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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
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それから② 歴史の嘘と日常への回帰

「キ、キルエリッヒお姉さま~。これで、全部ですぅ……ふひぃ。」


「ありがとう、トゥイー。少し、休んで貰っていて構わないわよ。さて、と……お兄様、こちらは駄目ね。そちらはどうかしら?」


「いや、今のところ、反証に使えそうな記述は見つけられないな。やはり如何せん、駆り出せる人手が限られ過ぎているというのが苦しい所だ。」



 王城の底に隠されたあの不可思議なる遺構の前で、ノマちゃんが私達の存在そのものを侮辱したあの日から、数えること既に三日。王女殿下直属の名を振りかざし、無理やりに開放して貰った記録庫に篭り続ける私は未だ、『それ』を見つけられないままでいました。


 一体何を探しているのか。実のところ、それは私自身にも定かではありません。ですが、あの子がさも知っているかのように語った世の真実などと、到底認めることが出来ない以上、こうしてそれを否定する材料を集める為に、行動を起こさないというわけにはいかなかったのです。いえあるいは、それは目の前に突き付けられた現実から目を背ける為の、逃避であったのかもしれません。



 ヨタヨタとよろけつつも、書物の牢獄を積み上げてくれた元後輩の労をねぎらい、それからこの果て無き労苦へと無理やりに引っ張り込んだ、我が兄へと水を向けます。それを受けて、大袈裟に肩を竦めるお兄様の返答はやはり芳しいものでは無く、私達は揃って大きなため息を吐いてから、紙束の山に顔を突っ伏したものでした。


 自分達のやっている事がまさに雲を掴むような話であると、その自覚は勿論あります。ですがお兄様の言うとおり、ここに人を引っ張ってきて人海戦術をとるわけにはいかないというのが、こうして碌な成果を得る事が出来ないままにいる、最大の要因と言えるでしょう。


 なにせ地下の遺構の存在もあの子の吐いた冒涜も、その全てが今のところ、秘中の秘とされているのです。確かに、これが城下にまで漏れ出ることによって妙な憶測を呼び、終末論でも唱えだす輩が現れては堪らないという両殿下の判断は、私にも至極当然なものであると、同意できるところではありました。


 しかしそのせいで何もかも、こうして自分達で動かないといけない破目に陥っているというのは頂けません。そんな中でも人足として、神殿騎士団からトゥイーを借りてくる事が出来ただけまだ、幸いというべきなのでしょうか。まあお兄様とは違い、彼女には事の全容を明かしているというわけでは無いのですが。



 ああ、お砂糖をたっぷり入れた、熱いお茶が飲みたいなあ。そんな怨念をゆらりと込めて、恨めし気に見上げた先にあるものは飲食厳禁の非情な文字。まあ当たり前といえば当たり前なのですが、それでも辛いものは辛いのです。ちくせう。


 実を言えば、当初は近場の別室に休憩所でも用意して貰うつもりではあったのです。ですが、王城に勤める侍女達までもが忙しくパタパタと走り回る、ここ数日の惨状を見て気が引けました。いえ何が起きたのかって、それは例によってというべきか、大体はノマちゃんのやらかしが原因です。


 両殿下の和解に伴う、かねてからの対立構造の解消。あの子の放った眷属が、王城内で派手に暴れ散らかしてくれた事への後始末。そしてあの場に居なかった者にとっては、突如として国の中枢を怪物の群れが襲ったようにしか見えなかったでしょうあの惨事を、ノスフェラトゥなる実体の無い化け物へ押し付けるという隠蔽工作。まぁ本当、良いも悪いも僅か数日の内に、やりにもやってくれたものでした。



 話はそれだけに留まりません。なんとドロシア殿下はそのノスフェラ何某を、我が国に差し迫った直近の脅威であると発表し、それを退けて国王陛下と司教猊下の命を救った聖女が現れたと、国家ぐるみの詐欺を大々的にぶち上げたのです。


 正直あれには開いた口が塞がりませんでしたが、それでもそれが、一石三鳥と言える策であった事は確かです。なにせそれによって、晴れて王族直属となったノマちゃんに箔をつける事が出来、人々に王城にすら侵入した化け物を降せる者が、我が国には居るのだという安心を与え、さらにはそのような人材を見い出した、現王家の求心力を高める事が出来たのですから。詐欺ですけども。


 さらには追い打ちとばかり、陛下が近いうちに王太子殿下へ王位を譲り渡す事も内々で決まったそうで、その結果が王城内における、この上から下までへの大騒ぎです。おそらくは今ごろマッドハット侯も、メルの御父上であるマーチヘアー侯も、書類仕事に忙殺されている事でしょう。


 やれやれ、考えてもみればこんな状況で人手が欲しいというのも、土台無理な話でしたね。それでもそんな忙しい合間を縫って、こうして私に付き合ってくれているお兄様には感謝をしてもしきれません。とはいえそれを口に出すのも恥ずかしいので、今度お茶会にでも誘って、労ってあげる事としましょうか。



 明後日の方向へと逸れてしまった思考を引き戻しつつも顔を上げ、再びにトゥイーの積み上げてくれた、史書の一角を崩していきます。王国歴代の行政官達が残してくれた文書は膨大な量にのぼり、それは十年、二十年、そして百年と時代を遡って、当時の世相をそれこそ手に取るように、事細かに伝えてくれるものでした。


 三百年の昔に起こったというその歴史に、私の知るそれとは違う、奇妙な点は見当たりません。いえ、見つけることが出来ないのです。ノマちゃんはかつて、この地が灼熱に覆われて滅びたのだと口にしました。そしてその後に今の私達に繋がっていく、新たな『私達』が配置されたのだと。ですがそんな、荒唐無稽が過ぎる話があるでしょうか。


 王城地下に残されていた、あの遺構。事実としてそれが存在する以上、この地が過去において、何かしらの天変地異に晒されていた事は確かです。仮にそれが忌まわしき記憶として、歴史の闇に葬り去られたものだとしても、王都の中心部が地の底に埋まるような大惨事の記録などと、その全てを抹消しきれるというものでは無いでしょう。きっと何かしら、改ざんの痕跡なりが残っているはずなのです。


 大災害は確かにあった。ですがそれは、あくまでも連綿と続く歴史の一部であって、決してあの子が口にしたような、遊戯板をひっくり返すような馬鹿げた話では決して無い。私は神に仕える者として、そしてそれ以上に私自身の矜持の為に、それを証明してみせなければなりません。



 ぐったりと壁にもたれかかるトゥイーを横目に、お兄様と二人して紙束をめくる微かな音が、静かな部屋にいつ終わるともなく響きます。そして形すら定かでは無い何かしらを探し求める指先が、また一冊を確認し終えて次の一冊へと触手を伸ばしたその際に、私はそれが、これまでとは少々毛並みの異なる代物である事に気が付きました。


 それは各種の鉱石を取り扱った資源採掘に関する報告書で、決して史書の類などではありません。それでも一応は確認をしておこうと走らせた目は、そこに記されていた一文を捉えた事で、ピタリとその動きを止めました。一見して読み飛ばしてしまいそうだった、とある事故に関するその記述を。



『王国暦二百九十二年、月巡りの十、曜の十五、記。採掘場にて崩落事故の連絡を受け、現地へ入る。さぞや惨たらしい事になっているのだろうと相応の覚悟をして向かったものの、現場は予想に反して綺麗なもので、私は状況の把握の為に、一帯を取り仕切っている親方殿へと説明を求めた。』



 日付は僅かに八年の昔。そこだけを見れば特筆すべきことも無い話ではありましたが、気になったのは事故として処理をされた、その内容にありました。この記述を残した者によれば、人夫達が集まっていたその露天掘りの奥底には『人間の形をした』空洞が出来ていて、中には朽ちた人骨が散乱していたというのです。


 過去において、誰かに気づかれる事も無く起こったのであろう崩落事故の、その痛ましい痕跡に違いないと。そう結論づけられたその記録に、私は唇に指を添えて目を細めます。ノマちゃん曰く、『この地は灼熱に覆われた』。ですが人体というものは意外に丈夫なもので、火葬に処そうと思ってもそうそう簡単に、燃え尽きてくれるというものではありません。


 ならばこの空洞と人骨こそがあの子の語る、地を駆け下る灼熱の雲、『火砕流』とやらの痕跡なのではないでしょうか。分厚い堆積物の下に埋まった焼死体が、長い年月のうちに腐り落ちて形を失い、冷え固まった岩の中に、遺骨と空洞を残したのです。そう考えれば得心もいきました。



「……お兄様。王都北部の採掘場について、それに関連する資料を全部、私の方へ寄越して貰えないかしら?」


「ふむ……? 構わんが何か、気に掛かる事でも見つかったか?」


「あの子の言う大災害。その痕跡かもしれない記述を、ちょっとね。これに似た事例が他にもあるのなら、それを遡っていく事で何かを掴めるかも知れないわ。」



 歴史の裏に隠された、不穏なる謎を暴き立てる。それにちょっぴりばかりの恐怖を覚えつつ、これまたずしりと重い紙束をお兄様から受け取って、現在から過去へと遡るそれに目を通していきます。それにしてもこんなにも詳細な情報を残してくれるあたり、我が国の役人は本当に記録魔ですね。実にありがたい話です。


 遺骨と空洞の発見事例が、八年前の一件以前にも存在するのであれば少なくとも、大災害がこの地を襲ったのはその最古の事例よりも前であるはず。そう考えて張った山は果たして見事に正解を引き当てたようで、記録は不規則に年月の間隔を挟みつつも、たびたび同じような報告を残していました。


 誰かが居なくなったわけでも無いのに、時に数十もの遺体が見つかる。その事は採掘作業の従事者達からは、かなり気味悪がられていたようです。そこから読み取る事が出来るのは、事故と断じて早々に決着を図り、作業を再開させようとする役人側の意図と、その意に反して人夫達の間に広がってゆく不穏な噂。


 それはきっと、今でも続いている事なのでしょう。忌み事として、口を開こうとする者がいないだけで。



 一冊、また一冊と、記録は年月を遡ります。ある一定の深さにおいて多発したというその『事故』は、採掘場全体の広範に及んでおり、そしてそれは今からちょうど、百年の昔。蛮族との戦いに敗れた帝国が崩壊し、人族諸国家が散り散りとなった動乱の時代を境として、記述に登場する事が無くなりました。


 百年。僅かに百年。ですがこの動乱期というものは公文書どころか、今なお当時を伝記や絵物語で伝えられる、格別に記録の多い時期でもあります。いえそもそもにして、エルフや蜥蜴人といった長命種の中にはその時代を生き延びた、当時の記憶を持つ者も少なくは無いのです。


 だと言うのに百年前、あるいはそれ以前においてこの地を襲ったのであろう大災害が、人々の口伝にすら残らないなどという事があるでしょうか。その如何にもチグハグとした不自然さは、ますますにして、私の疑念を深めさせるに十分なものでした。どうにも、しっくりとくるものがありません。



 残された記述の一語一句も見逃さないように指でなぞりながら、顔をしかめてひたすらに記録を漁り続ける事しばし。そのうちにふと、ある事に気がつきました。この記録を残したのは、当時を生きた役人達です。彼らだって役人である前に人間で、泣きも笑いもするし、妻子だっていた事でしょう。


 国の記録庫に収める代物とあって、あるものは如何にもお堅い文章で書かれており、またあるものは許される範囲での、少々の遊び心が盛り込まれています。そこに差異は大小あれど、私はこれを残した人の『顔』というものを、何となく感じる事が出来ていたのです。つい、先ほどまでは。


 それが百年前の動乱期をも遡ると、文章からその、『顔』というものを感じることが出来なくなりました。その感覚を上手く言葉にする事は出来ませんが、私は何故だかそう、思ってしまったのです。そうです。まるで、まるでそれは、発生した事実が記載されているのでは無く、そうあるべしというこの国の『設定』が、ただ羅列されているようなものではないのかと。



 一度覚えてしまったその違和感は、百五十年、二百年と記録を遡るうちに、得体の知れぬ奇妙な不快感となって私の心を蝕んでいきます。そしてこの動乱期よりも以前の記述は、もしかしたら『偽物』なのではないのかと頭によぎった次の瞬間、私は目の前のそれを文章であると、いえ、文字であると認識する事が出来なくなりました。


 不意に目の前が真っ暗になって、凄まじい恐怖と激しい吐き気に襲われて崩れ落ち、両の手で肩を抱き締めながら泣き叫びます。子供ならば、暗闇に恐怖を覚える事でしょう。大人であれば、その暗闇に自分を害する何かが潜んでいるかもしれないと、その事に恐怖を覚えるに違いありません。


 でも、これはそうではありませんでした。そこに理由というものは無く、ただ『恐怖』だけが存在しているのです。こんなにも理不尽で、それでいて恐ろしい事があるでしょうか。なにせ自分自身が何を恐れて怖がっているのか、それすらも定かでは無いのですから。ああ、神よ、白き神よ。どうかこの、哀れな信徒をお守りください。



 ……まるで子供の起こす癇癪のようなそれは長く続き、次に気がついたとき、私は兄の膝の上に頭を乗せて横になっていました。どうやら知らずのうちに随分と暴れてしまっていたようで、周りには先ほどまで積み上げられていた、書物の類がこれでもかとばかりに散乱しています。


 ゆるゆると身を起こして、床に落ちて開けた一冊に恐る恐ると目をやるも、そこからはもう、不快感を感じる様な事はありません。今しがたの心を引き裂かれるようなあの体験は、いったい何によってもたらされたものだったのでしょうか。


 その正体を突き止めたいという、探求の心は残っていました。ですがそれもすぐに、深淵を覗き込む事への恐怖に屈して霧散し果て、私はその書に再び手を伸ばすこともなくうなだれて、ただ顔を背けます。



 ノマちゃんは私達の、五色の神に対する信仰を否定しました。そして同時に化け物達の奉じる、悪しき混沌の神の存在をも否定してみせました。神は確かに実在します。ですがそれは、私達の知るような『それ』では到底無いと、あの子はそう語ったのです。


 先ほど感じた違和感の理由を突き止める事も、恐怖の正体を暴く事も、あの子の言を肯定する事に繋がってしまうのではないか。それを考えてしまえば尚更に、もう行動を起こそうという気にはなれませんでした。神々が如何なる試練を与えようともそれに縋り、許容出来ない不都合は体よく邪神の仕業として押し付ける。そうでなければ私達の矮小なその心は、立ち行く事が出来ないのですから。



「……大事は無いか? キルエリッヒ。急にひきつけなど起こすものだから驚いたぞ。」


「お、お姉さま! ご無事ですか!? すぐに別室に寝所の手配を……! ああ、そ、それとお医者様もっ!」



 私の額に手を当てながら、身を案じてくれるお兄様へと力なく笑みを向けて、それからワタワタと混乱しているトゥイーの手を握ってあげます。どの程度のあいだ気を失っていたのかはわかりませんが、なんとも実に、みっともない姿を晒してしまったものです。心配をかけてしまってごめんなさいね。



「……二人ともありがとう。もう大丈夫だから、心配しないで。少し、根を詰めすぎてしまったようね。」


「……そうか。まあ、深くは問わん。なにせここ数日、ずっと籠りきりであった事だしな、疲れが溜まっていたのだろう。トゥイー君の言うとおり、寝所で横になってくると良い。後は私に任せておけ。」


「そうね、心配ご無用……と言いたいところではあるのだけれど、ここは大人しく、お言葉に甘えさせて貰う事にするわ。ああ、トゥイー、別に肩は貸して貰わなくても大丈夫よ。いや、あなた私よりも小柄なんだから無理はしないで……って、きゃあっ!?」



 あんな醜態を見せておいて、意地を張るというのも良くないでしょう。いえ、それは建前ですね。私はきっと、逃げだしてしまいたかったのです。歴史というものの裏側に垣間見えてしまった、得体の知れぬ恐ろしい何かから。


 ふらつきながらも立ち上がった私の身を思ってか、すかさず支えに入ってくれたトゥイーの献身は嬉しく思います。ですが要らぬ気遣いと言うべきか、半端に力を加えられた身体は逆に平衡を失ってぐらりとよろめき、私達は二人して再び書物をひっくり返しながら、びったんと派手に音を立ててすっ転んでしまったのでした。



 ……あの、お兄様。そんな生暖かい目で見ないで貰えると、助かります。ええ、とても。






「……ふん、酷い顔をしておるな、ドーマウスの。この数日ずっと記録庫に篭っていたようだったが、それで何か、得るものはあったか?」


「……いえ、その……申し訳ございません。ご報告が出来るような、明確な事実は何も。ドロシア様のほうこそ、あまりお眠りになられていらっしゃらないものと、お見受け致しますが?」


「あれを見せられてなお寝つきの良いような奴は、それこそ頭がどうにかしておるわ。それに今後を見据えて、父上と兄上を交えて調整をしておきたい事も多くあったからな。今はようやく落ち着いたところよ。」



 一応、気付けの生薬でも少し分けて貰っておこうかと、そう考えて訪れた病床で出迎えてくれたのは少々ばかり、意外な顔ぶれでした。


 私に向かって口を開きつつも、ショリショリと果実の皮を剥き続けるのは先日に新たな雇い主となったドロシア様で、その向かいではうつ伏せになって腰の上に湯たんぽを置いた国王陛下とクソ爺、もとい司教猊下がウンウンと唸っています。


 どうやらノマちゃんと散々にどつき合ったそのツケは、随分とまあ長引いているご様子で。出来るのならば癒してあげたいところではあるのですが、生憎と外傷の類では無い以上、私の力も大きな効力を発揮するものでは無いでしょう。大人しく安静にしておく他はありませんね、これは。



「こほん、カッセル陛下ならびにダンプティー司教猊下におかれましては、ご機嫌麗しゅう事と存じ上げます。わたくしの立場でこのような物言いをさせて頂くのも非礼ではございますが、あのノマなる娘を重用しようとした両殿下の差配の正しさ、身を以ってご納得をして頂けましたでしょうか?」


「ぬぅ、この小娘めが、これでもかと嫌味を並び立ておってからに。だが儂を知っていながらそうまで言ってのける、その胆力は気に入った。知らぬ顔だが、我が娘に引き上げられた手合いの者か?」


「おうカッセル、貴様まだボケておるんじゃあ無かろうな? アレじゃよアレ、ドーマウスのところの、桃色頭の跳ねっ返りよ。ったく、おぬしの倅共といいこやつといい、若い者は年寄りを労わるという事を知らんから困るわい。」


「あーん? 忙しい合間を縫って様子を見に来てあげた、この私に対する言い草がそれですか? なぁおい、耄碌ジジイがっ!」



 突然槍玉にあげられた事に苦言を発するドロシア様が、そうは言いつつもせっせと作り上げたのは可愛らしく切られた果実のウサギ。それは殿下の手をぴょーんと離れると牙を剥いて司教猊下に襲い掛かり、ぶつくさと文句を並べ立てる口の中に飛び込んで蓋をしました。なんだかゴフッという断末魔が聞こえましたが、まあ心配は無いでしょう。いざとなったら背中をぶっ叩けば問題もありません。


 そんな風に気を吐く猊下とは対照的に、静かな反応を示されたのは国王陛下。やや顔をしかめながらも身を起こした彼の御仁は、ドロシア様から果実の乗った皿を受け取りながらもしげしげと私を眺め、それから深く息を吐かれます。



「そうか、儂は随分と長い間、呆けてしまっておったようだな。ドーマウスの娘よ、そう案じてくれずとも、既にヘンゼルの奴から嫌というほどに小言を貰っておるわい。あれは妻に似たな。いくらなんでも浅慮が過ぎると言って、ネチネチといつまでも責め立てよる。」


「父上、兄上は未だ諸々の後始末に奔走しておられますから、なんならお小言の続きは私が代わって差し上げても宜しいのですよ?」


「カカカ、お前はすぐに手が出るだろうが、ドロシア。久しぶりに相手をしてやっても良いが、まあこの腰が治ってからじゃな。それで娘らよ、腹立たしくはあるが、儂らもあの怪物娘にはもう手を出さんと決めた。後の行く末は、お前たち若い者に任せる事にしよう。まあヘンゼルの奴に跡目を継がせるには、少々経験不足なのが気になるがな。」



 あれほどにノマちゃんを拒絶していたご老人方の心変わりに、知らず目を細めながら首を垂れます。王城地下で発見された遺体の数々に不気味な予言書、そしてあの子の語る受け入れがたい世の真実は、既にこのお二方の耳にも届いている事でしょう。


 それをどう飲み下すのか、思い悩むのはみな同じです。その結果としてお二人がより態度を硬化させてしまう事を危惧していただけに、この身を引くという表明は少々ばかり、嬉しい誤算ではありました。と同時に、何が彼らをそうさせたのかという至極当然の疑問の類が、私の頭の中で渦を巻きます。



「なに、大した話では無い。こちらは刺し違える覚悟であったというに、それをあっさりと破られた上に命まで助けられたのだ。そのうえにご迷惑をおかけしましたと、頭まで下げに来られたとあっては流石に毒気も抜かれるわい。」


「ノマちゃんが、あ、いえ。あの少女が陛下の元にまで赴いて、謝罪を行ったという事でしょうか? あの子はあの後、『奥』の自室に籠ったきりになっているものとばかり思っておりましたが……。」


「父上と猊下だけでは無いぞ。ノマの奴に請われてな、先日のあの場に居合わせた者に対しては既にあらかた、謝罪行脚を済ませておるわ。先に心証を良くしておけば、善悪の評価は後からついてくる。そんな如何にも平和ボケした、滑稽な性善説を唱えてくれながらな。」


「なるほど……。ですがドロシア様、そのおかげで少なくともカッセル陛下には、こうしてお心変わりをして頂く事が出来ました。あの子のお人好しが少々過ぎるのは確かですが、それこそが同時に彼女の美徳でもあると、私なぞはそう思うところでございます。」


「ドーマウスの、お前は付き合いの長さもあってそう思えるのだろうがな、あれは恐ろしいぞ。なんせいつでも自分を殺す事の出来る化け物が、心底申し訳なさそうな顔をして下手に下手に出てくるのだ。私も付き合いで方々に引っ張り回されたが、何度聞かされても肝が冷えたわ。」



 そう言っていーっと食いしばった歯を見せながら、両手の人差し指を立てて頭の上に角を生やす王女殿下。確かにあの子はお人好しですが、本気で自分を害されようとするならば受けて立つ激しさも持っています。先ほど殿下も口にされていたように、そもそも頭を下げて回った事それ自体も、ノマちゃんなりのしたたかな考えあっての事なのですから。


 ですがこうして余裕ある態度を見せてくれるあたり、どうやらドロシア様も大分、あの子の魔性に毒されつつあるようです。すっとこどっこいは伝染し、こうして自らの存在理由を揺さぶられるような真似をされてなお、単純にあの子を見限って仕舞いとするには抵抗を覚えてしまう。たしかになんとも、恐ろしい話ではありませんか。


 クツクツと低く笑う私を尻目に、ドロシア様は二個目の果実に手を伸ばすと、再びショリショリと器用にウサギを作り始めました。最初のウサギは既にその大半が陛下のお口へと消えているあたり、なんとも実に、健啖であらせられる事で。



「……なあ。お前もこの数日、随分と頭を悩ませていたようだがな、私はもう、あれは見なかったものとして考えない事にしたぞ。どのみちいくら頭を捻ったところで、我々が求める耳障りの良い答えなぞ、見い出す事も出来そうにないからな。」


「ドロシア様が仰られる事は理解できます。ですが突き付けられた不可思議から目を背けず、真実を追求してこそ将来に再び起こるやもしれぬ、大災害への備えも出来ようというものでは無いでしょうか。」


「諫言は結構だが、その割には随分と声が震えているな。そもそもにして、王都が丸ごと地の底に埋まるような天変地異などと、我らがどう抗ったところで乗り越えられるものでもなかろうに。仮にそうなってしまったのならば、最早それまで。ただ粛々と、滅びを受け入れるまでの事よ。」


「……反論をさせて頂きたいのは山々ですが、生憎と示せる対案もございませんね。なんともまあ、仰るとおりで。」


「ふん、そうだろうそうだろう。大体にしてノマの言を信じようと信じまいと、あやつを利用して世界に覇を唱えようという私の方針に変わりは無いのだ。世には矮小なる人の身で、下手に首を突っ込むべきでは無い事なぞごまんとある。たまたま運悪く私達は、その片鱗を垣間見てしまっただけに過ぎん。そう思っておけ。」



 王女殿下の語るそれは、到底納得の出来るものではありませんでした。ですが先の異様な体験といい、私達が何かおぞましいモノに、その手を伸ばしかけてしまっている事は事実でしょう。だからこそ忘れてしまえというその言葉は、己の意に反して極めて甘美な響きを以って、懐かしき日常へと私の心をいざなうのです。


 逡巡は少しばかり。ですが本当は、答えはとうに出ていたのかもしれません。きっと私は、逃げ道を探していたのです。目を背け、忘れてしまう事への許しを求めていたのです。そして自らの上役からそれを提示された今、それでもなお自らの心を律し続ける事は、とても出来そうにありませんでした。悔しい事に。



「……ドロシア様がそうまで仰られるのであれば、私としても、それに異を唱えるものではございません。私たちヒトが積み上げてきた歴史というものを疑うのは、ここまでとしておきとうございます。」


「ぜひとも、そうしてくれ。お前が引っ張り込んでいるドーマウス伯に振りたい仕事も、随分と溜まってしまっている事だしな。それに、まあ、なんだ。好奇心は猫をも殺すという言葉もある。引き返す事が出来るうちに、手を引いておくべきだろう。お互いにな。」



 もしかすれば王女殿下もまた、私と同じ何かを垣間見たのでしょうか。それを口にしようとして、しかし忘れる事に同意したばかりであると思い直し、目を閉じて小さく首を振ってみせます。止めておきましょう。私も引き返す事が出来るうちに、日常へ戻ってくると決めたのですから。



 それにしても、ノマちゃんがわざわざ頭を下げて回っていたとは、なんとも身につまされる思いですね。悪い事をしてしまったなら謝りましょう。子供にすらわかる当然の理屈とはいえ、これがまたいかんせん、無駄な矜持が邪魔をしてしまって中々出来る事では無いのです。


 心証を良くしておけば、善悪の評価は後からついてくる。なんともわかるようなわからないような理屈ですが、それでも何となく言いたい事はわかります。ここは私もあの子を見習い、今度あのクソ爺に頭の一つでも下げてやりに行く事にしましょうか。癪ですけども。


 なにせアレです。私が何故に未だあのジジイと仲が悪いのかを知られてしまえば、あの子はきっと得意げな顔をして鼻を鳴らしながら、自らの行動をひけらかしてみせるに違いありません。そしてそうなったらば、一応は己の非を認めるところではある私はぎりりと歯噛みをしながら正座をして、大人しくそのお説教を聞かざるを得ないのです。ほんと腹立たしいですね、あんのガキ。



 それきり王女殿下はもう話す事は無いとばかり、手元に目を落としたままこちらに一瞥をくれる事も無くなりました。そしてそれは国王陛下も同じようで、彼の御仁は些か気疲れしたように息を吐いて、私へ暗に退室を促されます。


 自らの心持を決めた以上、話す用向きが無くなったのはこちらとて同じ事。軽く衣服の乱れを整えてから、国王陛下ならびに王女殿下、ついでに動かなくなったままの司教猊下へと深々と頭を下げて、私はその、小さな病床を後にするのでした。



 あ、お薬もらうの忘れてた。






『目星』に成功しました。

『アイデアロール』に成功しました。

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― 新着の感想 ―
1d10で何が出た?
[良い点] 今話不気味で最高でした。
[一言] 最近メスガキノマちゃんが調子になってるらしいので、ここらで立場というものを理解らせましょう
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