104. 大草原の長い旅 (1) 食事は遊牧民風
汽車旅が続きます。
「おはようございます。特急『ミノーディア11号』は、現在定刻通りに運行しております。お席の時計はカザリア時間に合わせてございますのでお気をつけください。次の停車駅、アフタマには、カザリア時間の13時ちょうどに到着いたします」
そんなアナウンスが流れる。仕切りに据えられた時計を見ると、8時まであと10分だった。
程なく給仕がやってきて、寝台を撤収してソファに戻し、テーブルを壁から引き出して、そして朝食をおいた。
その朝食は――強いて言えば「太麺の肉焼きそば」だった。添えられているのは、カトラリーではなく「箸」である。
「これは、カザロヴラニというカザリアの主食です。小麦の麺にゆでた羊肉が入ってます。今日は朝晩がこれですね」
ユイナにそう言われて、箸を持ち肉を取って食べてみると――確かに羊肉だった。
こしのある太麺は、羊肉の出汁がしみていて確かな食べ応えがある。
「これ! すっごいおいしい!」
ウィンタが真っ先に叫ぶ。実際、単調なカンシア料理にならされた舌には、この「焼きそば」は極上の美食だった。
「ほんとにおいしいですね。こういうのがあるなら、セントラとかでも出してくれたらいいのに」
「これ、羊肉を使いますから、遊牧民でないと出せないんです。カンシアにとって、羊は毛皮を刈るための貴重な生き物ですから」
由真も言うと、ユイナは苦笑する。
いずれにせよ、カンシアの食生活が貧困なのは確かだろう。
「あと、カザリア料理でごちそうになると、馬肉が出てきますね。特等と一等は、晩ご飯に出るそうです」
そこまでの贅沢を望むつもりはない。
「それから、飲み物は、このアウナラっていう、羊の乳を発酵させて塩気をつけたものです」
そういって、ユイナはコップをかざす。
中には、泡だったミルクのようなものが入っていた。口に含むと、軽い塩気が不思議とさっぱりとして、軽く飲める味わいだった。
「これもおいしいです。アルコールも入ってないですし」
カンシアの飲み物といえば、ワインかエール。どちらもアルコール飲料だった。
「カザロヴラニもアウナラも、ミノーディア線だから出てくるんです。冷やして保存する技術は、カンシアにはありませんから」
「アスマは、氷系統魔法で冷やすのがあるのよね?」
ユイナの言葉に、ウィンタが問いかける。
「ええ。北から南まで、夏は暑くなりますし、南に行くとジメジメしますから、食べ物を冷やすのは不可欠な技術です。氷系統魔法のギフトがある人は大事に育成されますし、優秀な魔法導師が作った氷は、高値で流通します」
「それじゃ、晴美さんなんて、あっちに行ったら大金持ちですか?」
すぐ前方の寝台にいる晴美。彼女は「レベル10」の氷系統魔法を使う。
「ああ、ハルミさんは、大金持ちどころか、氷系統魔法だけでも神様ですね」
そういうことなのだろう。むしろ、氷系統魔法を戦闘用にしか使わないカンシアの方が「遅れている」というべきか。
「他の皆さんのスキルも、あちらに行けば有効活用されますよ、きっと」
穏やかな笑みとともにユイナは言う。由真も、自然とそれに頷いた。
窓外は、背の低い草原が広がる。その流れはゆったりしている。
(これがステップ……なのかな……)
ユイナから教わったこの大陸の地理学の知識によれば、この一体はステップ気候で草原が広がっているという。
地球で実物を見たことのない由真には、それが「ステップ」かどうかはわかりかねた。
変わり映えのしない草原の風景。規則正しい轍の音。自然と眠気が誘われる。
「あと10分ほどでアフタマに到着いたします」
そんなアナウンスで、由真は眠りから引き戻された。窓外は家並みが広がっている。時計を見ると、あと10分で午後1時だった。
「お昼ご飯は、アフタマで積み込まれるので、1時半過ぎになりますね」
目を覚ました由真に、ユイナが言う。
「ここ、草原じゃないんですね」
「アフタマは、カザリア辺境州の州都ですから、人口も、確か70万くらいはいたと思います」
「70万って、オスキアとマリシアとほとんど同じよね」
横から補ったのはウィンタだった。
「ちなみに、オスキアは、セントラの西にある外港、マリシアは、ソアリア海に面した南の港町です。カンシアの第二・第三の都市で、どちらもセントラとはシンカニアで結ばれてますね」
そんな話をしているうちに、列車は減速し、そして駅に停車した。ホームには「アフタマ」という駅名表示が見える。
通路の方に目を向けると、対面のホームのさらに向こう側に貨物列車が停車していた。目につく限り、車両は全て有蓋貨車だった。
「ミノーディア線は、主に貨物列車が走る路線です。ナギナからイトゥニアまでは、この特急でも丸2日半かかりますから」
貨物列車に注目している由真を見て、ユイナは言う。
「これ、もう少し頻繁に走らせたりはしないんですか?」
「しないですね。こちらの『11号』はだいたい満席ですけど、反対の『12号』は半分も埋まりませんから」
「カンシアからアスマに行きたがる人はいっぱいいても、アスマからわざわざカンシアに来るなんて、王都で会議とかなんとかって、そういう人だけよ」
やはり、ユイナの言葉をウィンタが補う。
「10年くらい前までは、そうでもなかったんだけど、今のカンシアは、王都があるってだけで、あとは景気は悪いし治安もひどいから」
そう言われると、由真もそれ以上返事のしようがなかった。
午後1時20分に、列車はアフタマから発車した。窓外の家並みがまばらになる頃に、給仕が昼食を運んできた。
今度は、きつね色の揚げパンと羊肉のシチューの組み合わせだった。
「この揚げパンはロバスキといって、お菓子として食べたり、このソプラというシチューと合わせたりします。3食全部カザロヴラニだと、さすがに飽きが来るので、お昼はこれが出るんです」
ユイナの解説を受けて、早速ロバスキをつまむ。それは、ドーナツというには甘みが控えめだった。
ソプラの方は、カンシアのスープとは比べものにならない濃厚さだった。ここでも、羊肉が出汁に効いているのだろう。
揚げパンに脂ののったスープ。心配になったものの、いざ食べてみると、ソプラがロバスキにちょうどよい味付けになり、意外に食が進む。
飲み物は朝と同じアウナラで、これが口をさっぱりさせてくれるのもよい。
その昼食が片付けられると、ひたすら草原が続く窓外を眺めるしかなくなる。
日も傾いてきた午後6時過ぎに、列車はアナウンスもなく停車した。隣には側線があり、貨物列車が停車している。
10分ほどで発車して、しばらくすると夕食が配られた。
内容は、朝食と同じカザロヴラニとアウナラの組み合わせ。アウナラを飲むとのどごしがさっぱりして、カザロヴラニの羊肉がさらにおいしく感じられた。
「馬乳酒、というのも、注文すれば出ますけど、癖が強くて、合わない人はお腹を壊しますので、注文してません」
ユイナはそう言った。
この世界の「馬乳酒」が地球のそれと同じなら、発酵に使われる乳酸菌の相性の問題もあり、確かに胃腸が変調を来すおそれがある。
この長旅で「腹を壊す」など、想像もしたくない事態だった。
「このアウナラで問題ないです。これなら、毎日でも飽きないですよ」
由真は、率直にそう応えた。
ちなみに、食べ物は「カザフスタン料理」(としてウィキで紹介されていたもの)をモチーフにしています。
カザロヴラニ:「カザクシャ・エト」(「カザフの肉」の意)とも呼ばれるベシバルマック
アウナラ:アイラン(トルコの国民的なヨーグルト系飲料で中央アジア全般で飲まれるそう)
ロバスキ:バウルサク
ソプラ:チョルバ