村八分
脈拍が感じ取れない。彼女の肌は病的なまでに白く、そして冷たく冷え切っていた。しかし顔は穏やかで、呼吸も規則的だ。諦めるには早い。まだ、助けることができるかもしれない。
横たえた少女に短剣を押し当てる。値の張りそうな血濡れのドレスに躊躇いを感じたが、ひと思いに引き裂いた。悪いが弁償は出来そうに無い。犬がやったことにしておこう。野犬が悪い。
予想に反して、柔肌はどこも傷ついてなどいなかった。綺麗なものだ、あのおびただしい量の血はどこからきたのだろう。返り血かとも思ったが、桶でぶちまけたかのように血を浴びる状況で、こんな非力そうな子供が生きていられるとも思えない。
だがまあ、一つだけ確かな事がある。アタシは別に、この子のドレスを引き裂く必要など無かったという事だ。いやまて。この子を見つけた時には、既にドレスは野犬に引き裂かれ、見る影もなかったのだ。うん、そうに違いない。野犬が悪い。
母に湯を沸かしてもらい、冷えた体を拭いてやる。昏々と眠り続ける少女は未だ目覚める様子も無い。せめて体を温めてやろうと思い、その晩は彼女を抱いて眠りについた。
明けて翌日。里山から野犬を追い払った事については村の皆に感謝された。だがあの子供は山に捨ててこいという。
見慣れない子供だとは思っていたが、はたして、村の人間では無かったようだ。彼女を知るものは居なかった。美しい銀糸の髪、きめ細やかな柔肌、上等なドレス、だったもの。いずこかの上流階級のご令嬢である事は間違いない。つまるところ、とんだ面倒ごとの種である。
命を救ったのだ。上手く転がれば褒賞が期待できるだろう。だがそもそもにしてそんなご令嬢が、供も付けずにこんな田舎の山中にいた事がおかしいのだ。何か異常な事が起きている。悪く転がれば、口封じとして村ごと焼かれかねない。
あの子供は山に捨て、死んでもらう。おかしな者が訪ねてくるようであれば、みなで知らぬ存ぜぬを貫き通せばよいのだから。
村長の言うことは理解できる。彼には共同体であるこの村を守らねばならない責務があるのだ。まして里山に再び入れるようになったとはいえ、食糧事情はこの有様。厄介ごとを抱え込む余力などあるわけがない。理解はできる。だが納得はできない。
納得できないのは、アタシが、もはやこの共同体の一員では無いからだろう。今の自分は王都の人間なのだ。私が未だ、村の人間であったのなら、こう叫んだことだろう。禍を呼び込む者など殺してしまえと。
アタシは村長を説得しようと対案を持ち出した。あの子が動けるようになったら、自分があの子を連れて村を出ていく。もう戻りはしないから、あとは皆で口裏を合わせ、知らぬ存ぜぬを貫き通せばよいと。
みな、声を荒げて口々に反対した。父が言う。よそ者の為に、お前がそんな面倒を背負う必要は無いと。母が言う。二度と戻らぬなどと、そんな悲しい事を言わないでくれと。
反対するのは当たり前だ。先日の野犬の一件でもそれを示したとおり、アタシは村にとって、実に有用な人間なのだ。手土産程度ではあるが村に外部の品々を持ち込むし、荒事を頼む用心棒にもなる。得体の知れないよそ者の為にアタシを失うなどと、共同体にとっての損失に他ならない。
アタシがあの子に肩入れするのは、なんの事は無い。目の前の子供を助けることが出来るのに、それを見捨てる事が気に喰わないだけだ。納得できないのである。
我を通すことで村を危険に晒すようならば従っただろうが、たまに数日帰ってくるだけのアタシが、もう来なくなるだけの話だ。まあ許容範囲と言えるだろう。また野犬が山に戻ってきたら困るかもしれないが、今回を機に自警団でも作って訓練してくれればいいと思う。呪いに一人で立ち向かわされた恨みは深いのだ。
結局、村長が折れた。アタシが誠意をもって、剣をチラつかせながら粘り強く説得にあたったおかげだろう。
村長と両親、村の皆に頭を下げ、あの子が目を覚まして歩けるようになるまでの猶予を貰える事と、自分が居なくなったあとで家族を村八分にしないよう、よくよく頼み込んでおく。村長も快くそれを受け入れてくれた。ありがたい。
アタシの胸の前では、弄ばれる両刃の剣が、かっちん、かっちんと、音を立て続けていた。
集会所を出る。山爺の墓の場所を教えてもらったので、足を延ばして挨拶を済ませておく事にした。なんでも、その墓は村から外れた里山の麓にぽつんと立っているらしい。なんとも人嫌いで気難しかった山爺らしいことだ。
足を運んでみれば小高く盛られた土塚に、申し訳程度に小さな墓石が置かれていた。教えてもらわなければこれが墓だとは気づかなかった事だろう。
酒瓶を取り出し、上から傾けて墓石に飲ませる。村の皆で開けようと思っていた、王都土産の上等な一本だ。ちょっと量が多い気もしたが、山爺は酒好きで、よく酒を切らしてぷるぷると震えていた。まあ問題無いだろう。
半ばほど残った酒瓶と、紙巻き煙草を一本、墓に供えた。アタシも煙草を吹かしながら目を閉じる。最近王都で出回りだした流行りの逸品だ、きっと山爺は見たことも無いだろう。土産の品というわけでは無いが、なんとなく、見せびらかしてやりたかったのだ。
吸い終えた煙草を墓に向かって指で弾く。じゃあね。あばよ、山爺。
土塚から生えた雑草がぶすぶすと煙を上げ始めたので、慌てて踏み消しておいた。山爺の墓にはアタシの足跡が付いた。
家に戻ると、先に戻っていたらしい母が出迎えてくれた。あの子は未だ目を覚まさないらしい。父の姿が見えないのでどうしたのかと聞いてみると、怒り狂った父はアタシとは顔も合わせたくないと言い、叔父の家に転がり込んだそうだ。
母と顔を合わせれば、その目には泣き腫らした跡があった。アタシは何かを言わなくてはと、口を開こうとはしたのだが、言える事など何もなかった。
湯を沸かして少女の身体を拭いてやる。相変わらず、この子の身体は冷え切って冷たいままだ。何とかしてやらなければならないが、アタシに、何かできることはあるのだろうか。
ふと王都の友人の言葉を思い出した。寒さで凍え、冷たく冷え切ってしまった者に対しては、全裸の乙女がその柔肌で温めてやるのが良いのだという。
ほんとかよ。
脳みそが常時、桃色に茹っているアイツの言う事だ。思わず胡乱げな目つきになったものの、あんなのでも神学校出の才女である。まったくの嘘ということも無いだろう。どのみち他に良い案も無いのだ。手早く服を脱ぎ、少女の身体を抱いて横になった。
雪のように白く冷たい肌が、みるまにアタシの体温を奪っていく。寒い。こんなにも彼女は凍えていたのか。もっとなにか、してあげられることは無いだろうか。
口の中のほうが温かいと思い、少女の肌に舌を這わせた。柔らかい肉を軽く咥え込み、舌先を尖らせ、ねぶる。不意に少女がくすぐったげに、その身を震わせた。手応えあり。反応があった。
もぞもぞと肢体を動かす彼女に身体を絡ませ、腕の中に抱き入れる。銀糸の髪が、アタシの頬をくすぐった。頭を撫でてやりながら、少女の髪を上から下へ、ゆっくりとくしけずる。
本当に、美しい少女だ。売ったらいくらになるだろうか。柔らかな絹糸のような手触りを堪能しつつ、少女の頭を撫で続ける事、しばし。
気が付けば、血のように紅い大きな瞳が、アタシの事を見上げていた。
主人公さんのイメージは駆逐艦くらいです。
傭兵さんのイメージは軽巡洋艦くらいです。