか?」
「……はい。ミノーディアとカンシアの公式地図は、参謀本部の編纂で、部外秘です。ただ、ミノーディアは、冒険者ギルドの測量結果を使って編纂されてますので、ギルド内限りで、閲覧が認められています」
参謀本部が地図を編纂する。
日本でも、戦前は参謀本部の陸地測量部が地形図を編纂していたので、理解はできる。
ただ、アルヴィノ王子の配下にある王国軍は、過剰な閲覧制限を行っているのではないかとも思ってしまう。
「測量は、冒険者ギルドがやったんですか」
「ええ。ミノーディアで魔族と魔物に向かってるのは、冒険者ギルドですし、あちらは、広い上に環境が厳しいですから、王国軍の組織が、測量までは、さすがに……」
広くて環境が厳しい。
ならばなおさら「軍」が測量をすべきだろう。日本では、陸地測量部の測量官が剱岳の山頂などにも踏み込んで、三角点を整備している。
その作業を冒険者任せにしておいて「閲覧制限」とは。
「カンシアの地図は、参謀本部が測量しているので、完全部外秘です。ただ、冒険者庁も別途測量をして、その結果を使ってギルド用に地図を編纂してましたから、その分は……」
自前で測量した分は「完全部外秘」。
それでは仕事にならない冒険者ギルドが、別途測量をして地図を編纂していた。単なる二度手間だった。
「アスマの地図は、大丈夫なんですか?」
「ええ。こちらは、ギルドが、測量して、州庁の内務省が、編纂してますので」
アスマだけは、地図は内務省が編纂している。
(それは……陛下とエルヴィノ殿下の意向?)
先代アスマ大公だった現国王、そして現アスマ公爵であるエルヴィノ王子。
この親子が、王国軍の「地図独占」に対してアスマを例外にするよう働きかけてきた。そう考えるのが妥当だろう。
アスマの地図は、閲覧に制限がない。となると、由真の心にさらなる欲がわいてくる。
「これ、アスマの地図なんかは、借りられるだけなんでしょうか? どこかで、売ってたりはしないんですか?」
関係の地図は、手元に所有しておきたい。
「その、図書館で、ご希望があれば、写本の販売もしています。地図や、あと、鉄道の時刻表などは、手数料が割高ですけど」
「鉄道の時刻表も、あるんですか?」
「ええ。こちらです」
地図の区画に隣接して、黒いハードカバーの本が置かれている。
背表紙に「アスマ旅客列車時刻表」と記されたそれは、日本人が目にする「時刻表」とは趣が全く異なっていた。
もっとも、開いて見ると、その様式は日本のものと同じだったが。
「地図は、絵図が複雑ですし……時刻表は、文字の数がとにかく膨大ですから、その分、手数料は……」
それは仕方ないところだろう。
それでも、手数料を支払いさえすれば、所有可能な現物を複写できるだけの「印刷」の技術も、ここにはある。
「手数料を払えばいいなら、問題ありません。それでは、アスマの全体図、アトリア市とコーシア県の地図帳、それと時刻表の写本をいただけますか?」
「わ、わかりました。少々、お待ちください」
そう言って、ビリア司書は窓口の奥に向かった。
蔵書は多いものの、利用者は少ない模様です。
地図は、陸軍の重要資料でしたから、近代は西欧でも日本でも陸軍が作っていました。
ただ、ノーディアの王国軍は、『劒岳 点の記』で描かれているような立派な測量官を雇うような組織ではなく、そのくせ閲覧制限のたぐいだけは人並み以上というていたらくですが。
なお、この主人公は、地図と一緒に時刻表の写本も買おうとしています。