集う役者たち
「…………うぉい、儂の寝床でなぁにを遊んどるんじゃ。イツマデ。」
「……んがっ? お! おぅおぅおぅ! ようやく戻ってきたかマガグモぉ! はよう! はよう助けてたもれ!」
昨晩に森を彷徨っていた捨て子を喰らってお腹もくちく、残しておいた頸椎の骨を口に含んでコロリコロリと転がしながら、さぁて寝るかと機嫌よく帰ってきた儂を待っておったのは顔見知りの馬鹿じゃった。
そいつは各所に造った巣の一つ、樹冠の天辺から木々の根元までを柔らかな糸で覆い尽くした自慢の寝床のど真ん中を、上から下までぶち抜いて、逆さまに引っ掛かった宙づりのままにぐーすかと寝こけておったのだから堪らない。
本当に何をしとるんじゃこいつ。嫌がらせか。喧嘩を売りたいのなら買うぞおい。
「あ~あ~、もう。じたばた暴れんと大人しくせい。で、何故にこのような愉快な有様になっておるのか、納得のいく説明はしてくれるんじゃろうな? 返答次第じゃあこのままほったらかしにしてくれるぞ。」
「あいつじゃ! あいつじゃ! ぬしが口にしておった銀の娘! あのノマとかいう流れ者にしてやられたんじゃ! あやつめアチキをこんなところまで放り投げおってからに!!!」
「阿呆。あの得体の知れぬ小娘は危険じゃと、口を酸っぱくして言い含めてやったろうに。おぬしの事じゃ、どうせ自分から突っかかっていったんじゃろう? それで返り討ちにされたとあっては世話がないわ。」
本当にこの阿呆めが、実に阿呆な事をしておった。口内の骨を苦々しげに噛み砕き、髄液を啜ってベッと吐き出す。まあ良いわ、こんなままでは話もしづらい。とりあえずは降ろしてやるか。
右手の五指の、その先端から糸を噴き上げて手のひらでこねくり回し、頭上でモゴモゴ身じろぎをするイツマデの巨体に向かってそれをぽーんと投げつけてやる。宙にほうられた糸引く玉は、ぐちゃぐちゃにこんがらがった糸の塊からぽてんとはみ出した彼女のお腹に引っ付くと、そのままピンと突っ張って一本の橋となった。
軽く引っ張って張りを確かめ、それからヒョイと飛びついてワシャワシャワシャと、八本の手足でぶら下がりながら宙づりの阿呆の元へと近づいていく。ええい、だから暴れるなと言っておろうに。おかげで糸が揺れまくって登りづらい事この上ない。
「痛い痛い痛いぃ!!? おいこらぁ! アチキの羽毛が引っ張られて抜けちゃう抜けちゃう抜けちゃうってぇ!!! あぎゃ!? なんかぶちっていったぁ!!?」
「うっさいわ! ちっとは我慢して大人しくしとらんか! このど阿呆めが!」
ようやく登り切って彼女に取り付き、じたばた暴れる大鷲娘の太ももにワシリと手をかけて己の身を持ち上げる。あーあーしかし、酷い有様だこと。糸の支えに使っておった木々も見事にまあひん曲がって、本当にもうぐっちゃぐちゃだ。この巣は修復を諦めて放棄して、別で作りなおしたほうが早いなこりゃあ。
思わず一つため息をつき、それから足元にある彼女の肉を、ムニリと摘まんでつねってやる。下の方からギャーギャーと抗議の声が聞こえてくるが無視じゃ、無視。儂の悲しみと怒りをしれい。
ひとしきりつねくり回して満足し、それから絡み合った糸に指をかけ、シュルリシュルリと解いてやる。いくらわけもわからん程にこんがらがろうとも元は己が身の一部とあって、儂の手にかかればこれこの通り、締めるも緩めるも自由自在よ。この程度はお茶の子さいさい……さいさ…………いや、わからんようになった。もうええわ、切るか。
時に諦めというものも肝心じゃ。大口開けて犬歯をガチリと噛み鳴らし、それを合図に強度を失った周囲の糸が、溶けて解けた粘液となって落ちていく。自然、イツマデを束縛して支えていた糸の山も、そこかしこで重さに負けるとブツリと切れて、その中身ごとドスンと地面に落下した。頭から。
「………………うぉい、マガグモ。アチキの首の骨が折れたんじゃが。」
「おう、すまんすまん。さすがに少々ばかり乱暴じゃったな。いま糸で巻いて固定してやるからちょいと待っとれ。」
逆さまにひっくり返ったままに首をぶらんと捻じ曲げて、ぶすりと不貞腐れる大鷲娘の抗議の視線が、宙に残された糸を掴んでぶら下がる儂の目元へと突き刺さる。いや、じゃからすまんかったて。まぁそう腐るでないわ。
眼下からの恨みがましいそれもどこ吹く風よ。糸から手を離して一瞬宙にその身を躍らせ、それからノシリと羽毛の柔らかな腹の上へと降り立って糸を吐き、ぐるりぐるりと彼女の首に巻き付けてその位置を正してやる。ふむ、こんなものか。これで小一時間も待てば治るじゃろう。
さ~てここからが本題よ。イツマデめ、先ほどノマの奴にしてやられたと言っておったが負けず嫌いのこやつの事、どうせこの後で仕返しをしに行くなんぞと言い出すに決まっておる。そして儂に力添えを頼みたいなんぞと口では言いつつ、その実では有無を言わさず引っ張り回してくれるであろう事も、また目に見えておるいつもの事じゃ。
じゃが正直言って、儂はあの理不尽の塊と再び対面するなぞと真っ平ごめんよ。早いところこの阿呆から話を聞きだしてあやつの動向を窺い知り、巻き込まれる前に尻尾を巻いて、さっさと雲隠れをするに限るわい。うむうむ。
「……して、何があった? 儂が銀色娘と出くわした時、あやつはオウトとかいう人間共の馬鹿でかい巣の近くにおった。てっきり奴はそこを根城にしておるものとばかり思っておったが、まさかあやつ、この近辺にまで出張ってきておるのか?」
「オウトといえば、あの壁で囲まれたまぁるい巣のことかえ? アチキがあの流れ者と出くわしたのは、そこからもう少しばかり北にいった森の中じゃ。あやつめ虫の居所でも悪かったか、猿面鳥どもを追いかけ回して森の奥にまで分け入って、アチキの寝ておるすぐ下で暴れ回っておったのよ。」
うへ。ノマの奴め、本当にあの巣を離れて移動をしておったのか。あやつが何を考えておるかはわからんが、ともあれ奴が北に向かってきておるというならばしばらくは、儂も行動範囲をここから他方へと移すべきか。
あやつは儂に敵意こそ向けてこなんだが、かといって我らが同胞たる化生の者とも言い難い、不可解極まる異様な存在じゃった。この間だってあやつのせいで、これまた訳も分からぬ異形の怪物と引き合わされて、死ぬほどに恐ろしい目へ遭わされたのじゃ。くわばらくわばら、危うきには近寄らぬに限るというもの。
露骨に嫌な顔をして舌を出し、それからひっくり返った大鷲娘の腹の上から飛びのいて、ガチリと地を踏みしめながら頭を捻る。さぁてどちらに向かったものか。居を移すならば東の方角も悪くない。他の連中を頼ってみるのも良いかもしれぬ。
「そうかいそうかい、それが聞ければ十分じゃ。儂はあの銀色娘には金輪際関わり合いたくない故、悪いがここいらで早々におさらばさせて頂くとするぞい。」
「待て。待て待て待てぇや。何故にアチキがあの娘と相争う破目に陥ったのか、まだその子細を話しておらんぞ?」
「ふん、聞かんでもおおよそ想像はつくわい。なんせおぬしの気性の荒さと意地汚さは儂も良く知るところじゃてな、どうせ生き胆の奪い合いでもしてどつきあったんじゃろう? 儂らともしょっちゅうやるではないか。」
さてこれで話は終わりじゃと背を向けて、背後の阿呆にひらりと手を振りながら地を踏みしめ、木々の向こうへと飛び移ろうとしたその刹那。儂の体は身を起こしたイツマデの巨大な翼に圧し包まれて引き寄せられ、もふりとその腕の中に抱きすくめられた。なんじゃい。
体格差を活かしたその強引な引き留めように舌打ちを一つして、それから胡乱な目で見上げてやれば、奴はいつになく鬼気迫った顔で牙を剥いて唸りながら、こちらの事を見下ろしおる。ふん、こやつめ。ノマの奴に負かされた事がそれほどに癪に障ったか。まあ儂とてその気持ちはわからんでもないのだが。
しょうがないのお、そんなに話したいのならば愚痴の一つでも聞いてやるか。なんのかんので正面切った殴り合いならば仲間内でこやつに敵う者はいないとあって、こんなとっ捕まった状態から機嫌を損ねられるのも困るというもの。
手足から力を抜いて暖かな羽毛に身体を預け、指でちょいちょいと手招きをして話の続きを促してやる。ほれ遠慮は要らん、話してみせんか。ただし仕返しに付き合えなんぞと言い始めようものなら、すぐさまにとんずらをさせて頂く故な。
「むぅ。違う、違う、違うぞマガグモ。アチキがあの小娘に食って掛かったのは、そんなさても詰まらぬ理由では無いわい。これはもっと大切な、アチキたち化生の者の根幹に関わる話なのじゃ。」
「ほう、食い意地の張ったぬしに、生き胆より大事なものがあったとは驚きじゃな。というか詰まらんとかいうくらいなら、この間に儂からぶん捕った肝と心臓を返さんかい。」
「まあそれはそれ、これはこれじゃ。いいかよく聞け。あのノマとかいう流れ者はな、恐れ多くも我らが神、混沌様より直々にこの地へ遣わされた使徒であるなぞと吹きおったのよ。敬虔なるこのアチキが、それを黙って見過ごせると思うてか? のう?」
はぁ? 使徒? あの小娘がか? 思わず口をへの字に曲げて閉口し、イツマデの放った言葉の意味を、頭の中で噛み砕きながら反芻する。なるほど。それが事実であるのならば、如何にも罰当たりで恐れ多い事じゃ。こやつがこれほどに腹を立てるのもわかるというもの。
じゃがどうにも腑に落ちん。儂はかつて二度、あの小娘と出くわす羽目になっておるが、そのいずれにおいてもあやつはそのような不心得者のそぶりなぞ、終ぞ見せることは無かったのじゃ。なんせあの気の抜けた阿呆面である。その内心で邪心を以って、儂をたぶらかそうと考えていたなどとは到底思えぬ。
うぬぅ。ノマの奴がここ最近で要らぬ知恵をつけてきたと考える事も出来んでは無いが、それよりはこの大鷲娘の早とちりという可能性の方が高い気がする。なんせあれじゃ、こやつは鳥頭と言うだけの事はあってオツムが弱い。
大体にして、混沌様の使徒を騙ったところで何になるというのじゃ。猿共からは連中の偽りの神の敵対者ということで袋叩きにあうじゃろうし、儂ら化生からも罰当たり者として追い回されるに決まっておる。そこにあの娘が得る利点が、一体どこにあるというのじゃ。あ~もう、考えれば考えるほどに、こやつの単なる勘違いな気がしてきたわ。
「まあ落ち着け、ちぃとばかし落ち着かんかい阿呆が。ノマの奴が本当にそんな不信心を口にしたのか、ぬしの無い頭を捻って思い出してみい。またおぬしによくある早とちりでは無いのかえ?」
「いーや! アチキはしっかとこの耳にしたぞ! あの娘は顔の無い神の誘いに乗って、このうつしよへとやってきたかくりよの怪異であると、確かに口にしおったのじゃ! 顔の無い神! 盲目にして無貌の者! 我らが父であり母である、偉大なる混沌様のお姿を騙ろうとはほんに浅ましい奴よ!!!」
むぐぐ、裏目にでたか。落ち着かせようと思ってかけてやった言葉であったが、どうやら余計にこやつの逆鱗に触れてしまったらしい。っていうかちょっとは力を緩めんかい、儂の手足の外殻がミシミシと鳴っておって痛いんじゃ、この鳥畜生めが。
己が後れを取った事を思い出したか、それとも混沌様への信心故か。それからイツマデの奴は腹立ちまぎれに地団太を踏んで、倒れかけた朽木を一本蹴り倒して踏みつぶし、歯をぎりぎりと噛みしめながらふーふー息を吐いたかと思えば唐突に静かになった。
あ、なんか物凄く嫌な予感がしてきたんじゃが。そろそろ退散を考えるべきか……ってがっちりと抱えられておって身動きが取れん!? くそぅ! この手の予感はよく当たるんじゃ! 絶対に碌でも無い事になるに決まっておる!
「ふぅぅ…………。よぅし、匂いは覚えておるぞ。さぁていつまでもこうしてはいられんわい。あの銀色娘に今度こそ、天誅というものを下してやらねばなぁ。」
「うぉい! 今は太陽も登って久しい真昼間じゃぞ!? 『もんすたぁは闇に紛れて徘徊すべし』という、混沌様の始原のお言葉を忘れたか!?」
「その混沌様の名を騙ってたばかる者に、誅罰を与えてやらねばならんのじゃ! 今こそ我らが信心を御照覧頂く好機であるぞ! 疾く! 疾く! 疾く! 行動を起こさねばならぬ!!!」
「おぬし神の御言葉を無下にする気か!? そんな様ではおぬしにこそ天誅が下りかねんぞ!!?」
「古き言葉を後生大事に守り通して機を失うなぞ、混沌様も快く思ってくれぬに決まっておろう!? 大事なのは過去よりも今ぞ! この不敬に煮え立つ我らが心! 今やらずして如何するというのじゃ!!!」
ぎぃやああ!? 嫌な予感が大当たりじゃ! 煮え立っとるのはおぬしの頭じゃいど阿呆が! ええい放せ放せ! 放さんかいコラァ!!?
しかし悲しいかな。如何にじたばたと暴れたところで力の差は歴然とあり、抵抗むなしく宙に放られた儂の身体は、大鷲娘の上体の翼にむぎゅりと抱え直される。次いで下体の巨大な翼がばさりと振るわれ、見る間に風を孕んで膨らんでいく羽毛の束が、目に見えぬ空気の塊を激しく下方へと押し出した。
途端、ぶわりと五体が浮かび上がるその不安定な感覚に、堪らず目の前にある彼女の腕へとしがみつく。そして砂塵を巻き上げながら、渦を巻いて荒れ狂う風の勢いにこれまたきつく目を閉じて、次にその目を開けた頃には哀れ我が身はお空の彼方。
気づけばそこは雲にすら手の届きそうな、雄大なる眺望のど真ん中ときたものじゃった。ははは、いや絶景かな絶景かな。……だぁぁ! 勘弁しとくれぇ!!!
「ヒャヒャヒャ!!! さぁおぬしも付き合えマガグモぉ! アチキ一体では不覚をとったが、ぬしと二体でならばあの小娘にも遅れは取らんぞ! いざや疾く! 疾く! 疾く! 我らは混沌様の御子としてその使命を果たすのじゃ!!!」
「嫌じゃ! 儂は絶対にノマの奴と事を構えるなんぞ御免じゃぞ! あんなわけのわからん奴を相手になんぞしておられるか! 意地でも儂は逃げ帰らさせてもらって、それで暖かい巣の中でヌクヌクと過ごすんじゃぁ!!!」
くっそう逃げ損ねたわ! こうなっては迂闊に動けん。いくら儂に八本の手足があろうとも、ゴウゴウと吠え猛ける風に巻かれて引っ張られるばかりで、事ここに至っては頼りないことこの上ない。逃げ出す腹は決まっておるとしても、今しばらくは機を窺うべきか。
しかしイツマデの奴め、混沌様への信心を示そうというその信義は天晴れと言ってやらんでもないが、無理やりに巻き込まれたほうは堪ったもんじゃあない。ほんに傍迷惑なやつじゃのお。
さぁて、今時点であの銀色娘がどこに居るのかまではわからぬが、このように空を渡って探し回ったのではいずれ接触するのも時間の問題。今のうちに仕込めることは仕込んでおくか。
指先から粘つく糸をヒュルリと吐き出し、適当に風に任せて流されるまま、細く長くシュルシュルシュルと、糸の塊を吹き流していく。未だ用途こそ決めておらぬが、まぁいずれなにがしかの役には立ってくれることじゃろうて。
なにせ儂は蜘蛛の化生、仕掛ける嵌めるはお手のものである。まあその代わりに正面きったどつき合いなんぞはからっきしじゃが。それこそいま儂を抱きかかえておる、図体ばかり大きな鳥頭なんぞには到底勝てぬ。はぁ~。
あ~あ~もう、厄介な事になってしまったのお。混沌様、混沌様、貴方様の御子としての一生のお願いですじゃ。どうか痛い目に遭うことなく、この馬鹿と二人、五体満足で戻ってこられる事を祈らせてくださいませ。
どうか伏して、伏してお願い申し奉りまする。いや本当に。明日からはちゃんと、祭壇も毎日掃除を致しまする故。そこいらの獣で済ませておりました供物も、今度からはとっておきの、赤ん坊の唇の砂糖漬けに取り換えさせて頂きます故、どうかなにとぞ……なにとぞ……!
……やっぱり駄目な気がしてきたのう。無事に戻れたら、そしたらちゃんと毎日お祈りを捧げるよう、悔い改めよう。うん。
ノマちゃんへ迫る因縁の相手達(逃げ腰)
次回からようやく戦闘パートです。




