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121. この異世界の通貨と経済

変なところだけ高度に発達してしまった社会でNAISEIするには避けて通ることのできない、小難しいお話です。

「しかし、イデリアは、どうしてアスマから全面撤退するのでしょうか。経済的には、明らかにこちらの方が発達している様子と見えるのですが」


 由真は、左手の方向に問いかける。エルヴィノ王子にあえて直接問う意図はない。とはいえ――


「株主総会における議論では、アスマの事業は利が薄く、管理費用をまかなうに至っていない、加えて地域の政治リスクもある、という意見が支持されたようです」


 ――答えたのは、エルヴィノ王子本人だった。


「カンシアは、利のある事業が手堅く展開できる上に、経済的には近い将来に成長が見込める。アスマは成長が伸びきって、この先は停滞する。そういう見込みですね」


 ――「頭大丈夫ですか?」という台詞が、のど元まででかかった。いや、それを口にしたのがエルヴィノ王子でなければ、そう言っていた。


「あの……カンシアで、利益が出たり、経済が成長する……という……」

「ナロペアの経済学説としては、そういう見解が支配的なのだそうです」

 そう言うと、エルヴィノ王子はスズキを箸でつまみ、優雅に口に運ぶ。


「皆さんには、ノーディア王国の通貨や貨幣の制度について、説明は一切していなかったそうですね」


 確かに、由真たちは、セプタカから帰る日まで、この国の通貨を知らなかった。今でも、紙幣や貨幣を見たことがない。


「ノーディア王国の通貨は、正貨の銀アルゴに補助貨幣のデノとサントです。1アルゴは10デニ、1デノは100サンティとします」


 ――ユイナに聞かされていたのは「デノ」だけだった。


「王国大蔵省は、1デノ銅貨その他の貨幣を発行します。そして、王立銀行は、銀1アルゴに対して10デニ紙幣を兌換します。

 これは、古来交易に用いていた秤量貨幣(しょうりょうかへい)のアルゴを券面に置き換えて使用を容易なものとし、同時に銅貨としてのデノの量目(りょうめ)は通貨1デノ相当を下回ることを可能とした、というものです。

 加えて、紙幣の単位を『10デニ』とすることで、単位の系統をデノに統一する、という狙いもあります」


「あの、アルゴは、昔は重さが確認された袋詰めの銀貨でしたけど、今は銀だけに使う重さの単位です。1アルゴは、正確に純銀25.00グラム、と定められています」

 横からユイナが補う。


「ちなみに、ベストナも、同じような仕組みで、純銀1アルジェオが22.35グラムで、これが10パレイ紙幣に兌換されます」


 ノーディアとベストナは、いずれも「銀本位制」ということになる。


「あと、ダスティアは、昔は金1ラストを100タルに兌換する、という仕組みを採っていましたけど、大陸暦74年に、金との兌換を停止して、以後、金や銀との兌換の制度はありません」


 ダスティアは、「金本位制」から「管理通貨制度」に移行しているらしい。


「ダスティアの通貨タルは、金銀とは無関係に発行することが可能です。それは、金銀というものの『足かせ』から解き放たれた、より洗練されて優れた制度である、という考え方が、ナロペアの経済学説の主流です」


(あ、これ、聞いたらまずいやつだ)


 由真は直感してしまう。


「管理通貨制度」は「金属主義」より優れている。その理由は「金融政策の自由度が確保できるから」。

 地球の――日本のネット上で厭気が差すほど議論されていた経済論。その大前提にある命題。


「ダスティア中央銀行は、物価上昇率2パーセントという目標を掲げて、通過タルの発行量を増加させる政策をとっていて、それ故に、110年代において経済は好調である、と……経済省から再三説明を聞きました」


 物価上昇率の目標値すらも「それ」だった。

 人間は考えることが同じ――というよりは、明らかに、地球から召喚された人々の中に、「リフレ主義者」がいたとしか考えられない。


「ノーディア王国においても、デノを『銀と兌換する券面』から『銀と無関係に王立銀行が発行する券面』に改めるべきである。経済省は、118年にそう提案をし、兄もそれに賛同しました。

 しかし私は、現物の裏付けもなしに、セントラ王立銀行が無制限にデニ紙幣を発行することを認める……ということは、どうしても受け入れられず、……『アトリア王立銀行券とセントラ王立銀行券の等価交換を廃止するならかまわない』と、そう発言してしまったのです」


(ああ、エルヴィノ殿下が『やらかしちゃった』ってことに、なっちゃうのか、これ……)

 由真は密かに思いつつ、つい目を伏せてしまう。


「以来、『ノーディアの経済は今後停滞する』、『セントラがアスマを切り捨てれば、セントラは経済回復に向かう』、そして『アスマはエルヴィノ・リンソ・フィン・ノーディアが支配している限り経済はやがて破綻する』と、それが、ナロペアにおける経済学説の通説となってしまった、という訳です。完全に、私の失策です」


 ――これが日本であれば、SNSの類でエルヴィノ王子はさんざんな「ディスり」を受けたことだろう。


(けど……)


 あのカンシアで「管理通貨制度」を導入して、それが「きちんと」運用される保障があるのか。

 物価上昇率目標値を定めた上で金融緩和をするだけで、カンシアの「生活」が改善できるのか。

 晴美が「Sクラスの特権」を使っていなければ、ここにいるC3班の女子たちは、肉と野菜も満足に食べることができなかった、そんな社会で。


「殿下、私は、殿下のお考えが正しい、と思います」


 ――沈黙を破ったのは、晴美の声だった。


「私たちの歴史では、つい数年前まで一等国の列にあった国が、敗戦に伴う社会と経済の混乱の中で……この世界でいえば、1兆デニの紙幣が当たり前に刷られ、しかもそれがお茶代にもならなくなった、という、そういう経験もあります」


 そんな「経験」が――あった。


 晴美は「ドイツ系クオーター」である。

 ハイパーインフレの典型例の一つとされる「パピエルマルク」。彼女の言葉は、それを十分認識しているが故のことだろう。


「今のカンシアに、紙幣を自由に刷る権利を与えたら、間違いなくこれと同じことになります」

 その力強い言葉と声が、由真の心を強く打つ。


「僕も、晴美さんと同意見です。その経済省の論理の大前提は、中央銀行が政治から独立していることです。国庫に現金が足りないから、紙幣を増刷してまかなえ、などという要求は、中央銀行が当然に拒絶する。それができなければ、野放図に刷られた紙幣の価値が暴落するだけです」


 晴美の強い言葉。そして「パピエルマルク」という確かな歴史的実例。それが、由真の心を支えていた。


「今のノーディア王国の中央銀行が、アルヴィノ王子の意思に公然と異を唱えることができる、というのなら、経済省の主張は通ると思います。けど、そうでないなら、今晴美さんが言ったとおりの、『ハイパーインフレ』に帰結するだけです。それで困るのは、貴族ではなく、臣民でもなく、……僕たち『住人』です」


 カンシアにおいて「住人」として過ごした由真は、「住人」の立場からの主張なら、いくらでも、誰に対してでも言える。いや、言わなければならない。


「この局面では、殿下は正しく判断され、正しく発言された。僕は、そう確信します。後世の『経済』の人々は、現時点の殿下のお考えに、おそらくは心ない誹謗の言葉を向けるでしょう。それでも、今の時点では、殿下のお考えは正しいと、僕は、そう、強く信じています」


「……なるほど。『民政顧問官』がそう言ってくれるのなら、それを信じてもよいのでしょうね」


 エルヴィノ王子は、一瞬、力のない笑みを浮かべて、そして由真に目を向けた。


「早速、『民政』に関する有益な助言をいただけて、大変ありがたい、と思っています。私は、なにぶん未だ21歳の若輩者、これまでは、老練な重臣の支えがありましたが、世代交代の時期を迎えています」


 そう言って、エルヴィノ王子は大きく息をつき、そして、普段の「穏やかな笑み」を取り戻した。


「ユマ殿を初めとして、皆さんには……陛下のお言葉のとおり、私を支え、時に正し、アスマを繁栄に導いていただきたい。よろしく、お願いします」


 エルヴィノ王子は、深く頭を下げる。由真たちも、最敬礼でそれに応えた。

「経済って面倒くさい」「ウィキの説明めっちゃくどい」「綱吉のときの貨幣改鋳が評価されたり吉宗初期の改鋳がディスられたりって何なの」などという作者の思想()がダダ漏れになっているお話です。


た だ し

そもそもこの世界は、本文に書いたとおりの状況です。

晴美さんが例に挙げたパピエルマルク―もっと近い例で言えば、ジンバブエになるのがオチです。

インフレターゲッティングによる量的金融緩和政策―などという高尚なもの以前に「やるべきこと」がたくさんあります。

そこら辺が無視されて、さらに「変なところだけ高度化した社会」に向かおうとする流れ。

このお話のNAISEIは、そういう環境になります。

――ハードルがひどく高くなってしまいました。

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