146. カンシア勢の日々 (4) 冒険者ギルド「曙の団」
彼らは「砦の外のギルド」との交渉に向かいます。
砦の中の用事が済むと、いよいよ本題となる。
青木は、いったん居住区画に戻り、昨日作成させられた「栄光の白鷺」との契約書の写しを手に取る。「曙の団」が契約を妨害したという件で相談に行く以上、それは必須のものだった。
砦を出て5分ほど歩いた先に、大きな天幕が2つ張られていた。それが、「曙の団」の拠点だった。
「あの、済みません。夕べの、巣穴つぶしの件で、お話があるんですけど、責任者はどなたでしょうか?」
近くにいた若い男性を捕まえて、青木はそう問いかける。
「ああ、砦の、『勇者様の団』の人ですか?」
そう答えた相手は、いったん天幕に入る。程なく、グレーのワンピースを着た女性が天幕から出てきた。
「『曙の団』のサニアと言います。昨夜の件で相談、というのは?」
落ち着いたメゾソプラノの声で相手は切り出してきた。
「あ、あの、……砦跡の、オーガとゴブリンの残党の巣穴なんですけど、昨日、こちらの方で『栄光の白鷺』に依頼を出していたんですけど……その、その巣穴を、勝手につぶされた、というのは、どういうことなのか、と……」
青木がどうにか用件を口にすると、相手は軽く首をかしげた。
「どういう、も何も、私たちは、旧砦跡の巣穴つぶしの依頼を受けて、それを遂行しただけです。依頼の内容重複があったとしても、先行遂行優先の寄与応分収受の原則通り、というだけでしょう?」
いわゆる「アラサー」とおぼしき年代の相手の、その落ち着いた声と言葉に、青木は圧倒されそうになる。
「そ、それは、えっと……」
「ああ、皆さんは、召喚者でしたね」
相手は、そう言って軽くため息をつく。
「冒険者に対する依頼は、基本的に仕事の完成を約束する『請負』です。別口の依頼で『仕事の完成』の内容が重複していた場合は、基本的には先に『仕事』を完成させた側の成果になりますけど、遅れた方も『仕事』の完成に寄与していれば、その分については報酬を得られます。それが法的な原則です。
まあ、依頼したそちら側が依頼先に支払う報酬は、こちらのあずかり知るところではありませんけど」
(あ、ダメだ、これは)
相手に蕩々と説明されて、青木のやる気はたちまちに消え去る。
そもそも、冒険者ギルドの「責任者」と名乗るだけあって、大前提の知識からして全く違う。
この相手との交渉を「ど素人」の青木たちが担うなど、全く論外だ。
せめて、同業者――「栄光の白鷺」の「責任者」が交渉に立つべきだろう。
「それで、『内容重複』のお話に来た、ということは、そちらの契約書は持っている、ということですか?」
「そ、それは、ここで、出して良いたぐいのもの、なんですか?」
契約書を提示しろ、と言われて、ようやく青木は言葉を返すことができた。
「普通なら、他人の契約書の提示は不要ですけど、『内容重複』という話なら、互いの契約書を提示しないと、話は始まりませんよ?」
そう言いつつ、相手は手元のバッグから封筒を取り出す。
仕方なく、青木も手にしていた契約書の写しを取り出した。
近くにあった切り株の上に2つの契約書を載せて、内容を確認する。
「これは、そもそも『内容重複』ですらありませんね」
相手は、軽いため息とともにそう言う。
「そちらの契約は、砦跡の巣穴に生息する魔物の数、ことにオーガの個体数を調べる『探査』、こちらの契約は、砦跡の巣穴を制圧する『拠点討伐』。業務類型からして違いますよ?」
そう言われた瞬間、青木の頭は真っ白になった。
「具体的に言うと、そちらの契約では、巣穴そのものに入らなくても、オーガとゴブリンが何体いるのかさえ伝えれば『仕事完了』、こちらの契約では、中にオーガとゴブリンが何体いるかにかかわらず、砦跡の巣穴から敵を一掃して支配権を掌握すれば『仕事完了』です」
具体的に言ってもらったおかげで――より救いのない状況だということは理解できた。
「それは……こっちも、討伐で依頼していれば……」
「拠点討伐の相場はご存じないようですね? 『民間化』前なら1万デニ程度でも受注はありましたけど、今は、ゴブリンのみの巣穴でもホブがいる可能性があるということで、小さい巣穴だとしても最低で10万デニですよ?」
「じゅ、じゅうまん……でに……」
この王国の通貨「デニ」。1デノが日本円の感覚としておよそ100円。10万デニといえば「1000万円」だ。
「それに、皆さんは、あの巣穴にオーガがいる、ということまで確認していたのなら、……100万デニ以下で受けるようなところは、よほど質が低いか、よほど物好きかのどちらかでしょうね」
――件の巣穴を制圧するには、最低でも「1億円」が必要だということだ。
「そちらの探査依頼にしても……報酬は3万デニですね」
そう言われて、「報酬額」の項を見ると、確かに「30000デニ」と記されていた。
ふと隣の契約書に目を向けると、同じ位置の「報酬額」の項には「イノシシ2頭、ワイン10本、魔法油18缶現物5本」と記されている。
「あれ? これ? イノシシに、ワイン?」
「ああ、これは……うちは、マストが物好きなだけです」
「あ? 呼んだか?」
引き締まった声がして、青木はそちらに振り向く。
そこには、大剣を背負った壮年の男性がいた。鍛え抜かれた長身痩躯に、青木は圧倒されてしまう。
「マスト……昨夜の巣穴つぶしの件で、砦の中から『物言い』が来ましたので、その応対をしていただけです」
「ったく面倒だな。ユイナがいた頃は、話なんざ1分で終わったのにな」
女性の言葉に、その男性はそう言って肩をすくめた。
「え、あの、あなた、もしかして……ゲント・リベロさん?」
青木はどうにか問いかける。
「曙の団」の団長、ゲント・リベロ。
ダンジョン攻略の最終決戦において、相沢晴美、仙道衛、桂木和葉の3人とユイナ・セレニア神官で構成された部隊に冒険者代表として入った人物。
そこまでは、青木たちも聞いていた。
「ああ。お前らは、ハルミたちと一緒に召喚されたクチか?」
「は……はい……」
「で? 物言いってな、なんだ?」
そう問われただけで、青木の体には震えがこみ上げてくる。
「砦の中が『栄光の白鷺』に依頼した件と『内容重複』なのでは、という話でしたけど、あちらは探査でこちらは拠点討伐なので、特に問題もありません」
「ふうん。ってか、『栄光の白鷺』も、受けたんなら討伐くらいしてやれよ」
「彼らには、そんな力量はありませんから」
「サニアが監督してやれば、奴らにだってできただろ? あのくれぇなら」
「私は彼らの業務を監督する立場にはありません」
2人のそんな会話を聞いているうちに、青木は少しだけ冷静になることができた。
「あ、あの、……『曙の団』だけで乗り込んで、大丈夫だったんですか? それに、報酬が、これは……」
青木が問いかけると、2人が振り向いてきた。
「大丈夫も何も、人質なしの巣穴つぶしだぜ? そんなの、C級のパーティーだってできるだろ」
ゲント・リベロは、そう言って笑う。その引き締まった表情に、青木はまた圧倒されそうになる。
「でも、あの、オーガが、いたのに……」
「皆さんは知らないようなので教えておきましょう。人質がいないゴブリンの巣穴は、火攻めでつぶすのが王道なんです」
ため息交じりで、女性――サニアが口を切る。
「巣穴の中に、魔法油の18リットル缶を何本か設置した上で、外から雷撃をかけると、缶が割れて中の油に火がつきます。
黙っていても燃え広がりますけど、今回のように地上に建屋がある場合、そちらに火矢を射かけて火を追加します。それで中のゴブリンはたいてい窒息します。後は、逃げ延びてきた個体を叩けば終わりです」
「火で燻されると、オーガも呼吸ができなくなる。連中は図体がでかいからな、息ができなくなるとすぐにくたばる」
サニアとゲントの話を聞いただけだと、まるで簡単な作業のように思えてしまう。
「人質を取られている場合、こんな手は使えませんから、先ほどのような相場になりますけど、ここは、人質がいないことがわかってましたから」
「ま、こんなのは、オーガ退治のほんのついでだ。さすがに報酬をもらわねぇ訳にもいかねぇからな、必要な魔法油は現物で出してもらって、後はイノシシとワインで受けた、って話だ」
そう言うと、ゲントの顔から笑みが消える。
「だいたいから、この手の討伐は、赤字が出ても受けてやるのが『冒険者』の心意気、ってもんだぜ?」
その鋭い表情と強い言葉に、青木の心は真っ白になってしまう。
「お前らは当然知らねぇだろうけどな。ちょっと昔、アスマに『鬼ごろし』って冒険者がいたんだ。『鬼ごろし』は、大鬼・小鬼で困ってる貧乏な村の依頼を、1件500デニとかでもどんどん受けてな、巣穴をつぶして回ったんだ。
派手な怪物を倒した訳じゃねぇ。けど、あちこちの村を助けたからな。今でも語りぐさの『真の英雄』なんだよ」
時折聞こえる現地語が、意味だけは頭に入ってくる。青木は、その話にただ聞き入るしかない。
「ま、『鬼ごろし』たぁ言わねぇけどな、『栄光の白鷺』も、ちったぁ『冒険者』らしいことをしろ、って話だ」
そう言って、肩をすくめてため息をつくゲントを前に、青木は、何も答えることができなかった。
「小鬼殺し殿」が、この世界にもいました…ということです。
「曙の団」も、和マンチ――もとい簡単確実な手段があるときは、そちらを使って手早く片付けます。
ゲントさんもサニアさんも人格は変わっていません。話が通じないのは、「砦の中」の方の問題です。