過去から来た未来
「……っぶは! や、やっと外に……っておや、皆さんも降りてきていらっしゃったのですか。随分とまあ、お早いお着きで。」
「……のんきだなお前、この状況でさあ。ほれ、引っ張ってやるから手ぇ伸ばせ。」
「しかしまぁ、派手にやったものねぇこれ。ノマちゃん、陛下と強情ジジイはご無事かしら?」
どんがらがっしゃんと瓦礫に埋まった暗闇の中、ひしゃげた身体を再生させつつじたばた藻掻き、えっさほいさと掻き分ける。どの程度のあいだ私がモグラと化していたのかはよくわからぬが、それでもこうしてボコりと頭を出した私の前に、カンテラを下げた赤毛と桃色が待ち構えていたあたり、どうやらそれなりに長いこと埋まってはいたらしい。
ご厚意に甘えて文字通り手を貸して貰いつつも、くるりと視線を巡らせてみれば、頭上に見えるはぽっかり開いて未だパラパラと破片を零す大きな穴。その下に見えるは心配そうにこちらを見やる両殿下で、その後ろで剣を杖にしたメルカーバ嬢とドーマウス伯がへばっているあたり、彼女らがここに戻ってくるまでには数々の死闘があったのであろう。パンダとの。
「ノマ! この有様はどういう事だ!? 父上はご無事であらせられるのかっ!?」
「司教猊下のお姿も見えないな……。もしや諸共に、この瓦礫の下に?」
「いや、『この有様』をお創りになられやがりましたのは、そのご老人方なんですがね。ですがご心配なく、ちゃーんと庇っておいて差し上げましたよ。なにせわたくし、ちょいとばかしお強いもので。」
どっこらせと身を起こしつつ、そう言ってパチリと一つ指を鳴らす。その格好つけた仕草に合わせ、ドカンと瓦礫を吹き飛ばしながら現れたのは、ノマちゃん謹製の頭でっかちフクロウナギ。若干引き攣った顔をした皆の前で、ノソノソと瓦礫の上を滑るそいつは巨大な口をぱかりと開くと、やらかすだけやらかしきって、満足気に気絶した老人二人をンペッとばかりに吐き出した。
やーやー、それにしても危ない所であった。我ながら咄嗟の機転を褒めてあげたい。このお二人も玉砕覚悟で目的を達しようとした、その肝っ玉は実に天晴れであるものの、かといって勝手に死なれてしまうというのも困るのだ。立場あるお人が突然居なくなったとあっては混乱も起きるだろうし、何よりも私の気分が悪い。
顔に手をかざして呼吸を確かめ、それから腹立ちまぎれにウナギの頭の上へ、迷惑爺さんズをムニョっと放る。まあ、良い。私は自分の力を示したのだ。最早どう足掻こうとも無駄死にである事は知れたはずで、ならば後の説得は王太子様にでも任せておこう。
そう考えて意識を外し、暗闇続く地下壕の遥か奥、闇の彼方をじぃと見つめる。なにせあれだ。今の私にはそれよりなりより、この第六感に訴えかける冥府の声が、気になってしまって仕方がない。
「……すまないな。恩に着る、ノマ君。父上は若かりし頃、幾度となく戦地に足を運んで剣を振るわれていたお方でな、そんな化け物を憎む父が猊下に同調するであろう事、予め考慮をしておくべきであった。このヘンゼル、王太子として君に謝罪をさせて頂きたい。」
「いえ、そう畏まって頂かなくとも、お気持ちだけで結構でございますよ。なにせ私はお二人に力添えをすると、一度そう心に決めたのです。あなた方に非があるわけでも無し、この件で意見を翻そうなどとは思いません。それよりも……と言っては何ですが、この地下壕について何か知っておられる事があれば、教えて頂けないでしょうか?」
ゼリグの持つカンテラに顔を寄せ、その頼りない光を虹彩に集めて瞳を開く。それでも闇の奥底はようとして知れないあたり、この冷たい石肌は遠く彼方まで続いているらしい。そしてそんな空間に充満するは、これまでに感じていたそれよりも遥かに濃密な死の匂い。音を伴わぬその嘆きは、まるで己を見つけてくれと懇願するかのように、私を暗い暗い何処かへといざなうのだ。
さて、応接室に大穴空けて、諸共に落っこちましたるこの地下壕。それはかつて罪人をつなぐに使われていた獄であると、先に陛下は仰っていた。ではこの声なき声は、ここで非業の死を遂げた囚人達の、それであるとでもいうのだろうか。わからない。だが何となくそこに、敵意や悪意といった負の感情は感じなかった。憎しみは見えず、ただ悲しみの色だけが広がっている。
「ふむ? そうだな、私が知っている限りではかつての帝国統治時代において、ここはもっぱら地下牢として用いられていたらしい。もっとも、それも優に百年は昔の話だ。今となっては打ち捨てられた、ただの荒れ果てた地下通路だな。」
「帝国統治? かつて帝国なる国家が北方にあった事は存じておりますが、王国はその影響下にあったのですか?」
「我が国だけでは無いさ。現在の衆国を構成している国家もそうだし、なんなら人族と呼ばれている者達は皆そうだ。かつての帝国傘下であった者をこそ『人族』と呼び、それに同調しない諸部族、諸国家を『蛮族』と呼んだ。今の世の枠組みはその帝国が崩壊してなお、かつての怨恨を色濃く引き摺ってしまっているのだよ。」
不躾な質問に快く答えて下さった王太子様のその話は、概ね予想の範疇から大きく外れる様なものでは無かった。ここは打ち捨てられた牢獄で、かつて多くの罪人とされた者達が裁かれた場所。そこに嘆きの声が満ちているとくれば、それはさぞや、陰惨なる施設であったのだろう事は想像に難くない。
「……なるほど、ありがとうございます。もしかすれば殿下もこれに気づいているのかも知れませんが、この空間には死の匂いが、悲痛な嘆きの声が満ちています。きっとこれは、かつてここで為されていたのであろう凄惨なる行いの、その名残であるのかもしれませんね。」
「ん? いや、記録によれば当時敷かれていた法は厳しくはあったらしいが、禁固刑が主流であって肉体的な刑罰は少なかったそうだよ。この地下壕が妙に広いのも、罪人を収容しきる為に無計画な拡張をしていった結果らしい。たしかそうだったな? ファーグナー。」
「ぜー、ぜー。きゅ、急にこっちに振るんじゃあない、ヘンゼル。だ、だが君の言うとおりで、ここでノマ君の言うような非道が行われていたという記録は無いな。確かに時には刑が執行された事もあるのだろうが、刑場は当時からそのまま、今でも用いられているものが地上にある。もっともだからといって、彼女の感じているそれが何であるのかまではわからんがな。」
おっと、これは盛大に外してしまったようだ。空振りである。王太子様と、散々に暴れた私に対し若干引け腰の伯爵様に、教えて頂いた事への謝辞を述べて、再びに暗闇の彼方へ向き直る。と、くればうーむなるほど、これはますます腑に落ちない。
お話を振ってみたその反応から察する限り、どうやら私以外にこの不穏を感じておられる方はいないらしい。そしてそうであるのならばここはやはり、自らの目で確かめざるを得ないというもの。とはいえ先の騒動の当事者であるというに、陛下と司教様を放ったままで、場を移してしまうというのも気が引けるが。
そう思って視線を向ければ、そこにあったのは父の無事を確かめようと、はしたない恰好でウナギによじ登るドロシア様。司教様を足場代わりに踏みつけるそのお姿は何とも豪気で、率直に言って嫁の貰い手があるのか不安になる。そうこうするうちに納得が出来たのか、ひょいと飛び降りた彼女はメルカーバ嬢を伴ったままにツカツカとこちらへやってくると、私のもちもちほっぺをパシンと張った。
「……ノマ、先の命令違反はこれで不問にしてやろう。だが私の迂闊な発言が、お前をあのような行動に駆り立てたであろう事もまた事実。だから、お前も私の頬を張れ。それで相子だ。」
なんだか上司と部下というよりは姉妹のようだなと苦笑をしつつ、差し出されたお顔に両手を伸ばしてムニリと引っ張る。きょとんと目を見開いたドロシア様にはお構いなしに、彼女の柔らかなご尊顔を捏ね回すそのうちに、お返しとばかりに伸ばされた手が、私のほっぺをがしりと掴んだ。
「……おい、ニョマ。きひゃま、このわひゃひをぐりょうするひひゃあっ!? こにょ! いいどきょうりゃっ!」
「じょへーにてをあふぇるようなしゅみは~、わたくひもちあわせておらんのふぇすよ~。 っぷは! それにわたくし、無条件にドロシア様の言に従おうという気もございません。私を思うままに操りたいのであれば、私が思わず感服して首を垂れてしまうような、立派な御仁になってくださいませ。」
「……ふん、小さいなりで偉そうに講釈をしおってからに。今に見ておれよ、私は絶対に、貴様を使いこなしてみせるからな。」
「くふふ、楽しみにしております。それで、少々ばかりお話は変わるのですがね、ドロシア様の配下としてこのわたくしに、この地下壕を探索する許可を与えて頂けないでしょうか。」
ほっぺたをムニムニとさすりながら視線を逸らし、すぐそこに広がる闇の彼方へとそれを向ける。釣られて顔を動かした王女様も、そこに何か底知れぬものを感じ取ったのか、少しだけ顔を強張らせて息を飲んだ。いやまあ単に、暗い所が怖かっただけかもしれないが。一瞬ビクっと震えてましたし。
「探索? このかび臭い地下通路に、何か怪しげな輩でも隠れているというのか?」
「……さて、どうでしょうか。あるいは本当に、何かしらが潜んでいるのかもしれません。なぜにこのような申し出をしたのかと言いますと、これは先ほどヘンゼル様にもお伝えさせて頂いたのですが、ここには不可解なる死の匂いというものが満ちているのです。よってこの機に私、その正体を突き止めておきたいと思いまして。」
「ほほう、私には何も感ずるところは無いが、それは狼藉を得手とする貴様ら化け物の勘という奴か? ふん、穏やかでは無いな。我ら王国の民が誇るこの王城に、そのような奇怪が潜んでいようとは見過ごせん。くくく、良かろう、これも王族の責務である。その不穏、このドロシアが見定めて進ぜようではないか! メル! ノマ! それと新入り二人! 共をせいっ!」
あ、しまった、迂闊を言った。と思ったのも束の間で、好奇心旺盛な若い娘さんの興味は今や、すっかりと未知なるものへ移ってしまったらしい。いや、肝試しや宝探しじゃあ無いんですけども。というかその、ご老人方の事は良いのだろうか。大立ち回りの相手を務めた私がこう言うのもなんであるが、なにぶんご高齢であらせられるのだし、やはりお身体の方が心配である。主に腰とか。
「あらあら。顔に出てるわねぇノマちゃん。心配せずとも診たところ、二人とも気を失っているだけだから大丈夫よ。まあもっとも、年寄りの冷や水の代償として、腰のほうはだいぶやっちゃってるみたいだけどね。」
「ノマ君、父上と猊下の事はこちらに任せておいてくれたまえ。私としても、君の言う死の匂いには気掛かりを感じるところではあるし、なによりも一度ああなったドロシアが言って聞くとも思えんからな。メルカーバ卿、まさか化け物が出てくるような事も無いと思うが、どうかノマ君共々、妹の事を守ってやって欲しい。」
キティー曰く、やはり腰のほうは駄目だったらしい。化け物ならすぐ横に居ますけどねという王太子様への野暮を飲み込み、深々と頭を下げるメルカーバ嬢と二人、さっそく勇み足を踏もうとしている姫様を捕まえて押し留める。まったくイノシシじゃああるまいし、もうちょいとばかし落ち着きを持って貰えないものだろうか。如何せん、何事にも段取りというものがあるのだから。
見ればまた妙な事を言い出しやがってという顔をしたゼリグの奴も、既にカンテラを掲げて通路の奥底を覗き込んでいるあたり、どうやらこの探索に付き合ってくれる事に異論の類は無いらしい。そこに加わった桃色が火種の上に手をかざすと、弱々しかった光が厳かな輝きを纏うようになり、それは周囲を見渡すに十分な光量となって辺りを照らした。どうも、気を利かせて貰ってすいません。
さて、無事に探検隊の面子が揃ったところで、残る気掛かりはやはりあのご老人方。王太子様は任せておけと仰ってくれたものの、やはりいざという時の為の、保険というものは置いておきたいところである。なにせあれだ、目覚めたお二人がまたも強情を張るであろう事は、既に目に見えているのだし。
伯爵様含め若いお二人が、腰をいわした老人二人に後れを取るとも思えないが、それでも身内同士で刃傷沙汰になってしまうというのも笑えない話である。とくればそれに代わって強引に押さえつけておく事の出来る、第三者を予め同席させておくのが妥当というもの。さて姿は見えずとも、その適役はきっと近くに居てくれると思うのだが。
「……居るのでしょう? 踊るフルート吹き。貴方に、新たな役目を与えます。ここに残ってヘンゼル様の命に従い、必要とあればそこのご老人方を拘束しておきなさい。もちろん言うまでもありませんが、不当な暴力は振るう事の無いように。宜しいですね?」
「……委細承知を致しました。人間風情に従うは癪ではありますが、全てはノマ様の御心のままに。」
どこへとも無く投げかけたその言葉に応えるように、光に照らし出された周りの影がずるりと蠢きより合わさって、瞬く間に成したは女怪の姿。うむ、やはり控えてくれていたようである。ちょいと悪の首領っぽく恰好をつけてはみたものの、これで外していたら格好悪いなんてものじゃあ無かったので一安心だ。何やってるんだろうか私。
ともあれまあこれで良し。晴れて後顧の憂いも無くなったところで、あとは血気盛んなこのおてんば姫様を解放し、目に見えぬ不穏の正体を暴き立てれば万事解決。さあお待たせ致しました、それでは参るとしましょうか。ドロシア隊長を筆頭とした、王城地下探検隊総勢五名、堂々の出発である。
頭の後ろから聞こえてくる、「おい赤毛、ノマ様に馴れ馴れしく近づくんじゃあない。貴様との決着はいずれつけてやるからな。」だの、「ヘンゼル、我々はあまりにも軽々しく、この国の命運を決定づけてしまったのでは無いだろうか。やはり今からでも考え直して……。」だのという、目に見える不穏はどうするのかって?
ははは、それはまあ、なんだ。後ほど前向きに善処する事を、検討させて頂きたいと思います。はい。
「そういえばキティー、お二人ほど姿が見えませんが、あの方々はどうされたのですか? ほら、白い鎧を着ておられた、男女お一人ずつの。」
「ああ、あの二人なら腰が抜けていたようだったから、あのまま上に置いてきたわよ。下手に下まで連れてきたって、危なっかしそうだったしねぇ。」
「っていうかまあそれ以前に、片方はとっくにのびちまってたしなぁ。まあやっこさんを突き飛ばして頭を踏んづけたのって、アタシな気もするんだけどさ。」
歩き始めこそ緊張していたものの、しかしネズミ一匹出て来ないとあっては女五人、次第に口数も多くなろうというものである。そしてなんのかんのと喋りつつも、次第に軽くなったその足取りが、私達を何の変哲もない行き止まりに導くまでに、さしたる時間は要さなかった。
正面を見て上を見て、それから左右へと視線を振って、再びに正面へとそれを戻す。それは怪しげな呪術の印が刻まれているというわけでも無く、ましてや邪教の祭壇が築かれているというわけでも無い、本当にただの壁である。しかし嘆きを伴った死の匂いは、いっそう色濃く感じられるようになったあたり、確実に近づいてはいるらしい。と、くれば……下だろうか?
「なんだ、行き止まりでは無いか。まったく思わせぶりな事を言いおってからに。おいノマ、お前の言うその死臭とやら、どうやらただの取り越し苦労だったようであるな?」
「いえ、ドロシア様。そう断ずるのは未だ、時期尚早であるやもしれませんよ。メルカーバさん、すみませんがその足元が気になります。少し、どいて頂いても宜しいでしょうか。」
前に出てコツコツと壁を叩いてた騎士団長様に声をかけ、彼女が踏みつけていた床の亀裂をじぃと見つめる。それは文字通り、割れた石畳に走る一条の線であり、一見してここに至るまでにごまんと見てきた同じそれと、さして異なる点を持つようには見えなかった。しかしそれでも、不死者である私の第六感は告げるのだ。ここに何かが潜んでいると。
不躾なお願いを聞いて貰ったその礼に、軽く一つ頭を下げて、それから敷石の端に指をかけつつエイヤっとばかりにひっくり返す。下から出てきたのは隠し階段、というわけでも無く、そこにあったのはこれまた何の変哲もない岩の層。細かな気泡を肌に含むそれは、なんとなくではあるが、まるで一度溶けた岩石が冷えて固まったかのような造りに思えた。
「……火を噴く山の麓で、似たような層を見たことがありますね。キリー、ちょっとこれを見て貰えないかしら? 以前に神の御心を知る為だって言って、そのお怒りの調査に赴いた事があったじゃない? これ、その時に見た岩塊と似ている気がするのよ。」
「ああ、調子に乗ってうっかり火口の方まで近づきすぎて、二人して死にそうになったあの一件ね。懐かしいわねえ。でもあの構造は推測の末、高温で熱された堆積物が溶け固まったものだろうって、結論をつけたじゃないの。そんな物が王都の足元にあるだなんて…………あらやだ、ほんとだわ。」
私の横からひょいと覗き込んだメルカーバさんが、キティーを手招きして足元の岩を指し示す。そうして首を傾げる彼女らの話を聞くそのうちに、どうやらこれは、溶岩の堆積層であるのでは無いかと察しをつけた。彼女らは知らぬであろうが、大地というものは気の遠くなるような長い歴史を持つものなのだ。悠久の時の果ての、その積み重ねなのである。テレビでどこぞの地質学者さんがそう言ってた。
過去に起きた天変地異のその後に、この国が築かれたと考えてみれば辻褄も合うだろう。とはいえまあ、それはそれとして、だ。真下に向けた視線に沿って、静かに伸ばした指の腹で、岩肌をさらりと撫でながら目を細める。やはり嘆きの源は、この下だ。こうして薄皮一枚ひっぺがした事によって、よりいっそうに色濃くなった悲哀の声に、私の疑いは確信へと姿を変えた。
「ドロシア様、この岩盤を掘り返します。許可を頂けますか?」
「許可も何も、既に腕をぐるぐると振り回しおってやる気満々では無いか。だがよかろう。私としても、ここまで来てお預けを喰らうというのも性に合わん。崩落だけはさせんでくれよ。」
「勿論、善処をさせて頂きます。ゼリグ、それとメルカーバさん。破片が飛ぶと思いますので、ドロシア様とキティーの事を、庇ってあげておいてくださいな。」
さーて、では許しも頂けた事だし、やるとしますか。腕まくりをして舌なめずり一つ、それを合図に振り下ろした腕はガツンと音を立てて岩を砕き、存外に脆い砂のようなそれを掘り起こしていく。しかしつい先程といい今といい、今日はつくづくモグラに縁のある日だことよ。まあモグラはこんな、削岩機の真似事などやりはすまいが。
斜めに掘り進めるのも落盤が怖かったので、伸ばした銀髪で坑道に身体を固定しつつ、垂直落下にガッシャガッシャと掘りぬいていく。どのくらいそうしていたのかはわからぬが、やがて「お姫様ならともかくとして、お前を守ってやるなんざあ遣り甲斐がねぇなあ。」というような軽口の類も聞こえなくなったその頃に、唐突に手元の先がボコりと抜けて、私は開けた空間に頭を出した。
……さて、鬼が出るのか蛇が出るのか。光射さぬその暗がりに、先程ゼリグに分けて貰った小さな火種をそっと差し込み、何か怪しげな代物でもあるのかしらんとくるりと見渡す。そして次の瞬間、私は目にした光景に思わず一つ息を飲み、それからこれ以上無いというほどに思い切り顔を歪め、強く唇を噛みしめた。
そこは半ば崩落した四方形の地下室で、中には壁際に寄りかかる様にして二人、土砂に押しつぶされた格好の者が二人の、合わせて四人のホトケ様がいらっしゃった。一瞬ご遺体の安置所であるのかとも思ったが、まさかこんな剣呑な様で安置もあるまい。
外気に触れる事の無い安定した環境であった故か、いずれのご遺体も生前の姿を色濃く残し、それは前世で話に聞いたことのある、死蝋化という現象を思い起こさせる。それを幸いと言って良いのかはわからぬが、そのおかげで壁際の二人が女性、土砂の下敷きになった二人が男性であると、なんとなく見て取る事が出来た。
背格好と、その最期を迎えたであろう互いの姿勢から察するに、女性二人は母子であろうか。見れば母と思しき彼女はその左手に縋りつく娘を抱いて、もう片方の手には一冊の本を、後生大事に抱えている。身に着けている装いもたいそう立派なものであるし、あるいは彼女らはかつてにおける、この国の王族であるのやもしれない。
いずれにせよ、とてもとても、これは私の手に余る。墓所を荒らさぬように、細心の注意を払いながらゆるりと降りて、それから地に足をつけるや否や、髪の一房をオウムに変えて上へと放つ。吹き込んだ言葉は応援の依頼、『大至急、こちらまで来られたし。梯子は用意してあります。』
手配を済ませ、それから両手を合わせて軽く頭を下げたまま、名も知らぬホトケ様方へと黙祷を捧げる。はたして死因は窒息か、それとも有毒な気体を吸い込んだ事による中毒か。いずれにせよ、それが穏やかな死に様で無かった事だけは、確かであろう。まだお若い方もいらっしゃるというに、なんと不憫な。
過去において、ここで一体何があったのか。それに思いを馳せつつも口の中で念仏を唱え、待つ事しばし。やがて石の欠片がぱらりと振った、それを合図に頭上を見れば、生えてきたのは細いおみ足。梯子代わりに仕掛けておいた銀糸を伝い、降りてきた第一陣はどうやら身体を引っかけたのか、しばらくジタバタと暴れていたが、やがてすっぽ抜けてどさりと落ちた。私の上に。
「あ痛ったっ! おいノマ、梯子ってお前の髪の毛ではないか! 気色の悪いものを掴ませおって!」
「気色が悪いとはとんでもない、自慢のさらさら銀の髪でございますよ。それよりもドロシア様、ここはホトケ様のおわす御前。どうか、静粛にお願い致します。」
「はぁ? ホトケ? また訳のわからぬ事を言いおって…………っひぃ!!?」
か細い悲鳴を上げて固まってしまった姫様を脇にどけて、後から後から降り立ってくる、後続の三人を迎え入れる。おそらく誰もが予想していなかったであろうこの有様に、ゼリグもメルカーバさんも困惑の色を浮かべたままにその顔を強張らせたが、最後の一人は流石に元聖職者と言うべきだろうか。
素早く辺りの様子を見て取ったキティーの奴は、小さく胸の前で印を結び、祈りの言葉を捧げ始めたのであるから立派なものだ。出来るのならば、普段からそうして聖職者然として居て貰えたのであれば、もっと尊敬も出来ようというものなのだが。いや、話が逸れた。
「……皆さん、見ての通りです。説明は必要無いでしょう。ドロシア様、王城の地下にこのような場所があると、何か耳に挟んだような事はございますか?」
「し、しらぬ。なんだここは? 王城の記録室にもこんな情報は……。っく、メル! お前はどうだ!?」
「申し訳ございません。私も寡聞にして、存じ上げてはおりません。察するに土砂に飲み込まれた遺体は護衛の騎士、壁際の方々はかつての王国貴族……と、お見受けしますが……。」
ふむ、王国の中枢に最も近いドロシア様とメルカーバ嬢も、やはり知るところでは無い、か。この分では、おそらくキティーの認識も同じであろう。ゼリグの方は言うまでもない。今ごろ目覚めた国王様と、大喧嘩をしているやもしれぬ王太子様ならばあるいは、とも思ったが、やはり知らぬだろうなと思い直してかぶりを振る。
どうせ考え込んだところで、わからぬものはわからぬのだ。で、あるのならばその実は、当人に聞いてしまうのが一番である。死者は最早ものを言えぬが、それでも遺された遺品の類は多くの物事を語ってくれると、相場が決まっているものなのだから。あるいは私がずっと感じていた嘆きの声は、その何かを誰かに伝えたくて、こうして訴え続けていたのかもしれない。
深々と一礼をして一歩二歩と歩みを進め、それから物言わぬホトケ様のその懐から、抱えられた本をそっと抜き取る。その瞬間に言い知れぬ悲痛と共に、『たのみます』という声がどこかで聞こえ、それを最後に死の匂いも、いずこかに散って消えた。
なんでも、というわけにはいきませんが、承知を致しました。貴方の語りたかったその無念、私が引き継いで差し上げましょう。どうか安らかに、お眠り下さい。
お経の一つでも上げられたら、良かったんですけれどね。そう独り言ちてくるりと振り向き、胸の前に掲げた古びた本を、ドロシア様の前に示してみせる。無言で首を振って返した彼女のそれを、私が目を通す事への肯定と受け取って、僅かに震える指先でそっと一枚、頁を捲った。
矢継ぎ早に目を通していくそれは、どうやら日記を兼ねた業務日誌のようなものであるらしく、各頁にはそれが記された日付と共に、その日の出来事が克明に記されている。そして読み進めるうちに月日は過ぎ去り、それまでと比較して明らかに歪な文字で書かれた最後の頁は、こう締めくくられていた。
『私達はきっと、何か間違いを犯してしまったのです。神々の御心の、その忌諱に触れてしまったのですから。いつかこれを読むかもしれぬ、名も知らぬ貴方よ。どうかあなた方が、私達と同じ轍を踏む事のないよう、祈らせて下さい。 新たな世界の貴方達へ』
その懺悔までを読み終えて……背中に氷を流し込まれたような気分になって、思わずザァっと血の気が引いた。そういう事だ。これはきっと、そういう事だ。何が原因で、何が起こったのか。私にはその全てに、察しがついてしまった。くそ、くそ、くそ。そういう事か、畜生が。涙が出そうだ。
「……ドロシア様、念のために一つ、確認をさせて下さい。今年はその、王国暦で言うと、何年にあたるのでしょうか?」
「……何を今さら。今は王国暦三百年、我らが開祖が国を開いてから三度目の、記念すべき大きな節目の年よ。」
「…………そう、ですよね。すみません、もう一つ。ドロシア様のお名前、ドロシア・インペレ・ハートクィンとありますが、確かインペレというのは聖名であって、位が変われば名も変わる。確か少なくとも、この国ではそう、でしたよね。」
「…………その、通りだが? ええい、なんだ!? 何が言いたい!? ノマっ!? その本には何が書かれていたっ!? 御託はいいっ! さっさと言わんかっ!!!」
叫ぶドロシア様の言葉を受けて、涙ぐんだままに顔をあげる。どうして良いのかわからない。助けて欲しい。
きっと私は、酷い顔をしていたんだと思う。
「………………ドロシア様。この本に記された最後の日付は、今から三十年後の、王国暦三百三十年。そしてこのご遺体は……彼女はときの女王。ドロシア・ロヨレ・ハートクィン陛下、で、あらせられるそうです。」




