106. 大草原の長い旅 (3) 建国の地の羊肉
大草原からは、未だ脱出できていません。
車窓は相変わらずの草原が続く。
11時半頃に、列車はアナウンスもなく停車し、10分ほどで発車した。
30分ほどして、昼食が配膳される。配られた皿の上に並んでいたのは――
「これは……餃子?」
「みたい……中身は羊かな?」
衛の言葉に、由真もとりあえず応える。
「これは、コストハリといって、小麦をこねて伸ばした皮に、羊肉と野菜をくるんで炒めたものです。あの、パクマトという、アスマ料理で使う包む皮がミノーディアに伝わって、こちら向けに変化したものなんです」
そうユイナは解説した。食べてみると――普通に「餃子」だった。おそらく「パクマト」が「餃子の皮」なのだろう。
相変わらず草原が続いた車窓は、午後4時を回る頃になり、ちらほらと天幕が現れた。
徐々に天幕が増えてから、今度は家並みが現れる。
「あと10分ほどでオルヴィニアに到着いたします。お出口は右側です。トネリア線、ノルディスタ行急行『トネリア』は、明日9時の発車となります」
午後4時半になって、そんなアナウンスが流れた。
「オルヴィニアは、ノーディア王国建国当初の都で、初代のオルヴィノ大帝にちなんでいます」
「……大帝?」
ユイナの説明に、衛が首をかしげる。
「ああ、オルヴィノ大帝の説明もしなかったのは、ちょっとまずかったですね」
彼の反応を見て、ユイナは苦笑する。
ベルシア神殿は、彼ら召喚者たちの「初期教育」に当たって、「歴史」を一切教えなかった。
その理由は、ノーディア王国の「恥部」に触れられたくないため、というものだった。
「オルヴィノ大帝は、このミノーディアの国王に推戴されて、東西に遠征して、西はナロペアの諸国を制圧し、東はアスマの入り口になるシナニアを獲得して、広大な版図を築かれた方です」
ノーディア王国を「モンゴル帝国」にたとえるなら、「チンギス・ハン」に相当する人物。それが「オルヴィノ大帝」だった。
――という「歴史」について、由真はベルシア神殿の書庫から本を借りて一通り把握していた。
車窓が町並みとなり、左手から伸びてきた単線の線路が横に並ぶ。
午後4時40分に、列車はオルヴィニア駅に到着した。
ホームは、通路側にある島式1面2線のみ。
その代わり、左手には目算5本の側線があり、貨車の入れ替えが行われている。
有蓋貨車の中に、ホッパ車やタンク車も混じっていた。
「この先に、鉱山でもあるんですか?」
由真は、ユイナに向けて問いかけてみる。
「よくわかりますね。ここから伸びてるトネリア線は、トネリア辺境州の鉱山から、鉄、銅、あと石灰とかも運ぶのに使います。逆に、鉱山の方で使うための魔法油とか、あと食料もライ麦粉とかを送ったりしますね」
「トネリア辺境州、って、確か……」
「この大陸の北の方、ミノーディアの遊牧民には住めない極寒の地です」
そんな説明も、最初の段階で受けていた。
午後5時に、列車はオルヴィニアから発車した。車窓は再び草原になり、夏の日が徐々に傾いてくる。
午後7時過ぎに夕食が配られる。
骨付きの羊肉がメインで、それに焼きそば「ソルパ・グリルタ」がついてきた。
「ミノーディアでは、メインの羊肉は骨付きで出す習わしがあるんです。ちなみにこれは、マントラ・ホグルタといって、羊肉を蒸したものです」
そう解説しつつ、ユイナはカトラリーで器用に肉を骨から切り離す。
「これ、食べにくくない?」
ウィンタは――ユイナとは対照的に――骨付きの肉を捕まえられずに悪戦苦闘していた。
「手で摘まんでもいいんですよ。そのためにお手ふきもついてますし。むしろ、ミノーディアの伝統文化だと、骨付きのお肉は手で食べるものですね」
「そうなんだ。それなら……んっ……」
ウィンタは、骨を手で摘まみ、そのままかじりついた。
「んんっ、これ、おいしい! ……あたしは、ユイナさんみたく上品には食べられないし、こっちの方がいいわ」
喜色満面で言うウィンタ。その食べ方は――「冒険者」らしい、と由真は思う。
「それじゃ、俺も……」
それを見て、衛も箸やカトラリーをあきらめて、手で摘まんで食べる。
「ユマさんは、お箸でお肉分けるんですね」
ユイナが指摘してきた。
他ならぬ由真は、骨の一端を左手の人差し指で押さえつつ、箸で骨から肉を除いていた。
「あ、ええ、まあ。この方が、慣れてますから」
「って、ユマちゃん、なんでそんな器用なの?」
ウィンタが問いかけてきた。
「えっと、うちは、父親が、医者で衛生に神経質なので、食事の手づかみは最低限にするようにしつけられたんですよ。あと、祖父が、『山で食うときはできるだけ手袋を外すな』って言って……」
包み隠すことでもないので、由真は率直に話す。
「ユマちゃん、ひょっとして、あっちの貴族のご令嬢だったとか?」
「でも、手袋がどうこう、って、冒険者ですよね? お祖父さんが冒険者で、お父さんは医者。……冒険者の血筋なんですよ、きっと」
ウィンタとユイナがそんなことを言う。
「由真、祖父さん、っていうのは……」
衛までもが、そう問いかけてきた。
「父方の祖父も、医者だよ。ただ、山登りが好きでね。僕は、高い山にしょっちゅう連れてってもらったんだ」
由真はそう答える。
そう。「高い山」には「しょっちゅう連れてってもらった」。
標高3000メートル級の、ガレ場や鎖場もある山に、「登山」というより「登攀」というべき道を通り、「ザイル」を使う「クライミング」の技も教わりながら――
「医者の冒険者! すごいわね!」
「やっぱり、血は争えないんですね」
ウィンタとユイナから帰ってきたのは、そんな言葉だった。
(確かに、あれは『医者の冒険者』、かな……)
山好きが「少々高じた」祖父と、その「教育」。
それを思い返した由真は、何も言えずに苦笑だけ返した。
夕食が撤収され、寝台がセットされる際に、給仕は「飲み物」の入った小さな瓶を渡した。
開けてみると――鼻先がつんと刺激される。
「あ、これは『蒸かし酒』です。強いので、気をつけてくださいね」
瓶を開けて顔をしかめた由真を見て、ユイナはそう注意してきた。
「これ、元はトネリア辺境州のお酒なんです。普通のお酒を蒸かすと、酒精分が先に蒸発してくるので、それを取り出して冷まして水戻しする、というやり方で、ライ麦酒の酒精分を凝縮したものです。ミノーディアは冬は冷えますから、トネリアから導入されてるんです」
――つまりは「蒸留酒」だった。
「これ、飲み過ぎは当然ダメですけど……三日目の夜になると、眠れない人も出てくるので、寝酒ということで、二等以上は無料で出してくれるんです」
由真は、昨夜はあまり眠れず、昼はやはりうとうとしていた。この調子では、今夜も不眠になる可能性が高い。
偉い女神官様に「飲み過ぎ注意」という条件もつけてもらったので、今夜はこの寝酒に頼ることにした。
由真ちゃん令嬢拳士説。
――それはさておき、妙なことを仕込んだ「師匠」がここにもいたという話です。
この辺の食事は、モンゴル料理(としてウィキ(ry)を参考にしています。
ちなみに作者は、遊牧民の食事の実物というものは、かなり昔にウィグルで一度食べたことがあるだけです。後は全て妄想()で描きました。