117. この異世界の雇用と教育
一行が現在いるのは、冒険者ギルドの支部です。
「了解しました。クラス『経理兵』レベル1を破棄し、『総合小売理事官』レベル32を登録しました」
愛香の新しいクラスが登録されて、これで全員の判定が完了した。
「皆さんのクラスも決まりましたので、差し支えなければ、このままこのジーニア支部で登録していただきますね」
一通り終わったところで、ユイナが全員に向かって言う。
「え? セレニア先生、あたし、洋服屋じゃないんですか? 冒険者とか、そんなのするんですか?」
美亜が問いかける。他の面々も、怪訝そうな面持ちだった。
「ああ、ギルドの支部といっても、『冒険者』としてではなくて、『生産者』としてです」
「……せいさんしゃ?」
「はい。あの、冒険者ギルドは、生産職の適性がある人を『生産者』として登録して、事業や雇用の斡旋、就業支援、それに労働環境の監視などもしているんです」
ユイナは説明を始める。
「冒険者志望の人が、むしろ生産職に適性があった、というのは、昔からよくある話でしたから、冒険者ギルドでは、そういう人が生産者として生活できるように、生産スキルの訓練や仕事の斡旋などの支援をしていました。
大陸暦になって、『ニホン』から高度な技術が取り入れられて、産業が高度化して、雇用の環境も複雑高度になってきましたから、冒険者ギルドもそれに対応して、事業や雇用の面に力を入れてきました」
元々は「再就職支援」だったものが、次第に「職業斡旋」へと発展したということだろう。
「実は、冒険者ギルドの本部に当たる冒険者庁は、内務省にあったものが民政省に移って、労働省ができてからはそちらの機関になっていたんです」
「それだと、日本のハローワークと労基署も兼ねてるみたいな感じですね」
ユイナの説明に、由真は相槌を兼ねてそう言葉を返す。
「ああ、そうね。確かに、それって厚労省の仕事よね」
晴美も納得した様子を見せた。
「あ、でも、それは『民間化』前の話だからね。『民間化』されてからは、雇用関係は『人材派遣事業』っていう別の事業になってて、『曙の団』にも生産者とかはいないから」
ウィンタが「現在の状況」を口にする。
「あと、労働省も114年に民政省に統合されて、その民政省も117年に内務省に統合されましたから、今の王国政府は、そのたぐいの機能がすっかり弱ってますね」
ユイナがそれを補う。
「って、それ、確かアルヴィノ王子が推進した、とかいう……」
政府の省の大々的な統廃合。それによって統合されて弱体化した機能が、「労働」、そして「民政」。それに「魔法」も――
「はい。114年までは16あった省が、117年には7にまで削減されました。現在残っているのは、内務省、外務省、軍務省、司法省、大蔵省、文教省、そして経済省です」
――「16」は多すぎたのかもしれない。しかし「7」は少なすぎる。
「実は、アルヴィノ殿下の派閥は、文教省も廃止すると決議していました。けど、それは、エルヴィノ殿下が強く反対されて、最後は陛下が勅許されなかったので、なんとか食い止められました」
「文教省を……廃止……」
それは、「近代国家」ならおよそあり得ない話だった。
カンシアの中世ヨーロッパ並の環境を是とするならあり得るとしても、高速鉄道すら実現しているこの世界では、暴挙以外の何物でもない。
「ちなみにアスマ州庁は、尚書府の下に、内務省、司法省、財務省、文教省、農務省、商工省、それに民政省があります。あと、陸運関係は陸運総監、海運関係は海事提督という職があります」
外交や国防を意識する必要のない「州庁」としては、必要な機構は整っている――と由真は感じる。
「文教省があるのなら、この世界には、学校がある、ということですか?」
それまで無言だった衛が、ユイナに問いかける。
「俺たちは、ここに来る前は、未成年の、学生でした。こちらの成人年齢はわかりませんし、学校の制度もわかりません。ただ、『初期教育』以上に学ぶべきことがあるとしたら、それは、学んでおくべきだと、そう思っています」
衛が言葉を続けると、ユイナは深いため息をつく。
「そう……でしょうね。あの『初期教育』だけで全て完了、とは、とてもいきませんからね」
ユイナは、そう口を切る。
「まず、こちらの学校制度ですけど、6歳から12歳までは小学校、これは義務教育です。12歳から15歳までは中学校、これは努力義務になります。その上で、さらに学びたい場合は、中学校卒業者が入る大学、これが通常は3年間になります。その上は大学院、通常は2年で修了して『修士』の学位が与えられます」
日本と比較すると、義務教育の中学校3年間が抜けた制度らしい。
「ただし、この『義務』というのは、あくまでも『臣民』までが対象です。『住人』には、そういう『義務』は課されませんし、そういう『権利』も保障されていません」
続けられたその言葉に、由真は息が詰まる。胸が強く締め付けられ、拳に力がこもってしまう。
「『住人』は、『教育』が受けられないんですか……」
由真の口から出たその声は、低く平坦だった。
「王国の制度は、そうです。ただ、アスマでは、『住人』に対しても、6年の教育は『義務』かつ『権利』とされています。陛下がアスマ大公であられた頃からの方針です。それを達成するため、アスマ総主教府以下、神殿も総力を挙げています。そのおかげで、私も、孤児院の課程を修了しています」
ユイナのその声もまた、低く平坦だった。「住人」という立場にあったユイナと由真。2人の感情は、一致していた。
「カンシアでも、『努力義務』としてでも、住人に6年間の教育を施すよう、長官台下は努力してこられました。ですが、あちらでは、貴族から必要な資金を得ることはできず、あまつさえ、アルヴィノ殿下は、それを『冗費』と切り捨てられました」
「『冗費』、ですか。見下げ果てた、人間のくずですね」
「ユマさん……それは、言葉が過ぎます」
ユイナは由真をたしなめた――のかと思って顔を上げたそのとき――
「カンシアの貴族は、そういう方ばかりです。それに、彼らを『人間のくず』と呼ぶのは……『人間』に対する『冒涜』です」
――この温厚な女神官が、ここまでの毒を口の端に上らせる。その手に握られた錫杖が震えて音を立てている。
「教育もせず、ただ盲従させて、好きに使い捨てられるようにする。それって、ゴブリン並ですよね。ホブほどの戦闘力の持ち合わせもない訳でしょうし」
由真は、そんな言葉を返していた。
ユイナの代弁になっているかどうかはわからない。それでも、カンシアを食い物にする「貴族」という名の「魔物」たちへの憤りを、言葉にせずにはいられない。
「ええ、本当に……見下げ果てた、方たちです」
そう口にするユイナの錫杖は、細かく震え続けていた。
社会が近代化されたとき、「冒険者ギルド」はどうなるのか。
作者なりの一つの考えを反映してみました。
後半は学校制度。
「住人」扱いされていた由真ちゃん以上に、「住人の孤児」だったユイナさんにとって、琴線(あるいは逆鱗)に触れるお話です。
なお、王都から5000キロ離れた場所だからこそ言える台詞でもあります。