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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
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魔人ノスフェラトゥの脅威

「ん~……おっかしいなあ。王国の連中、絶対にアタシ達の後背へ別隊を差し向けてくると思ったんだけど……。」


「ふむ、やはりリーナヴォルスク殿の考えすぎでありましたかな? やはり戦とは正々堂々、正面から矛を交えて決するもの。人族の戦士達も中々どうして、捨てたものではありませんなぁ。」



 このアタシ、未来の大商人たるリーナヴォルスク様と、手勢としてついてきてくれたオークの斥候約六十。揃って木々の間に枝葉の隙間にと隠れ潜み、人族連中が馬鹿面晒してやってくるのを今か今かと構えていたが、待てど暮らせど人っ子一人来やしない。


連中の動きを読み違えただろうか? いや、いずれにせよ人族が別隊を出すのであれば、その狙いは物資の集積地だと決まっているのだ。それでもって、食糧に火をかけて焼き払う。アタシが敵方なら絶対にそれを考える。


背後は山岳、東は森林。まさか馬鹿正直に周囲の平原を進んでくるとも思えないし、ならばこうして森の出口で網を張れば、奇襲を仕掛けようとする連中をその横合いから殴りつける事が出来るはず。だった……んだけどなあ……?



「っち、まあいいわ。それならそれで、バルバラの奴が人族共を正面切って叩き潰すだけの事。とはいえ連中もこちらの動きを読んでいて、こうしてわざと空白の時間を作って油断を誘っている可能性もあるわね。気を抜くんじゃあないわよ。」


「ぐふふ、言われずとも。それにしても、リーナヴォルスク殿も中々どうして様になっていらっしゃる。もう少し腕を磨かれれば、我らが族長に仕えるに相応しい武芸者となれますぞ。」


「はん、冗談じゃないわね。アタシは商人よ? いつまでもこんな切った張ったの泥仕事なんて真っ平ごめん。増してバルバラの下に付くだなんて、そんなの我慢が出来るもんですか。」


「お嬢はまだまだ年若く粗削りですが、それでも戦士として先代を超える才覚をお持ちでいらっしゃる。貴殿とも幼少のみぎりからの仲であると伺っておりますが、それほどにお嫌ですかな?」


「嫌に決まってるじゃない。アタシはね、バルバラの下に付くんじゃなくて並び立ちたいの。親友としてパトロンとして、これから高名な戦士として名を馳せていくだろうアイツの隣にね。この戦いはその為の第一歩なんだから。」



気炎を吐くアタシに向かい、なぜだか愉快そうに笑みを向ける斥候隊長。んべっとその阿呆面に舌を出し、再び周囲の警戒に戻ったアタシの視界のその端に、ふと、忙しなく動き回る銀色の何かが引っ掛かった。ん、なんだアレ?


すわ、敵か!? っと慌てて視線を向けてみれば、そこにいたのは群れを成して飛んでいく銀のコウモリのその一群。音もなく羽ばたくそいつらは見る間にアタシ達の頭上を通り過ぎ、生い茂る枝葉の向こうへと消えていく。



ふむ、昼間のコウモリとは珍しい、巣の引っ越しか何かだろうか。まるで蝶とも見まがうその怪しい美しさに一瞬目を奪われて、それからアレを捕まえて見世物にしたら儲かるだろうかと、頭の中で算盤を弾き始めたあたりで思わずプルリとかぶりを振った。


おっとっと、いかんいかん。今のアタシは人生を賭けた大博打の真っ最中なのだ。大事の前の小事にかまけ、この大詰めで下手を打つような真似をするわけには…………。



「すみません、そこな皆様方。少々、お尋ねさせて頂いても宜しいでしょうか?」



突然に間近で、子供の声がした。間髪入れず、短弓に矢をつがえて己の真下、木々の根元に向かって狙いをつける。この時分にこんな場所に来る奴が、まともなガキであるものか。しかしいつだ? いつ、こんな所にまで接近を許した?


周囲のオーク達も短剣を抜き、あるいは山刀を構えて殺気を放つ。瞬時にして訪れたひりつくような空気の中で、しかして、アタシ達が殺意を向けた先に居た者は予想に反して人族では無く、銀の毛並みを持つ一匹の狼だった。


いや、果たしてこれを狼と言って良いものか。眼下のそいつには目も鼻も無く、開かれた大口からだらりと垂れ下がった赤い舌ばかりがやたらと悪目立ちをして、正直薄気味が悪い事この上ない。



ヘッヘッヘッと、息を荒げるその不気味な姿に舌打ちを一つして、それから隣で身を潜める斥候隊長に目配せをする。アンタはどうだ? と、顎をしゃくって促してやったその返事は期待に反し、軽く首を振っての沈黙だった。


くそ、そっちも同じか。唇を噛んで焦りを殺し、身を潜められそうな空間へ矢継ぎ早に視線を落とすも、先に聞こえた声の主の所在はようとして掴めない。これだけの目を掻い潜るとなれば隠形術の類じゃないな。人族の連中め、魔術師でも引っ張り出してきやがったか?



だが解せない。どう細工をしたものかは知らないが、眼下の犬っころはこちらの注意を引き付ける為の囮でまず間違いは無いだろう。ならばアタシ達がそれに注意を引かれた今の一瞬は、襲撃を仕掛ける絶好の機会であったはず。


にも関わらず、この見えざる敵は未だ何の動きも見せてこない。何が狙いだ? 落ち着け、落ち着けアタシ。アタシが相手の立場であったならば、今この状況で得られる利点とはなんだ?



「ああ。どうか、どうか、そんなに驚かないで下さいませ。いえ、大した用向きではございません。あなた方があの山々を超え、王国を害する為にやってきた蛮族さん達であらせられるのかを、念のために確認させて頂きたかっただけです故。」



再び、眼下から聞こえる子供の声。すかさずそちらへ視線を戻したアタシの目に映ったものは、千切れんばかりに開いた大口からゲボリゴボリと血を溢れさせ、沸き立ち弾ける血泡と共に、美しい声音を吐き出す銀の狼のその姿。


思わず喉元までせり上がったか細い悲鳴を飲み込んで、つがえた矢をバシリと放つ。それは寸分違わず狼の眉間へと吸い込まれ、しかしそいつは何ら痛痒を見せることもなく、まるで人のように口元を歪ませるとゲラゲラゲタゲタと笑ってみせた。



人族の刺客なんかじゃあない。五色の神に仕える魔術師でもない。あれは化生だ。人族と蛮族、その全てに弓を引く万物の敵だ。今が昼間であろうとも、何の根拠も無かろうとも、直感的にそう思った。抗わなければ。生きるために、抗わなければ……!



そう考えたのはアタシだけでは無かったようで、斥候隊長は先走ったアタシを咎める事もなく黙認すると、次いで腕を振るって合図を出した。途端、周囲から投げ放たれた短剣が狼の元へと殺到し、その身を傷つけ刺し貫いて、見る見るうちに針の山へと変えていく。


それでも、そいつは倒れない。ゲラゲラと耳障りな笑い声を発するばかりで、倒れてくれない。



「ひひ、ひひひひ、くふふ…………いえ、失礼を致しました。ですがあなた方の今の行動を以ってして、私の質問への肯定と受け取らさせて頂きます。ああ、ですがご心配なく。私は皆さんを殺してしまおうなどとは、まったく、これっぽちも考えておりませんので。」



……ふん、化生の癖してペラペラとよく喋る奴だ。人の肉を喰らうお前達が、アタシ達を殺す気は無いなどとちゃんちゃら可笑しい。ふざけた事を言いやがって。


ギリリと奥歯を噛みしめながら、長い耳の先をつねってギュウと引っ張る。だが、不味い。この状況は非常に不味い。一刻も早くこの窮地を脱してバルバラに合流し、こいつを追い払ってしまわなければ人族を相手にするどころじゃない。



いつでも別の枝へ飛び移れるよう重心をややずらし、それでいて眼下へ向ける視線は一切外さないまま、短弓に弓をつがえる。狙いは狼の後ろ脚、足首から膝にかけての関節付近。


元より化生を殺し切れるなどとは思っちゃいない。ならば狙うのは、奴の行動を阻害することただ一点。震える腕を押さえつけ、吐いた息をピタリと止めて目を細め、今まさに第二射を放とうとしたその瞬間。銀の狼の短い首が、まるで蛇のようにぐにゃりと伸びた。



「…………ヒッ!?」



伸びた首は見る間に肥え太った大蛇と化して、幹を伝ってズルズルズルと、アタシが身を潜める枝葉の先へと近づいてくる。アタシはといえば矢を打ち捨てて、すぐさまにその場を蹴って飛び移ろうとしたのだが、けれども足が竦んでしまって動いてくれない。


思うように動かぬ身体と、喉から漏れる情けない悲鳴が焦るアタシを苛立たせる。くそ、何があってもすぐに動けるよう構えていたのに、いざその時になってみればこのザマか! くそ! くそ!



そうこうするうち、足元にまで登ってきた大蛇は長い舌を出してシューシュー鳴くと、一息に我が身を喰らい殺さんとばかり、ガバリとその大きな口を開け放った。やだ……。嫌だ! 死にたくない! まだ死にたくないよ! 助けて! 助けてバルバラ!!!


声が出ない。喉が引き攣ってしまって、息を吐く事が出来ない。これが突然に訪れた、理不尽な自分の最後であるのかと思わずぎゅうと目を瞑り、そして次の瞬間にアタシの身体は投げ飛ばされて、ぶわりと逆さに宙を舞った。



「リーナヴォルスク殿! ぬぅく!? ぐぅおおおおおおおおおおおおぉぉおおおおっ!!?」



空と緑がグルリと回り、そして身を潜めていたオーク兵の一人に抱き留められたアタシの視界に映ったものは、片足を大蛇に巻かれて喰らいつかれ、そのまま引きずり落とされる斥候隊長のその姿。


彼はどうにかその勢いを食い止めようと、手にした短剣を地に突き立てるもその刃はボキリと折れて、爪跡を残しながらズルズルズルと、枝葉のはびこる繁みの奥へと連れ去られていく。ただ震えるだけで、何も出来ないアタシの前で。




 程なくして、大蛇の姿は木々の向こうへと消え去って、隊長殿の太い悲鳴も聞こえなくなった。化け物は去って、アタシは助かった。その事を自覚して安堵を覚えた次の瞬間、激しい嘔吐感に襲われてゲブリとえずき、口元を押さえながら自分の身体を抱きしめる。


涙を流しながら胃の中のモノを吐き戻し、それから腰の水筒をグビリと煽って口をゆすいだ。胃液の混じった水を吐き捨てて口元を拭い、深く息を吐いて荒げた息を整える。それでも駄目だ。はらわたが煮えくり返るようなこの思い、到底落ち着かせられるようなもんじゃない。



…………畜生。チクショウ! チクショウ! チクショウが!!! あの化生め! あのクソ化け物め!!! アタシを、このリーナヴォルスク様をコケにしやがって!!!!!



自分を抱きかかえてくれていたオーク兵へ、礼を言ってピョンと飛び降り、歯茎から血を流さん程にギリリと強く噛みしめる。クソ! あいつ隊長殿をこの場で殺さず、わざわざ生かしたままに連れていきやがった!


巣へ持ち帰って食らうつもりなら、この場で息の根を止めたほうが運びやすいに決まっている。ならばそれをしない理由はただ一つ、奴は誘いをかけてきているのだ。この男はまだ生きている、助けたいのならば追ってきてみろと、隊長殿を釣り餌に遊んでいやがる。



「…………序列二位は誰? すぐに追いかけるわよ、準備をなさい。」


「……自分が次席になります。しかしリーナヴォルスク殿、遺憾ではありますが隊長殿はこのまま見捨て、族長殿と合流して対策を練るのが最善かと、具申致しまするが。」



答えを返してくれたのは、先ほどアタシを抱きとめてくれた壮年の男。非情であるかもしれないが、彼の言う事は尤もだ。隊長殿が餌になってくれているうちに兵を纏めて撤収すれば、この場の被害は最小限で食い止められるに違いない。


でも、その先は?



「アタシだって出来るものなら、そうしたいところだけれどね。相手は日中から活動しているような厄介な化生よ。ここで追い払い損ねれば、あいつを避けるために人族共と互いに守りに入って拠点に篭り、ジリジリと無為に物資を消耗していくだけの不毛な戦いになる事は目に見えてるわ。……それにね。」


「……なんでありましょうか?」


「ゴブリン商人は義理堅いのよ。命を助けられたっていうのに何の足掻きもせず、恩人を見捨てる事なんて出来るわけが無いでしょうが!」


「…………是非もありませんな。我々とて隊長をお救いしたいという本心は同じ事。いえ、例え間に合わずとも、せめてお身体だけでも取り戻してみせねば炎狼の戦士としての沽券に関わります。」



同意を示してくれた副長殿に口角を上げて笑みを向け、それから踵を返して振り返り、周囲のオーク兵達をぐるりと見渡す。どうやらみんな、腹は決まっているようだ。今なら隊長殿の遺してくれた痕跡を追う事が出来る、やるのならば今しかない。


唇を強く噛みしめて、ブツリと破けた薄皮から流れた血をペロリと舐め取る。悪いね、アンタ達。無事に戻れたらアタシの奢りだ、みんなで高い酒をじゃんじゃん飲んで…………。



「いえ、いえ、いえ。皆さまその必要には及びません。わざわざ追わずとも私はこの場に居りますので、どうぞ、ご安心下さいませ。」



三度、アタシの思考はソイツの声に水を差された。頭上から聞こえるそれを見上げてみれば、そこにひしめいていたのは先ほど見かけた銀のコウモリのその一群。そいつらはアタシ達の眼前にまで降りてくると、互いに噛みつき重なり合って、徐々に人の形を成していく。


目も離せない数瞬の後、そこに立っていたのは真っ赤なドレスを身に纏う、腰まで届く美しい銀髪を持った小さな少女。息を飲むようなその美貌に一瞬気圧され、けれでもアタシはかぶりを振って、要らぬ考えを振り払った。集中しろ、アタシ。いくら美しかろうとこいつは化生、人ならざる化け物だ。



「くふふふふ。如何でしたでしょうか? 私の吃驚ドッキリお化け屋敷は? なかなかどうして、ちょっとしたものであったでしょう?」


「……おい、化生。お前が攫っていった隊長殿……あの男をどこへやった?」


「ざ~んねん無念。もう、食べてしまいました。」



ケラケラと笑い転げる女怪を前に、手のひらの汗を拭って短弓を握り直す。そうかい、残念だ。アタシが連れだしたばっかりに、こんな骨の一つも戻ってこないような死に方をさせてしまって悪かったわね、隊長。


……しかしこいつ、ならば何故に、彼を攫うような素振りをみせた? アタシ達を殺すつもりは無いなどという虚言といい、どうもこいつのやる事には無駄が多い。その動きから効率というものが見えてこない。



「ひひひひひ……コホン、失礼。ええと、確か貴方は、リーナヴォルスクさんと呼ばれておりましたか。ねえ、怖かったですか?」


「…………何が、言いたいのよ、アンタ。」


「貴方は、小さな頃にアリの巣を虐めて遊んだことはありますか? 行列を石で塞いで邪魔してみたり、かと思えば気まぐれに、入口から飴玉を無理やり捻じ込んで振舞ってみたり。私はね、お恥ずかしながらそんな時、子供心にまるで自分が神様になったような気分に浸ったものでした。」


「………………アタシ達はアンタにとって、そのアリだって言いたいわけ?」


「いえ、私としてはそのように人様を矮小に捉える様な、無礼な真似は好むところでは無いのですが……。ああ、しかしそれでも、認めざるを得ないのかもしれません。人を嬲り、下に見て愉悦に浸る、愚かな自分の本質というものを。」



……話すだけ無駄か。虚言を弄して心を惑わせ、ただ己を畏怖させることに喜びを見出す。化生って奴は大概が食い気に走って単純な行動を取りがちだけれど、どうもこいつは連中らしくもない、意地の悪い性格をしてやがる。まるで性悪な人間みたいだ。


近くにいる副長へ目配せし、数度目を瞬いて合図を送る。それから決められた動作で身体を捻じり、アタシは馬鹿面を晒す少女に向かい、軽く左手を振るってやった。


途端、袖口に仕込んだ仕掛けが外れ、放たれた太い針が彼女の右目に突き刺さる。ざまあみろ。化生の奴め、余程にアタシ達を舐め腐っていたらしい。バタバタ手足を振り回して不格好に暴れやがって、不意討ちはお前だけの十八番ってわけじゃあねーんだよ。



アタシが作り出した好機を前に、副長をはじめとした十名程のオーク達が各々その手に得物を構え、姿勢を崩した少女の元へと殺到する。その大半は固い生木を切りつけたかのように弾かれたが、それでも振るわれた刃の一部は骨に食い込み肉を貫き、彼女の体に深々と傷をつけた。


化生ってのはどいつもこいつも信じられないくらいにしぶとくて頑健な連中だが、得てして自分の身が傷つけられることを嫌って避ける傾向にある。まあそれはアタシ達だって同じ事、誰だって痛いのは嫌だろう。コイツも今の一撃で迂闊に手を出すに懲り、大人しく引いてくれれば助かるのだが……。



「けひ! ははは! あはははは! いやはや、お見逸れ致しました。私としたことが、少々いい気になってしまっていたようですね。」


「……やられたらやり返す、当たり前のことよ。アタシ達だって、ただアンタ達化け物に殺されて喰われるだけの存在じゃないわ。それ以上痛い目に遭う前に、さっさと逃げ出して貰えないかしらね。」


「ふふふ。申し訳ありませんが、そういう訳にも参りません。なにせ私は確固たる目的を持って、今こうしてこの場にいるのですから。皆さまを脅しつけ、怖がらせて追い払う。その為にね。」



血に塗れた身体を気にも留めず、哄笑をあげる化生の女。引かないか……こいつ、どうあってもアタシ達を皆殺しにしたいらしい。くそ、本当に厄介な奴に出くわしちまった。



じりりと下がるアタシの無様に気を良くしたか、そいつはニタリと笑いながら腕を振るい……途端、ぶわりと彼女の気配が膨れ上がった。何事かと目を見開くアタシの前で、蛇の如くのたうつ髪が渦巻き絡み合い伸び上がって、歪で巨大な塊を作り上げていく。


副長をはじめオーク兵の何人かは、巻き込まれた得物を手放し咄嗟に身を引いて難を逃れたが、多くの者は溢れ続ける銀糸の山に絡めとられて飲み込まれ、断末魔すら上げる事なく姿を消した。



声すらあげられなかったのはアタシだって同じ事。今しがたまで少女だったモノは見る間に何百という大蛇の絡み合った、見上げる程に巨大な蛇へと姿を変じ、まるで酒瓶のように太くて短い不格好な体躯の上で、ケタケタという笑い声が不気味な響きを持ってこだまする。


アタシは、ただ茫然と、その異様な様を見上げていた。



背中にびっしりと汗が伝い、一気に身体が芯まで冷えて、歯の根が震えるのがよくわかる。違う。こいつは違う。確かに化生は恐るべき化け物だが、それでもこんな、人知を超えた理不尽な存在なんかじゃあ決してない。


化生だって傷つけば痛がるし、血を流せば弱りもする。でもこいつは違う。こいつはきっと……化生なんかじゃない。もっと……もっと別の…………!



「……な、なんだよ!? おまえっ!? 一体、なんなんだよぅ!?」


「くふふふふ。 私は怪異、 私は悪鬼、 私は魔人ノスフェラトゥ。 さて、私の名は?」



畜生! 畜生! 畜生! どこまでもアタシをコケにしやがる!!! ガタガタと震えながら短弓に縋り付き、ノスフェラトゥと名乗る異形に向かって弓を向けようとするが、もうアタシに先ほどまでの、隊長殿の仇をとってやろうという気概はこれっぽっちも残っちゃいない。


とにかく恐ろしくて堪らないのだ。アタシの見識を超えた存在。目の前でなおも膨れ上がり続ける怪物の事が、怖くて怖くて堪らない。くそ! 上手く矢をつがえられない……! ゆ、指先が震えて…………!



「……リーナヴォルスク殿、この場は我らが引き受けます。貴方はこの変事を、一刻も早く族長殿へお伝えくだされ。」


「ふ、副長。も、森の中を走るのなら、アタシなんかよりアンタ達のほうがずっと早いだろう? あ、足止めならアタシがやるよ。だからアンタが…………。」


「口惜しいですが、既に戦場に身を投じて熱くなった族長殿には我々の言葉は届かんでしょう。ですが長年の友である貴方であれば目はあります。どうか、ご決断を。」



アタシを守るようにして、怪物の前に立ち塞がった副長の背後から、そっと様子を窺い見る。そこにあったのは怪物を取り巻いて牽制をしかけ、しかしその巨体からはがれて自在に伸びる大蛇にその身を捕らわれ、一人また一人と数を減らしていく戦士達のその姿。


息を飲むアタシの前で、また一人のオーク兵がその身を大蛇に喰らいつかれて引き倒された。唸り声のような悲鳴をあげて引きずられる彼の身体が、怪物の巨大な口に飲み込まれて消えていく。



「くっ! 殺せえ! 俺とて炎狼の戦士! 辱めなど受けるものかぁ!!! ぬぅおおおおおおおおお!!?」



響き渡る断末魔に思わず耳を塞いで息を飲み、それから一歩、その場を離れんとして後ろに下がった。隊長殿はアタシの身代わりとなって命を落とした。副長も今また、僅かな時間を稼ぐ為にその身を賭さんとしてくれている。


もう、議論をしているような時間は無いだろう。副長はアタシに任せてくれた。ならばアタシもそれに応え、意地でもバルバラの奴を連れ戻してこの一帯を離れなければ。


アタシ達の博打は失敗だ。アタシは無一文の素寒貧となり、一族でのバルバラの名声だって地に落ちる。でも、死ぬよりはマシだ。ずっとずっとマシだ。生きて帰る事が出来たのなら、きっとまた次がある。



「さあ! リーナヴォルスク殿! お早く!!!」


「ごめん! 絶対にバルバラを連れて帰って! それでアンタ達の立派な墓! 故郷にこしらえてやるからな!!!」


「ぐはははは! 期待しておりますよ!!! ぬう!!?」


「ひひひひひ。はははははっ! さぁさ、お手を拝借。あ~そ~び~ま~しょ~~~っ!!!」



アタシが副長に別れを告げて走り出したのと、怪物の巨体が周囲の木々をなぎ倒しながら、嵐のように突っ込んできたのはほとんど同時の事だった。


脇目も振らずに走り抜けるアタシの後ろで、副長の、そしてオーク兵達の最後の雄叫びが響き渡っては、ブツリと何かに遮られたかのようにして消えていく。



駆ける、駆ける、駆ける。ひたすらに背後の怪物から逃げ、木の根に足を取られて転がって、それでも勢いを殺すことなく跳ね起きて走り続ける。あいつは、魔人ノスフェラトゥは化生なんかじゃあない。かつてアタシが小さい頃、爺さまが昔語りに言っていた。


世の始まりである創生の時代、化生という悪しき存在を作り出して、世界にばらまいた悪神がいるのだと。そいつは今なお化生たちから崇められ、五色の神を否定する邪悪として、世の裏側に存在しているのだと。



今の今まで忘れていた。いや、覚えていたとしても、老人の戯言であると軽んじていただろう。


そんな自分を殴ってやりたい。間違いない、アイツだ。人知を超えた異様な存在、アイツこそが化生の元締め、世の始まりから存在する悪しき神。



邪神、這いよる混沌……!!!






A.人違いです。



ちなみに調子に乗ってイキり倒すノマちゃんですが、屈強なオークのおっさん達をくっころした後で丸呑みにしてるだけなので、今のところ誰も死んでいません。


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― 新着の感想 ―
[一言] このポンコツ、ノリノリである。
[一言] イキりノマちゃんかわいい
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