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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
69/152

何とも言えぬ、事の顛末

 カタン。と、酒杯の倒れる音がした。



 ふるりと身を震わせる私の耳に、次いで入ってきたのは液体が床を静かに叩く、ポタリポタリという小さな音。すんませんでした。本当に、すんませんでした。


 額を床に擦りつけ、身じろぎもせずにひれ伏しつつも、恐る恐ると薄目を開ける。上目遣いにそっと窺う視界の中に、飛び込んでくるはピクリともしない赤毛と桃色。二人共に天板へ頭をゴチンとぶつけ、物も言わずにただ突っ伏すその姿からは、冷ややかな怒気すら昇って見える。すんませんでした。本当に、すんませんでした。




 さて、いかに察しの悪い私とて、そこまで愚かであるつもりも無い。良かれと思い、事前のすり合わせも無しに始めた我が行いが、回り回ってどのような影響を与えるに至ったか。ゼリグ達に合流してからこっち、嫌というほどに耳に入ってきた魔人の噂と聖女騒ぎは、その因果の報いを私に実感せしめるに、実に十分過ぎるものであった。


 正に、生きた心地もしないとはこの事である。まずい、これは非常にまずい。一刻も早く手を打たなければこの実体の無い噂はどこまでも広がって、『魔人ノスフェラトゥ』なる存在しない悪を相手に、多くの方々が無用の働きを強いられる事となってしまう。なんとかせねば。



 しかしそうとは言えど、安易に事の真実を吹聴するのも気が引けた。いや、保身の為では無い。なにせ既に、私がちょいと出歩けばひれ伏し拝まれ、飴ちゃんを買って貰えるようなこの状況である。ここで突然に梯子を外せばどこにどのような影響を及ぼすだかわかったものでは無く、とりあえずは馴染みの二人に打ち明ける事で、事態の進展を図ろうと考えたのだ。


 順当に考えれば、キティーを通じて私の上司であるドーマウス伯の耳に入れて貰い、彼の指示に従って対処をするが妥当であろうか。そんな事を考えつつも、意を決して話を切り出した私に対し、友人二人が酒におつまみ、甘味まで用意してくれて労いだと、ささやかな酒宴を開いてくれたのはつい先ほどの話であった。



 はい。当然の如く、阿鼻叫喚の地獄絵図と化しました。みんなの胃が。



 この期に及び、笑って誤魔化すなんぞという不誠実な真似が、まさか出来ようはずも無い。貸し与えられた自室に入り、机の上に諸々を並べる二人の前で、私は即座に床へと伏して、地に頭を擦りつけたものである。本当に、申し訳ございませんでした、と。


 予想に反して、そこからの互いの認識のすり合わせには、少々ばかり時間がかかった。聞いてみればなんとキティーは、『魔人ノスフェラトゥ』と『ノマ』との関連性について、既に独自に導き出した見解を持っていらっしゃったのである。いや、ノスフェラトゥは私なんですけれど、関連性って、何?


 それによれば、私はかの魔人が作り出した分身の一体であり、支配される事を良しとせずに自由を求めたその結果、この国へやってきて身を潜める事になったのだとか。なんと、まさか私の生い立ちにそのような恐るべき背景があったとは、このノマちゃん自身ですら気づかなんだわ。さすがはキティー、僅かな情報からその真実に辿り着くとは、神学校首席の慧眼は伊達では無い。



 ……などと頭に浮かびはしたものの、そんな事を口にしようものなら間違いなくぶち殺される。いや、私は不死身で死なないけども、それでも死ぬまでぶん殴られる。で、いやそれは誤解なのですと、『魔人』なんぞという敵対勢力は存在しないのですと、懇切丁寧に語った結果がこの惨状。吐きそう。


 いや、一応私にも言い分はある。なにせあのオークさん方の首魁であった女傑さんと、メルカーバ嬢との間で行われたという一騎打ち。その戦いの経過を聞く限りでは、私が差し向けた銀の軍勢による強引な介入が無かった場合、彼女とゼリグは諸共にその命を落としていたであろう事は、想像するに難くない話であったのだから。



 もう一つ、私が『踊るフルート吹き』へ発した指示は、陰ながら王国軍に味方しろという意味であり、決して、誰彼構わずに襲い掛かれなどと言ったつもりは無いという事がある。だから私は悪くねえ! と、声高に叫びたいところではあるのだが、流石にそれはお門違いが過ぎるというもの。私とてそのくらいの自覚はある。


 私はフルート達へ指示を下し、彼女達は言われた通りにそれを実行した。で、あるならば、彼女達の私の意に反した行動は、指示の伝え方が誤っていたからに他ならないのだ。それを部下が悪いのですと押し付けるなぞと、命令責任を持つ者としての沽券に関わる。それだけは、口にするわけにはいかなかった。



 ……さて、言うべきことは全て話した。あとはこのお白洲にて、市中引き回しのうえ、打ち首獄門の沙汰を待つのみである。お奉行様の裁定や如何に。ちらり。



「あー…………おい、キティー。無事か? 頭どうにかなってねぇか?」


「…………そうね、さっきまで自信ありげに語っていた自分自身を、ぶん殴ってやりたいくらいに恥ずかしくなってきた事以外は、なんともないわね。」


「おう、そいつは大事だ。今日はもう早いところ、あったかくして寝ちまったほうがいいな。ちょうど都合の良い事に、よく効く薬に心当たりがあるんだよ。」


「へぇ? アンタに薬師の心得があるだなんて知らなかったわね、ゼリグ。それで、どんな薬を処方してくれるのかしら?」


「アイツの悲鳴。」



 それを合図に、頭の上で交わされる小粋な会話はピタリと止んで、代わりに向けられるはギロリと光る四つの目。そのコワイコワイ迫力を前に、思わずヒュイッと変な声を上げた私に出来る事といえば、再びに床をおでこで頭突きながら、ダラダラと汗を流す事くらいなものである。


 本当に、ご迷惑をおかけして申し訳ない。どのような罰でも受け入れます。申し開きは致しません。と、いうかそもそも、女性を相手に口先で抗せるなどと、これっぽっちも思っちゃいません。はい。



「はぁ。ま、いいわ。顔を上げて頂戴な、ノマちゃん。言いたい事は山ほどあるけれど、とりあえずはこれで、抱えていた問題の八割方は解消されたのだしね。」


「解消されたっつーか、消し飛んだよな。木っ端みじんに。魔人の脅威は雲散霧消、天蓋落としも伸されちまった槍羽根を回収しに出てきただけで、その本体もノマにびびっちまって、敵対する気はさらさら無しときたもんだ。こういうのをなんつーんだっけか? 大山鳴動して阿呆が一匹?」


「……間違っているけれど、今はむしろ、その間違いを支持してあげたい気分だわね。って、ノマちゃん?」



 ……面を上げろと許可は下りた。だがしかし、とてもとても、未だそのような気にはなれぬ。なぜなら私には己自身を許す事の出来ぬ、最も大きな理由があるのだ。まだ、私はその話題を切り出していない。それを聞く勇気を持てるだけの、踏ん切りがついていない。


 耳の下に浮かび上がった冷たい汗が、頬を伝って顎に集まり、ぽたん、と一滴雫を落とす。とはいえ、何時までもこうしているわけにもいかぬ。時間は有限。往々にして先送りにするほどに、物事というのは悪化していくものなのだから。ええい、ままよ。



「その……お二人に、きょ、今日の事で、お伺いしたい事があるのですが……。」


「……なぁに?」


「……日中における、一連の騒動。あの最中において、亡くなられた方は……いらっしゃるのでしょうか?」


「いるわ。戦場の端も端で、状況も判らないままにオーク達に切り込んで、交戦した連中から三人ほど。正直ノマちゃんの手助けがあったとはいえ、信じられないくらいに奇跡的な数字だわね。」



 …………死んだ。人が死んだ。私のせいで、私の落ち度のせいで、名も知らぬ人が死んだ。ギリリと床を掻きむしり、両の手でカタカタと震える肩を抱いて、ブツリと唇を噛み破る。


 頭に浮かぶは、子供の頃に亡くなった祖父母の顔と、病室でその最後を看取った両親の痩せた姿。戦場において、人が死ぬのは当然の事。知識として勿論それは持っているし、なにより先日の白ガエルの一件において、私はそれを思い知っている。


 もしもこれが当初予定の通り、私の暗躍とメルカーバ嬢たちの活躍によって、犠牲が最小限に押さえられた結果であれば、素直に胸を撫でおろしていた事であろう。己の力添えによって素晴らしい成果を得ることが出来たのだと、胸を張る事が出来たはずだ。


 だが、これは違う。私の独断専行は結果として、戦場に想定外の、無用な混乱を巻き起こす事となってしまった。彼らはその煽りを受ける形で戦いに身を投じ、不幸にも亡くなられてしまったのである。ならばこの咎は誰にも押し付ける事の出来ぬ、私の責だ。私のせいで、人が死んだのだ。



「おい、ノマ。あんまり抱え込もうとするんじゃねえよ。まあ、散々な目には遭わされたけどさ、それでもお前は良くやったさ。勝手な動きだろうとその機転が無かったら、少なくともアタシと騎士団長様は、あそこで死んでた。」


「……そうよ、ノマちゃん。正直言って、私達は敵将の実力を完全に見誤っていたわ。あなたの強引とも言える介入があったからこそ、私達はその侮りの対価を犠牲として払うこと無く、あの局面を乗り切る事が出来たのだからね。」


「……しかし! しかしそれでも、もっと上手いやり様があったはずなのです! 全ては私の短慮が招いた事態! 亡くなられた方々に、いったいどのようにしてお詫び申し上げれば良いのかっ!!!」



 声を震わせながら顔を上げ、それでも唇を噛みしめる事で、どうにか嗚咽だけは飲み込んだ。目に映るものは困ったように眉根を寄せたキティーの顔と、どこか冷めた顔で酒杯を手に取るゼリグの姿。なぜだ。私が悪いというのに、何故に二人共、怒鳴りつけてくれないのだ。



「っち。ピーピーうるせーな。で、お詫びを申し上げたいノマちゃん様は、その這いつくばった姿で何をお求めになるってんだい?」


「……ゼリグ。どうか、私へ罰を与えてください。この不始末、どのような裁きをも受ける覚悟です。キティーからもドーマウス伯の耳へこの件を入れて頂き、法に則った処分を…………。」


「はん、自分の重要性を棚に上げて、よくも言いやがったな? 嫌だね! 勿論ドーマウス伯へ報告はするさ。でもお前を楽にさせる為の罰なんざぁ、誰が与えてやるもんかよ。」


「何故ですか!? そうでもなくば、私は己自身を許す事など出来ませんっ!!!」


「自分で言ってるじゃねーか! 結局お前は自分が痛い目を見る事で、それで許された気分になって、楽になりたいだけなんだよ。どうせ、何やったって効きもしねーんだ。罰せられたいのなら寝所にでも籠って、それで気持ちを消化出来るまで、一人で苦しんで藻掻いてろっ!」


「っ! ち、違う……! 私は、私はそんな……そのような…………。」



 友から向けられたその激情に、爆ぜた感情はみるみると萎み、やがてカクリと肩を落とした。そうだと言われて考えてもみれば、まさにその通りであるやもしれぬ。なんともはや、まったくもって、この期に及んで自分本位であったものよ。


 裁きを受けるとは言ったところでこの不死身の身体、どうせ切っても突いても堪えはせぬのだ。ならばその予想の出来る落とし所は攻め手と受け手、どちらかが満足するまで重苦を与えたところで無罪放免と目に見えている。いや、下手すりゃ拷問官と死刑執行人が、過労死するほうが先かもしれん。



「……ゼリグ、初めて傭兵仲間を死なせた時の、自分の姿が重なって見えるのはわかるけどね、だからって子供のノマちゃんに当たり散らすなんてみっともないわよ。」


「ふん、るせぇよ。なぁノマ、もう一つ言っといてやる。戦場で死んだ奴ってのはな、神様に見放されちまった連中なんだ。運が無かったのさ。だから、お前は悪くねえ。自分を責めるな。」


「……しかし、それでも私には力があります。私が選択を誤りさえしなければ、その亡くなられたお三方も、無事に国元へ帰ることが出来たやもしれません。それを考えてしまえば、やはり責を感じずにはいられないのです。」


「蛮族相手に正面からぶつかり合って、死体が三つだ。これ以上無いくらいの成果じゃねえか、なんでそこまで責任を感じる必要がある? いくら腕っぷしが強いからって、神様を気取ろうってぇ腹積もりなら今すぐ止めな。不愉快だ。アタシ達は、お前に囲われて飼われているようなつもりはねえ。」



 あんまりと言えばあんまりなその言い草に、流石に少々ばかりカチンときた。何を言うか。白ガエルの時も、ハルペイアを追い払った時も、そして今回の作戦だって、貴方達は私の力を当てにしてくれていたではないか。それを今更になって、下に見るなと? 嗤わせてくれる。



「……不愉快なのはこちらですよ、ゼリグ。今まで散々に私を頼っておいて、保護者面をするなとは言ってくれるではありませんか。第一これまでの難局において、あなた方がどの程度の役に立ったというのです? そんな弱い貴方達は、大人しく強い私に守られていれば良いのです。」


「おう、ついに本性出しやがったな? そうやっていつもどこか余裕ぶって、そうやってアタシ達の事を見下しやがって。アタシはな、お前のその、箱庭に入れられた鼠を見る様な目が、今までずっと気に入らなかったんだよ。」


「……っ! その箱庭で、飼われている人間の言う事かっ!」



 まさしく売り言葉に買い言葉。互いの言葉に興奮していきり立ち、睨み合う私達のその片隅で、頬杖をついたキティーの奴が、炒った豆を齧るポリポリという音が虚しく響く。そのまましばし、意地を張り合いはしたものの、やはり慣れぬ喧嘩とあって間も持てなくなり、結局どちらからともなく視線を外した。……気まずい。



「……わりぃ。本当はこんな事、言うつもりじゃあ無かったんだけどさ。ああ、くそ。頭の中がグチャグチャして、上手く考えがまとまらねぇや。」


「……こちらこそ、申し訳ありませんでした。自分の醜い心根を指摘されて、少々ばかり、気が立ってしまったようです。……すみません。」


「はいはい、そのくらいにしときなさいな、お二人さん。第一ノマちゃん、罰を裁きをと言ったところで、あなた自分が今どんな状況に置かれてるのか、まさか忘れたってわけじゃあないわよね?」



 ばつの悪さに顔を背け、髪の先端を弄りながら、視線を落とす私達。その空気に一回二回と手を叩きつつ、割って入った桃色の妙な言葉に一瞬きょとんと顔を上げて、それから思い切り口元をひん曲げた。あー……、忘れてた。聖女騒ぎ、どうしよう。



「事の真実がどうであれ、今現在において、あなたが妙な神聖視をされてしまっている事は覆しようのない現実よ。残念な事にね。そんなあなたに責を求めて、大っぴらに裁きでも下そうものならまぁた厄介な騒ぎになる事は目に見えてるわ。」


「しかしその、少なくともその過程において真実が明らかとなる事で、聖女だなんだという誤解は解けるのではないでしょうか?」


「……噂の聖女様は、偽物でした。いえそれどころか、その正体はかの天蓋落としにすら恐れられるようなとんでもない化け物で、そいつは今も、王都の片隅でのうのうと暮らしています。とでも、正直に公表出来ると思うのかしら?」


「……スイマセンデシタ。」



 恐る恐ると手を上げた我が意見は、綺麗な正論によって一蹴されて、物の見事に撃沈された。まったくもって、反論の余地すらない。強いていうならその場合、私を国外追放に処すことが混乱を治める為の施策となろうが、流石にそれが悪手である事が察せられる程度には、私の頭も冷えてきた。



「この問題の厄介なところはねえ、ノマちゃん。あなたが既に、王国が蛮族や化け物に対して抗する為の、抑止力になってしまっているという点よ。実際に、私達を鏖殺する事すら出来たはずの天蓋落としは、貴方を恐れて身を引いたわけなのだしね。」


「事は既に、お前を王都から叩きだせば手仕舞いに出来るって状況じゃあ無いってこった。それをこの野郎、気を楽にしたいからって、安直に罰だのなんだと騒ぎやがって。」


「…………スイマセンデシタ。」



 ああ、そうか。だから彼女は先程に、『自分の重要性を棚に上げて』などと口にしたのだろう。なにせ私は、己が既に王国の要人であり、碌に裁かれなどしないであろう事をわかった上で、罰を求めていた事になるのだから。そりゃあ彼女の神経を逆撫でた、その一端にもなろうというもの。


 いやまあ実際のところ、私は良心の呵責に堪えかねるあまりにもう一杯一杯で、そんな事には気が回りもしていなかっただけなのですが。……うん、これを言ったらまた睨まれそうだ。黙っておこう。



「ま、そういうわけでね。さっきメル達とも話したのだけれど、聖女の一件についてはいったんお兄様に押し付け……もといご報告を差し上げてから、その判断を仰ぐ事にするわ。私達の立ち位置から言っても、それ以上に出来るような事は無いしね。」


「あとついでに、例の魔人の扱いについてもな。おうノマ、お前帰ったら責任取って、ドーマウス卿の胃薬になってやれよ。例の体力を分け与える妙な術でさ。ただでさえ不測の事態に備える為に、王城に詰めて気を張ってたんだ。下手すりゃあ血ぃ吐いて倒れるぜ、あの兄さん。」


「はい……、そんな事で宜しければ、いくらでも。ああ、でも自分用の胃薬も、買い込んでおかないといけませんね……。王都にどこか、生薬を扱っているお店ってありましたっけ……。」


「たーんと用意しておきなさいな。王都に戻ったら嵐が来るわよ? なにせ聖人の称号ともなれば、教会の連中が首を突っ込んでくること間違い無し。おまけにそれが、言葉で以って御す事の出来る第一級の戦力と来た日には、貴方を自派閥に保持している王太子派とそれに抗したい王女派の間で、身柄の奪い合いだって始まるでしょうね。」


「なにそれこわい。」



 自業自得の末路とはいえ、自らを待ち受けるあまりにも過酷なその運命に、思わず遠い目となって天を仰ぐ。なんたることか。おお、神よ。これが私の犯した罪に対し、貴方の下した罰であるとでもいうのでしょうか。あ、うちは浄土真宗なんで、邪神さんは呼んでいません。お帰り下さい。


 白目をむいてヨロリラと、右へ左へと揺れる小さな身体に、ヒョイと突っ込まれましたはゼリグの手。無抵抗な宇宙人の如くにぶら下げられた我が肉体は、そのまま小さな椅子へと直行し、装飾の施された酒杯の前に、ストンと設置されたところで我に返った。


 赤い液体と干した果実をまじまじ眺め、それからチロリと隣を盗み見る。これは仲直りの申し出か、はたまたあるいは、いったん飲んで忘れちまえというお誘いか。まあ、今は両方かな。とはいえせっかく用意して貰った労いである、ここで手をつけぬのも失礼というもの。しからば早速。うん、苦い。



 うーむ、それにしてもゼリグの奴め。この私が隣に座っているというに、ばつの悪そうな顔をして目を背けおってからに。はい、私もです。気まずい。キティーもチラチラと気にしておるし、ここはもう少しばかり、言葉を尽くしておくべきか。


 心の機微というものは到底言の葉にのせきれぬものではあるが、かと言って口にしなければそもそもにして伝わらぬ。ほんにまあ、難儀な事であるものよ。



「ゼリグ、キティー。その、今更終わった話を蒸し返すつもりもありませんが、それでも改めて、謝罪をさせて下さい。あなた方に不愉快な思いをさせた事、本当に、申し訳ございませんでした。」


「……あー。もういいよ。止めてくれ、ノマ。お前みたいなガキにそんな畏まって頭を下げられたとあっちゃあ、こっちのほうが惨めな気分になっちまう。」


「あ、でも皆さん方の保護者気取りは止めませんからね。私には災難を退けて、大勢の人を守れるだけの力があります。で、ある以上はそれこそが私の矜持。譲る事の出来ない線引きですから。」


「お前なぁ!? 謝りたいのか煽りたいのかどっちだよっ!?」


「ふふふふふ、持てる者が持たざる者を目にかけてあげるのは、当然の事でしょう? 私がそうであってこそ、亡くなられた方々へのご供養にもなろうというもので…………むぎゅぅぅぅぅぅっ!?」



 モチモチほっぺをわっしと掴まれ、ぐにりぐにりと捏ね回される。うむうむ、いつもの調子が戻ってきた。これでこそ、私達らしい関係性と言えるであろう。でもすいません、それ以上は伸びないんですっていうか痛い痛い痛い! 千切れる!? 千切れちゃうっ!!?


 ドッスンバタリと暴れに暴れ、ぷいにゅん! っと頬を解放された、その勢いで以ってべちゃりと突っ伏す。そしてそんな私達の醜態を、口元を緩めながら見守っていたキティーの奴が、不意にすぅっとその瞳を細めたのを、私は見た。



「……それでねぇ、ノマちゃん。結局のところ、貴方は何者なのかしら? 私達を、『箱庭で飼われている人間』と呼んだ事の意味するところも、とってもとっても、気になるわねぇ?」



 放たれたその言葉に、思わずビシリと凍りつく。油を指していないブリキの如く、ギギギと上げた顔と向かい合うは、目だけが笑っていない桃色の顔。いかん、興奮して口をついた先の一言、とんでもない失言であった。


 いやさ、実を言えば、私に己の正体を隠そうという意図は無い。当初こそ、前世だの日本だのという突拍子の無い話は、私に対しての不信を買うだけであろうと思い、口を噤んでいた事は事実である。しかしながら、口を噤む事それ自体が、私への不信に繋がってしまうようでは本末転倒も甚だしい。


 もはやこの二人とも、知らぬ仲というわけでは無いのだ。ならば、妙な疑心暗鬼に陥るよりかは包み隠さずに話してしまい、互いに気を楽にしたほうが吉というもの。己自身でもそこまでわかっているのだから、これまでにも何度か口を開こうとしたことはあった。だが問題は、それをどう伝えたら良いのかという事である。



 前世を語るは別にいい。だが、こうして転生を果たした何故を語るにあたり、どうしても触れなければならない部分がある。あの邪神『無貌の神』の存在だ。推定ではあるが、彼奴はこの世界の創造主であると同時に、キティーらの崇める『白の神』であり、そしてマガグモらの崇める『混沌様』でもある。まさにここは、あの男が好きに弄る箱庭なのだ。


 流石にそのような世の真実を、彼女らに明かしてしまってもよいものか。そこを隠してただ生まれ変わったとだけ伝えるにしても、ゼリグはともかくとして、キティーは神に仕える神職である。私の転生にどのような神の思し召しが隠されているのか、その御心を推し量るべく、根掘り葉掘りと質問攻めにされるであろう事は、容易に想像のつく話であった。


 私は嘘が苦手だ。誤魔化しも下手である。神学校時代に論戦において、百錬錬磨を積んだという彼女の手腕にかかってしまえば、私の拙い取り繕いなどあっという間に丸裸にされてしまうは間違い無かろう。かといって、分が悪いからと口を噤んでしまえば堂々巡り。私への不信感は、晴れることもなく持ち越されるだけである。


 この世は作り物であり、人族も蛮族も化け物も、全ては与えられた役割を演じるだけの、キャラクターに過ぎない。私はそれでも、彼ら彼女らが意思ある存在である事を知ってはいるが、少なくともあの男からの認識はそうであるはず。その事実は彼女達に、己の存在理由への疑問すら抱かせかねないような、暗い暗い裏の話だ。だからこそ、とても口にするには憚られた。



「……やっぱり、話してくれないのねぇ。今までそれなりに仲良くやってきたとは思うのだけれど、私達って、そんなに信用されていないのかしら?」


「……すみません。これはその、とても難しいお話でして……いつか、どうしても話さざるを得ないような機会がくれば。としか、今はお答えする事が出来ません。」



 当然とも言えるその疑問にポツリと答え、俯いて唇を噛みしめる。そんな私は次の瞬間、不意にひょいっと持ち上げられて、そのままゼリグの膝の上に座らされ、後ろから静かに抱きしめられた。



「なあ、ノマ。お前が話したくないってんなら、それでいいよ。でもよ、お前は何か悪意を持ってアタシ達の中へ入りこんで、騙しているわけじゃあ無い。それだけは、信じてもいいよな?」


「勿論です。それだけは無いと、断言させて頂きますよ。あなた方が私の友である限り、私もまた、あなた方の友であるのですから。」



 ゼリグの鼻がスリスリと、赤く腫れた頬に擦りつけられる。それと同時に伸びた手が、服の中に入りこんで、無遠慮にまさぐるに至り幾らなんでも調子に乗んなと、私は彼女の二の腕をきゅうと抓り、舌を出してやったものである。


 願わくば、何時までもこのような、くだらないやり取りをして過ごしていきたい。そう願う私の顔を、目を細めたままのキティーは何も言わず、じぃと見ていた。




 こんな展開をしたら面白いんじゃないかな、と考え付く事は、大抵が突拍子も無いお話です。そしてそんな突拍子もない状況に至るにあたり、各人物は何を思って行動を起こすのか。いくら言葉を重ねても、人間一人を語り尽くすのは容易な事ではありません。



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― 新着の感想 ―
[良い点] まぁ別にこの世界に限ったことではないんですよね。水槽の脳、シミュレーテッドリアリティ。 果たして「ゼリグやキティーたちが邪神によって作られた箱庭の人形」なのか「ノマがそんな『真実』という記…
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