欲するは特別なナニカ
「さて皆様、この場は司教猊下より神殿騎士団を預からせて頂いております、このドルディが差配をさせて頂きます。皆様も敬虔なる神の信徒の自覚があらば、どうぞ大人しく、我々の指示に従って下さいませ。」
ずかずかと踏み込んできた賊連中、いや神殿騎士団とかいう連中の先頭に立つ小男は、そう言って一しきりアタシ達を見渡しながら、ひくひくと得意気に鼻を動かしてみせた。その口調こそ下手に出ているものの、隠しきれない尊大さが鼻について、どうにも癇に障る野郎だ。気に入らないね。
さて、目の前にいるのは五人。シャリイの嬢ちゃんによればネズミは全部で十二匹らしいが、残りはこの邸から逃げ出す者を捕える為に、外で網を張ってやがるってぇところだろうか。とはいえ鉄火場の最中だってのに、どいつもこいつもきょろきょろと落ち着きを見せないあたり、荒事に慣れないド素人の集まりなのは丸わかり。なんだがなあ……。
短剣の柄にかけた手はそのままに、隣に立つ相棒の顔をチラリと見やる。キティーは常々、教会の上の連中は腐敗している屑ばかりだと愚痴っていたが、こいつらはどう考えてもその教会の手の者だ。そうでなければ自らの呼称に、『神殿』などと加えはしない。神様はおっかないのだ。
そしてそうである以上、アタシ達がこの場で抵抗をする事はすなわち神への背信であると、言いがかりをつけられる分だけ奴らが有利。特にドーマウス伯爵や騎士団長様といった、立場のあるお人にこの手札は良く効くだろう。厄介な連中だよ、まったく。
「失礼させて頂くよ。ドルディ君、といったかね。我々とて、教会と事を構えようなどいうつもりは無い。ここは穏便に、まずは話し合いといこうじゃないか。」
「伯爵閣下の仰るとおりです。そもそもにして、貴族家当主たる我々が居ることをわかっていながら賊の真似事をするなどと、貴方がた教会の品位を貶める行為だとは思わないのですか?」
「これはこれは、ドーマウス伯爵閣下ならびにメルカーバ子爵閣下におかれましては、ご機嫌麗しゅうございます。ですが我々も、司教猊下のご意志によって動いております身。どうか我々が目標を確保致しますまで、今しばらくのお目汚しをお許しくださいませ。」
状況の面倒臭さを察してくれたか、この場における最上位者である伯爵閣下が一歩前に出て言葉を投げる。それに続けて騎士団長様も、今は味方同士であるとばかりに同調したが、返ってきたのは目をつけられたくなくば黙っていろという迂遠な言葉。っち、司教様のご意志とは言ってくれる。お偉い様の威を借りやがって。
と、まあ一触即発の空気にはなったものの、こいつらが狙っているらしい肝心要のノマの奴は、既に王女様に掻っ攫われてしまっているのだから片手落ちだ。正直言って取り合う品物も無しに争うのも馬鹿らしいが、かといってとんだ失礼を働こうとしてくれたこいつらを、このまま返してやるというのも腑に落ちない。さぁて、どうしたもんかねこれは。
「あらあら、久しぶりねぇドルディ。ノマちゃんなら今はお留守なのだけれど、あの子に何かご用事かしらぁ?」
「ふふふ、お久しぶりですキルエリッヒさん。いえ、貴方はもはや平民であるのですから、敬意を表する必要もありませんでしたね。ならば、あえてこう言わせて頂きましょう。隠し立てなどせず、大人しく背信者を連れてきなさい。このあばずれ女が。」
伯爵様と騎士団長様を手で制しつつ、前へ踏み出したのは我が家の桃色。なんだか互いに知った風な口を利いてはいるが、生憎とお相手の反応はご覧の通り。しかもあばずれと言われちゃあまったくもってその通りで、擁護してやる気にもなれないのがまたアレである。日頃の行いって大事だよな。
「……なあ、キティー。こいつらお前の知り合いか?」
「神殿騎士団。教会との繋がりを保つために放り込まれた、家督を継ぐあても無い貴族の子女で構成された私兵集団よ。騎士を名乗ってはいるけれど国王陛下から叙任されたわけでも無いから、まあお坊ちゃんの騎士様ごっこっていうのが妥当なところね。」
うへぇ。まぁそんなところだろうと思ってわざわざ小声で聞いてやったのに、こいつでかでかと大声で返して煽りやがる。こんな事を言われては如何にも気位の高そうな、自称騎士様連中も黙っちゃあいないだろうに。喧嘩売られたからって即買うなよ。
そう思いつつもそろりと視線を戻してみれば、これはまた意外や意外。飛び切りの煽り文句に青筋立てて、歯噛みをしているのはドルディと名乗った親分一人。では他の連中はどうかといえば、次席と思しき女騎士はそんな小男を冷ややかに見つつも一歩引き、残りの三人も青い顔をして互いに目配せをするばかり。やる気あるんだろうかこいつらは。
「っぐ、平民に身を落とした分際で言わせておけば……っ! 貴方のそのような不遜な態度が司教様のお怒りに触れて、身を滅ぼす破目になったという自覚が無いようですねぇっ!」
「はん! あのクソ爺の権威をちらつかせれば、私が怯むと思っているのなら大間違いよ。で、何しに来たのよアンタ達? 碌すっぽ根拠も無いだろうに、あの子を背信者だと決めつけているのなら早合点も良いところ。おまけにその当人が、とっくの昔に王女殿下に連れていかれてしまった事も知らないあたり、情報が遅いにも程があるわね。」
「わ、我々は司教猊下のご意志により教会の認定も無く、聖人を名乗って人心を惑わせた娘の身柄を抑え、事実関係の調査をする為に……。え? 連れていかれた? 王女殿下に?」
「その通り。おめでとうドルディ、見事に空振りよアンタ達。で、邸にずかずかと踏み入ったあげくに私をコケにしてくれたこの落とし前、どうつけてくれるのかしらねぇ?」
あー……、もう完全に飲まれてやがる。趨勢は決まったなこりゃあ。ニコニコと笑みを浮かべながら歩みを進める桃色を前に、頼みの綱である権威が通じぬとあって、しどろもどろになる哀れな男。見れば考える事はみな同じであったようで、シャリイの嬢ちゃんも騎士団長様も、とうに得物から手を離して静観の構えである。じゃあなドルディとやら、骨は拾ってやらぁ。
「ま、待て! 待ちなさいキルエリッヒ! わ、私の背後には司教様のご意志がですねぇっ!? っぐぐっ! お前達、見ていないで助けなさい! 私は団長なのですよ!?」
「え? 嫌ですよ、私キルエリッヒお姉さまに嫌われたくありませんし。団長の先走りにここまで付き合ってあげたんですから、あとは責任を取ってお姉さまにのされてください。」
助けを求める男の言葉に、返ってきたのは部下からの非情な声。さすがに面と向かってそれを言い放ったのは先程の女騎士だけであったものの、どうやら他の連中も内心は同じと見えて、揃って顔を逸らしては目を伏せやがる。人望無ぇなあ。
まぁよくよく考えてもみればキティーは元々、教会で出世街道を邁進していた傑物であったのだ。と、すればこの神殿騎士団とも関わりがあったであろうことは想像に難くなく、ならば元同僚からのこの反応も頷ける話である。いやぁ団長、そんな中でアンタはよく吠えてみせたよ。感動した。
「お、おのれこの裏切り者共がっ! す、すいません! すいませんキルエリッヒさん! 私だって本当はあんなこと言いたくなかったんですっ! でも司教猊下が、あのあばずれの元へ向かうのならばこれぐらいは言ってやれって! あ、いやあばずれっていうのはですね、私がそう思っているわけじゃなくてあくまでも猊下が……!!!」
ついに始まった命乞いと共に、胸倉を掴み上げられてぷらりと宙に浮くドルディ団長。そして次の瞬間にはその顔面に、振り上げられた拳がめこりと突き刺さって花が咲き、邸の中には絹を裂くような男の悲鳴が響き渡ったのであった。おっかねー。
「さて……、ま、良い機会だわ。今回の聖女騒ぎの一件について、司教のジジイはどう動くつもりなのか。その意向を知ってる限りでよいから、教えて貰えないかしらね?」
「はい、お姉さま! それでは不祥、この神殿騎士団副長を務めますトゥイーより、ご説明をさせて頂きます!」
「前が見えねぇ。」
さて、所も変わって戻ってきましたは元の客間。シャリイの嬢ちゃんが勝手知ったるとばかりに茶を淹れる中、卓を囲むのはアタシとキティー、それとお貴族様二人の合わせて四人。その対面に立つのは先の神殿騎士団の代表二人で、揃って共に敬礼しつつ、直立不動の有様である。
ちなみに他の連中はといえば、不機嫌そうに舌打ちをする桃色に頭を下げつつ、寒空の下での待機を申し出る事で逃走に成功済だ。さすが、育ちの良いお坊ちゃん方は変わり身も早い。顔面を倍近くに腫れ上がらせた団長殿に、さわやかに手を振って別れを告げるその姿からは、神に仕える彼ら騎士団の固い絆が見て取れた。
「まずは事の発端を申し上げますと、我々は教会の与り知らぬ銀の聖女とやらが、酒場で騒いている傭兵達の間で専らの噂になっていることを聞きつけたのであります。」
「ああ。きっと昼九つの鐘の前に、私達と一緒に北方から戻ってきた連中ね。しかし噂を人づてに聞いたにしては動きが早いし、さてはアンタ達も昼間っから飲んだくれていたわね?」
「あはは、お恥ずかしながら。まあ、非番の連中が仕入れてきた情報とでも思って下さい。それでちょいと聞き耳を立ててみたところ、件の聖女様とやらは化け物を打ち払い、精根尽き果てた者に癒しを与え、おまけに首がもげても平気で動き回るという凄い尾ひれまでついているではありませんか。」
身振り手振りを交えつつも口を動かし、そう言ってのけるのはトゥイーと名乗る副長様。どこか疑わしそうな口ぶりで語られるその内容に、アタシ達も揃って頬をヒクつかせながら苦笑いである。なんせアレだ。尾ひれどころか背びれ胸びれに羽根まで生えて、飛んでいったとしか思えないようなその噂、全部事実であるのだからタチが悪い。
先ほどノマを背信者呼ばわりされた事について、キティーは根拠も無い早合点だと言ってのけたが、そもそもアイツは背信どうこう以前に化け物である。そんな奴を王都に招き入れたと知られた日には、どんな後ろ指を指される破目になるだかわかったもんじゃあない。アイツが聖女であることを、暗に認める様な物言いをしたのも已む無しか。
「どうにも胡散臭い話ではありましたが、この噂が民衆の娯楽の一環として、瞬く間に広がっていくだろうは目に見えた事でありました。そこで私達はこの報をいち早く猊下のお耳に入れ、その判断を仰ぐ事にしたのであります。」
「……それで、あのジジイがここに踏み込んで背信者を捕らえるように、命令を下したって?」
「いえ、そのぉ。猊下はこう仰られました。その娘は最近頭角を現し始めた王太子派の懐刀で、それが聖人を自称したとなればその是非を巡り、王城での政争が激化するであろうは必至の事。国王陛下が病に伏せっている今、あまり事を荒立てるのは好ましくない。そうなってしまう前に、まずは教会が真偽の程を確かめるという名目で連れ出してきなさい。王女殿下が動く前に、と。」
「んん? あー。わりぃ、横から口を挟ませて貰うぜ。なんか聞いている限りじゃあよ、司教様はえらく穏便な事を仰っているように聞こえるんだが、それがなんで背信者だのなんだのと物騒な話になったんだ?」
何故だかバツが悪そうに顔を背けるキティーの奴を横目で見つつ、身を乗り出して卓上に肘をつく。なーんかな、思っていたのと違うのだ。教会ってのはもっと腐敗していて利権ばかり貪る連中であると、そんな漠然とした悪い印象を持っていた。それがどうして実際に話を聞いてみれば、その判断は思いのほか理性的だ。
そんなアタシの疑問に対し、トゥイー副長はコクリと一つ頷くと、隣に立つ顔を腫らした男の腹を、コツコツと肘の先で小突いて見せる。なんだい、その親分の独断ですってか?
「お姉さまのご友人の方。実はその、司教猊下はお姉さまと大変に仲がよろしくないものでして、件の少女がこちらに居候をしていると知られた猊下は、それはもう荒い口調で先の話を仰ったのです。しかもどうせあの女の元へ向かうのならば、行きがけの駄賃に嫌味の一つでも言ってやれ、と。」
「いえ……その……わ、私はですね、てっきり猊下は聖人を詐称するその娘に対し、憤りを示されておられるものとばかり……。トゥイー! 貴様その察しがついていたのならば、何故にもっと私を引き留めなかったのだ!?」
「引き留めようとしてあげたのに、碌に話を聞いてくれなかったじゃないですかっ!? これであの高慢ちきな女に一泡吹かせられるぞと、喜び勇んで飛び出していったのは誰だったんでしょうかねーっ!?」
そう言って足をガスガスと踏みあいながら、ギャンギャン吠え合う団長様と副長様。なんとも気の抜ける話ではあるが、その中に一つ聞き逃せないものがあった。ふいと顔を向けてみれば、向かいに座るお偉方二人にとってもそれは初耳の事であったらしく、互いに顔を見合わせては首を横に振っている。
「キリー。貴方がかつて、教会を追われる破目になったあの一件。未だに尾を引いているというのであれば、話してはくれませんか。友人の名誉の為です、力になりますよ。」
「いや、子爵殿。私の知る司教猊下は確かに苛烈なところはあらせられるが、かといってそのように愚かな逆恨みをされる御方では無い。キルエリッヒ、お前が司教猊下と不仲とはどういう事だ?」
浴びせられる言葉を前に、相変わらず顔を背け続ける我が相棒。この態度は知っている。こいつがこういう反応を見せるのは大抵において、内心では自分の非を認めているのに、自尊心の高さからそれを飲み下せていない時だ。さてはこいつ、何か都合の悪い事を黙ってやがったな?
「なぁトゥイーさんよ。『お姉さまのご友人』としても、そいつはちょいと引っ掛かる話だ。この機会に話しちゃあ貰えないかい? いいよな? キティー。」
「あー、もう! わかったわよ! 別に大した話でも無いんだから、話して貰って構わないわよ! どうせアンタ、そこを明らかにするまで引き下がらないつもりでしょう!?」
「いえお姉さま、十分に大した話ではあると思うのですが……。それではその、あの一件について私の知る限りになりますが、お話をさせて頂きます。」
キティーの許可も降りたところで、何とも言い辛そうにとつとつと始まったその昔語りに、揃って耳を傾けるアタシ達。それは性悪な上役に身体を求められて叩きのめしたという、相棒が傭兵に身をやつす原因となった事件に前後するもので、言われてみればなんともまぁ、こいつらしいというかなんというか。
そもそもにして司教様は教会内部に、その職責に相応しくない品性の者が一定数巣食っている事を、座して見ているというわけでは無かったらしい。首をすげ替える事が出来るだけの証拠を抑え、なるべく穏便に文治を以って改革を為そうと、取り組んでいらっしゃったのだそうだ。
で、例の一件はその追い風になったのかと思いきや、事を起こした当人こそ解任されたものの、波及を恐れた他の連中はすっかり鳴りを潜めてしまい、逆に尻尾を掴みづらくなってしまったのだとか。なんつーか、ままならないね世の中は。
おまけにキティーの反撃が苛烈過ぎたのも不味かった。激昂してちょっと口にするのも憚られるような真似を仕出かしたあの馬鹿は、その気性に著しく問題有りとされて放逐されてしまったのだ。さすがの司教様もこれを庇いきる事は出来なかったらしく、改革の難航に加えて優秀な人材まで失った事に、たいそう気落ちをされていらっしゃったという。
で、問題はここからだ。教会を追い出されたドーマウスの娘が、家からも勘当されてしまった事を耳にした司教様は、これを不憫に思い、手を差し伸べるべく腰を上げてくださったらしい。のだが、この訪問の時期というのがまた悪かった。
お供を連れて、まあこのお供というのがトゥイー副長であったらしいのだが、ともあれそうしてこの邸を訪れた司教様が目にしたものは、娼館で買った女を連れ込んで昼間からべろんべろんに酔っぱらった桃色の艶姿。しかも荒れまくっていたアイツは面食らった司教様を見るや否や、何しに来やがったとばかりに口論を吹っ掛けてきたそうで、そりゃあ評価を下げられるのもわかるというもの。
案の定その大喧嘩の末に、このような性根ではいずれ時間の問題であったと見限られてしまったキティーの奴は、以来ずっと司教様との仲違いを続けているのだとか。いや、何やってんだよ。本気で何やってんだよお前。
「しょ、しょうがないでしょう!? あの時はアンタとも出会う前だったし、職も家族も失ってお金だけ持たされて放り出されて、一番荒れてた時期だったのよ!?」
「おいたわしやお姉さま。一言お声をかけて頂ければこのトゥイー、いつでも馳せ参じてお慰めを致しましたのに……。」
アタシから向けられるジトリと白い眼差しに、しどろもどろになって弁解する我が相棒。ちなみに他の女性陣は思いのほかこいつに同情的であるらしく、頭を抱えた伯爵様へ、なんでもっと庇ってあげなかったんですかという厳しい視線を向けている。いや、親父さんを叩きのめして実家との関係にトドメを刺して、庇う余地すら無くしたのはそいつ自身だと思うんだが。
見ればドルディ団長も初めて耳にする話であったのか、あんぐりと口を開けて呆けているし、副長様に至っては何やら身をくねらせながら、オヨヨとばかりに泣き崩れている。まあ、うん、もういいや。ともあれこれで、キティーが殊更に教会を悪く言う理由はよくわかった。あれだ、ひんがしの言葉で言うところの、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってやつである。
ただの平民であるこのアタシが、教会の内情を耳にする機会なんぞと、もっぱら相棒を通じての事であった。その話の入手先が悪感情に偏っているのだから、なんとなく教会ってのは悪い奴らなんだなあと、アタシの思考も染められてしまっていたというわけだ。
とはいえ、その内部に不正を働く輩がはびこっている事もまた事実。目の前にいるドルディ団長のように、立場が下の者に高圧的で、どうにもいけ好かない奴だっている。アタシは教会のお偉いさんってのは、強権を振りかざすばかりのクソ野郎だと思っていた。しかし実際知ってみれば、まあクソと言うほど酷くも無い。往々にして物事ってのは、そんなものなのかも知れない。
「っていうかお前よう、考えてもみれば自分がされて激昂するような真似をノマに求めるってのは、アタシはちょいとどうかと思うぜ?」
「アンタだって同じ穴のムジナでしょうによ……! でも、まあ、黙ってたのは悪かったわよ。どうにもバツが悪くって……ごめんなさいね。」
「……あー、諸君。愚妹の不始末については後でまた片を付けるとして、とりあえずは話を戻すとしよう。件の聖女、ノマ君の一件について司教猊下が今のところ、平和的な対応を取ろうとしてくださっている事はよくわかった。が、そもそものところ彼女について、我々は向き合わねばならぬ問題というものを抱えている。」
ようやく立ち直ったらしい伯爵様が、殊更に硬い口調で以って、場の空気を一変させる。それを合図にやいのやいのと、友人の醜聞を肴に花を咲かせていたアタシ達は、口を噤んで姿勢を正すと兄としてではなく、王国貴族として発せられるのであろうその言葉を待った。
「問題はな、彼女の正体が強大な化け物であるという点だ。それもおそらくは、単独でこの国を滅ぼせるであろう程の、桁外れのな。猊下は国王陛下と共に長年にわたって、蛮族や化け物といった外敵との戦いに心を砕かれてきた身。この背信どころでは無い事実が耳に入れば、おそらくはその態度も一変される事だろう。」
「は? え? は、伯爵閣下。失礼ですが先の我々への対応とこの状況から察しますに、既に王城では派閥を超えて、件の娘を聖女として擁立しようという流れになっているものと愚考致しますが……?」
「少なくとも我々はな。王女殿下のご意向まではわからぬが、そこに居らっしゃる子爵殿が口を挟まないのであれば、おそらくはあちらもそういう結論に達したのだろうさ。敵に回せば身を滅ぼす、ならば味方として取り込むしかない。止むを得ない判断だ。」
おいおいおい、言っちまっていいのかよそれ? とばかりに目を細めるアタシの前で、淡々とあの馬鹿の危険性を口にする伯爵様。対するドルディ団長はそんな予想だにもしない暴露を前に、目をパチクリさせる副長様と顔を見合わせたりなんかしつつ、なんともわかりやすく狼狽えている。
毒喰らわば皿まで、ってか? ノマの奴が化け物だろうとなんだろうと、既にこれまでの付き合いの中で良好な関係は築けているのだ。ならば個々の心中は別にしても、アイツから目を離さぬように重用したほうが良いという考えはわかる。司教様に対してだって、変に隠し立てをしてあらぬ疑いをかけられるよりかは、さらけ出してしまったほうがマシという事もあるだろう。
まあ流石に表沙汰に出来るような話でもなし、おそらくは一部の関係者が知るだけの秘中の秘という扱いにはなるんだろうが、その一部にアタシ達も入っちまっているのがなんともアレだ。とはいえその毒を持ち込んじまったのはアタシ自身、巻き込まれたキティーも公人としての兄が下したその判断に、口を挟む様子も無い。腹を括れってぇ事かな、これは。
「伯爵閣下。王女殿下のご意志も当初こそは異なりましたが、今となってはそちらと同じ、彼女の力を取り込んで我が国の利にすべきという判断に傾いております。そもそもにして、私がこうして妹君を訪ねるに至った理由は、その関係で相談をさせて頂きたかったものでして。」
「なるほどな、結構だ。こちらとしても、そのおかげで非公式ながらこうして会談の場を持てた事は、話も早くて非常に助かる。それで、ノマ君は大人しくしているのかね? 愚妹から聞くところによれば彼女は如何にも化け物らしく、若い娘の血を好むというが。」
「不自由をさせてはいますが、今のところは静かにしてくれています。ただ何といいますか、ポンポンと自身の眷属を呼び出すものですから、王城の奥が人外魔境の地と化してきているのが気になりますが……。しかし、彼女が人の血を好むというのは初耳です。キリー、それで何か、今までに問題のような事は起こらなかったのですか?」
「そうねえ。血を飲ませることに問題があったというよりも、飲ませなかった事に問題があったというか……。おかげであの子に出会った時は私もゼリグも、ふたり揃って危うく殺されそうになったわよ。」
え? という上ずった声は、誰から発せられたものだろうか。そういえばその話、誰にもしていなかったなぁと茶を啜るアタシの前で、目を剥くのは伯爵様と騎士団長様。ちなみに神殿騎士団の二人は既に、やっばい事に首を突っ込んじまったと言わんばかりの青息吐息である。とはいえ聞いてしまった以上は一蓮托生、付き合って貰おうじゃないのさ。
「……殺されそうになったというのは、ノマさんに? 彼女がそのような凶暴性を秘めているなどと、到底聞き捨て出来る話ではありませんが、その時はどのように対処を?」
「私達の血をたらふく飲んだら、衝動も治まったみたいでね。それ以来、定期的に血を飲ませてあげてるの。そして今あの子は、その食事を摂る事が出来ない状況にある。別に人間一人を絞って潰せっていうわけでもないわ、小さな杯の底に溜まる程度の量で十分よ。王城に戻ったら早いところ、切り傷をつけた指の一本でも口にねじ込んであげたほうが良いわね。」
「……肝に銘じておきましょう。はぁ、それにしても彼女が乙女の血を欲するというのであれば、それを逆手に取ってドロシア様がまた何か、企みを始めそうなものですねこれは。ところで定期的に血を与えているとは聞きましたが、何か身体に悪影響などは出ていないのですか?」
「いいえ、特に何も。まあ血を抜くわけだからちょっとした気だるさはあるけれど、それ以外は至って健康な……。」
「ある。」
言うべきか言うまいか、ちょいとばかし悩んだ末に、意を決して口を挟んだ。驚いて目を見開くキティーを横目に、訝し気に片眉を上げた騎士団長様を真っ直ぐ射抜く。この際だ、ここ最近感じていたアタシの疑念、全てつまびらかに話してしまおう。
ノマとこの国の関わりが今後どう転がっていくのか、それはアタシにはわからない。しかし何時だってアタシ達を殺す事の出来るアイツに対し、もう少し枷をつけておきたいと思ったのだ。罪悪感という名のその枷こそが、アイツの良心に縋るしかないアタシ達が、唯一頼る事の出来る武器なのだから。
別に、今更アイツを信じていないというわけでは無い。でも時々、無性に恐ろしくなるのだ。自らの理解の及ばないあの化け物が、怖くて怖くて堪らなくなる。ああそうだ、なんならこの胸の内も伝えてやろうか。顔を曇らせて眉を下げ、悲し気に首を垂れるアイツの姿が目に浮かぶ。そしてそうである限り、アタシはアイツに対して優位を取れる。…………最低だな。
「これはマリベル……ああ、いや。まあ人づてに聞いた話なんだけどさ、アタシがカエル野郎とやりあって呪いを受けた時に、ノマの奴は解呪の為に血を根こそぎ吸って、自身を循環させて戻すような真似をしていたらしい。多分その時にアタシの血は殆ど、アイツの影響を受けたそれに入れ替わっちまったんだろうな。そのせいかやたらとさ、渇くんだよ。」
「……吸血鬼に血を奪われた者は、吸血鬼になる。そういえば初めて会った時、ノマちゃんはそうも言っていたわね。北方で敵将の凶刃からメルを庇いに飛び込んだ際に、あの傷でアンタが生きていたのはそういうわけか。まぁそのおかげでこうして無事でいるのだし、痛し痒しってところかしらね。」
「まあ、そう言っちゃあそうなんだがよ。と、いうわけで騎士団長様。ノマの奴に血を飲まれる事による悪影響はあるっちゃある。でもまあ、アタシみたいに根こそぎでなけりゃあ影響は無いってところかな。」
「……ゼリグさん、先日にこの身を庇って頂いたこと、改めてお礼を申し上げましょう。しかし飄々と口にしたものですが、貴方は自身が人の身では無くなっていく事を、恐ろしいとは思わないのですか?」
騎士団長様のその言葉に、ひょいと肩を竦めて目を閉じる。恐ろしい、か。正直言って、自分でもよくわからない。いや、あるいは得体の知れないその恐怖よりも、喜びのほうが勝っているのかもしれない。
ノマの奴はもはや言うまでもなく、誰からも注目をされる台風の目だ。キティーも今でこそ平民だが、元を正せば貴族令嬢。こうして邸に高貴なご身分のお方が集まってくるだけの、人脈も能力も持っている。でも、アタシには何にもない。ちょいと腕っぷしは立つ方だが、それでもノマに比べれば翳んでしまって比べるべくもない、ただのチンケな一人の女だ。
その何者でも無かったアタシが化け物になり、人を超えた力を手にしようとしている。とてもひけらかす事の出来る話では無いが、その暗い情念は心を沸き立たせ、喜びに打ち震えさせるに十分なものだった。アタシは、アイツに並べるかもしれないのだ。特別な存在になれるかもしれない。くく、そう考えれば悪くない。
「ゼリグ君。ここであえてそれを口にしたという事は、それを知った我々が君をノマ君に対する駆け引きの材料に使うであろうこと、承知の上と取らせて貰っても良いのだね?」
「ええ、さすが伯爵様は話が早い。どちらにしろ、いつかアイツには言わなきゃあいけないと思っていたんです。これを知ったノマの奴は、きっとアタシに対して引け目を感じる。そうなってくれればしめたもので、きっとアタシはあの踊るフルート吹きとかいう連中を出し抜いて、ノマ様に特別扱いをして貰えます。」
一息にそう言い切って、思わず自らの口を両手で塞いだ。おい、なに言ってんだアタシ。やべぇな、これが化け物にされるって事なんだろうか。流されるな、気をしっかり持て。アタシは別に、アイツの下に付きたいってわけじゃあないんだ。だから止めてくれ。みんな、そんな顔でアタシを見るな。
「……そうか。ならば、今は何も言うまい。子爵殿、他に何か、我が方へ共有しておくべき情報はあるかね?」
「そうですね……。今の状況を申しますと、ノマさんはドロシア様からの、我が物になれという誘い文句を蹴りました。いわく、国家の外交戦略に影響を与えるであろう大事なのだから、事前に王太子殿下と話を纏めてからにして下さい、と。」
「ふむ、なるほどな。まあ正論ではあるのだが、両殿下が素直にそれを聞き届けてくれるかどうか……。王女殿下は、それについては何と?」
「あー……。そのですね、それが……、兄上に頭なんぞ下げられるかと、絶対にその力を我が物にしてくれるからなと、そう言ってたいそうご立腹の様子であらせられまして。」
「やれやれ、目に浮かぶな。これは一筋縄では行かなさそうだ。」
「あの~~。これは最早、司教猊下が直々に王城まで赴かれるような話でございますし、ただの繋ぎ役に過ぎない私共はここいらあたりで、そろそろお暇をさせて頂いても……。それに部下達も、外に待たせたままでおりますし……。」
口を噤んだまましかめっ面のアタシの前で、それでも構わずお偉い様同士の話は続く。そこへ口を挟んだのは所在なさげに立ったままのドルディ団長で、もはや最初の勢いはどこへやら。すっかり及び腰になっておずおずと手を上げるその姿からは、面倒ごとには関わりたくないという強い意志が感じられた。
ははは、今更そんな都合の良い話が通るとでも思ってんのか。こっちだってもう後戻りは出来ないんだ、テメーも腹括れや。
「ドルディ、私達の話を聞いてからでも遅くはないわ。それを持ってかえってあのジジイに、言いたい事があるのなら直接王城まで喧嘩を売りに行って頂戴とでも、伝えてあげなさいな。シャリイ、この二人にもお茶を淹れてあげて頂戴。まさか、飲んでいかないとは言わないわよねぇ?」
「畏まりました、お嬢様。先ほどは色々とございましたが、お嬢様が客人としてもてなされるとお決めになったのであれば、わたくしにとってもそれは同じ事でございます。お客人、お砂糖はいかほどに?」
「あ、多めでお願いします。お姉さまってお茶に凝ってらっしゃるから、茶葉もお砂糖も質の良い物を揃えていらっしゃるんですよねー。」
「……トゥイー。アンタ、けっこう図太いわよね。」
結局その後、やや手詰まり気味の対策会議は日が落ちるまで続けられた。決まった事は伯爵様と騎士団長様からの、両殿下に対する工作と並行して、アタシ達も王城に閉じ込められたノマの元で、もう少し態度を軟化して貰えないかと懐柔を行うというものである。つまるところは丸投げだ。ドレスを着てこいと言われなかった事だけは幸いだった。
教会側もキティーに言われた通り、一度この情報を持ち帰って司教様に報告し、判断を仰ぐ事にするという。その結果がどう転ぶかまではわからないが、どうせ碌な事にならないであろう事だけは予想がついた。お互いに相手を出し抜いてノマを自身の手駒にしたいだろう両殿下に、司教様の思惑までもが絡み合って、事態はまさに三つ巴の様相である。はたしてここに、国王陛下はどう出てくるのか。
明日までにマッドハット侯爵とのすり合わせも済ませておくと、王城へ向かう伯爵様を見送って、ついでに神殿騎士団のドルディ団長も放り出す。そしてもうお一方、子爵様も夜半前には王城に戻り、ノマが血を好む事を王女様の耳に入れておきたいと、そう言い残して戻っていった。
ちなみに残りの面々は女の夜歩きは危ないと理由をつけて、このままキティーの邸に素泊まりだ。たしかにまあ、危ないかもしれん。主に因縁をつけて絡んだ側が。やり過ぎたので治してくださいと、死にかけの悪漢暴漢を引きずってこられても処分に困る。
微妙に客間も足りないとあって、適当な部屋に寝具を転がして女四人、なんのかんのと話題を見つけながらも雑魚寝をする。トゥイー副長も良い家の生まれなのだろうが、仕事柄屋外での活動も多いとみえて、あまりこういった事には頓着が無いらしい。
むしろ自分なんぞがお嬢様と寝所を共にするわけには参りませんと、逃げようとするシャリイの嬢ちゃんを引っ張り込むほうに手間がかかった。まぁその嬢ちゃんも今は既に、キティーの横でコチコチに固まりながら、横になってはいるんだが。
さて……、アタシが化け物か。はたしてアタシはノマのように、特別なナニカになれるのだろうか。部屋の脇に放り出した赤い短剣をじっと眺め、それから自分の手のひらへと視線を落とし、何度も何度も握って開く。
きっと口角を歪めていたのだろうそんなアタシを、寝具をひっかぶったキティーの奴は、なにも言わずに静かに見ていた。
みんな身勝手です。身勝手に生きながら、互いに相手の事を許し合える、ぎりぎりの妥協点を探ります。




