チクタクの機械
「……ははは。いやぁ申し訳ないカーマッケン殿。お会いして早々、こんなお見苦しい様を見せてしまいまして。」
「……その、ノマ様。こちら新しいお召し物になります。」
「おっと、ありがとうございますフルートちゃん。ですがそれよりも先に、何か拭くものを頂けませんかね。」
来たる南進に備え諸々情報を収集しつつ、今のうちに携行食の作り置きでもと朝も早うから腰を上げて、わたくしノマちゃんデデンと陣取りましたのは鍋のふち。もちろん行軍中の飯マズから解放されたいのは私一人では無いとあって、兵士の皆さん一同揃い、借り上げた道端で以ってじっくりコトコトと脂を煮詰める。
私がつい先日に縁を持った若者の姿を認め、へらりと愛想を振りまいてみせたのはそんな折の話であって、ついでに横着にも二段重ねにした踏み台が牙を剥き、我が身を無情にも鍋底へといざなったのもまた、そんな折の話であった。つまりは注意散漫による自爆である。いやはやなんともお恥ずかしい。
そんな主の見せる残念っぷりに、微妙な顔をされながらも受け取った手拭いでワッシャワッシャと髪を拭い、強情に絡みつく脂に思わず口元をへの字に曲げる。いっそテカったこの身に火でも付けて、全身まるっとご破算にしてやろうかとちょっと思わないでは無かったものの、流石に過ぎた阿呆はドン引き程度で済まされそうもない。大人しく後でお湯を貰おう。
「……まぁ、なんだ。無事で何よりだよ、ノマ君。だが無礼を承知で言わせて貰えば、そこは死んでおくべきなんじゃあないかと思うのだがね? いや、人間としてね?」
「……わたくし生まれつき頑丈なだけが取り柄でして、ならばこれもまた、五色の神のご加護というものなのでしょう。賜物、という奴でございます。はい。」
「しかしだからといって、普通落ちるかね? 鍋に。君も幼児というわけではあるまいに、もう少しこう、危機感とかそういうものが……。」
「カーマッケン殿。」
始まりつつあるお説教の気配を感じ、かざした右手と言の葉で以ってぐいとばかりにそれを留める。確かにご指摘はぐうの音も出ない程にごもっともであるが、一応こちらにもそれ相応の言い分というものがあるのだ。我が身の安全の為に不可欠であったとはいえ、それでも面白半分に人の身をやめてしまったこの私への、ツケが回ってきたとしか言い様の無い主義主張が。
「そうですねえ。例えば貴殿は……、そう、灯りも無しに急な階段を下るとしたら、きっととても慎重になって、そろりそろりと足を踏み出すのではありませんか? 一歩一歩を確かめながら。」
「……それは、まあ、そうだろうね。むしろそうでない者がいるとは思えないが。」
「それは何故でしょうか?」
「何故って……、危険だからに決まっているだろう?」
「何故、危険なのでしょうか?」
「そりゃあ、転びでもしてつまらない怪我を……。ああ。いや、君の言わんとするところがわかったよ。なんというか、その……、すまなかった。」
どうやら早々にして、我が身の事情は察して頂く事が出来たらしい。そうなのである。本来であれば人間である前に生き物として、当然持ち合わせがあったはずの危険に対する忌避感というものを、私は既に風化させてしまって久しいのだ。なにせ煮えても焼けても痛みはなく、微塵に砕けようとも再生復活はお手の物。だから馬鹿もするし阿呆もする。
それは私のちょっとした悲しみであると同時、人様とは違うのだぞという密かな自慢の種でもあった。かくして威勢張りの為に持ち出された心の闇は、氏をはじめとした訪問者一同とついでに巻き込まれた王国兵諸君の心を穿ち、憐憫と薄気味悪さの入り混じった微妙な視線を引き出す事に成功したのだ。成功してしまったのである。いかん、やらかしたわ。
いや、ちょいと下に見られそうになったからといって、考え無しに粋がってみせたのは完全に失敗であった。どうしましょう、この微妙な空気と針のむしろ。誰も幸せになれないんですけど。
「……ふ、ふふふ。わかって頂けたのならば幸いです。ま、とりあえずそれはさておくとして、本日はどのようなご用向きでしょう? まさか、優雅に散歩を為さっていたというわけでもありますまいに。」
「あ、ああ。そうだな、本題に入らせて貰うとしよう。今日は我が国の者が働いてしまった無礼について、詫びをさせて貰いにきたのだよ。こんなさてもつまらない事で、これから共に戦う朋友との関係にヒビを入れてしまうのは御免だからね。」
「なるほど、それについては同感です。殿下が何と仰られるかはわかりませんが、私個人としては歓迎を致しますよ。さっそく取次ぎをさせて頂いても?」
「恩に着る。宜しく頼むよ。」
上手い事を言ってそそくさと話題を逸らし、落とし所を持ち込んでくれた彼を伴って屋内へと足を運ぶ。ついでに持ち場に戻るべきか、それとも私に同行すべきかとウロウロしていたフルートちゃんに一言告げて、再び交通整理の任へ戻って貰う事も忘れない。なお通行止めの立て看板はゴリアテ君である。
正直あまり意味の無い仕事であるが、かといって暇を与えると泣きそうな顔をされるのだから仕方が無い。どうやらあの子なりに周囲に対し、自分のほうが私に頼られているのだという対抗心が有るようなのだ。それ自体は大変にありがたい話であるが、しかし鍋をひっくり返すわ包丁はすっぽ抜けるわで、結局行きついた果てがあの閑職であった。やはり子は黙っていても親に似る。悲しい事に。
それでも駐車係の真似事に就けただけ、どこぞの戦地帰りよりも幾らかマシか。そんな仕様もない事を考えつつも、建付けの悪い扉をぎぃこと開けて、ギシギシと踏み板を軋ませながら階段を昇る。酸化した脂の臭いがここまで届いてしまっているあたり、一応鍋の類は外に出したのであるが、いささか見積もりというものが甘かったらしい。このままこびりついてしまわぬ事を切に祈る。
「ところでノマ君。おもての鍋の群れなんだが、アレは一体何事かね? 干し肉だの芋だのが投げ込まれていたあたり、あんな怪しげな代物でも一応は料理の類とお見受けするが。」
「怪しげな代物とは失敬ですね、あれは戦地用の携行食ですよ。脂で煮込んだ具材をその脂ごと、煮沸した瓶や壷に流し込んでですね、それから開け口を蝋で固めて密封するんです。環境がよろしくないので日持ちの程に過信は出来ませんが、単調な食事に彩が添えられると中々に好評なのですよ。」
「ほとんど脂の塊なのだが……。その、なんだ、君達の食文化にケチをつけるわけでは無いが、私はちょっと遠慮をしたい一品だね。」
「少なくとも先日の夜会で供されていたような、お貴族様の口に入れるものでは無いでしょうね。ですが補給の限られた中にあって、無い物ねだりをしても始まりません。火にかければ汁物になりますし、なんならパンやビスケットに塗ってそのまま食べるなんて人も……、と。着きましたよ。」
鼻を押さえる若者に向け、喉すら通らぬ度を越した飯マズよりは、あんなのでも大分とマシだという話をしつつ、やって参りましたのは宿の最奥。木板一枚の薄っぺらい扉に拳を当てて、コンコンコンと軽く音色を響かせたのち、返ってきた促しの言葉に一つ頷いて取っ手を引っ張る。
続けて一歩を踏み込んだ私に対し、揃って向けられるのは四つの視線。その中央に広げられたのは地図と思しき大きな紙で、どうやら並行して進められていた今後の動向についての話し合いは、まだまだ続いているさなかであったらしい。お疲れ様です。
「すみません、お取込み中に失礼しますよ。こちら、衆国財務局のカーマッケン氏です。今日は先日の一件について、わざわざ謝罪の為にお越し頂いたとかで。」
「む? ……そうか。そちらの事情はお察しする。ご足労をかけたな、カーマッケン殿。」
「ははは。殿下にそうねぎらって頂けたのならば、私もこうして足を運んだ甲斐があったというものです。……着座をさせて頂いても?」
「許可しよう。どうぞ、好きに腰掛けてくれたまえ。」
この場の上席である王女殿下に氏の紹介をして、私も空いた一席を手元に引き寄せてお尻を預ける。しかし彼もこんな貧乏くじを引かされているというに、ちゃっかりと先日面識を持ったばかりのメルカーバ嬢の隣を確保しているあたり、中々に図太い御仁でいらっしゃるらしい。一方の彼女は送られる視線に対し、微妙に鬱陶しそうな目を向けている気がしなくも無いが。
さぁて、ではここからどうしたものか。正直たんとやり返した私に恨みなどは毛頭無いが、援軍に赴いた先で喧嘩を売られたドロシア様が、どの程度根に持ってらっしゃるかは測りかねるところである。立場上今は控えているゼリグとキティーも、おそらく思うところは同じであろう。いま彼女達が相対しているのはカーマッケンという個人では無く、衆国という形無き人格であるのだから。
幸いにして、今のところ一見和やかな風ではある。しかし彼が頭を下げに来たのである以上、立場の強いこちらの方が多勢とあって、ともすれば私刑じみた雰囲気になってしまう事が懸念された。正直胃の弱い私にとって、そんなギスギスは御免である。もうちょっとこう何か、緩衝材として使えそうな話題を振らねば。
「と、ところでですねカーマッケン殿。こうして二度も謝罪に訪れてくれるとは、衆国の方々とは実に律義であらせられるのですね。 ね、ドロシア様?」
「ふん! あんなものを詫びであるとは認めんぞ、私は。確かに高価そうな手土産こそ貰ったがな、肝心の謝辞は取って付けたような代物ではないか。煽りに来たのかと思ったぞ。」
「二度も? いや、そのような話は聞いていないが……。その、殿下。良ければその訪問者が何者であったのかについて、私にお聞かせ願えないだろうか?」
「なんだ、貴公のところでは横の連絡すら碌についていないのか? 軍務局のクラキリンという女だ。あの不躾な小娘共までは連れてこなかったがな。」
あかん。どうやらヨイショに失敗したあげく、きっちり地雷も踏み抜いたようである。実を言えば昨夜も遅く、訪れたクラキリン女史から既に思い切り定型文な謝罪を受け取っていたのであるが、この様子では見事に独断専行であったらしい。しかも当然の如く、あまり褒められたものでは無い形での。
そんな緩衝材として投げ込まれた火種を前に、カーマッケン氏は頭を抱え、ついでドロシア様もそれを嫌味で以って小突き回すこの始末。非常に気まずい。そもそも私が失態を演じたわけでも無いというに、何故にこのような罪悪感を感じなければならんのだろうか。理不尽である。
「ま、まぁまぁまぁ。落ち着いてくださいな姫様。これこの通り、時を刻むという珍しいカラクリを二つも頂いたではありませんか。王国でこんな精緻な品は見た事もありませんし、言葉が不十分であったとはいえ十分に気持ちは伝わりましたよ。ね? ね!?」
「まあ、確かに見た事も無い品ではあるがな。教会の鐘に頼らずとも、礼拝の時間を知る事が出来るのが利点であると言っていたな。正直技術力の面でこうも差をつけられていたというのは、面白くも無い話だが……。」
めげずに仲立ちを試みる私が懐に手を突っ込んで、ジャラリ取り出してみせたのは光沢も眩しい懐中時計。左様、これこそがクラキリン女史が詫びとして置いていった逸品であり、そして私がこの世界で初めて目にした機械工学の産物である。さっき脂まみれになりかけましたが。
目を見張ったのはその精度。なんと私とドロシア様がそれぞれ身に着けた二つの時計、その歯車一個に至るまで寸分の違いも無かったのだ。つまりこれ、職人の手による工芸品というよりも、既に規格化された工業製品に近いのである。うーむ衆国侮りがたし。明らかにこの世界の進歩にそぐわない気がしなくも無いが。
静かに秒針が音を奏でるそれを掲げ、チラリとカーマッケン氏を窺い見る。ほら貴方も早く、これが良い物であると乗ってきてくださいな。とりあえず殿下のご機嫌さえ取れたらなんとかなります。というか私は詫びだの何だのと気にしてませんから、さっさと建設的な話に戻らせて下さい。戻らせろ。
「あ、あの女また勝手な真似を……。と、なんだねノマ君? こ、こら! 妙な物を押し付けないでくれたまえよ!?」
「妙な物? あらま。てっきりこのカラクリ、この国では広く用いられている品であるものとばかり。」
「話から察するに、それがクラキリンの持ち込んだ詫びの品なのだろう? 彼女の子飼いが持つ自称聖剣といい、あれは度々妙な機械仕掛けを作り出すおかしな女でね。君達もあまりまともに取り合わないほうが良いと、そう忠告をさせて頂くよ。」
そう言って伸ばされた腕に、ゆるり押し退けられる小さな時計。なるほど。あの三人娘が操る奇怪な剣、やはり純粋に神術の賜物というわけでは無かったらしい。とはいえ前世の地球ですら、あんな小型軽量で再現できるかは怪しい技術の産物である。おそらくは神を名乗る者達によって、何らかの介入が成された事には相違があるまい。クラキリン。果たして彼女の狙いはどこにあるのか。
そもそもにして彼女、それで無くとも一向にその行動原理が読めない厄介な御仁なのだ。当初こそ私を取り込むを欲したあたり、衆国の一員として蛮族に抗する術を模索しているのだと思っていたが、その割には今一つ一貫性が見えてこない。友好を求めるにしろ使い潰すを目論むにしろ、うわべだけでもへりくだって見せるといった、もっと上手い立ち回り方はあったはずである。目の前にいる彼のように。
それを無能の一言で切って捨てるのは簡単であるが、人様を侮れば大抵待つのはしっぺ返しというのが世の中の常。彼女の動向には今後、十分に注意を払う必要があるだろう。そう、例えばこの時計にだってひょっとしたら、妙な細工でも施されているのやもしれないのだから。スパイ映画よろしく、不意に爆発でもされたら一大事である。
「ふーむ、なるほど。そうと聞いてしまえば無性に気になってきましたね。ドロシア様、念のためにそちらの分も、後で預からせて頂いても?」
「……ん、任せる。さぁてカーマッケン殿。悪いが貴公もあの女も、我々からすれば等しく衆国という括りの中だ。詫びとも呼べぬ訪問に、貴公をもって妙と呼ぶ怪しげなカラクリ仕掛け。この落とし前、一体どうつけてくれたものかな?」
「……ははははは。……殿下の本のご趣味に合わせ、小指の一本で如何ですかな?」
「ぬかせ、茶化すでないわ。」
口ではそう言いつつも捨て身の冗談が気に入ったのか、それとも獲物を追い詰める愉悦が故か、口角を上げてどことなく楽しそうな我らが姫様。とはいえ幾ばくかの収穫はあったものの、これ以上の問答も御免とあって、わたくし交錯する視線の中でおほんと一つ咳払いをして右手を上げる。
正直謝罪だのなんだのよりも、余程に欲しいものが今の私達にはあったりするのだ。それを口に出したいのはキティーとメルカーバ嬢もまた同じであったようで、そっと向けられる視線に対し、私もこくりと頷いて了解の旨を告げる。ちなみにゼリグだけは勘違いをして腰のものに手を伸ばしたあたり、私に対する厚い信頼というものが窺い知れた。いや、そんな年がら年中暴れるだけじゃあありませんって。
「あー、カーマッケン殿。謝意を示してくれるというならですね、一つ代わりに頂きたいものがあるのですが、宜しいでしょうか?」
「……それが殿下にご機嫌を直して頂けるものであって、かつ私に叶えられる範囲であるのなら、なんなりと。」
「ありがとうございます。一言で言わせて貰うとですね、我々は情報が欲しいのですよ。貴方の御父上方は我々を使い潰す気であらせられるのか、現在の勢力図や前線の情報について、さっぱりと共有を頂けていないものでして。」
「……私は財務局の者だ。管轄外だと答えたならば?」
「貴方は唯一、私の戦略的価値を見込んで接触を謀ったきたお人です。きっと今もこの国難を乗り越える為に、如何にして私を利用するかを考えていらっしゃるのでしょう? そんな貴方が状況を把握していないとは思えません。」
「…………知ったような口を利くのだね。」
「入れ知恵ですよ。大変ありがたいことに、私の周りには頭の良く回る方が多くいらっしゃるものでしてね。さ、どうぞお手を、カーマッケン殿。貴方の画策、乗ってさしあげようじゃあありませんか。」
相手の苦しい立場を利用し、己の望むところを成す。きっと私はドロシア様に負けないくらい、さぞや悪い顔をしていたのだろう。彼は私の問うた是非について、そこに裏がある可能性を考えてかしばし迷った風であったものの、やがて腹を括ったのか提案を呑んだ。虎穴に入らざればなんとやら。自分で言うのもなんであるが、彼も良い買い物をしたものである。
王女殿下も面子と実利の天秤は心得たものであったらしく、そこからは先に私が望んだとおり、建設的なやり取りに終始する事が出来たのは幸いであった。と、同時に彼の話を聞くだにおいて、想像以上に状況がひっ迫している事を、私達はまざまざと思い知る事になったのである。うぉいちょっと、やっぱり夜会になんて、興じている場合じゃあ無かったんじゃあないですか。
なんせ既に国力へ打撃を与えるなんぞと目論んでいる場合ではなく、現状は放っておけば衆国滅亡すら危ぶまれるのだ。首都が壊滅し統治機関が機能停止、おまけにあの蟻の如き蛮族達が我が物顔で闊歩すると来た日には、この広大な国土に住む人々が庇護を求め、移動を始めるであろう事は間違いない。南北を蛮族に挟まれたうえに東は海。とくれば必然にして、行き着く先は私たち西の小国である。
勿論のこと、そんな惨事になっては母国を問わず、私達全員にとって溜まったものでは無い。そう思ったのは当然私だけでは無かったらしく、私という爆弾を如何に投射するかの密談は侃々諤々と長く続き、とっぷりと時間をかけられたそれは、ついには日が暮れて黒い鳥が鳴き始めるまでに至ったのであった。
チクタクと時を刻む、この地に似つかわしくない精緻なる機械を首から下げて、懐の中に抱いたままに。
いま思うと土地が広大である事を演出する為に、首都に至るまでに何かイベントでも用意しておいたほうが良かった気もします。とはいえどうしても冗長な感じが拭えなくて、良いエピソードが思いつかなかったのですが。
次回からいよいよ南下を始めます。




