謎の王国軍
クラキリンを嫌う者は少なくない。無論この私、カーマッケン・バローレ・フットマンもまた、その少なくない中の一人である。というか今まさに、あの女の部下がやらかした不始末の尻拭いの為、こうしてわざわざ外区へと足を運ぶ破目になっているのだ。反感の一つも覚えようというものである。
事の始まりは昨夜も遅く。王国の聖女に食って掛かった軍務局の三馬鹿娘を諫めようと、渾身の口説き落としを敢行した私は見事にのされ、それを介抱してくれた同国の騎士団長殿に、運命的な出会いを感じていた。そんな折の話であった。
せっかくたおやかなる女性の膝枕に感極まっていたというに、それを引き裂く我が父に呼び出されて別室へと向かってみれば、そこで待っていたのはご老人方の厳めしい面構え。そのあまりの落差に辟易とする私に向かい、彼らはこう命を下したのである。明日陽が高くならぬうちに、衆国を代表して今回の一件の詫びに向かってくれないかと。
一応形の上では依頼であるが、私のような若造にそれを断るのは難しい。そう見られていたのだろう。だが私はその横暴に対し、毅然と反論をしてみせた。当然である。何せ筋違いも甚だしい。詫びならばあの女の上席である、軍務卿自らが向かわれるのが道理ではないか。何故に無関係の、いやむしろ被害者の側であるこの私が、そのような恥を忍ばねばならないのか。
私はその当人であるご老人の苦々しい顔に向かい、ひとしきりそれを訴えてみせた。そして言うだけの事を言って鬱憤を晴らし、最後には折れて命令を飲んだ。父の口添えもそこに至るまでの一助ではあったものの、本当は私にもわかっていたのだ。我が国に格で劣る王国に対し、閣僚自らが出向いて頭を下げるわけにはいかないのだと。
そこを考えてみれば、今の衆国を成すかつての六王家の末裔であり、現財務卿の一子でもある私の首は詫びとして差し出すに、実に塩梅の良い立場であったと認めざるを得ないだろう。ちなみにあの女自身に詫びさせようという意見は当然の如く、誰からも発せられる事は無いままに話は終わった。下手にあの女を動かせば今度は何をしでかしてくれたものか、到底わかったものでは無いからである。
あの女、クラキリン。家名すら持たない生まれ不確かな身でありながら、慇懃無礼にして傲岸不遜。そんな女が未だ失脚もせず、この中央でのさばっているのにはそれ相応の理由がある。なにせあの女はどこにでも目と耳を持っているようで、人に知られたくない話であれば汚職から家庭の不和に至るまで、誰のどのような情報であろうともその手中に収めているのだ。
地位と権力のある身の上にあって、なお清廉潔白に生きるというのは難しい。我がフットマン家もその御多分に漏れず、叩いて出る埃は一つや二つで済むものでは無いのである。よってあの女と正面から敵対するというわけには到底いかず、中央の如何なる派閥であろうとも互いに駆け引きを行うにあたり、その顔色を窺う事は必須となる。そんな厄介極まる女であった。
そのような状況が続けば当然の事、彼女を秘密裏に排除しようと目論む動きは活発になる。特にその有用性を見い出して引き上げた当人である、軍務卿からしてみれば飼い犬に手を噛まれたも同然であり、さぞや苦い思いをしていたであろう事は想像に難くない。勿論関係性を示す証拠などは出なかったものの、白昼堂々と暗殺者が送り込まれる事すらあったという。
私が伝え聞くだけでもそのような暗闘は三度に渡って繰り返され、そしてそのいずれにおいても彼女がどこからか調達した私兵である、少女十字軍を名乗る娘達によって返り討ちにされた。その後に水面下でどのような動きがあったのか、それを私に知る由は無いが、ともあれ軍務卿は以来すっかりと覇気を失ってしまい、あの女は依然として野放しのままというわけである。
内心で一つ溜息を吐き、すれ違うご婦人方に愛想を振りまきながら、引き連れた護衛と共に王国軍が滞在するという宿へ向かう。まあいい。あの女のことは気に入らないが、今となっては些細な話だ。目下の難題は南方から迫る蛮族にどう抗するかであり、その鍵を握るであろう王国の聖女と再びに接触の機会を持てた事は、考えようによっては幸運であった。
この難題の厄介なところは既に戦端が開かれて久しいというに、未だその終わらせ方を見い出す事が出来ないという点にある。連中、南方蛮族ソシアル共は、交渉の席を持とうとしない。捕虜を取らず、要求すら主張せず、ただひたすらに我が国の領土を侵し、北へ北へと攻め昇ってくるのである。
当初こそ私を含め、南の虫けら如きと楽観視する者が大半であった。しかし連中の侵攻を阻止する事は出来ず、南部三州との連絡が途絶え、穀倉地帯の失陥が明らかなものとなるに至り、ようやくに私はその脅威を思い知ったのだ。もはや我が国単独での勝利は叶う余地も無く、どう敗北するのかを考えなければならない。そんな窮地にまで追い込まれてしまったのだと。
しかし送り込んだ使者は悉く消息を絶ち、負けるにしてもその妥協点を探る事さえままならない。おまけに南部に領地を持っていた衆国首脳陣の約半数は、あくまで徹底抗戦を主張して憚らないのである。足並みは揃わず、状況は日増しに悪くなっていき、そうでありながら今なお互いの家格だのと、私達は危機感に欠けた優位の奪い合いに執心している。我が事ながら、全く以ってお笑い草ではないか。
そんな八方塞がりの最中にあって、私が見出した起死回生の一手となるやも知れぬ存在。それが昨今遠く王国において名を揚げつつあった、件の若き聖女である。曰く、はぐれの化け物を単独で打ち滅ぼした。曰く、北方蛮族との争いにおいて、これに介入した化け物を撃退した。曰く、王城を襲った魔人なる存在を退けてみせた。正直に言えばどれもこれも、とんだ流言飛語も良い所ではあった。
だがその一方で、昨年立て続けに王国を襲ったそれらの脅威を、かの国が独力で跳ね除けてみせた事は間違いない。ましてやそのノマという娘を担ぎ始めてからというもの、王国は我が国に迎合するばかりであった外交方針を、明らかに攻めの姿勢へと転じるようになったのだ。
これらは到底無視する事の出来ない事実であり、そしてそうである以上はこの情報を、ただの宣伝工作に過ぎないと断じてしまうのは早計であった。例えどれだけ胡散臭かろうとも、その娘は一国が縋り、命運を託すだけの何かを秘めているのである。それを我が国の手駒とする事が出来たのならば、あるいはこの状況を打開する事もまた、可能なのではないだろうか。
さて、問題はその異国の聖女様を如何にして我が国の難題に巻き込み、遠く南の最前線へとはるばるお越し頂くかという点にある。寒波に閉じ込められ戦線が膠着した冬の間、皮肉にも考える時間だけは持て余す程にあったものの、どうにも妙案というものが浮かんでこない。
そもそもにして私の見積もりが正しいのであれば、その娘は王国にとって奥の手とも言える存在なのだ。大国の矜持を捨てて助勢を乞うまでは出来たとしても、かの国が他国の為に、そう易々と切り札を切ってくれるとは思えない。同じ人族国家という縦深を持つ事が出来ているうちに、最大戦力を投入して共通の敵を撃退する。王国に対し、そのような先見の明を期待する他に打つ手は無かった。
転機が訪れたのは冬も終わり、王国へ続く西方交易路が雪解けを迎えた頃の話である。外務局が先走り、国内で碌な調整も為されないままに行われた先の交渉において、彼らはかの聖女を戦地に引きずり出すという成果を挙げてみせたのだ。実のところ援軍の要請そのものを断られる想定もあっただけに、こうも順風満帆に事が進んでくれるとは僥倖であった。
王国から引き出す事の出来た戦力は僅かに三百。そこだけを聞けば要請に応えたという実績を作る為だけの派兵であるが、しかしこれを率いるのがドロシア姫となれば話は別である。つまりかの国は自身が担ぎ上げたその娘に対し、王族の命を預けられるだけの信頼を置いているのだ。少ない戦力は国力の都合もあるのだろうが、一方ではそれで必要にして十分であるという、自信の表れでもあるのだろう。
やはり私の見立てに狂いは無かった。あとはその娘を抱き込んで我がフットマン家がこの窮地を脱する為の、都合の良い手駒とする事が出来たのならば申し分ない。そして最初の報せを受け取ってからおよそ半月、待ちに待った王国軍到着の一報を受けた私は野心を胸に、喜び勇んでその歓迎の席へと足を踏み入れたのだ。喜び勇んで、足を踏み入れたはずだったのだ。
で、その後に巻き起こった混乱の末が、私に押し付けられたこの謝罪行である。いやもう、思い出すに散々であった。なにせ噂の聖女ときたら幼い癖に妙に口が達者であるし、クラキリン配下の三馬鹿はそんな彼女に真っ向から喧嘩を売るし、あげく双方奇妙な術を駆使しての人外大乱闘が始まったとくれば、とばっちりを受けた私が寝たふりを続けたのも当然というものだろう。巻き込まれては堪らない。
しかしそれでも直接に言葉を交わす機会を得、私はそのノマという少女が言葉を解し、道理を弁えた存在であると知ることが出来た。揮う力はまさに怪物であるとしか言い様が無いが、かといって御する事の出来ぬ獣というわけでは無いのである。ならば事実王国がそれを成し遂げているように、彼女を自在に操るすべは存在するはずなのだ。いま再びに巡ってきた好機、物にしてみせねばなるまい。
長々と心中で独白を続けるうちに、気づけば随分と歩調が速まってしまっていたらしい。自らの踵が路面を叩く硬い音が、まるで当たり散らしているかのように感じられる。焦っているのだろう。護衛を務める部下達の手前、それが少々ばかり気恥ずかしい。
一つかぶりを振って通りの先を見やってみれば、その先に鎮座しているのは王国軍が連れてきたという巨大なトカゲ。ドロシア姫はそれを竜であると喧伝していたと聞くが、翼を持たぬそれが本当に竜であるのかといえば眉唾物である。とはいえ見上げる程の巨体を侮れるわけは勿論無く、その存在は件の聖女と並び、昨今王国が遂げた不気味な躍進を象徴するものであると言えるだろう。
私はそんな得体の知れぬ連中の腹の中に、今まさに飛び込もうとしているのだ。そりゃあ手に汗も握ろうというものである。立ち止まって唾を飲み、周囲に気取られぬようそっと、外衣に手の平を擦り付けて汗を拭う。さぁて。では行くとしようじゃないか、諸君。慎ましくね。
「待て。この通りは我が主、ノマ様の命により封鎖されている。先に用があるのなら迂回するがいい。」
「……いや、私が訪ねたいのはそのノマ嬢でね? というか我が国の公道を、勝手に占拠するような真似をされては困るのだがね?」
「知らん。そんなものは私の知るところでは無い。それにこの国の役人の許可は取っていると、もこもこからはそう話を聞いている。」
「…………そうか。それは失礼をした、お美しいお嬢さん。」
もこもこって誰だよ!? という心の叫びをどうにか飲み込み、早速に浴びせられた王国軍の洗礼に対し、虚勢で以って対抗する。目の前には天下の往来をドシンと塞ぎ、腹這いで寝そべる小山の如き大トカゲ。その顔に背を預けながら私を呼び止めるのは、頭巾で顔を覆い隠した怪しい女で、薄布一枚越しに感じられる重圧がこの女もまた、常人の域に無い存在である事を教えてくれていた。
調査によればその実態は不明ながら、聖女ノマには付き従う複数の使徒がいるのだという。口振りから言ってこの女はその、怪物聖女さま配下の一人ということになるのだろう。城攻めをするならばまず掘りから埋めたいところではあるが、残念ながらこうも不愛想では口説き落とす隙も無さそうか。惜しいな。僅かに覗き見える形の良い唇から言って、さぞや美人であるだろうに。
「……こほん。それで、だ。私は衆国の代表として、君の主であるノマ嬢に面会を求めたいのだが……えー……。」
「踊るフルート吹きだ。長いのならば構わん、フルートと呼べ。」
「ありがとう、フルート君。ノマ嬢にはカーマッケンが先日の詫びに来たと伝えて貰えれば、おそらくはすぐに話が通るはずだ。どうか取り次ぎをお願い出来るかな?」
言葉を発すると同時に軽く右の手を掲げ、周囲に控えていろと合図を出す。これといって肩書を持つわけでもないただの取り次ぎ役の女に対し、私がこうも下手に出ることに不快感を示す者もいるだろう。それに対しての先手である。これでもそこそこに腕は立つ。ノマ嬢の存在を抜きにしても、この女と迂闊に事を交えれば碌な目に遭わないであろう事くらい、容易に想像のつくところであった。
っていうかアレだ。クラキリン達といい王国の連中といい、何故に私の出会う見目麗しき女性はその悉くがこんな、危険物ばかりであるのだろうか。ああ、我が愛しのメルカーバ卿よ。どうか私の胃が潰れる前にもう一度だけ、貴女の優しさに包まれてありたい。正直しんどい。
「ほう。昨夜に御方へ無礼を働いた者がいると聞いてはいたが、それを土下座して詫びたいとは殊勝な心掛けだ。気に入ったぞカーマッケンとやら。この踊るフルート吹きが望みどおり、貴様を我が主へと引き合わせて進ぜようではないか。」
「……そこまでするとは言ってないがね。まぁ私の誠意が伝わるよう、精一杯の努力はさせて頂く所存だよ。」
やれやれ。気難しそうな相手ではあったものの、どうにか門前払いは免れたらしい。いやそもそもにして、ここは公道のど真ん中ではあるのだが。それを勝手に国外の連中に占有させるなどと、許可を出したのはどこの管轄部署であろうか。横の連絡を怠っていたのも気に入らない。今度怒鳴り込んでやろう。
内心そんな決意を固めつつも、ぐぅんと持ち上げられた竜の尻尾をこわごわくぐり、フルート吹きを名乗る女に続いて歩みを進める。左右に立ち並ぶのはいずれも乱雑に建て増しを繰り返された宿の群れで、どうやら王国軍の滞在する通りの一角がそっくりそのまま、何らかの用に供す為に借り上げられているのだと窺い知れた。はたして連中、この外区で何を始めたというのだろうか。
一歩、また一歩と足を踏み入れるにつれて、古くなった油と肉を焼いた残り香を混ぜ合わせたような、そんななんとも言えない臭いが鼻をつくようになった。獣脂だろうか。見れば通りのそこかしこに鍋が置かれ、火に煽られてぐらぐらと煮えるそれを囲んだ兵達によって、何かしらの作業が行われているようである。実に怪しい。
まさか、王国に伝わる怪しげな儀式などというわけでは勿論あるまい。ロウソクでも作っているのかとも思ったが、わざわざ兵を動員してまでそんな、職人紛いの真似をさせる道理も無いだろう。訝し気に見るうちに干し肉や萎びた野菜が持ち出され、脂の中へ放り込まれたそれに続けて匙が突き立てられて、ぐるりぐるりと掻き回される。そんな脂ぎった熱気の中に、私が探し求める彼女はいた。
どうやらその彼女、ノマ嬢も私達の存在に気付いたらしい。大きな匙を握りながらも片手を揚げてひらひらと振り、にへらと笑ってみせる姿はなんとも年相応で、一見して父親の手伝いをする娘であるかのようにすら思えてしまう。しかしその実態は人外の技を見せた怪物であり、ともすればこのあどけなさも私を欺く為の、偽りの姿に過ぎないのかもしれない。油断するわけにはいかないだろう。
「あらま、カーマッケン殿ではありませんか。フルートちゃんもご苦労様です。今日は来客の多い日ですねえ、こんな朝も早うから何用でしょうか。」
「ノマ様、お取込み中失礼を致します。この者共が自らの矮小を悔い、五体投地にて御方へ詫びを申し上げたいと言うものでして。」
「いや、だからフルート君。私は確かに詫びに来たとは言ったが、何事にも程度というものがあってだね……。」
既にノマ嬢は私に語り掛けてくれてはいたが、それでも自らの主の手前、律義に取次ぎをしてくれようとしたのだろう。フルート吹きを名乗る女が深々と頭を下げ、そして更に悪化した私の詫びざまを言の葉に乗せた事に、すかさず口を挟んで横槍を入れる。まさか真に受けられるような事も無いだろうが、それでもここで否定をしなかった事によって、揚げ足を取られる破目になっても面白くない。
さて、まず懐に入る事には成功した。先日に軽く言葉を交わした印象としては、彼女は早々簡単に言質を取らせてはくれぬものの、物分かりが良く額面通りに言葉を受け取ってくれる素直な性格の少女である。無論、あのとき交わそうとした親交が嘘偽りであったというわけでは無いが、もう少し踏み込んで欲を張ってみせる事もまた、無理筋では無いという手応えがあった。
彼女は愚直であり、基本的に求められた要求に沿おうとしてしまうところがある。加えて強い力を持ちながらも意思決定を嫌い、自らが認める上位者の判断に従おうとする節があるのだ。危険ではあるが扱い易い。この性質を用いて言葉巧みに操ってやれば、あるいは彼女を我が手駒とすることもまた、絵空事では無いはずである。先に感じた予感のとおり、それが偽りの姿で無ければの話であるが。
そんな私の腹積もりを知ってか知らずか、件の聖女は相変わらず人好きのする笑みを浮かべながらも匙を置くと、積み上げた踏み台の上で姿勢を崩して前のめりになり……。
そして、慌てて手を差し伸べた周囲の兵達の甲斐もなく、彼女は煮立った脂を跳ねさせるドボンという音と共に、私の眼前から姿を消してしまったのであった。さぁやってやるぞと気合を入れた、我が野心というものを置き去りにして。
…………え。いやちょっと。その、なんだ。
困るんですけど。
ノマちゃんに裏表を使い分けれるような器用さはありません。




