132. そうだ 領都、行こう (1) 本決まり
県会の同意が必要とされていた件、同意がとれました。
メリキナ女史は、由真を連れて購買部からほど近い場所にある「通信室」に入った。
目算12畳程度の部屋に、マイク様のものが載せられた長机に椅子が3つ備えられている。
由真は、中央の椅子に座り、ヘッドホン様のものをつけてマイクに向かう。
「こちらは、通信水晶を介してギルド支部間の通信を行うことができます。これからタツノ副知事の執務室におつなぎします」
そう言って、メリキナ女史は機材を操作する。
『タツノです』
ヘッドホン越しに、昨日と同じその声が聞こえた。
「ジーニア支部でございます。新伯爵閣下が通信室に来られました」
「副知事、お疲れ様です」
由真は、マイクに向かって声をかける。
『お疲れ様でございます、閣下。知行の件は、一部反対派を除き、ほぼ全会一致にて可決されました』
淡々とした口調の報告だった。
「お疲れ様でした。早かったですね」
『『批判に耳を傾ける用意はある。建設的かつ現実的な提案は受け入れる』との閣下のお言葉をお伝えいたしましたところ、一部の反対派は『それはきれい事だ』などと反発いたしましたが、大多数はこれを退け、早々に採決に至った次第でございます』
――正面から言われると、些か面はゆくなってしまう。
「それは、当たり前のことを言っただけのつもりだったのですが」
『いえ、本質的なお言葉でございました』
ますますむずがゆくなってきた。
「あの、それで、……『国入り』とかは、追って相談、ということですか?」
『はい。ただ、閣下には華美な儀式は不要との仰せでしたので、波静かならば来週中には執り行いたいと考えております』
かなり早い時期になる。それまで間はあまりない。
「そうすると、それまでは、コーシアには入らない方がよいでしょうか?」
『と、申されますと?』
「その、現地の様子を、早いうちに見ておきたい、と思うのです。……できれば、『お忍び』のような形で」
『なるほど。もとより、観光のためコーシアへ来られることは、何の制限もございません。コーシアには、行楽地もございますので、お連れの方々も含めて、休暇に来られてもよろしいかと』
やはり、副知事は「お忍び」という言葉で意図を察してくれた。
「あ、いえ。……あの、殿下の御意もありまして、コーシニアの小売店の現状を下見して、それから、コーシア県内でまとまった牧場を見ておきたい、と思っていまして」
さすがに「物見遊山」のつもりはないので、由真はすかさずそう返す。
『それは、お連れの生産者の方々に依頼されるということでしょうか?』
「ええ、はい。殿下から、小売店の整備と、乳製品の供給体制の整備を推進するよう、ご指示を賜りましたので」
『なるほど。イデリアは、コーシニア南店はすでに閉店しており、北店が今月末までの営業となっております。今週中であれば、ご覧いただくには好都合かと』
――「小売店の整備」と言っただけで企業名が出てきた。それだけ深刻な問題なのだろう。
『牧草地はファニア高原に多く分布しております。牧場の管理云々をいきなり持ち出しますと、反対派が騒ぐおそれもございますが、観光の名目でついでにご視察いただくなら、差し支えないかと』
その忠告は、しかと受け止めるべきだろう。
少なくとも、恵をくだらない「政争」に巻き込む訳にはいかない。
「わかりました。そうしたら、今月中には、小売を担当する生産理事官と一緒にコーシニアに入るかもしれません」
『かしこまりました。ただ……こちらでも、閣下の武勲は盛んに報じられておりまして、フォトも多くの者が見ております。少し注意して見れば、閣下の素性はすぐに知られるところとなるかと思います』
それはもはや致し方ないところだろう。
「とりあえず、非公式にでも、コーシアに入るときは、副知事に一報した方がいいですか?」
『いえ、そのようなお気遣いには及びません』
「支部から県庁へ雷信を打つこともできます」
横から、メリキナ嬢が耳打ちで補った。
「あの、とりあえず、電報は入れるようにします」
『かしこまりました』
それで、コーシア県庁との通信は終わった。
購買部に戻ると、衛と和葉は剣を、晴美は槍を見繕っていた。
「白鉄鋼ですと、1本500デニほどになりますけど、長持ちしますよ」
従業員がそんなことを言っているのが聞こえる。
「あ、ユマさん」
近づいた由真を見とがめて、ユイナが声をかけてきた。
「ご用件は、コーシア県庁からですか?」
さすがに彼女は聡い。
「ええ、例の件、県会の同意がとれたそうです」
「それは、おめでとうございます。これでユマさん、いよいよ伯爵閣下ですね」
ユイナのその声は、よく通った。その場の全員の目が由真に集まる。
「おお!」
「あの話、決まったんだ!」
「おめでとう! なんだよね?」
和葉、美亜、瑞希が反応した。
「あ、いや、その……」
真正面からの言葉に、由真は戸惑い言葉を失ってしまう。
「あ、それで……早速なんだけど」
それでも気を取り直して、由真は「早速」の用件を切り出すことにした。
「実は、例のイデリアって会社、コーシニア南店はもう閉めてて、北店が今月末までやってるらしいんだ」
「それは、見に行っていいってこと?」
愛香の反応は早かった。
「まあ、有り体に言えば、そうだね」
「路銀があれば、明日にでも行く」
行動も速い。しかし「路銀」と言われると――
「お金って……」
「アトリア西駅からコーシニア中央駅までシンカニオで行きますと……片道で、三等運賃が50,7デニ、三等料金は31.6デニで合計82.3デニですね。ちなみに、二等は2倍、一等は4倍、特等は8倍です」
メリキナ女史がすかさず応える。ぎょっとして振り向くと、彼女は手帳を開いて見下ろしていた。
「82デニって、結構しますね」
「コーシニアまでは、300キロありますからね」
声を上げた由真にユイナが応える。
300キロというと、東京から名古屋や仙台に行ける程度の距離になる。日本の「隣県」とはスケールが違っていた。
「けどそうすると、往復して買い物をしたら、200デニくらいは使っちゃいそうですね」
「コーシア伯爵の年間手許金は30万デニですけどね。あと、伯爵のお国入りなら、普通は特等に乗りますよ」
「そういう贅沢は……できるだけしないように、心がけます」
自分自身が「伯爵」という「上位の貴族」になる。
今でこそ、つい先日まで「住人」だったという意識が強く根付いているものの、この先どうなるかはわからない。
あのドルカオ方伯のような人種になってしまう。それだけは避けなければならない。
「そうですね。まあ、私も、コーシニアの様子は見たいと思ってましたし……せっかくですし、一緒に行きましょうか」
ユイナはそう切り出してきた。
「え? いいんですか?」
「ええ。あの、コーシニアの人口、2年前の知識だと290万だったんですけど、殿下は380万と仰せでしたから、どうなっているのか気になりますし、それに、ユマさんの所領なら、私もいろいろお節介をすることになりそうですし」
確かに、この先ユイナの協力を仰ぐことは多々あるはずだろう。
「そうしますと、伯爵閣下に神祇官猊下、シチノヘ理事官で……」
「ああ、あと、伯爵閣下のご旅行なので、守護騎士さんも護衛で同行します」
メリキナ女史の確認の言葉に、ユイナが妙なことを言い出す。
「え、あ、ちょっとユイナさん!」
「……俺?」
それを聞きつけたのか、衛がこちらに振り向いてきた。
「ええ。ユマさんが護衛なしだと、センドウさん、心配でしょう?」
「いや、別に、由真なら、大丈夫だと」
「まあまあ、ユマさんが領都に入られるんですから、センドウさんも一緒に行きましょう。私たちは、お邪魔虫にならないようにしますから」
その「デートをしろ」とでも言わんばかりの言葉に、衛は言葉を失った様子だった。
そして由真も、これ以上断るとさらにからかわれそうな気がしてきた。
「えっと、その……一応、女子旅になるから、あの、衛くんも、ついてきてもらえると、助かる、かな?」
仕方なく、由真はそう打診する。衛は、わかった、とだけ答えた。
デートしに行く訳ではありません。
あくまでも、所領の下見です。