何やら儀式の最中ですか? 触手なんてノーサンキュー。
食料を運んだところから逃げ出した盗賊の一人は、森の切れ目へと逃れてきた。
そこは断崖絶壁であり、三メートルほどの歪な半円をした洞窟の入り口がある。
「ん? なんでお前一人なんだ?」
入り口の脇に立つ男が声をかけた。盗賊の一味で見張り役だ。
「デボエたちが襲われた。えらく強えガキンチョがいてよ」
「町の連中が反撃してきたってのかよ。デボエたちはどうした?」
「俺は途中でこっちへ知らせに来たからわからねえ。けどたぶん……」
全員が取り押さえられているだろう。それほどに圧倒的な強さを白髪で褐色肌の子どもは持っていた。
「ともかく、ライモンの旦那に知らせねえと」
見張り役の男は逃げてきた男とともに、洞窟の奥へと進んだ。
洞窟内は点々と燭台の灯りに照らされていたが薄暗く、足元に注意しなければつまずいてしまうほど。
ようやく一番奥にたどり着くと、そこには数名の仲間の他に、毎日一人ずつ連れてきた町の女たちが足枷を嵌められ寄り添うように座っていた。
「ライモンさん、やべえことになったぜ」
逃げてきた盗賊が歩み寄ったところには、壁面に巨大な魔法陣が薄ぼんやりと浮かび上がっていた。
そこに向かって熱心に呪文を唱えていたローブ姿の男が、詠唱を中断して振り返る。
頬のこけた青年だ。メガネの奥の糸目が話しかけてきた男を冷ややかに見つめた。
「町の住民が暴れでもしましたか?」
かすれた声の主の名はライモン。デボラの仲間であり、魔導士でもある。
「ああ、飯を運んできたとこで妙なガキンチョが現れてな。俺らの仲間を猫の子蹴っ飛ばすみてえに倒しちまった。俺は途中で逃げてきたんだが、たぶんデボラさんも……」
「ふむ。跡は付けられていないのですか?」
「そこは警戒したさ。抜かりはねえ」
ライモンは顎に手を添え、思考を巡らせた。
(王都から調査のため何者かが訪れたのでしょうか?)
宿場町に訪れた旅人が追い返されたのを不審に思い、王都で報告したのかもしれない。だが国王軍がやってきたとしても、『不審』なだけなら少数だろう。
デボラや盗賊の数名を倒すとなれば手練れに違いないが、子ども一人というのが引っかかった。
(どのみち我らの存在が露見したなら時間はありません。儀式は最終段階ですし、この場にいる者たちだけでもギリギリ足ります)
ライモンはちらりと女たちを見た。
時間稼ぎのために一人ずつ捧げる体にしていたが、彼女たちを生贄にする予定はなかった。あれこれ理由をつけて盗賊たちにも手をつけさせなかったのは、儀式が終わったあとに自分が楽しむためだ。
生贄は、頭の緩い我欲に塗れた盗賊たちで事足りたのだが、致し方ない。
(ま、女など後でいくらでも攫えますね)
この地に眠る古の魔獣の力を得れば、国を滅ぼすこともできるのだ。
「儀式を早めましょう。皆さんは女たちの側に集まってください」
「仲間を見捨てるのかよ?」
「まさか。儀式を終えたらすぐに救出に向かいます。大丈夫。策はありますから、安心してください」
嘘を並べ立て、壁面の魔法陣に向き直る。
この期に及んではライモンの言葉を信じる以外にない盗賊たちが、言いつけ通りに女たちのところへ向かう足音を聞きながら、呪文を再開した、そのときだ。
「な、なんだテメエは!?」
「いつの間に入りやがった!?」
「ぐわっ!」
「げぼぉっ!」
肉を殴打する音も交じる。ライモンが振り返ると、そこには――。
「ここがアジトで間違いなさそうだな。そしてお前が〝魔王〟を騙り町の人たちを脅していた首謀者か」
男とも女とも見える、黒髪の子どもが盗賊たちを殴り倒していた――。
この少し前。
ユウキは遥か上空から食料を乗せた荷車を眺めていた。
打ち合わせ通りにルシフェが飛び出し、盗賊たちの一味をバッタバッタと薙ぎ倒している。
やがて一人が逃げ出した。
それを上から目視で追跡し、洞窟へ入っていったのを確認してその後を追う。
会話から何かしら忌まわしい儀式の最中だったのには驚いたが、やることは変わらない。
ローブ姿の青年以外を沈黙させ、囚われた女性たちの足枷を殴って砕いた。
「皆さんを迎えに来ました。私と一緒にここを出ましょう」
安堵に涙する女性たちから視線を移し、首謀者の青年を見据える。
「ライモンといったな。お前は両手を頭の後ろに回し、私たちの前を歩いて洞窟を出ろ。妙な動きをすれば殴る。手加減はするがけっこう痛いぞ?」
ただの子どもと侮れない。たった今、不意打ちとはいえ屈強な盗賊たちをあっという間に倒してみせたのだ。
「貴様は……何者ですか?」
「質問は後で受け付ける。早くしろ」
話す間に倒された盗賊たちが目を覚ませば、との目論見は見透かされているようだ。
(もはや、これまでですね……)
ライモンは静かに目を閉じ、頭の後ろに手を回――そうとして、タンと後方へ跳んだ。上げかけた手を壁に浮かんだ魔法陣に添えるや、
「そのおぞましき力を、我に与えよ!」
儀式に必要な呪文の残りをすっ飛ばし、魔法陣を起動させた。
まばゆいばかりの光が洞窟内を照らす。
「はははははっ! 完全なる移譲とはいきませんが、一国を亡ぼすほどの膨大なる力の大部分が私のものだ! さあ、生贄は用意してあります。彼らを食らって私に――ぇ?」
魔法陣は光を発しながらも、その中央からどす黒い影に浸食されていく。黒い影はわずかに壁面から盛り上がり、ライモンの手を包みこんだ。
「いや、ちょ、何をしているのです? わた、私じゃない! 私は生贄ではない!」
手首から先が完全に黒い何かに囚われ、ライモンは壁面――魔法陣に引きずり込まれていく。
「だから違う! 私ではなくあっちのぉ!? ぐぎゃぁ!!」
がしっと沈みゆく腕の側の肩がつかまれる。ものすごい力で引っ張られ、無理やりに引き抜かれた。そのままぽーんと体ごと放られた。
「は? ぇ……?」
ライモンが混乱しながらユウキを見る。
ユウキは彼に一瞥もくれず、魔法陣を睨みつけていた。
(あの男を助ける義理はない。しかし……)
アレに取りこまれれば、何かよくないことが起きると直感した。
「行け! お前たちも起きて逃げるんだ」
ユウキは気絶した盗賊たちの頬を叩いて起こしていく。何がなんだかわからないながらも、魔法陣から伸びてきた黒い触手のような影に怯え、一目散に洞窟の出口へ走った。
「はっ!」
ユウキは闘気をぶつけて触手じみた影を弾き飛ばす。しかし飛散した一部は魔法陣に戻り、そこからまたうねうねと黒い影が伸びてきた。
「みなさんもこちらへ。私が守りますから、慌てずに」
捕らわれていた女性たちは固まって歩き出す。気持ち速足だが、足元が悪くつまずきそうになった。
触手じみた影は壁から数メートルの範囲までしか伸ばせないらしく、うにょうにょと何かを探すように蠢いている。
それでも警戒しつつ、どうにか洞窟の外へ逃れてみたら。
「なんじゃ男ユウキよ。オマエにしては詰めが甘いのう」
ルシフェがによによしていた。
「見よ、出てきた端から悪者どもを捕らえたワシの手際の良さ。あ、それは見とらんかったな。でもわかるじゃろ? ぞんぶんに褒めるがよい! 頭とか撫でてもいいじゃよ?」
腕を組んでわっはっはと高笑う彼女の周りには、縄で雑にぐるぐる巻きにされた盗賊たちとライモンが転がっていた。
「ところで洞窟の中から妙な気配を感じるのじゃが? なんかあったの?」
ルシフェが小首を傾げた次の瞬間。
ドドーンッと。
大地が揺れた――。