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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
66/152

決戦、魔人ノスフェラトゥ

「おい、待てよリーナ! さっきからおかしいぞお前! 何があったってーんだよ!!?」


「うっさい! とにかくバルバラ、さっさとここいら一帯からズラかるわよ! でないと命がいくつあっても足りやあしないわ!!!」



 頭上に生い茂った枝葉の落とす影の中、幼馴染のゴブリン娘、リーナに手を引かれた俺は森の中をひた走る。しかも俺達だけじゃあない。先陣を切るその後ろには、汚れた軍旗や負傷者を担ぎ上げた氏族の男衆が俺を見失うまいと、必死の形相で追いかけてきているのだからなんともはや。これじゃあまるで敗走じゃないか。


 まだだ。まだ俺は戦い抜いていない。例え最後には朽ち果てるとしても、俺はまだ燃え尽きちゃあいないのだ。剣が折れ、矢尽きるまで戦い抜いてこそ戦士の本懐。だというのに強敵を前にして、尻尾を巻いて逃げ出したなんぞとあっちゃあ、ご先祖様に合わせる顔も無い。



 顔を歪めて歯噛みをしつつ、俺を先導する幼馴染の小さな腕を、じっと見つめる。この手を振り払う事は簡単だ。この臆病者をさっさと振り払って放り出し、男衆を叱咤して戦場に戻ってやろうかと頭をよぎるが、しかしそれも躊躇われた。本当は俺にだってわかっている、リーナの選択は、きっと正しい。


 なんせ今の俺は、偉大な親父から後の事を託された、炎狼氏族の族長なのだ。一人の戦士としてその誇りは守らなければならないが、同時に氏族を纏める責任ある立場として、里を存続させていかなければならないという義務もまたある。俺の意地に付き合わせて、ここで男衆に無駄死にをさせるわけにもいかないだろう。



 それは、わかっている。わかっちゃあいるのだが……ああ、それでも畜生。戦い足りねえなあ。




 突如として戦場に姿を現した、魔人を名乗る銀の女。そしてその魔人がけしかけてきた、これまた得体の知れない銀の怪物。斬っても突いても、まるで応えないその不死身っぷりに攻めあぐねていた俺の腕に、別隊を率いていたはずのリーナが飛びついてきたのはつい先程の事だった。


 なぜ? と、問いかける暇も無く、ゴソゴソと鞄を漁った彼女はなにやら細長い筒のようなものを取り出すと、その先端を空へと向けて、逆端の紐をぐいと引っ張る。途端に空へと打ち上げられて弾けた煙は、出陣前の会議に飛び込んできたリーナの奴が、半ば強引に決めた赤い符丁。



 『状況ニ急変アリ 全隊ハ族長ノ生還ヲ第一トシ 速ヤカニ撤退ヲ開始セヨ』



 突然の幼馴染の暴走に、一瞬ポカンと口を開けながらも空を見上げ、それから慌てて周囲の男衆を見回したがもう遅い。なにせ彼らは怪物共に追われつつも、それでも倒れた戦士達を担ぎ上げて隊列を組み直し、俺の元に馳せ参じようとして、既に行動を開始しているのだから。


 今から声を張り上げてみたところでこの混乱。ここから命令の撤回などと、到底無理な話だろう。勝手な事をしてくれたなと彼女の頭を掴み上げ、強引に上を向かせた俺はしかし、その顔を覗き込んで固まってしまった。


 リーナは、泣いていた。いつも自信たっぷりに生意気な事を言ってのけるあのリーナが、幼子のようにその身を震わせて、泣いていたのだ。十数年を共にした幼馴染の、らしくもないその弱々しい様に俺はすっかり参ってしまい、詰問の言葉すら忘れてただ促されるままに、腕を引かれるだけだった。




 で、これだ。何かに怯えるようにして走り続けるリーナの奴に、何があったのかと聞いたみるも、返ってくるのは急げ走れという焦りばかり。最初は一度、自陣に戻って態勢を立て直させるつもりであるのかとも思ったが、どうやらそういうわけでも無いらしい。


 なにせリーナの奴、多くの物資を残したままの自陣を避けて、回り込むようにして北へ北へと向かっていくのだ。その先に見えるものは小高い山々。オーク自治領の南端である俺達の里と、人族領とを隔てている、事実上の国境線である。



 しかし解せない。今回のこの一件で、彼女が俺達の為に投じた私財は莫大なものになる。しかしそれは勝利という名声を手に入れる為の投資であり、その名声で以ってデーモン共のお偉いさんに取り入る事で、更なる大商いに繋げていく。それが俺にこの話を持ち込んだ、リーナの目的であったはずだ。


 彼女の持ちかけてくれたその提案は、まだ族長の地位を継いだばかりの年若い俺にとって、まさに渡りに船というものだった。俺達オークにとって、戦歴というものは重要だ。例え前族長の実子であろうと、模擬戦で何十人と大人達を打ち負かそうと、実戦で武勇を示した事が無いものは、それだけで軽んじられてしまうのだから。


 売り込みの為に実績を得たかったリーナの利害と、実戦の機会を待ちわびていた俺の利害。それが見事に一致した事を発端として、この戦いは始まった。とはいえ今にしてみれば、リーナは立場に悩んでいた俺に払拭の機会を与える為に、わざわざ自分の身銭を切ってくれたんじゃあないかと思うところもある。


 まあそこに上手い事、自分の利益を乗せて次に繋げる一手としてしまうのが、俺の幼馴染の凄いところでもあるのだが。



 しかし、だからこそ解せないのだ。彼女は俺なんかよりも、ずっと頭の出来がいい。ここでの敗北はつまり投資の失敗であり、方々から金を工面していたリーナの奴は無一文になるどころか、借金まみれになって身を売る破目にすら陥りかねないことくらい、わかっているはずである。


 だというのに彼女ときたら、それを回避する為の策を練ろうともせずに、ひたすらに逃げの一手を打つばかり。リーナ、お前に一体何があった? 何をそんなに恐れている? 教えてくれ、お前を怯えさせるようなものは、全部この俺が叩き斬ってやる。



 そうこうするうち、ついに限界を迎えたリーナの脚が、上がり切らずに木の根に蹴躓いて転がった。俺はそんな彼女を抱き上げて全隊に休憩の合図を出すと、ぜぃぜぃと息を荒げる彼女の口に、革の水筒を近づけて水を一口含ませてやる。



「んく。ハァ、ハァ。駄目、駄目よ……バルバラ。は、早く逃げなくちゃ。立ち止まっては駄目、でないとアイツが、あの怪物が、追いついてきちゃう…………。」


「リーナ、まずは落ち着けって、お前らしくもない。ゆっくりでいいんだ、お前が何を見たのかを、話してくれ。」



 かつて見たことも無い程に狼狽した彼女の顔に視線を合わせ、その柔らかい頬に手のひらをあてて包み込む。その瞬間にもピクピクと動き回って聞き耳を立てる長い耳は、一刻も早くその追ってくる何かを捉えなければ、次の瞬間には食い殺されてしまうと言わんばかり。



「……邪神よ。信じられないかもしれないけれど、アタシ達はそうとしか思えない、理外の怪物に襲われたの。遠い昔に化け物共を世にばらまいた、連中の崇める悪の権化。その最悪の化け物が、よりにもよってこんな僻地に居やがったのよ。」



 邪神。たしか化け物共が奉じているという、『混沌』とかいう怪しげな神のことか。五色の神々と対立する悪神の存在は風の噂に聞いたことがあったが、まさかこんなところでその名が出てくるとは思いもしなかった。


 人族との争いに横やりを入れてきた、魔人を名乗る連中とも無関係とは思えないが……。もしやアレは、その邪神とやらに放たれた遣いだったのだろうか。しかし一体、何の為に?



「ごめん……アンタから預かった精鋭六十、みんな……殺されちゃったわ。アタシ、一人だけ……一人だけ生き残っちゃって……皆に、なんて詫びたらいいのか…………ッヒィ!?」


「リーナ!? おい! どうした!?」



 ポツリポツリと、顔を青ざめさせながらも己の身に起きた事を語ってくれていた彼女の耳が、何かを捉えてピクリと動いた。そして次の瞬間には、彼女は手渡してやった水筒をその場に取り落とすとプルリと震え、俺に抱きついてその身を小さく竦めてしまう。


 俺はそんな彼女を安心させてやろうと腕を伸ばして肩を抱き、そして…………。



「……も~~~ぅい~~~ぃか~~~~~ぃ?」



 今度は、俺にもはっきりと聞こえた。木々の間で反響してしまって出所こそわからないが、こちらをからかうような甘い声音の、小さな小さな少女の声。


 事前に聞いていた、如何にも恐ろし気な『邪神』という名には似つかわしくないが、本当に恐ろしい存在というのは得てしてこういうものなのかもしれない。自分は無害な存在ですよという顔をして、そっと身近に忍び寄ってくる邪悪な存在。それが、害悪の常というものだ。


 抱きかかえていた小さな身体をそっと降ろし、近くに居た部下に預ける。それから背中に担いだ大剣を降ろして構え、さぁ、どこからでもかかってきやがれと言わんばかりに、四方八方へと視線を向けた。


 さぁて邪神さんよ、俺達の何が気に喰わなかったのかは知らねえが、来るってえなら相手になってやる。襲うのなら、この俺に向かってきやがれ。



「ヒッ……う、くぅぅ~! バ、バルバラ! 後方よ! 隊列の最後尾に喰らいつかれたっ!!!」


「…………も~~~ぅい~~~ぃよ~~~~~ぅ? くひっ! ひひひ! ひひひひひひひっ!!!」



 恐怖を押し殺したリーナの叫びを最後まで聞くことなく、立ち竦む男衆を根こそぎ掻き分けてぶっ飛ばしながら、背後から聞こえた不気味な笑い声を目指して突き進む。


 そこに居たのは、そこに居やがったのは、吹き飛ばされて折り重なった木々をメキメキと踏み砕きながら、文字どうりに俺達の最後尾へ『食らいついた』巨大なうわばみ。


 全体的に丸くて太く、まるで酒瓶を横倒しにしたような不格好なその化け物は、狼狽える戦士達へと次から次に襲い掛かり、彼らを一飲みにしては腹の中へと収めていく。野郎、調子に乗りやがって。



「ははははは! さぁさ、怖がりなさい怖がりなさい! 恐怖して逃げ戻り、そしてこの国境付近には私というとんでもない怪物が居る事を、千里に渡って広げるので……ぎゃぴぃっ!!?」



 赤の神へと祈りを捧げ、神力を得た愛剣から噴き出る炎で以って、一気に駆け飛んだ俺は勢いそのままにぶち当たる。狙いは化け物の司令塔、大蛇の頭から半身を生やし、ピーチクパーチクと小うるさく喚き立てる銀の少女。


 振るった刃は狙い違わず、阿呆面を晒していた少女の腹をぶち抜いて吹き飛ばし、暴れ狂っていた大蛇の巨体を硬直させる。まずは一太刀、そして勢いに乗れたのなら、あとは一気呵成に攻めるに限る。そのまま間髪入れずに下から上へ、炎を噴き上げながら切り上げた俺の剣は、目を見開く彼女の頭を真っ二つに叩き割った。



「よっしゃぁ! へんっ! 邪神だなんだっつっても大したことは…………ある、みたいだなあ、こりゃあ…………。」


「むぐっ……!? おや! おやおやおや! 貴方は確か、私のカラスを焼いてくれたオークさん方の首魁ではありませんか。貴方がここに居るという事は、ふむ。あの子達は、どうやら上手い事やってくれたようですね。」



 勝利を確信した俺の前で、真っ二つに裂けて垂れ下がった少女は何やらブツブツと呟くと、グチャリと身を起こしてその繋ぎ目を、指の腹でトンと叩いてニタリと嗤った。いやいやマジかよ。頭を叩き割ってやったってぇのに、粘土みたいにくっ付きやがって。いよいよコイツ、本気で世の理の外に居る存在らしい。


 っていうか、カラスってアレか? もしかして気味が悪くて縁起も悪いからって、景気づけに俺が焼き落した、あの銀色で三本足の変な鳥の事か? ……やっべえ。だとすれば、余計な事をしてコイツを刺激しちまったのは俺って事じゃあねーか。


 ひくりと頬を引き攣らせながら、足蹴にしていた大蛇の頭をガツンと蹴って、大きく跳ねる。咄嗟に飛びのいたその空間に、次の瞬間殺到してきたのは大蛇の身体から生え伸びた無数の蛇。銀の少女の手振りに合わせ、シャラシャラと鱗を鳴らすそいつらを間一髪でやり過ごし、再び地に足をついて、頭上の怪物と対峙する。



「なるほど、なるほど。私は武芸の類にはトンと疎いものですが、こうして素人目で見ても、貴方が素晴らしい能力をお持ちであるという事はわかります。貴方を特別危険視した私の采配、やはり間違ってはいませんでした。」


「っは! 化け物の親玉に褒められるたぁ光栄だね。なあ邪神さんよ、その俺に免じて、どうかこの場は見逃しちゃあくれねえかい。アンタに余計なちょっかいをかけちまった事は謝るからさ。」


「ふむ。その邪神という呼称が今一つよくわかりませんが、まぁ元よりそのつもりです。ただしそれには一つ、条件というものがございまして。」



 言葉で以って邪神の興味を引き付けながら、後ろ手にした指の動きで『全隊ススメ』の合図を出す。顔ぶれまでは見る余裕が無かったが、この状況で殿を務めてくれた男達だ。俺の意を汲み、集団を動かすくらいの事は造作も無いだろう。と、いうかやってくれなきゃあそれまでだ。ここで皆、腹に放り込まれて死んじまう。



「へえ、条件ねぇ……。邪神の提示する条件なんざぁ、おっかなくて敵わねえな。それで? この俺の首でも、寄越せってぇかい?」


「いえいえ、そんな恐ろしいことは申しませんとも。ただ、ちょっとばかりね。この『魔人ノスフェラトゥ』の恐ろしさを、骨の髄まで刻み込んで、お持ち帰り頂きたいというだけでしてぇっ!!!」



 今しがたまで笑っていた少女の首が、叫び声と共にゴキリと傾いて真横に倒れた。それと同時に巨大なうわばみが、メギメギと木々を折り砕きながら、再びに動き出す。


 そんな化け物の動きを少しでも妨げようと、握り拳に込めた神力で以って放ってやった炎弾は、あの不気味な鳥を撃ち落とした時と同じように少女を捉え、その姿を業火の向こうへとかき消した。が、それも無限に再生を繰り返す邪神の奴が、焼け焦げた身体を復活させるまでの僅かな事。



「ええい畜生っ! 野郎共! 死にたくなけりゃあとにかく走れ! 走れ走れ走れぇぇぇぇぇっ!!!」


「ぞ、族長殿! 了解はしておりますが、状況がわかりかねます! 先程からのこれは一体!?」


「俺にだってわかんねーよぉ! でもアイツにとっ捕まったら食われちまう! 今はそれだけわかってりゃあ十分だ!!!」



 列の殿を交代し、男衆の尻を叩きながら、とにかく走って走って走りまくる。幸いにも侵攻の際に、この周辺の地形は念入りに調べている。そのおかげもあって、故郷との境界である山々はぐんぐんと近づいてきてはいるものの、後ろはもう大惨事だ。振り返るのもおっかねえ。



「ひひひひひ! さぁ! 怖いでしょう怖いでしょう怖いでしょう! 逃げなさい逃げなさい! 争いなどという野蛮はやめて、故郷に帰って慎ましくお過ごしなさいっ!!!」



 どかん! ばがん! と、邪神はその巨体で以って岩を砕き木々をなぎ倒し、俺が幾度となく放ってやった炎弾すらも意に介せずに、その身のあちらこちらを焼き焦がして煙を上げながら、どこまでもしつこく追ってきやがる。


 くっそぉ! 争いはやめろって、つまりてめぇら化け物の家畜になって、大人しくこの身を差し出せってか!? 冗談じゃねえ! 誰が化け物なんかの為に肥え太ってやるものか! 絶対に生き足掻いてやる!



「ぜっ……はっ……っ! バ、バルバラ! 火よ! アンタ得意でしょう!? あの化け物に、思いっきり火をぶつけてやるのっ!!!」


「リーナっ!? んなこと言われたってさっきからやってるぜそんなもん! でもみやがれ! あの化け物め、俺の炎弾をあれだけ食らっときながら、ちっとも応えた様子を見せやがらねえ!」


「いいえ! よく見なさい馬鹿! アイツ切っても突いても効果が無いけど、火で焼かれた時だけは嫌そうに身じろぎするし、再生も少し遅いの! 一気に焼き切ることが出来れば、勝ちの目はあるかもしれないわ!!!」



 走り続けるそのうちに、いつの間にか最後尾の俺の位置へと下がってきた部下の一人……に、肩車されたリーナの奴が、ガックンガックンと振り回されて息も絶え絶えになりながら、炎だ火だと連呼する。


 言われて振り向いてみれば、なるほど確かに。先ほど真っ二つにしてやった時にはケロリとしていやがった邪神の奴も、炎に焼かれた熱傷については同じように、すぐさま元通りというわけにはいかないらしい。


 俺の炎弾は痛打こそ与えられなかったものの、皮膚を炭化させて肉を焼き焦がしたその一撃は、僅かではありながら、邪神の巨体へと傷痕を残す事に成功しているのだ。リーナは、そこに付け込めと言っているわけか。まあ、それはわかった。んで、どうやってだよ?



 ぜーぜーひーひーと息を荒げながら、ジトリと睨んでやった俺の視線に応えてか、リーナは背負っていた大きな背嚢をズルリと降ろした。


 中から何かを取り出す気なのかと思いきや、そのまま背嚢を頭の上でブンブンと回し始めたリーナの奴は、勢いがついたそれをポーンと一つ、背後から迫る大蛇の大口に向けて放ってみせる。



「城壁を吹っ飛ばしてやるはずだったアタシの秘薬よ! ったく! 大枚はたいたってのにこんな使い方させられるとはねぇ! バルバラぁ! 後は任せたぁ!!!」


「っ! おう、リーナ! 心得たっ!!!」



 ドガ! っと振り向きざま、剣を地に突き立てて制動をかけ、そのまま左拳を振りぬいて炎弾を放つ。それは大蛇の口内へ落ちていく背嚢にみるみるうちに追いつくと、バグンッと諸共に一飲みにされて、俺の視界から姿を消した。


 っへ! 残り少なくなってきた神力だ、出し惜しみはしねえ、全部持っていきやがれ!



「さぁて、そろそろ十分に脅かして……ん? なんだこれ? 口の中に何か入って……!? ごぇあっ!? んげ!? ふっぎゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁっ!!!!?」



 邪神が悲鳴をあげたのと同じくして、大蛇の巨体がぼごんと蠢き、その不格好な丸い図体をますます真ん丸に膨らませたと思ったその瞬間。


 ずどん!!!!! という凄まじい音と共に、邪神はその身をぐしゃぐしゃに吹き飛ばしながら、大きく爆ぜた。リーナ曰く、人族の城壁を一発で粉々にしちまうほどの力を持った、なんともえげつない『火』を起こすという魔法の粉だ。さしもの邪神も、腹の中で膨れ上がった炎の塊には耐えられなかったらしい。


 空高くまで弾け散った、銀色の鱗が、肉が、骨が、滝のように降り注ぐ血に混じって落ちてきて、俺達の身体を汚していく。そして嵐が過ぎ去った後に残ったものは、上あごから背中にかけて、丸ごと吹き飛んでしまった事でまあ、随分と風通しの良くなっちまった大蛇の姿。



「……やったっ! すごい! すごいよバルバラ! 勝った! アタシ達、邪神に勝ったんだよっ!!!」


「…………っ!? いや、まだだ! まだ終わっちゃいねえっ!!!」



 パチンと一つ、手を叩いて飛び上がるリーナの言葉に頷こうとして、しかし俺は、それを見てしまった。ボドボドと滴り落ちながら沸騰して煙を上げる臓物と、ぐしゃぐしゃに折れ砕けて明後日の方向を向いた肋骨の中で、全身を黒く焼き焦がした真っ黒な人型が、立ち上がろうとしているのを。


 リーナも他の連中も、気づいていない。親友が、そして自分達の族長が上げた大金星に酔いしれて、周囲に散らばった化け物の残骸がズルリズルリと、まるで意思を持っているかのように動き出そうとしている事に、気づいていないのだ。


 トドメの一撃を見舞うべきか、それを行使すればどうなるか、一瞬だけ躊躇をして考えて……そして結局、腹を括った。どのみちこれは、最初で最後の好機だろう。ここで押し切れなければ明日は無いのだ。後の事は、その時になってから考えればいい。



「全員、耳塞げぇっ! 今から赤の神の真言を唱える! 心を持っていかれたくなけりゃあ、頭が割れるくらいに耳を押し付けて潰しとけっ!!!」



 炎弾では焼き切れない。リーナの秘薬ですら殺し切れない。では、これならばどうだろうか。赤の神の真なる祝詞。我が子に口伝で伝える以外では墓の下まで持っていけと、親父に口を酸っぱくして言われていた秘中の秘。


 いや、ぶっちゃけほとんど神力が残っていないこの状態で、こんなものを使ったら反動で死ぬかも知れない。運良く生きて戻れたところで、間違いなく勘当モノだろう。だがここで、みんな揃って死んじまうよりはだいぶマシだ。だいぶだいぶマシだ。



 俺の一喝に男衆が慌てて動き、そして不安げに瞳を揺らしていたリーナの奴も一拍置いて、その長い耳をギュウと塞いで目を閉じた。それを見届けて深く一つ息を吐き、そして強く地を踏みしめながら、邪神の元へと一気に駆ける。


 その間にも、ヨタヨタとよろめく人型はその節くれだった指で顔らしき部分をガリリと引っかき、表皮の剥げた隙間から覗いた真っ赤な瞳で、俺を見据えてジロリと睨んだ。それを皮切りにして次々と黒い表皮は剥げていき、銀糸の髪が、白魚のような細い手が、みるみるうちに姿を現して、少女はその姿を取り戻していく。



 頼む! 間に合え、間に合え、間に合ってくれっ!!!



 必死に駆けるその眼前で、彼女はすっかり元通りとなった右腕をすいと振るうと、虚空から取り出した赤い布を身体に巻き付けながら、剣を振りかぶって迫る俺を見てニィと嗤った。相変わらず余裕ぶりやがって。だがお前のその慢心が、俺に時間を与えてくれる。


 ずどり! と、袈裟切りに振り下ろした俺の剣が、鈍い手応えと共に少女の身体へと食い込んだ。その衝撃にガクンと身を震わせつつも、彼女はこれは何の遊びかと言わんばかりに、クスクスとその口角を上げて嗤ってみせる。そして…………じゃあな、クソ化け物。



「……ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ ふぉまるはうと んがあ・ぐあ なふるたぐん…………いあ! くとぅぐあ!!!!!」


「え? あ、ちょ!? ナニコレ!!?」



 次の瞬間、ごんっっっっっ!!!!! っと、吹き上がった漆黒の炎と共に、俺の愛剣も両の腕も、灰となって砕けて散った。


 現れた炎は一瞬だけ、七本の角を頭に生やした怪物の姿を形作り、尻もちをついてへたり込んだ邪神を目掛けて襲い掛かる。そしてさすが、我らが赤の神の真なる炎。その黒い炎は邪神の再生能力をすら上回っているらしく、肌を、髪を、瞳を焼いて、あのおぞましい化け物を瞬く間に、灰の塊へと変えていく。



「……が!? あぁ!? こ、これは……? ああ、恰好良いですねえ。これが貰い物の力とは違う、貴方の努力と研鑽の賜物なのですね。素晴らしい。少しだけ、憧れてしまいます。」



 ぐずぐずに燃え落ちながらもなお余裕を崩さない邪神の言に、俺はひっくり返って倒れ伏したまま、『そーだよ』と言って返してやった。まあ、本当は神様の力なのだがせっかくだ。ちょっとくらいは恰好をつけさせて貰ったって、バチが当たったりもしないだろう。



「……ふふふ。良いモノを見せて頂きました。私は怪異、私は悪鬼、私は魔人ノスフェラトゥ。いずれまた、機会があればお会いしましょう。」



 最後にそう言い残し、邪神の身体はボフンと崩れて灰になった。そして標的を焼き尽くした黒い炎も四方八方へと飛び散ると、残された大蛇の残骸を次から次へと燃やしていき、全てを焼き尽くしてからその役目を終えたかのように、虚空の彼方へと消え去っていく。


 後に残ったものは、うず高く積み上がった灰の山だけ。その灰も、やがて風に巻かれて攫われると、空の彼方へと吹かれて散った。ああ、終わったな。今度こそ。



「バ、バルバラぁ! アンタ! アンタ腕が!? なに無茶苦茶をやってんのよ! 馬鹿ぁ!!!」


「痛ってぇぇぇぇぇ!? うぉい馬鹿! 抱きつくなリーナ! やめろ! 揺するな動かすな! ぎゃあああああっ!!!」



 最強最悪の敵との戦いを終えて、一抹の寂しさに浸っていた俺の感傷は、背中に飛びついてきたリーナの一撃によってぶっ飛ばされた。


 あ、すげぇ痛い。なんか痛覚も麻痺してたけれど、落ち着いてきたら死ぬほど痛い。まあそれもそうか、なんせ両腕が吹っ飛んじまったのだ。戦士として全てを燃やし尽くす戦いが出来て満足ではあるものの、さて明日から一体どうしようか。


 とりあえずは里に戻って、禁を破った事について親父に頭を下げて……まあ、許しちゃあ貰えないだろうな。いっそ勘当されたらされたで、この腕を治す事の出来る治癒術士を探しに行くのも良いかもしれない。白の神に仕えるものは、癒しの術に長けると聞く。中には欠損を治せるほどの使い手だっているだろう。



「族長! 族長殿! 尾ですよっ! まだ奴の尻尾が!!!」



 いっそ借金まみれになっちまったリーナと二人、連れだって旅に出ようか。再起を賭けた者同士での再出発だ、もう半ば夜逃げに近いが、それでもリーナと二人でなら何とか……ってなんだよ、尻尾?


 部下の声に目を見開き、リーナと二人抱き合いながら、ガバリと身を起こして凝視する。その言葉の示す通り、木々に隠れてビッタンビッタンと跳ねながら残っていたのは、銀の大蛇の尻尾と思しき巨大な肉塊。


 おいおいおい、まさかここからの復活とかは勘弁してくれよ。と、腰に下げた短剣を引き抜こうとして、真っ黒に焼け焦げた肘の先端が、スカリと虚しく空を切った。ああ、そういやそうだったな。くっそ、これじゃあ何にも出来やしねえ。仕方の無かった事とはいえ、さすがにちょっとばかし、考え無しに動きすぎたか。



 さて、この尻尾をどうしたものか。放置するわけにもいかず、かといって迂闊に手を出すのもはばかられる。リーナの手を借りながらもどうにかこうにか立ち上がって、首を傾げたその矢先。ブスブスと煙を上げていた銀の尻尾は唐突に弾け飛び、灰の山となってドロンと消えた。


 そして飛び去って行く灰の中からボトボトと落ちてきたのは、邪神に飲まれて死んじまったはずの戦士達。どいつもこいつも、気を失っちゃあいるがまだ生きてはいるらしく、地に頭をぶつけてウーウーと呻き声を上げてやがる。



「バルバラ……アタシ達、化かされてたのかな?」


「……そうだっていうのなら、俺の腕も何事も無かったように、元に戻してほしいもんだがね。まあ、考えるのは後にしようや。今はとにかく、こんなおっかねえ場所からはさっさとおさらばしねぇとな。」



 散り際の捨て台詞から察するに、おそらく邪神は滅び去ったわけではないのだろう。復活までしばしの猶予はあるのかもしれないが、それでもいつまた、あの怪物が湧いて出てくるんだか、わかったものじゃあないのだから。それに、だ。


 『王国との国境近辺には、とんでもない怪物が潜んでいる。』今から山越えをするにはちぃと辛いが、この情報だけは何としても持ち帰って、後に続く者達の為に広めてやる必要があるだろう。でなきゃあ後々、どれだけの犠牲が出るものか。



「いよぅしっ! 引き上げるぞ! 野郎共ぉ! いいか、俺達はとんでもねえ化け物に勝ったんだ! だからこれは敗北じゃねえ! 凱旋だ!!! それがわかったらぁ…………ってぇ、今度はなんだぁ!!?」



 ぶんっ! と欠けた腕を振り回し、どよめく男衆を鼓舞しようとしたその瞬間。ずごごごごんっ!!!!! と突然に巻き起こった巨大な音に、俺は危うく姿勢を崩しかけてたたらを踏んだ。


 慌てて周囲を見渡せば、そこにあったのは遠く森の一角がはじけ飛んで、木々も岩も何もかもを飲み込みながら、空に伸び上がっていく異様な光景。すわ、邪神の奴め、まだこんな力を残していやがったのかと叫ぼうとしたその途端、俺を支えてくれていたリーナの奴が、もう勘弁してくれとばかりに悲鳴をあげる。



「んげ!? て、『天蓋落とし』!? なんでこんな化け物の中の化け物が、次から次に現れやがるのよぉ!!?」


「て、てんがい? リーナ、お前この状況、何が起こってんのかわかるのか?」


「数十年前にね、西の国で街一つぶっ潰した最悪の化け物よ! もうしばらくすれば、空に張り付いたあの大地が頭の上から降ってくるわ! そうしたらもう、みんな仲良くぺっちゃんこよ!!!」



 あー。今度こそ、終わっちまったか? 土砂に潰される自分の未来を頭に描き、へなへなと崩れ落ちかけて、それでもリーナの瞳がまだ諦めていない事に気づいたことで、どうにかこうにか踏み止まる。


 さてはこいつ、まだなんか知っていやがるな? さっき邪神に追い回されていた時よりも、ずっと顔が、生きる事にギラついてやがる。



「で、リーナ。お前なら、これをどう切り抜けるよ?」


「バルバラ、号令を出して頂戴! のびてる連中を拾ってから、全員で壁の根元に突っ込むわよ! 見た目は確かに派手だけどね、近づいてみれば、案外に隙間があってスカスカなの。そこを通り抜けて脱出するわ!」


「……なんでお前、そんなこと知ってやがんだ?」


「アタシの爺様はね! 若かった頃にそれを見つけることが出来たから、婆様と一緒に災難から生き延びて、そんで結ばれる事が出来たのよ! さぁ、突っ込むわよぉ!!!」



 空に張り付いた木々から落ちる土の粒が、小雨のように降り注ぐ中、我が幼馴染は残り僅かな脱出の機会を逃すまいと、いの一番に駆けていく。そして俺も、空を見上げた連中へと突撃の号令をかけてから、それを見失うまいと後に続いた。


 そういえばリーナの爺様の話は聞いたことが無かったが、なんとも力強くて情緒的な人生を歩んでらっしゃるようじゃねえか。面白そうだ、無事に生きて帰ることが出来たなら、ぜひとも根掘り葉掘りに聞いてやろう。



 なあ、リーナ。帰ったらお前の爺さんの話だとか、今回の邪神退治だとか、二人で夜通し、積もる話をたくさんしようぜ。


 生きて帰れたらな。 




 クトゥルフの要素に関してですが、読んで頂くにあたり前提知識を必要とする作りにはしたくなかったので、あくまでファンタジーを演出する為のフレーバーとして扱っています。


 ただ、知っておられる方でしたら、見え隠れするその裏側をちょっとばかし覗き込んで、ニヤリとして頂けたなら幸いです

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― 新着の感想 ―
弱点はパパと一緒なんやね
クトゥグアの炎がよく効くとかそれってもう...
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