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103. 一夜明けて

夜行列車の旅は、始まったばかりです。

 夏の日が傾いて、午後6時半頃になり、給仕が夕食を配給に来た。


 内容は、パン、ソーセージ、スープにチーズ、飲み物はやはりエールだった。

 ちなみに、食事は、月曜日の夜にアトリアに到着するまで、1日3回提供されるのだという。


「一応8号車は食堂車ですけど、あちらは三等寝台のお客さんが使いますから」

 ユイナはそう説明した。

「三等寝台って……」

「椅子兼用サイズの三段寝台です。朝になったら中段は自分たちで上にしまって、夜になったら引っ張り下ろす形ですね」

 日本では30年以上前には廃止されたタイプだ。もっとも、欧州では簡易寝台「クシェット」として一応現役のスタイルだが。


 夕食を終えると、給仕がやってきてすぐに食器を片付けてくれた。

 午後7時20分、列車は定刻にイトゥニア駅に到着した。発車は午後8時。40分停車だという。

「イトゥニアは、カンシアの東端、ミセニアの県都です。ここから50キロも進むとミノーディア総州に入ります」

 ということだった。


 列車は、午後8時にイトゥニア駅から発車した。


 直後、給仕がやってきて、寝台のセッティングをする。

 ソファの背もたれ。その下を引っ張ると、上が壁面についたままスライドして、背ずりがそのままベッドになる。

 それで下段寝台はセットされた。

 上段は、椅子の上にあったものが30センチほど下にスライドしてセットされる。


 寝台の間にあったテーブルは、W字型に折りたたまれて、窓の下に格納される。代わりに、窓の両端に据えられた棒がせり出してはしごになった。

 各寝台は、シーツと毛布が整えられ、男性用は詰め襟型、女性用はワンピースの寝間着、光系統魔法道具の水なし簡易シャワー、身繕いに使う歯ブラシ、歯磨き粉、洗面用の手ぬぐいも置かれた。


「明朝8時に設定に参ります。それでは、ごゆっくりお過ごしください」

 そんな言葉を残して、給仕たちは退出した。


「毎回、これなんですか?」

「相応のお値段はしますから」

 由真の問いに、ユイナはそう答えた。寝台の設定と解体のサービス、一日三食の提供。その人件費なども料金に盛り込まれているということだろう。


 寝台もセットされたので、この日は午後10時過ぎには就寝した。

 カーテンを閉ざし、セーラー服を脱いで、ハンディアイロンのような外観の水なし簡易シャワーを体に当てて汗と垢を落として、寝間着に着替えて横たわる。


 ベルシア神殿から王都セントラに入り、国王に拝謁を得た上で、この特急に乗る。

 そんな密度の濃い一日が終わり、ダンジョンもなく魔物もいない列車の中で、由真はすぐに眠りに落ちた。



 翌朝。


 目を覚ました由真は、時計が午前6時を指しているのを見て、そのまま起床した。


 歯ブラシ、歯磨き粉、洗面用の手ぬぐいの身繕い三点セットを手に、由真は洗面台に向かう。

 二つ並んだそれのうち、一つは埋まっていた。


「あ、おはよう、花井さん」

「ん? ああ、おはよう由真ちゃん」

 相手――花井香織は、髪に櫛を通しながら応えた。


「夕べは眠れた?」

「ええ、ぐっすり。由真ちゃんは?」

「僕も、さっきまでぐっすり」

「そう。ここ、人間的な環境よね。こういうの、すごく久しぶり」

 花井香織は、はかなげな微笑を浮かべて言う。


「そういえば、Cの人たちって……」

「神殿のときは大部屋だったけど、トイレタリーはあった。砦に入ってからは二人部屋だったけど、歯も磨けなくてきつかった。まあ、テントに入ったのは、あの夜だけだったから、あれは助かったけど」


 Cクラスとされていた女子6人は、ベルシア神殿の「初期教育」の間は大部屋暮らしを余儀なくされていた。

 由真の待遇は「それ以下」という建前ではあったものの、晴美の「従者」という立場で、晴美の居住区画の一間を借りていたため、むしろ生活環境は恵まれていた。


「女の子に、それは、きつかったよね」

「まあ、由真ちゃんとセレニア先生のおかげで、事務に回してもらったから、そこは助かったけど。でも、やっぱり、トイレタリーがないのは、かなり堪えたかな」

「あの砦、歯ブラシもおいてなかったの?」

 相手がしきりにトイレタリーのことを口にするので、由真はそう尋ねた。


「そう。朝だけ使える水で口をゆすぐだけ。あれはきつかった。由真ちゃんは……」

「『曙の団』は、メンバーの歯ブラシくらいは用意してたよ」


 ――砦から追い出されて、「曙の団」の天幕に居候していた由真。その生活環境も、実は恵まれていたのかもしれない。


「なんだか、贅沢が言えない気分になって、ほんとに嫌だったけど……欲を言えば、歯磨き粉が粉なのは勘弁してほしいかな」

 花井香織に言われて、由真もふと気づいた。

 この世界の歯磨きは「粉」を使う。文明の程度が遅れていればそんなものか、と簡単に受け入れていたものの、確かに「練り歯磨き」の方がありがたい。


「練り歯磨き、って、確か19世紀の発明だけど、……こんな夜行列車とかがあるなら、そのくらいあってもいいよね」

「まあ、列車は……こうして、あそこから脱出するのに使わせてもらってるから、これはありがたいけど。それに、歯ブラシも歯磨き粉も備え付けだし」

「その櫛は?」

「割り当てのお金を工面して買ったの。プラスチックの安物とかもないから、結構したけど」

 そう言いながら、花井香織は胸元まで伸びたロングヘアを手入れする。


「アスマに行けばあるかもしれないし、ないようなら、いっそ作って売っちゃうとか?」

「まあ、あればそれでいいんだけど」

 相手の言葉に、由真は、そうだね、と応えて、そして自らも歯を磨き始める。


(ないようなら、作って売っちゃう……か……)


 自らが口にしたその言葉が、由真の心に深く残った。

美亜&愛香以外のC3班女子。彼女たちにも、当然苦労はあった訳です。

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