お砂糖戦争
王国領内を東西に横切る大河がある。いわゆる国際河川というやつで、西の異国から流れ込み東の異国へと流れゆくそれは、古来より水運の要として流域各国へ富をもたらしてきたのだという。あとついでに水害も。
その終着点にあたる下流域一帯を支配する国を衆国と呼び、その国土面積は王国の優に十倍。鉱脈に恵まれ製鉄などの二次産業が盛んな北部に対し、南部では温暖な気候と広大な平野を活かした農業が、と産業の多様性にも隙が無く、まさに自他ともに認める大国である。
すぐ真東にそんな馬鹿でかい国があるのだから、当然我らが王国もその影響からは免れない。というかそもそもにして農業鉱業製造業と、自国で消費するだけの細々とした生産体制しか整っていない我が国である。輸出に回せるような余剰生産物など無いに等しく、香辛料をはじめとした市場で売り買いされる嗜好品のその大半が、彼の国からの輸入品であるというのが実情らしい。
それで何が困るのかって、多くの取引には対価として金銀が用いられている訳なのだから、王国からそれら貴金属類の流出が止まらないのである。おかげで経済的な格差は開く一方とあり、これだけでも頭の痛い話であるというのになお困るのは、その国家成立の過程を起因とする互いの微妙な関係性であった。
以前に王太子様にも伺った話であるが、衆国というのは百年前における帝国崩壊の混乱の中で成立した、比較的に年若い国家であるらしい。帝国という盟主を失った事で放り出されてしまった人族諸国家が再びに結集し、各国の元王族を代表とした一種の議会政治を行う事によって、蛮族に抵抗する為の新たな秩序を築き上げたのだ。
しかし悲しいかな。当時の王国はそんな、国家再編の流れからすっかりと取り残されてしまった。独立を保ったといえば聞こえは良いが、後の立場を思えば結果的に、それは下策であったと言わざるを得ないだろう。おかげで彼の国において王国は『未回収の衆国』呼ばわりをされており、当然の如く領土的野心もバリバリである。近代イタリアかここは。
「……と、まあ、私の知る両国の関係性はそんなところなのですがね、ドロシア様。その大国が王国に対し、出兵を求めてきたというのですか? こんな小国に?」
「ノマ、小国は余計だ。ほれ、要らん一言を口にする暇があるならば、もう一局行くぞ。」
冬の寒さもめっきり和らぎ、暖かい陽射しが降り注ぐようになったお外を日向ぼっこがしたいなあと、恨めし気にひょこりと見やる。王女殿下からちょいと付き合えとお呼びがかかり、彼女の私室で将棋盤の前に座らされたのは、そんなとある日の事であった。
さて、促された事にひょいと肩をすくめつつ、縦横九マスにパチパチと駒を並べ直しますこの将棋盤、別に私が作ったという訳ではない。例の密売組織の方々が商っていた、脱税上等の非合法な交易品の数々たち。元を辿れば押収されたそれらの中に含まれていた、精緻な装飾の施された逸品である。
それがここにある事実からも察せられるとおり、その逸品は珍しいもの大好きなドロシア様の毒牙にかかり、ちゃっかりと懐に収められてしまったのだ。堂々と横領をかますにも程がある。とはいえ異国の遊戯盤であるらしい事はわかったものの、肝心の遊び方がわからないとあって早々に放り出されてしまったそれは、王城を飾る調度品の一つと成り果てていたのであった。
で、たまたまそれを目にしてしまったこの私。おや、将棋盤じゃないですか。などと、迂闊を口にしてしまったのが運の尽き。知っているのなら詳しく教えろと、早速その場で拉致されてしまった私は拙いながら、彼女に将棋なる遊戯の遊び方を伝授して差し上げたのである。まあ駒の動かし方程度のものではあったが。
教師が定跡すら碌に知らぬポンコツであったとはいえ、そこは流石に王族とあって地頭が違う。小一時間も立たぬうちにメキメキと上達してみせた彼女は思うさま、私をボッコボコに叩きのめすと邪悪な笑みと共に将棋盤を小脇に抱え、ドタドタと走り去って行ったものであった。ちょっくら兄上をコケにしてくるわ! と嬉しそうな声を上げるそのお姿を、私が白い目で見送った事は言うまでもない。
まあそれが最終的にどうなったのかと言ってみれば、夕刻には半泣きになった彼女がトボトボと帰ってきたあたり、対局の結果はさもありなん。ともあれ以来、この知的な遊びがお気に入りとなった彼女は集中したいからという名目で付き人を廃し、こうして己の自室にたびたび人を引っ張り込んでは対局を挑んでいるというわけなのだ。
いや話が逸れた。つまるところ何を言いたいのかというと、彼女の戯れはこうしてコソリと密談を交わし合う口実として、実に都合が良いという事である。あ、桂馬取られた。
「貴様も知っているように、衆国は広大な領土を誇る大国だ。そして大国が故に、南北の両端で蛮族共と国境を接しておる。今回連中がなりふり構わず泣きついてきおったのはな、南方における蛮族の大勢力、ソシアル共との戦況が芳しくない故の事らしい。」
「ソシアル、ですか。寡聞にして私はそれがどのような者達であるのかを存じ上げませんが、彼の国がそれほどの圧に晒されるあたり、余程に手強いお相手なので?」
「私も伝聞でしか知らぬがな、なんでも蟻の姿をした蛮人共だそうだ。長らく大陸南端の乾燥地帯を支配していたその連中が、獣人国を瀕死に追いやった例の大干ばつに乗じ、北方へと進出を始めているらしい。手強いかどうかは……まあ、そうなんだろうさ。衆国が私達に兵を出せと、そうせっついてくる程度にはな。」
獣人国と大干ばつ。その言葉に思わずピクリと眉根を上げて、盤面に伸ばそうとした手を止める。久しく情報を仕入れないままでいたが、確か黒猫ちゃん達の出身と思しき南国の名であったか。
キティーの奴が実家から持ち出した品に混じっていたらしい報告書には、続く日照りとそれに伴う食糧不足に堪えかねて多くの国民が流出した旨が記されていた。が、どうやら状況は好転するどころか悪化の一途を辿っていたらしい。ううむなんとも、世は無常なり。
「瀕死の獣人国、ですか。以前に少しばかり書へ目を通した限りですと、随分と悲惨な状況に置かれているようですね。発生した難民も一部は遥々とこの王国にまで辿り着いたようですが、その大半は化け物達の胃袋に収まって消えてしまったのだとか。」
「ふむ、貴様がそれをどこで盗み読んだのかは知らんがな、それは大分と古い情報だ。流れ出た民のうち一定数が命を落とした事は確かだろうが、それでも多くの者は北東に逃れ、衆国南部へと辿り着いてその労働力として収まったらしい。ここ十年での彼の国における、砂糖や綿花の増産具合がその証左よ。ま、それは価格の下落となって、我が国にも恩恵をもたらしてくれたがな。」
「……なんともまぁ、少なくとも十年以上もの昔から、南方における気候の変動は始まっていたという事ですか。私は精々が、ここ数年の話だと思っていたのですがね。で、その異常気象も気掛かりなところではありますが、ドロシア様は此度の衆国からの出兵の申し出、如何なされるおつもりで?」
我が上司へとその意を尋ねつつも香車を握り、パチンと小気味よい音を立てて歩兵を蹴散らす。ようやくに一矢を報いる事が出来たと思ったそれは、しかし神出鬼没に現れた角行によってあっさりと一蹴されて、ただ私の瞳から光を消すだけの結果に終わった。アカン、このままだとまた嬲り殺しにされる。
「……各国の位置関係から言って、既に獣人国の土地は蛮族によって平らげられたと見るべきだろうな。おそらくは王も族滅の憂き目に会ったか、それとも衆国へと亡命したか。いずれにせよ先の事を見据えるならば、我が国とて無関係ではいられんだろう。」
「彼の大国が、王国の防波堤としての役割を果たしてくれているその内に。と、いう事ですね。では近いうちに、再び兵を取り纏めて遠征を?」
「いや、下手に助力として兵を送ったところで、真っ先に最前線で使い潰されるのは目に見えておるわ。それに魔人ノスフェラトゥの名を警戒してか、今は大人しくしている北方の蛮族共への備えもある。送るのならば少数精鋭、特に貴様のような、使い減りしない戦力を有効に扱いたいところだな。」
「……ドロシア様。私が一人で出張って行って、そのソシアル何某の上層部を叩き潰して御覧に入れるという手もございますよ?」
腕を組み、たしたしと二の腕を叩いていた人差し指の動きを止めて、盤面を覗き込む顔をゆるりと上げる。己の発言に多分に自惚れが含まれているという自覚はあったが、しかしその一方で、私にはそれが可能であるという確証も勿論あった。何せこちとら死なず滅びぬ不滅の身体。例え予想外の難敵に出くわそうと、千日手の泥仕合ならばお手のものである。
何よりもこの提案の良いところは、王国の民を一人として危険に晒す事無く、それでいて兵站の負担も発生しないという点にある。それでもかかってしまう経費といえば、精々が私のおやつ代くらいなもの。我ながらまさに、安い、早い、美味いと三拍子揃った良い献策であると自負したいところであるが、さて王女殿下の採点や如何に。
「……中々に魅力的な提案だがな、ノマ。長い目で見れば、それは悪手に他ならん。それほどの常軌を逸した行いを成せる術者がいるとなれば、途端に我が国は衆国にとり、仮想敵国以上の脅威と映ってしまうだろうよ。お前に助けて貰ったそのおかげで、十分な余力を残した彼の国からな。」
「……その場合、考えられるものは私に対する懐柔と引き抜きの工作、それで靡かないようであれば暗殺、といったところですか。しかし高く買って頂ける事を嬉しくは思いますが、私はこれでも中々に義理堅い性格でございますし、まして道理を欠いた行いに屈するつもりもありませんよ。」
「貴様は何があろうと死にはせんだろうがな、巻き込まれるこっちは堪ったもんじゃないわ。恫喝を目的に私達にまで手が及ぶ事は十分に考えられるし、戦を吹っ掛けられて国土を荒らされようものなら目も当てられん。貴様が如何に強かろうと、一人で全ての戦域を押し返せるようなものではあるまい?」
「……自重無しに、先日に北方で放ったような眷属をばら撒きまくったのなら、あるいは何とか。ただし制御しきれずに、其処ら中で暴走を始める可能性は否めませんが。」
「絶対やるな。もしもそんな事してくれようものならそのスカスカの頭、遠慮なしに叩き割るぞ。」
語気も荒く、バシンと私の陣内に叩きつけられた歩兵が成って、ひっくり返って『と』の字を晒す。まあそう仰られるのはごもっとも。先日においても直接的な死者こそ出なかったものの、私がフルートちゃん達の手綱を完全に離してしまった事は、その後の混乱っぷりを聞くに明らかな失策であった。
私としても軽々に同じ過ちを繰り返すようなつもりは無く、それでも一応は手持ちの札の一枚として、上役たる王女殿下に対しそれを示唆してみせたに過ぎないのだ。だからもうちょっと手心を加えて頂きたいというか、もう勘弁してくださいというか……。ああぁ、ついに王将が丸裸に。
「……これは仮の話ですがね、もしも私が一切の倫理性を捨てて振舞うのであれば、衆国から戦争を仕掛けられたとしても私が出向き、指導者層を皆殺しにすれば良い話ではありませんか? 先に提案をさせて頂いた、南方蛮族への一撃と同じように。」
「ではノマ、逆に聞くが私がその凶行を支持したとして、他の人族国家がそのような危険極まりない力を持った我ら王国を、敵視しないとでも思うのか? その先にあるものは人族も蛮族も諸国家全てを敵に回し、ただ狂った狂犬と成り果てる修羅の道ぞ。」
「ドロシア様は大陸に覇を唱え、王国の生存圏拡大をこそ願っているのでしょう? 敵として立ち塞がるのならばその頭ことごとく潰してしまい、一気に併呑をしてしまえばよろしいではありませんか。今や貴方は私という、それを成す事の出来る『暴力』を手中にしておられるのですから。」
無論、私に本気でそのような蛮行を働こうというつもりは無い。しかし事実として、それが実行可能な選択の一つであることは確かなのだ。で、ある以上は今のうちに互いの考えを出し尽くし、双方にそのような凶刃を振るう意思が無い事を確かめておきたいところである。
「それを成した場合、大陸各地で統治者の庇護を失った多くの民草が生じるだろうよ。我ら人は結束し、集団でいるからこそ化け物の脅威に抗する事が出来ているのだ。連中にとって喰い放題の餌場と化した地の者達は、間違いなく安寧を求めて我が国への移動を始める。その結果がどうなるか、予見すら出来ないとは言わせんぞ。」
「……そうですね。予想の出来る未来といえば、溢れかえった流民による治安の悪化、秩序の崩壊、衛生の低下、そして深刻な食糧不足。次いで各地の風土病が持ち込まれる事によって疫病が流行し、それらを防ぐ事が出来なかった王家の求心力は低下して、反乱の気運が高まっていく、と。これはまた、なんとも悲惨極まる事で。」
「では貴様は、その対策として何とする? 反乱分子を殺し尽くし、根本の原因である増えすぎた民を、我が国が御しきれる程度にまで処分して減らしていくか? 他でもない貴様自身の手によってな。」
飛車を握る王女殿下の白い指がゆるりと伸びて、と金によって頭を塞がれた王将の右隣にぴたりとつける。それを見届けた私はひょいとばかりに肩を竦め、卓上に置かれた己の取り分の砂糖菓子を一つ、指で摘まむと彼女の手元へ放ってみせた。投了。降参である。
「ふふふ、なるほど。つまるところ私という暴力で以って全てを解決しようという短絡は、やはり倫理の上でも実益の上でも大変に宜しくない、と、そういう事であるわけですね。出る杭は打たれるとは良く言ったものです。ドロシア様のその先見の明、この私いたく感服を致しました。」
「気に入らんな。そういう試すような物言いは、一回でも私に勝ってからにせい。さて、話を戻すぞ。つまり私がこの戦に求めているのはだな、進出してきた蛮族共を南方に叩き返し、我が国は被害を受けず、それでいて衆国にはある程度国力を落としてもらう。そんな帰結よ。王国が将来における有利を取ったと見て、彼の国の知識人が少数でもこちらに流れてきてくれるのであればなお良いな。」
「またなんとも、虫の良い話を簡単に仰られる。しかも国力を落としてもらうという事はつまり、このまま主戦場となってもらう事で彼の国の田畑を荒らし、兵達には戦場にて散ってもらう事を良しとするのでしょう? 私には差し伸べる事の出来る手があるというに、どうにも気が進みませんね。」
「話を蒸し返すな。貴様の言う差し伸べる手というのは、ただ純然たる暴力の一点のみだろうが。広い視野で見てみるならば、それだけでは立ちいかぬものも数多いという事よ。なぁに、これも自業自得というもの。南部で押されつつあるというに、我が国のはぐれ騒ぎに乗じて兵を進駐させようなどと、呑気に姦計を巡らせておったその怠慢のな。」
いや、私が気の毒に思っている対象は国家では無く、それを構成する一個人の方々なんですがねえとぼやきつつ、私からぶん捕った戦利品にパクつく王女殿下をじとりと見やる。とはいえこれ以上の問答が堂々巡りとなるだろう事は明らかであり、彼女の腹が既に決まっているというのであれば、私は下の立場としてただ粛々と従うのみである。
それにただ一言命じて済ませるのではなく、こうして思うさま腹のうちを語れる場を用意してくれた事は、彼女なりに私を気遣ってくれている事の証左に他ならないだろう。そしてそうまでして貰っておきながら、彼女の言を論破できるだけの対案も無しに感情に任せ、否を突き付けるには少々ばかり若さが足りない。他にも情熱とか、まぁ色々と。
「ふん、不満気に口を尖らせおって。ならばもう少しばかり、やる気のでる言葉をくれてやろうか。この春から砂糖の輸入が止まったぞ。王城の備蓄も残りは生薬に回す分のみで、菓子として贅沢に食せるようなものは、今ここにあるコレでお終いよ。」
「……まぁ、贅沢を我慢する程度は構いませんが、砂糖ってお薬になるんですか?」
「そっちに喰いついたか。あぁ、なるぞ。貴様の教えてくれた『かろりー』だったか。我が国の民はそれを、必要十分に摂取出来ているとは言い難いからな。大抵の体調の不良に対し、砂糖でこしらえた丸薬の効果はてき面よ。そしてそれを、医薬舎や救貧院で取り扱う為の供給が絶たれたのだ。介入の理由付けとしては十分だろう?」
なるほど。砂糖といえば摂り過ぎに気をつけるものという認識しか無かったが、ところ変われば扱いも変わるものである。とはいえ納得の出来る理由は出来た。運よく春を迎えたばかりではあるが、少なくとも次の冬の訪れまでに流通を再開させねば不味い事になるだろう。色々と。
まさに王国にとって此度の戦いは、カロリー源の安定確保を目指す為のお砂糖戦争というわけである。字面はとっても甘そうであるが、その実体は蛮族含め、関係各国のドロドロの思惑が入り乱れた沼の底だ。王国の一人勝ちが最善とあって八方良しとも中々いかず、既に碌な結末にならないだろう事は目に見えている。とほほ。
「ははは。貴様もその気になってきたようだな、ノマ。では互いに向いている方向が揃ったところで、そろそろ向かうとしようじゃないか。国賓を何時までも待たせっぱなしというのも申し訳ないしな。」
「え? は? 衆国からの使者の人、ほったらかしなんですか!? 私達が呑気に将棋打ってる間ずっと!?」
「なぁに案ずるな、ちゃんと兄上が応対をしてくれておるわ。もっとも私達が合流するまでの間、のらりくらりと明言を避けて場を引き延ばしてくれと頼んではあるがな。くくく、これも駆け引きの一環というものよ。」
うわぁ。それはまた、どっちの立場であっても胃が痛そうな。やはり王太子様が王位を次いで、ドロシア様が支えに回るという先の決定、間違った選択では無かったらしい。外交儀礼とかそういうのは大丈夫なんだろうかこれ。
ともあれ方針は決定された。王国は出兵する、ただしそれは小規模の消極的なものであり、おまけに私を使って戦場を引っかき回す気満々の傍迷惑な代物である。毒まんじゅうか私は。でもまぁなんだ、そのほうが件の眠れるナニカへの見世物としては、上等であるのかもしれない。ちくせう。
と、まあそんなこんなで、ドロシア様の小脇に抱えられた私は虚ろな視線を振りまきながら、国家間の打算渦巻く戦いの場へと連行されていくのでありました。新年早々、なんとも前途多難な事である。
今回より新章です。
誰も彼もが自分の利益を優先しつつ、舞台は東へと移っていきます。




