難題、ノマちゃん聖女事件
「それでは、中央の皆様方。かの『聖女様』の一件、くれぐれも、宜しくお願い致しますよ。」
「はぁ……。もちろん王女殿下へのご報告は上げさせて頂きますが、しかしその……教会から聖人認定されていない彼女を聖女呼ばわりなどと、そのような人心を惑わす真似に果たして裁可が頂けるかどうか……。」
「だからこそ、中央で力を揮う事の出来る貴方のような名家の方に、お頼み申し上げているのですよ。メルカーバ卿。それに実際のところ、あのノマという少女が本当に聖人であるかなぞ、我らにとってはどちらでも良いのです。大切なのは、民衆から『どのように思われているか』という事なのですからな。」
戦い終わって日が暮れて、けれども私達の『戦い』は終わりません。場所を砦の一室へと移し、灯火を頼りに侃々諤々と話し合われた事後処理は、ようやくもって、その節目を迎えようとしていました。
とはいえ、私なんぞはメルに請われて同席しているだけで、なんら決定権も持たないので気楽なものです。砂糖壷から一粒摘まんだ四角いそれを、お茶に加えてくーるくる。ああ、しまった。また入れ過ぎましたかね。
そうこうするうち、言うだけ言ってくれた諸侯軍のお偉方は、これで話は終わりとばかりに一人また一人と席を立って、扉の向こうへと消えていきます。おそらくは自領の兵達の元へと戻り、遅ればせながらも戦勝祝いのどんちゃん騒ぎに加わるのでしょう。
内心の不安を押し殺し、それでも部下に余裕ある姿を見せなければならないとは、人の上に立つというのもご苦労な事で。
「ふぅ。やれやれ、ようやく落ち着いたわねぇ。メルもルミアン様も、お疲れ様でした。」
「……キリー。そう思ってくれるのであれば、もう少し貴方も矢面に立ってくれると、ありがたかったのですけれどね。」
「生憎と、今の私は教会に所属しているわけでは無いし、まして貴族ですら無いわ。発言を求められなければ、口を開く機会も無いってものよ。」
甘くなり過ぎたお茶をくっと流し込んで喉を潤し、憮然とした顔の友人を前に茶器を置きます。そう広くも無い部屋に残されたのは、ドーマウス家当主の実妹の肩書で参加をさせられたこの私、キティーことキルエリッヒと王国中央の名代二人。それと、おまけでもう一人。
「……なーんでさ、名家の生まれでも無いただの雇われ者のこのアタシが、偉い様方と同席して話を聞く破目になってんだろうな。なぁ?」
「ノマちゃんがアレだけ派手に目立ってしまった以上、あの子に意見して動かす事の出来る私達も、それだけ注目を集める立場になってしまったという事よ。ま、元はと言えばあの子を拾ってきたのはアンタなのだし、これも運命だと思って腹を括りなさい、ゼリグ。」
「ははは、そいつぁいい。上手くすればノマの奴を利用して、このアタシも一躍お偉いさんの仲間入りってか? 勘弁してくれよ。」
ヒラヒラと手を振る我が相棒は、それだけ言うと机の天板にべちゃりと突っ伏し、手つけずのお茶に小さく波を作ります。あわや開きにされかけた彼女も朝からこっち、ずっと働き詰めとあってお疲れの様子。でもまあ、これでようやく一区切りです。ほら、お砂糖でも齧って頑張りなさいな。
「……あはは。その、えっと。ゼリグさんも、弱々しい所を見せたりすることもあるんですね。ちょっと、意外です。」
「おいおい若様。一応さ、これでもアタシは女なんだぜ? 時には弱音の一つも吐いて、誰かにしな垂れかかってみたくもなるもんさ。」
「すみません。なにせ私の周りには、鉄から削りだしたような女性ばかりであったものでして。女の人っていうのはみんな、男よりずっと強いものだとばかり。」
「お、いつの間にやら言うようになったじゃないか。流石に死線を潜っただけはあって、一皮剥けて男らしくなっちまってまあ。なぁ、騎士団長様もそう思うだろう?」
「ん。まあ、命を懸けて想い人を守ろうとしたとは聞いています。その胆力、多少は認めてあげなくもないでしょう。ところでルミアン、その『鉄から削りだしたような女』とは、まさかこの私も含んでいるのではないでしょうね?」
「い、いえ、そのような事は……って、想い人って誰から聞いたんですかそれ!?」
女三人寄れば姦しい。身分の差はあれ、共に魔人の脅威と向かい合って、最後まで戦い抜いた間柄です。その仲間意識からかすっかり口調の崩れたゼリグを前に、メルもルミアン君も苦笑いこそすれ、咎めるつもりも無い様子。おっと、一人は男の子でしたね。
まあ実際のところは魔人を撃退した立役者であり、何よりノマちゃんとの縁深い彼女のご機嫌を取る事で、唾をつけておこうという狙いもあるのでしょうが。ゼリグもそれがわかっていて、少し調子に乗っているのかもしれません。と、いうのは物事を穿って見過ぎでしょうか。
で、目下の問題はそのノマちゃんです。一難去ってまた一難、これまた厄介な事になりそうなお話でして、この仕事が終わればしばらくは落ち着けそうだと思った期待もどこへやら。
「はいはい。みんな打ち解けてくれたのは結構だけれど、今は話を戻しましょうか。まず状況をまとめると、私たち王国軍は結果的に、見事に侵攻してきた蛮族共を撃退して勝利を収めました。ざっと負傷者の中を駆けずり回って見た限りでは、人的被害も殆ど無し。ここまでは、まぁ、結構なことであるのだけれどねぇ……。」
「……で、その代わりに新たに発生した問題が、『魔人』を名乗る正体不明の化け物の出現に、数十年ぶりに姿を現した『天蓋落とし』。そして、それを打ち砕いて目立ちに目立ってしまったノマさんを、神聖視する危険な動き、ですか。いやはや、勘弁して欲しいものですねまったく。」
空になった茶器の縁をツツイとなぞり、ぼやくように話を切り出した私に続いてくれたのは、口元を引き攣らせてこめかみを揉む騎士団長様。まあ、お兄様に報告して後の判断を任せることの出来る私達と違い、メルは自らが責任を取らなければならない立場です。その心労は、既に結構なものがあるのでしょう。
そもそもにして、この『ノマちゃん聖女様問題』。何とも頭の悪い字面のこの難題は、その発生直後においては一部の感極まった連中による、小さな声でしか無かったのです。ところがその小さな波が、人から忘れられて自然に立ち消えるのを期待するには、些かばかり状況が悪すぎました。
人族蛮族を問わず襲い掛かる銀の怪物に、昼間だというのに活発な活動を見せた怪鳥『槍羽根』。ようやくにそれらを撃退して、一息がつけたと思ったところにあの『天蓋落とし』の出現です。
それは正直この私ですら、もう後はどこかに潜んでいるのだろうノマちゃんが、あの空の蓋を何とかしてくれる事に賭けるしかない程に、絶望的な状況でした。まして、彼女の存在を知らぬ諸侯軍の兵達からしてみれば、その心中は如何ばかりか。
遮られた光が落とす影と共に、私たち王国軍にのしかかる暗澹たる空気。その中にあってそれを天蓋諸共に打ち砕いたノマちゃんの雄姿は、確かに神の御使いと見紛うばかりの劇的なものでした。あまりにも、劇的過ぎたのです。なんでよりにもよって、白銀の羽根なんか生やしちゃったんでしょうかあの子ってば。
度重なる不測の事態に、救いを求める人々の声。今にして思ってみれば、そんな需要に見事に一致してしまった彼女の活躍が、不安に怯える心の拠り所となってしまったのも無理はありません。気が付けば夜を待たずして、件の『聖女様』はこの北方都市の中にもすっかり広まり持て囃されて、大きなうねりとなってしまっていたのです。
そしてこれ幸いとその噂に飛びついたのが、民衆を治める責務を持った諸侯の皆さん。実際のところ、彼らも空から落ちてきて地面に突き刺さるポンコツ聖女には懐疑的ではあったものの、まぁそれはそれです。なにせ民心に広がりつつある暗い影を払拭するに、国の危難を救う聖人の出現は、彼らにとって実に都合の良いものだったのですから。
で、その噂を真実のものにせんと欲した彼らによって、ノマちゃんを我らが王国の聖人として認めるように、中央へ働きかけて欲しいと念入りに頼まれてしまったのが先ほどの事。いやいや、あなた方は地方から声を上げるだけで良いのかもしれませんが、これは後々絶対に荒れます。賭けても良いくらいですよ、お腹痛くなってきました。
先ほどメルも口にしていましたが、聖人認定されているわけでも無いノマちゃんを、『聖女』であると追認しろなどと教会が黙っているわけがありません。それに今でこそドーマウス伯爵、並びにマッドハット侯爵の子飼いである彼女ですが、それだけの影響力を持ってしまえばさらにその上が口を挟んでくる事間違い無し。
特に今回の派兵にあたり、我が親友が団長を務める血薔薇騎士団をねじ込んできた王女殿下は、当代一の野心家であると聞き及んでいます。まず間違いなく、ノマちゃんを囲い込んで自分の手駒の一つとすべく、手を出してくる事でしょう。
……いや、この際いっそあの子を押し付けてしまって、その維持管理の一切を任せてしまうのも手でしょうか。最悪、王城が爆発するかもしれませんが。
「ノマさんが聖女、ですか。私としては、悪くない話だと思います。幸いな事に彼女が化け物であるという悪評も、この騒ぎですっかりと吹き飛んでしまいましたし。」
「ルミアン、後の影響を考えなさい。国から認められた聖女ともなれば、王城に出入りして祭事にも携わる事になる立場です。今のところ彼女は好意的に振舞ってくれてはいますが、それでも未だその出自がはっきりしない、正体不明の存在である事に変わりはないのですよ。」
「しかしメルカーバ卿、当初予定とは大分と違いますが、これで化け物が国の中枢に入り込んでいるのではという、兵達の不安を払拭できます。それに魔人という新たな脅威に対しても、神に遣わされた聖女というわかりやすい象徴は、民心を安定させる為に役立つはずです。」
「その考えに理解は示しましょう。ですが王女殿下直属の騎士である私の立場としては、その出自すらも定かでは無い者が、王家の方々に近づくのを看過するわけにはまいりません。」
「あー……。盛り上がってるところ水を差すようで悪いけどさ、そもそもにしてノマの奴が、アタシ達の都合で『聖女』だなんていう面倒くさそうな立ち位置に就く事に、首を縦に振ってくれるとは限らないってのを忘れちゃあいないかい?」
互いに主張を交わす現役貴族のお二人様に、冷や水を浴びせたのは赤毛の相棒。確かにノマちゃんはアレで結構面倒くさがりで、必要が無ければ大抵ゴロゴロしています。話を引き受けさせるところまで持っていければ、あとは責任持って動いてくれるのですけれどね。
ちなみにその当人はといえば、この会議が始まる前に、貸し与えられた自室に寝具と一緒に放り込んであります。合流直後こそ何やら焦りつつも、周りからチヤホヤと持て囃される事に満更でも無い様子の彼女でしたが、それも魔人の名が出てくるまでの事。
『踊るフルート吹き』、そしてそれを背後で操る謎の存在、『魔人ノスフェラトゥ』。それらの存在が戦場に及ぼした影響を聞くにつけ、彼女は見る間に顔色を失って、ダラダラと脂汗を流し始めてしまったのです。見えぬ脅威に怯えるその姿は彼女らしくもなく弱々しくて、残念な事に、それは私の仮説を裏付けてしまうに十分なものでした。
「ま、とはいえアイツは人から頼られて、手伝ったり教えたりするのが大好きな奴だ。引き受けてくれるかってのはまあ、五分五分ってぇところかな。それと出自がわかんねえのが問題だって言うのなら、たしかお前、推察してたよな? キティー。」
冷めきったお茶をぐいと呷ったゼリグの奴が、話してやれよと言わんばかりに視線を向けます。途端、それを筆頭として私へ集まる六つの瞳。まあ別段、隠し立てするような話でもありません。
いえむしろ、考えようによってはこれこそが本題であるとも言えるでしょう。例えノマちゃんが嫌がったとて、無理やりにでも聖女として祭り上げ、矢面に立って貰わなくてはならない事態。そんな苦境の入り口に、私たちは知らずの内に、立たされてしまったのかもしれないのですから。
「そうねぇ……。正直言ってアレが正しいのだとすれば、ノマちゃんを聖女として立てるなんて、ますますとんでもない話ではあるのだけれど……。」
「キリー、事の是非は、私たちでは無く国政に携わる者が判断することです。勿体ぶらずにまずは一度、話してみてはくれませんか。」
「それもそうね。言っておくけれど、これはあくまで推測の域を出ない話よ。それでも魔人の名を出された時の彼女の様子から察するに、それなりに的を射てしまっているのでは無いかと思うわ。」
友人から水を向けられた事を皮切りにして、私はノマちゃんについて知っている限りの事実を交え、己の推論を口にします。
東のはずれの山中に、ボロボロになった姿で隠れるようにして倒れていた事。
人間の血を欲する吸血鬼という化け物でありながら、それでも人の中に居場所を求め、王都に身を置こうとしている事。
元は人間であったと主張するわりには、自らの出自について、頑なに口を開こうとしない事。
これらの情報から察するに、彼女とこの数か月を共に暮らしてきた私の行きついた結論は、そもそもこの子は人外の怪物ではあるものの、私達の知るいわゆる『化け物』では無いのではないかという事でした。
確かに彼女は人を食糧とする点において、槍羽根をはじめとした他の化け物と近しいものを持っています。ただしそれ以外の行動は殆ど人間と変わりませんし、何より連中の崇める『混沌』という異端の神を、崇め奉る様子もありません。
彼女が本当に化け物であるのなら、自らの出自を聞かれた際に、その祖であるという異端の神について嬉々として語るはずです。にも関わらず、あの子は敵対するはずの五色の神を祭った教会にまで興味本位で入りこんで、祭壇へ妙な遊戯盤の供え物までする始末。
彼女は『化け物』ではありません。しかし化け物です。ではいったい、ノマちゃんとは何者であるのか。私はかねがね、その正体について考え込み、憂慮するところではあったのです。いえ、別にその正体を暴く事で彼女に対して有利を取って、小生意気なガキを身も心も征服してやろうとは思っておりません。本当です。
そして悩みはするものの進展を見せなかったその考えに、一石を投じたのが此度に現れた魔人の存在。連中は蛮族はおろか化け物とすら敵対をする、正体不明の謎の怪物です。仮にその存在を、同じ正体不明の怪物である、ノマちゃんに当てはめてみればどうなるか。
ふとしたこの思い付きは、私の頭の中でみるみるうちに点と点とを繋いでいき、彼女の正体について劇的な氷解をみせるに至ったのです。つまりノマという少女は、ノスフェラトゥなる親玉の元から何らかの理由をもって逃げ出した、魔人という怪物の一体である。そういう事だったのでしょう。
木を隠すならば森という事でしょうか。これならば彼女が殊更に人を装い、私たち人族の中に居場所を求める理由も納得が出来ます。と、同時に頭を抱えるものでもありました。なにせつまるところ、王国はあの子を身の内に抱え込んでいるその限り、『魔人ノスフェラトゥ』なる存在と敵対せざるを得なくなってしまったのですから。
「……と、まあ一しきり持論を語らせて貰った訳だけれど、何か聞きたいことはあるかしら?」
陶器の茶出しをヒョイと手に取り、冷めてしまったお茶を自分の茶器へと注ぎます。目に映るものは頬をヒクつかせる我が相棒と、頭を抱えてしまったメルとルミアン君の、何とも言えないその姿。わかります。わかります。いや本当、どうしましょうねこの状況。
「その……、不義理を承知で言わせて頂くのなら、仮にノマさんを王国の外へと追い出してしまえば、少なくとも我々は、魔人の脅威から逃れることが出来るのではないでしょうか?」
「その場合、魔人ノスフェラトゥとやらがノマちゃんを追って離れていくか、それともあの子が本当に居ない事を確認する為にこの国を破壊し尽くしにくるか、二つに一つってところでしょうね。なんなら賭けてみるかしら? 掛け金は私達の命でね。」
ひらりと手を振って意地悪な事を言ってのける私を前に、それきり唇を噛んで俯いてしまうルミアン君。統治者の立場からすれば彼の言う事も尤もですが、現状で私達の最大戦力であるノマちゃんを追い出すというその選択は、少々ばかり博打が過ぎます。
それに個人の立場から言わせて貰えば、これまで散々に助けて貰ったあの子を都合が悪くなったから追い出すなどと、忘恩の極みも良いところでしょう。いやまあ、そもそもにして彼女がこの国に近づいてこなければ、こんな厄介ごとに巻き込まれる事も無かったという見方も出来ますがそれはそれです。
なにせ彼女が居なかったとした場合、過日の白ガエルの一件と、今回のオークの侵攻に端を発した一連の騒動。この部屋にいる四人の内、その二つを乗り越えた後で何人が生きていられたか、いやそもそも乗り越える事が出来たのかなどと、わかったものでは無いのですから。
「……なるほど、話はわかりました。そしてその口振りだと、貴方はノマさんを聖女に仕立て上げる事に、賛成の様子と見えますね。キリー。」
「正確に言えば聖女云々はどうでもよくて、将来起こるであろう魔人の攻撃に抗する為に、ノマちゃんをしっかりと抱き込んでおくべき。と、言うところかしらね。もうここまで来たら一蓮托生よ。お膳立てはしてあげるから、あの子には自らに降りかかる火の粉をしっかりと払って貰わなくちゃあね。」
「キティーの推論が当たっているかはともかくとして、魔人とかいうめったやたらに攻撃的な連中が現れたのは確かなんだ。ましてアタシ達は、その魔人『踊るフルート吹き』を降して撃退しちまった。ありゃあ絶対に、目を付けられるぜ。いざという時にノマを頼れるようにしておこうってのには、アタシも賛成だな。」
来たる魔人との戦いに備え、どのような形であれ、ノマちゃんには出張って貰えるようにしておくべき。メルへと返した私の主張に、ゼリグが乗っかって補強をします。さてその場合、問題はかつてこの国に隠れ潜む事を選択したノマちゃんが、果たして矢面に立ってくれるかということなのですが。ふむ。
こればかりは彼女に掛け合ってみなければわかりませんが、正直なところ、芽はあると見ています。白ガエルの時といい、道中での槍羽根との一戦といい、彼女はなんだかんだで自分が必要とされるのであれば、目立ってしまう事も辞さないという姿勢をみせていました。
まして今回の天蓋落としを打ち砕いたあの一件は、彼女を追ってきた刺客が未だ近くにいるかもしれないというその最中に、白昼堂々行われたのです。見ようによっては、あれはもう逃げずに立ち向かってみせるという、あの子なりの決意表明であったのかもしれません。単純に、何も考えていなかった可能性も、無くはないのが恐ろしいですが。
とはいえ、無理強いは禁物です。あの子は自分を軽んじられる事を嫌いますし、都合よく利用してやろうという態度を見透かされればヘソを曲げられてしまいます。私としても、いくら必要なことであるとはいえ、その為に彼女との信頼関係を失いたくはありません。
どうにか穏便に、それでいてノマちゃんの顔を立てて、こちらの要求を呑んで貰わなくてはならないでしょう。ちなみにそんな面倒をかけず、人質でも取ってやれば良いとかいう短絡な事を言い出す輩がいれば、速やかにブチ転がしてやる必要があります。
あの子を従わせようと安易な手段に走り、私達に失望をされてしまう事は最低の悪手。その結果としてこの国なら出て行かれてしまうのならばまだマシで、最悪となれば魔人の攻撃を待たずして、王都が瓦礫の山と化してしまうこと間違い無し。
……うん、なんだか自分で考えていて、憂鬱になってきましたね。やっぱり今からでもノマちゃんを木箱に入れて、元居た山に返してきては駄目でしょうか。まあそんな選択が取れる段階は、とうの昔に通り過ぎてしまいましたが。はぁー。
「……はい、それじゃあめでたく皆、陰鬱な空気に浸れたところでいったん結論と参りましょうか。」
さて、何時までもドンヨリとしているわけにもいきません。パシンと一つ手を叩き、再びに集めた注目の中、私達が進むべき方向性を語ります。とはいえその半分は、私達で裁可できることでも無し、お偉い方々に丸投げとなりますが。
「聖女の一件に関しては、各々が王都に持ち帰った後で自分の上役に報告し、王城での判断に委ねましょう。魔人への対応についても同様です。ただしそれにあたって、ノマちゃんに立ち上がって貰えるかの説得については、必ず私達を通すようにして貰ってください。」
「アタシの立場で言える話でも無いだろうが、異論は無いぜ。妙な輩がアイツに高圧的にあたりでもして、惨事でも引き起こされたら堪ったもんじゃあないからな。」
「わ、私も王都へ帰還次第、父上に報告をさせて頂きます。父はキティーさんのお兄様であらせられるドーマウス伯とも縁深い立場ですし、なにより王城における王太子派の筆頭です。きっと事が上手く運ぶように、取り計らってくれるはずです。」
「ふふふ。事はもう、派閥がどうこうと言える状況でも無くなってきたようですね。私も王女殿下へご報告差し上げる際は、キリーを通さずに直接の接触を図ることはお止めくださいと、念押しをしておきましょう。」
「あー…………。やっぱりノマちゃんの事、王女殿下は欲しがるかしらね?」
「…………ええ。なにせ個人で一軍をすら上回る戦力です。それを味方として御せるとくれば、まず間違いなく。」
あせあせと周りを見渡すルミアン君と、しかめっ面で腕組みをするゼリグが見守るその中で、友人と二人、深く深く息を吐きます。現状での王都の勢力は、お兄様とマッドハット卿を通じてノマちゃんを有する王太子派が、断然有利と言ったところでしょうか。ただし彼女の価値についてどの程度、気づいている人が居たかはわかりませんが。
しかしそれも、もはや昨日までの話です。得体の知れぬ怪物少女が聖女を名乗るとくれば、教会も黙ってはいないでしょうし、王女殿下も自ら介入を図る事でしょう。間違いなく王都は大荒れ、王城も上を下への大騒ぎです。我らが王国の明日はどっちだ。
「ああ、ドッと疲れたわね本当。ところで、他の皆はどうしてるのかしら? 出来たらあの猫耳ちゃん達で癒されたいのだけれど。」
「クロネコ達なら、既に兵達の中に混じって大騒ぎをしてますよ。ノマさんの事をこれでもかとばかりに持ち上げて、聖女の噂を広める為の広告塔と化しています。」
「……いや、ルミアン様。あの子達は貴方の使用人でしょう? 知っているのなら止めなさいよ。」
「……その、止めたんですけれど……興奮しきったクロネコ達に引き摺られたあげくに扉に引っ掛かって、そのまま置き去りにされまして。」
「……もうちょっと、飼い主として、ちゃんと躾をしてあげたほうがいいわね。」
「……はい。」
やれやれです。まあ仮にあの猫耳ちゃん達が自重していたとしても、遅かれ早かれ噂は広まった事でしょうが。そういえば使用人といえば、シャリィちゃんはどこに行ったのでしょう。先ほどマリベル女史と、何やら話し込んでいるのは見かけましたが。
まあ、今は考えても詮無きこと。長々続けた話し合いも、漸くに一段落がついたのです。今日の所はお酒でも飲んでゆっくりと身体を休め、明日に備えるべきでしょう。ああ、そうだ。帰るついでに道中なにか、ノマちゃんへ甘い物でも買って行ってあげましょうか。
疲れに効くのは美味しい甘味と、古来より相場が決まっています。ましてノマちゃんは甘い物に目が無いとあり、かの魔人と向き合う事に神経を削らせてしまった事への見舞いとしても、これから切り出す頼み事のご機嫌伺いとしても、大いに役になってくれる事でしょう。さて、何が良いでしょうかね。
「それじゃあ、私はこれで、お先に戻らせて貰うとするわ。ゼリグ、アンタはどうするの?」
「そうだな。外の馬鹿騒ぎに立ち寄って、何か酒と摘まみでも貰ってくるよ。今ならノマの奴も、酒の勢いで何か話してくれるかもしれないしな。」
「お酒の勢い、か。悪くないわね。私は甘味を買ってくるから、それであの子を攻め立ててみるとしましょうか。」
そのやり取りを合図に席を立ち、軽く手を振り別れを告げて、部屋を出ました。ひとけのある屋内とはいえ広間から離れた廊下は暗く、石造りの壁からヒヤリと漂う冷気が肌に染みます。
どこか遠くから流れてくる調子はずれな歌に混じり、聞こえてくるのは聞き覚えのある商人の声。あの男もズタボロになっていた割に、しっかりと酒にはありつこうというあたり頑丈なものです。いえむしろ、この聖女騒ぎの危うい熱狂に、何か金の匂いでも嗅ぎつけたといったところでしょうか。
さて、甘味か。あの男なら、そういった嗜好品も取り扱っているやもしれません。どうせなら、負けに負けさせてふんだくってやりましょう。なにせアイツ、一度はノマちゃんを売り飛ばした癖に、妙にあの子と親しげなのです。気に入りませんね。
口元を歪めてニヤリと嗤い、悪い顔をしながら踵を返したその足は、いつのまにやら後ろに立っていた銀の少女を目に留めた事で、ピタリと動きを止めました。……彼女は自室に戻っていたはずですが、何用でしょうか。
何時も身に着けている真っ赤なドレスを脱ぎ捨てて、薄い夜着に着替えた彼女はどことなく煽情的で、何とも言えず嗜虐心をそそられます。ですがその弱った姿とは裏腹に、銀糸の髪から覗く瞳は真っ赤に滾り、何かを決意したような意思の光を放っていました。ついに、来るべき時が来たのでしょう。彼女がその秘密を、明かしてくれる時が。
「キティー、お二人にだけ、話したい事があります。ゼリグを呼んできてもらえませんか。」
「……私達、二人にだけ?」
「はい。いきなり大勢の前でこの事実を伝えてしまうのは、無闇に混乱を招くだけかと思いましたので。」
「……わかったわ。でも少し、待っていてもらえないかしら。何も無しでは貴方も口にしづらいでしょうし、どうせなら少しばかり、お酒でも楽しみながらと洒落込みましょう?」
軽く微笑みながら作ってあげた優しい声音に、ノマちゃんも少しばかり肩の力を抜いて、静かに頷いてくれました。果たして私の推論は当たっているのか、それは定かではありません。ですが彼女の話してくれる真実がどうであれ、彼女が私達を裏切らない限り、私達も彼女を裏切らない。それだけは確かです。
そっと差し出した右腕に、静かに添えられる小さな手。その指はいつになく冷たくて、そして今にも消え入ってしまうかのように、自信なさげに少しだけ、震えていました…………。
着実に広がっていくノマちゃんの影響範囲。そしてついに明かされる彼女の秘密。




