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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
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混迷の大一番

「ハッハ—————ッ! どうしたどうした人族よぅ!? せっかくこのバルバラ様を誘ってくれたんだ! もっと! お前の強いところを見せてくれよぉ!!!」


「っぐ!? っこの! 最初に名乗り合ったでしょう!? 私は栄えある王国貴族の一員にして、マーチヘアー侯爵家末子、血薔薇騎士団長メルカーバ・スヴレ・マーチヘアー! その足りない頭でよく覚えておきなさい!!!」


「名乗りがなっげ—————っんだよ! 俺はお前の家柄や肩書と戦ってんじゃねえ! 今! 目の前にいるお前と戦ってんだ! そこんとこわかってんのかぁ!!?」


「ならばなおさら名で呼べと言っているのです! 頭に何が詰まってるのですか!? この! 非文明の野蛮人がぁ!!!」



 蛮族女の振り下ろした大剣を斧槍の長柄で受け、ギャリギャリと火花を散らしながら斜め下へと受け流し、そのまま蹴り飛ばして女の重心を崩します。


すかさず斧槍の戦斧を後方にグルリと倒し、跳ね上がった逆端の石突を繰り出して放ってやった一撃は、しかし女の手甲に弾かれて標的を見失うと、僅かに浅く、彼女の身体に傷をつけるに留まりました。っち、外しましたか。


強引に身体を捻じり、腕を振るった女の身体は隙だらけですが、それは一撃を外した私とて同じ事。深追いは禁物とばかりに腕を引いて強く地を蹴り、再び互いの間合いの外へと退散します。これで何度目の仕切り直しか。



ふん。悔しいですが、想像していたよりも重い斬撃ですね。いや、あんな得物はもうほとんど鉄塊です、斬るというより叩き潰すが正しいでしょうか。


おまけに相手は疲れ知らずの体力馬鹿。既に何合も打ち合っているといるのに、その動きには陰りが見えるどころか益々これ意気軒昂とばかりに荒ぶるのだからたちが悪い。


いくら私に緑の神のご加護があるとはいえ、体力そのものは常人のそれと大きく変わるものではありません。ならば長引けばこちらが不利。それがわかっているからこそ、何度も勝負を決するべく踏み込んではいるのですがこれが中々……。



ビリリと痺れた利き腕を、軽く振るって手汗を拭い、斧槍の柄を握り直します。本当のところ、あのノマという少女を当てにせずとも私が敵将を降して勢いをつけ、そのまま一息にオーク共を蹴散らしてやるだけの自信はあったのですけれどね。そもそもにして、彼女の存在は予定外であったのですし。


気に入りませんね。気に入りません。しかし、事ここに至っては止むを得ないでしょう。確実に勝つ目が無いのであれば、このまま蛮族女を釘づけにして手筈通り、ノマさんの起こしてくれるであろう混乱を待つのが吉というもの。深く息を吐いて腰を落とし、斧槍の切っ先を蛮族女へ向けて中段に構えます。


ああ、でも本当に、気に入らない。




 平地に展開した私たち王国軍の先鋒に、我ここにありとばかりに軍旗を振るい、鳴り物を鳴らす蛮族どもが接触したのは、太陽がその頂点を迎えるより前の事でした。


事前に命を下していたとおり、軽く一当てした傭兵達を下がらせて連中を深く引き込み、頃合いを見て乱戦になってしまう前に己の姿を晒します。狙いは将帥同士の一騎打ち。しかしてその目的は、蛮族共の後背に回り込ませた銀の少女が事を起こすまでの時間稼ぎです。



オークにとって、闘争とは一種の祭事であるとも聞きます。ならばこの申し出を受けない理由は無いはずという目論見通り、さも待ってましたと言わんばかりに姿を現したのがこの女。先ほどから私が延々と打ち合う破目になっている、炎狼氏族のバルバラを名乗る女戦士。


ですが想定外だったのは、この蛮族女の人外かと見紛うのほど膂力でしょうか。なにせコイツ、王城の装飾くらいにしか使い道のなさそうな巨大な剣を、片手で軽々と振り回すのだから堪ったものではありません。緑の神の御力こそ感じませんが、素でこれだというのなら尚更厄介な馬鹿力ですこと。



「「「「「ウオォォォォォォッッ!!! ゾ・ク・チョウ!!! ゾ・ク・チョウ!!! 我らがオサ!!! 偉大な戦士!!!!!」」」」」


「くらぁぁぁぁ! メルぅ! 何よそのへっぴり腰はぁ! 腕の一本や二本くらい私がすぐに治してあげるからもっと気合を入れなさい! でも死んだら殺すからね!!!」


「あぁもう、落ち着けよキティー。おーい大将! アンタが死んだら総崩れだ! ほどほどに殺り合ってくれよほどほどにー!」



そしてコレです。周囲を取り囲んだ両軍の歓声、というかヤジ。盾をガンガンと打ち鳴らして気炎を上げるオーク達にも気圧されますが、それ以上に味方の理不尽な応援に気を削がれます。ちょっと隻腕、そこで興奮して喚き散らしてる我が親友を、もっとしっかり押さえつけておいてくださいよ。



「おらぁ! 続けて行くぜぇメルさんよぉ! 楽しい楽しい一騎打ちだ! もっと俺を昂らせてくれぇ!!!」


「メルカーバだ! 蛮族! お前が私をメルと呼ぶな!!!」



開口一番、猛烈な勢いで踏み込んできた蛮族女の一撃は、大剣を振り回しての左横薙ぎ。唐竹か袈裟斬りならば受け流せたのですがね、これは少々……迂闊に受ければ斧槍の柄ごと、胴を叩き折られそうです。


緑の神にご加護を願い、活力を得た身体で以って、肉薄する巨大な刃を殴りつけて跳ね上げます。術の効力が残っているうちに勢いそのまま、弧を描いて振り上げた左切り上げは、しかしさらに一歩を踏み込んだ女によって柄を掴みとられて空を切り、私達は互いの身体を激しく衝突させました。



っち、またしても! 大分、息も上がってきてしまいましたね。身体強化の術はもう、あと何回も使えないでしょう。肺は空気を欲して悲鳴をあげ、胸の鼓動が耳障りなほどに早く大きく聞こえます。ですが今しばらく、今しばらく時間を稼がなければなりません。


なにせ驚愕に目を見開き、けれどもそれが楽しくて仕方がないとばかりに口角を上げる、蛮族女のその背後。燃えるような赤髪の合間から窺えるオーク共の一群には、未だ異変の兆候一つ、見受けることは出来ないのですから。


くそう。今更後悔したところで詮無きことですが、やはり最初からノマさんを敵陣に放り込むべきであったのかもしれません。というかそのノマさんはまだなんでしょうか。早くしてくれないと、もう大分と腕が辛いのですが。



「ハハハハハ! スゲースゲー! いま俺の剣を弾いた御業、アンタ緑の神の巫女なのか!? 俺もガキの時分には身体が大きく強くなれるってんで、毎日緑の神の祠にお参りしてたもんだったなあ!」


「このっ! 耳元で馬鹿みたいに笑って! これだから品の無い野蛮人は嫌いなんですよ! というか貴方達オークは、赤の神の信奉者でしょうに!」


「お前ら王国の民だって、白の神の信奉者だろう? でもアンタみたいに緑の神からご加護を賜るような奴もいる、俺達だって同じ事さ。ま、それでもやっぱり、俺がお言葉を聞く事が出来たのは偉大なる赤の神だったけどな!」



だから頭の上でうるさいんですよ! とばかり、斧槍の柄を握って離さない蛮族女に向かって顎を引き、そのよく喋る口に向かって脳天を叩きつけるべく、勢いよくつま先を伸ばします。


不意を打った一撃は寸分違わず女の顎にぶち当たり、しかし次の瞬間にはお返しとばかり、振りかぶられた額が私の頭を激しく打ち据えて揺さぶりました。目の奥で火花が散るような衝撃に溜まらずよろめき、二人してたたらを踏んだ私達が、踏み止まって睨み合うは互いの目。


つぅ、と。額を伝って流れてきた一筋の血を、ペロリと舐め上げて指で拭い、ニタリと口元を歪めます。ふふふ。頭蓋が砕けんばかりのこの痛み、正直泣きたいくらいではあるのですが、でも少しばかり、楽しくもなってきてしまいました。昔を思い出しますね、こういう品の無い争いは。



「痛っってぇ! おいおいおい、アンタお貴族様なんだろう? 高貴なお嬢様がなんともまあ、泥臭い真似をしてくれるじゃねーか!」


「生憎と、私は気の置けない友人に恵まれましてね。かつては互いの立場や家柄なんて一切気にせず、日夜論戦に明け暮れたものです。おかげで殴り合いなら慣れたものですよ。」



私の返した軽口に何か思うところでもあったのか、蛮族女の視線が外れて私の背後へと向かいます。そこに居たのは護衛に囲まれたマッドハットの跡継ぎ様。年若い彼は突然向けられたその目に対し、ビクリと震えて身を竦ませてみせました。


貴族ってのはみんなこうなのか? と言わんばかりに値踏みをする胡乱な瞳に、青い顔をした少年がプルプルと首を振るって答えます。なんですか、そのやり取りは。貴族というものは面子が全て、舐められないよう時には拳を振るう事も必要なのです。ルミアン少年、今度あなたにもしっかり教育して差し上げましょう。



口内に転がる何か固いものを舌でまさぐり、べっ! と、血の混じった唾液と共に、欠けた歯の一片を吐き出します。ああ、しかし本当に強いですねこの女。こいつも、気に入りません。


なんでこの世の中、こんなにも私より優れた奴が多いのでしょうか。私は王女殿下にも認められた、王国で最も優れた戦士であるというのに。



そもそもにして私は、両親からさして期待をされた子供ではありませんでした。いえ、蔑ろにされていたわけではありません。我がマーチヘアー家の権勢は当時から既に盤石であり、跡継ぎである優秀な兄もいました。よって私には役割など無く、ただ蝶よ花よと可愛がられるだけであったのです。


それが嫌で堪らなかった私は一角の人物になりたくて、神学校に入ってからというもの血の滲むような努力を重ねました。元々自分は優秀であるという自信はあったのです。すぐに頭角を現した私は勉学、弁舌において並ぶもの無しとなり、緑の神のご加護まで賜ったあの頃は私にとって、まさに我が世の春と言えるものでした。


まあその高くなった鼻も、キルエリッヒという好敵手によって圧し折られる破目になったわけですが。結果的には互いにとって、それは歯に衣着せぬ物言いの出来る友人を得られた善き出会いでもありましたが、それでも私の心には燻ぶるものが残ります。



キリーも、ノマさんも、そしてこの蛮族女もみんな、気に入りません。何故私は一番になれないのでしょうか。私は家柄も良く、才覚も有り、そして敬虔な神の信徒であるというのに。お前達よりもずっと、私は優秀な人間であるはずなのに。


そして何よりも、そんな醜い嫉妬に心を焦がす、己自身が気に入りません。ああ、気に入らない。気に入らない。気に入りませんねぇ、本当に!



「はっははは! 面白れーお貴族様だなあアンタ! さーって、そんじゃあようやく身体も温まって来やがった事だし、そろそろ本気でいかせて貰うぜぇ! メルさんよぉ!!!」


「……これまでは手を抜いていたとでも? ふざけた真似をしてくれるものですね。そういうところも、気に入らないんですよぉ!!!」



大剣を掲げた蛮族女が何事かを呟いたのと、私がそれを迎え撃つべく腰を落とし、低く下段に構えたのはほとんど同時の事でした。


途端、熱気と共に音が弾け、目にも止まらぬ速さで迫った凶刃が、私の髪を一房奪って駆け抜けます。慌てて振り返った私の視界に映ったものは、炎を噴き上げる大剣に振り回され、地を抉りながら不格好に踊って回る、蛮族女のその姿。



「おっととと! あ~、やっぱり制御が難しいなコレ。でも、次は外さねえぜ。」


「炎術……貴方、赤の神に仕える神官でもあったのですね。それが、貴方の奥の手というわけですか。」


「さっき教えてやったろう!? 赤の神からお言葉を賜ったってなぁ! さぁ行くぜぇ! 赤の神よ! フォーマルハウトの彼方の者よ! なんだって好きなだけ燃やしてやるから! この俺に力を貸せぇぇぇぇっ!!!」



再びの熱気と爆音。そして赤白い尾を引きながら、半月を描いて私の頭上から落ちてくる蛮族女と巨大な鉄塊。こんなもの、とても受けられるようなものではありません。ですが幸いにして、この角度であれば受け流すには容易なはず。


半歩身を引いて頭上を睨み、斧槍を構えようとした私の身体は、しかし突然に襲ってきた吐き気によって姿勢を崩し、無様に膝をついて崩れ落ちました。っぐ! 先ほど頭に受けた衝撃が、今になって尾を引いてしまいましたか……しかし、こんな最悪の瞬間に!


もう、転がって身を捩るような時間もありません。頭上から感じられる、焼ける様な熱気は今この瞬間にも肌を焼き、そして私は………………ああ、これは本当に、不味い、かな。



頭を垂れて目を瞑り、覚悟を決めたその直後。ズドンッ!!! という凄まじい音が、私の耳を激しく叩きました。幸いにして、痛みはありません。きっと私はそれを感じる暇すらなく、死して神の身許へと導かれたのでしょう。無念。キリー、ノマさん。後の事は…………。



「痛っっっっってええええええええええええぇぇぇっ!!? チクショウ! 痛てぇ! 熱っちい! 死ぬ!? おいキティーッ!!! 早く助けてくれえっ!!!!!」


「よくやった! でかしたわよぅゼリグ! アンタそのままソイツを抑えてなさい!!!」


「無茶言うな!? 死ぬ! マジで死ぬ! ぎゃあああああ!!! 肩がもげるぅっ!!!!!」


 

耳をつんざくようなその絶叫に目を見開き、慌てて己の頭上へと顔を向けます。そこにあったのは丸盾を構えて脚を踏ん張り、盾と左腕を切断されて、大剣の食い込んだ肩から血と炎を噴き上げる隻腕殿のその姿。


きっと私の身を案じるあまり、危険を顧みずに飛び込んできてくれたのでしょう。本当に無茶をするものですが、彼女はその傭兵生活のほとんどをキリーと共に過ごしていると聞き及びます。ならばこんな無謀も彼女にとって、慣れたものであるのかもしれません。


まさに感謝の念に堪えないとは、こういう事を言うのでしょうか。大変にありがたい。命を助けられた身としては、それ自体は大変にありがたい事ではあるのですが……ですがこれは、悪手でした。



「貴様っ!? 人族ぅ! 我らが神聖なる決闘を、無粋な横やりで邪魔立てするかぁっ!!?」


「うるっせーんだよ筋肉女ぁ! 神聖だかなんだか知らねぇけどよ、コイツはこっちの大将だ! 間違っても死なせるようなわけにはいかねーんだよ!!!」


「ッハ! いいだろう! もはや神に捧げる闘争たる資格無し! 野郎どもぉ!!! この不心得者どもを蹴散らして、我ら炎狼の戦士の何たるかを教えてやれぇ!!!」


「「「「「ウオォォォォォッ!!! ゾ・ク・チョウ! ゾ・ク・チョウ! ゾ・ク・チョウ!!!」」」」」



あああああ! やっぱり、こうなってしまいましたか。残念ですが、もはや乱戦は避けられないでしょう。隻腕殿を責めるわけにもいきませんが、ですがこれでは何のために、私は必死に時間を稼いでいたのやら。


声を荒げる蛮族女が隻腕殿の左半身を切断せんと、その腕に万力の如く力を籠めて牙を剥きます。一方の隻腕殿も、千切れかけた左肩をものともせずに右拳を振り上げて、何度も何度も蛮族女の顔を殴りつけながら唸り声をあげました。間近で見るその傷は、どう見ても心臓にまで達しているにも関わらず。


ええい! もう、何が何やら。ですがそれでも、未だ隻腕殿が生きている事だけは確かです。キリーの治癒術が間に合えば、どうにか一命は取り留めてくれる事でしょう。私もいつまでもこうしてうずくまっていては居られません。なんとかして、此処からの巻き返しを…………。



「待てぃ!!! 待て待て待てぇい! ちょおぉぉぉぉぉっと待ったあぁぁぁぁぁっ!!!!!」



混迷を深める状況に、突如として響き渡ったのはノマさんの声。オーク達が槍を掲げて気勢をあげ、王国軍もまた、それを迎え撃たんと得物を構える只中で、それは異様な存在感を以って、周囲の者達の足を止めます。


機を見るに敏。といえば聞こえは良いですが、ここで彼女自身が出張ってくるのは事前の予定に無い行動です。将兵達へ通達すらしていないこの独断専行、果たして吉と出るか凶と出るか。とはいえこの正念場において、彼女の存在が心強い味方である事もまた事実。



睨み合う蛮族女と隻腕殿の下から転がり出て視線を走らせ、近くに居るはずの銀の少女へ助勢を請わんと口を開きます。けれども予想に反し、私がそこに見たものは熊でした。少女では無く見上げる程の巨躯を持った、白黒まだらのでっかい熊。なに? なんですか? アレ。


開いた口から発する言葉に一瞬迷い、困惑に目を瞬いたのも束の間の事。まだら熊は唸り声と共に一つ吠えると四つ足になり、土煙を上げながらこちらへ向かって突っ込んできます。そしてその背にしがみつく、銀糸の髪を持つ女性の存在に私が気付いたその瞬間。巨熊はその体躯で以って私達三人を捉えると、そのまま掬い上げるようにして諸共に吹き飛ばしました。



「だあぁぁぁぁぁっ!!? なんだ!? なんだこの熊ぁ!? おい人族ぅ! これもお前らの差し金かぁ!!?」


「っ痛ぅ! わ、私の知るところではありません! 仮にそうだとしても、お前にそれを教える義理などあるものですか!!!」



宙を舞わされて地に転がり、続けて落ちてきた隻腕殿の身体を抱き留めながら、蛮族女に食って掛かります。しかしノマさん、なんて乱暴な! いえ、私達を助ける為であったのかもしれませんが、だからといって貴方が世話になっている隻腕殿が、死に瀕しようとしている時にこんな……!


巨熊の追撃から身を捩って躱す蛮族女へ注意を向けつつ、ノマさんへ苦言の一つも呈してやろうと顔を上げた私は思わず一つ息を飲み、それから間髪入れず、投げ出された斧槍を掴み取って身構えました。……違う、ノマさんではありません。



巨熊の背に乗ったその女は、確かに彼女と同じ銀髪赤眼を持つ絶世の美女であり、その声もまた彼女に似通ったものを持っています。ですが、明らかに異なるのはその体格。


年の頃は少女を超え、すでに妙齢と呼んで差し支えない程でしょうか。ノマさんも後十年も年を経れば、このように美しく成長をするのかもしれません。ただし、この女の肉色の蛇のようにのたうち回る、おぞましい左半身を除けばですが。


増してやその目。ノマさんは確かに化け物の同類であったかもしれませんが、それでも彼女の目は誰かの力にならんとする事を好む、如何にもお人好しな人間のそれでした。しかしこの女は違います。人を見下し蔑むかのようなその眼差しは、到底彼女とは似ても似つかぬ、真に化け物と呼べる邪悪のそれに他なりません。



「あはははははぁっ!!! 聞けぃ愚かな人間共よ! 我らはいと尊き御方! 魔人ノスフェラトゥ様にお仕えする栄誉を賜りし者! そして私はその筆頭にして銀の軍勢を預かりし将! その名を魔人! 踊るフルート吹きであるっ!!!」



魔人……? 聞いたことのない存在です。ですがこの女の持つ銀髪赤眼のこの容姿、ノマさんとまったくの無関係であるとも思えません。ならばこの女こそがノマさんが手配してくれると言っていた、万が一の為の応援であるという一縷の望みはまだあります。



「…………踊るフルート吹きとやら。一つ、教えなさい。貴方達はノマさんの、あの銀の少女に縁を持つ者達なのですか?」


「ノマぁ? 知らんなぁそのような者は! 我が主は未来永劫! 偉大なるノスフェラトゥ様ただお一人よ!!!」



……やはり駄目か。魔人を名乗るこの女の正体は依然として知れません。ですがこれ以上に底が無いほどに、より状況が最悪なものになった事だけは確かでしょう。ノマさんに引き続きまた一つ、王女殿下へご報告せねばならない事が増えました。問題は、果たして私が生きて帰れるかどうかですが。



苦虫をかみつぶす私の前で、哄笑をあげる銀の女はノスフェラトゥとやらを称えて叫び、それから手にした横笛に唇をつけて不気味な楽曲を吹き鳴らします。途端に森の奥から吠え猛りながら、次々に姿を現し始めたのはいずれも巨大な異形の存在。


先日にノマさんが見せてくれたのと同じ、銀の毛並みを持つ狼の一群が、オーク達の背後から襲い掛かって食らいつきます。そうかと思えば、銀の光沢を持った巨大なサソリがこれまた大きなイノシシを引き連れて王国軍の中心に突っ込んでいき、瞬く間にそこかしこで悲鳴と破壊の音が響き始めました。


空には大小様々な銀のコウモリがひしめき合い、その合間に漂うのは醜悪な牙をゾロリと生やした見るも奇怪な二匹の怪魚。他にもムカデに蜘蛛、トカゲに狒々と、巨大な化け物達は四方八方、人族だろうと蛮族だろうとお構いなしに引っかき回し、私達から逃げ場というものを奪っていきます。



「はははぁ! そうだ! いいぞお前達ぃ! お前達もノスフェラトゥ様の分身の一体であるのなら、気合で空くらいは泳いでみせい魚ども!!! 出来ないは嘘吐きの言葉だ! 弱音なんぞ許さん……へっぶぅっ!!!!?」


「ひゃははははははぁ!!! よ~うやく見つけたぞノマぁ! ちょいと姿形を変えてけったいな変装をしたところで、このイツマデの鼻までは誤魔化せんわ! さぁここで会ったが百年目じゃ! 往生せいやぁぁぁぁぁっ!!!!!」



ノスフェラトゥの分身。その言葉に引っ掛かるものを覚えましたが、際限なく混迷を極めるこの状況にあって、もはや思考を回すどころではありません。


空に蔓延るコウモリ達を瞬く間に吹き飛ばし、突然に姿を現したのは先日にノマさんが追い払ったあの槍羽根。何故にこの化け物が昼間から活動しているのかと問いを発する暇も無く、放たれた巨大な羽が戦場のあらゆる場所を打ちのめし、そしてその一発が、踊るフルート吹きを名乗った女の頭を捉えて吹き飛ばします。



「んぎゃあああああっ!!? き、貴様っ! その異形の体躯からしてお前も銀の軍勢の一員だろうに!? 私はノスフェラトゥ様に全権を任されたのだぞ! 何故に私に従わない!!?」


「知らんわそんなもん! いつまでも妙な誤魔化しをしとらんと、さっさと正体を現さんかいノマぁ! 今度こそ、貴様に混沌様の名を騙る愚かさというものを躾けてくれるわ!!!」


「おのれがぁ! さては貴様、私から序列第一位の座を奪うつもりだな!? 眷属筆頭の栄誉がそんなに羨ましかったか!? 良いだろう、ノスフェラトゥ様のご寵愛を賭けて! その勝負受けてくれるわぁぁぁっ!!!」



粉々に砕け散った女の頭部は瞬き一つする間に元の姿を取り戻し、怒りの形相を浮かべるそいつは勢いそのまま、宙を泳ぐ怪魚の背へと飛び移って、空を駆け回る化け物目掛けて突っ込んでいきます。そしてそれを叩き落さんとして、再びに撃ち放たれる巨大な羽根の矢。


もはや私に出来る事といえば隻腕殿の身体に覆いかぶさり、至近に落ちた羽根の一発が巻き上げた土砂の礫からその身を庇ってあげる程度の事。ああ、神よ。全知なる五色の神々よ。このような化け物同士の争いの中で、私達人間に出来ることなどあるのでしょうか。



呆然と辺りを見渡す視界の中、そこに映るものはもはや蛮族も人族も無くなった烏合の衆が、銀の怪物と槍羽根の放った流れ矢から逃げまどうその姿。


バルバラと名乗った蛮族女はまだら熊の巨大なカギ爪を相手に切り結び、その逆からはキリーの奴が、失血の為かすっかり目を回してしまった隻腕殿を介抱すべく、周囲の混乱をくぐり抜けてこちらへと走り寄ってきます。



一体、何が起きているのでしょうか? ノマさんは、彼女はどうしてしまったのでしょうか?


わかりません。何も、わかりません。つい先ほどまでは、オーク達と王国軍との正面衝突を覚悟していたというのに。それは一瞬にして両軍ともに、理不尽な人外の暴力から、ただ逃げ回るだけの無様へとなり果ててしまいました。



本当に、一体何が……なにこの…………何?





作中の各々の人物からの視点だとまったく意味不明の状況ですが、全情報を持っている読者視点では全体図がわかるようにする。その匙加減が中々に難しいところです。


ちなみにフルート吹きは、構想段階ではもっとシリアスなキャラでした(過去形)。

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― 新着の感想 ―
ニャル様って一応天敵のあいつも箱庭に入れてるんだ。 まぁニャル様やしなぁ
[一言] カオス……! 魔人ノスフェラトゥ様を崇めよ!
[良い点] いと尊き五色の神と醜き怪物が信奉する混沌 あるいは崇拝すべき混沌の神と下劣な人間が崇め奉る偽神 その両方が自分の預かり知らぬ闇の中よりいでし異形の存在 はっきりと認識してしまえば自分の柱…
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