傭兵ゼリグ
王都で傭兵として一旗揚げ、土産と共に故郷へ戻ってきたアタシを野犬退治が待っていた。どこからか流れてきた群れが里山に居ついてしまい、それをアタシにどうにかしろというのだ。
冗談じゃない、野犬は時に恐ろしい呪いを振りまくのだ。犬のような遠吠えをあげて、よだれをダラダラと流しながら死んでいった奴を何人も見てきた。
山狩りをするのであれば、男手を貸してほしい。一人でどうにかしろというのは無理がある。そう村長に頼み込んだが、受け入れてもらえなかった。立派な剣と弓があるのだから大丈夫だろうと言うのだ。
話にならない。席を立とうかと思ったが、村長にも両親にも、頭を下げて頼み込まれた。自分にだってわかっている。故郷の村は土地が痩せていて、作物が満足に育たないのだ。このままでは山の恵みを得られないし、豚を放すことだって出来ない。冬には何人も死ぬだろう。
目をやれば、村長も両親も、私の記憶にあるその姿よりもずいぶんと痩せ細ってしまっていた。すでに状況は相当に悪いらしい。野犬が里山に居ついてどれほどになるのだろうか。
呪いは怖い。男手を貸せと言ったのは本心だ。慣れない槍や弓を持たせて、痩せ衰えた連中を山に入らせたところで足手まといにしかならないだろうが、いざという時の盾にはなる。村の仲間だ、死なせるつもりは毛頭ないが、アタシだって死にたくない。
結局、アタシが折れた。山狩りの準備を始めようと立ち上がったところで、ふと思い出す。村には唯一の猟師である山爺が居たはずだ。小さい頃は一緒に連れていって貰い、里山の歩き方を教えてもらったものである。野イチゴの酸っぱい味を思い出して、ツバを飲み込んだ。
村長に、山爺は元気かと聞いてみる。もう随分とヨボついているだろうけども、山爺が付いてきてくれるなら心強い。
山爺は死んでいた。犬のような遠吠えをあげて、よだれをダラダラと流しながら、死んだそうだ。
草木を分け入って歩く。里山に入るのは久しぶりだが、勘は鈍っていないようだ。音を立てず、風下からそろりと近づき、弓を構えて狙いをつけ、射貫く。
何かに群がり、肉を貪っていた一匹の頭に矢が突き立った。眼球を潰し、頭蓋を砕き、脳の腑を掻きまわす。目から鼻から血を吐き出して、そいつはどぅと倒れこんだ。
共に居た連中が牙を見せ、唸り声をあげる。が、立て続けにもう一匹が絶命するのを見るにつけ、弱々しい悲鳴をあげて逃げ散っていった。
剣を抜き、近寄る。倒れた二匹の首に剣を突き立てて、ほぅと息を吐いた。これで五匹。群れの規模がわからないが、あとどれ程の野犬がいるのだろうか。
先ほど連中が貪っていた犠牲者に目をやる。犬だった。共食いか。あいつらの状況も相当に悪いらしい。人肉に手を出していないだけ、うちの村のが幾分かマシか。
共食いで仲間を失い、アタシに狩り立てられて仲間を失い、連中も哀れな事だ。この分なら残りの奴らも、縄張りを捨てて逃げていくことだろう。矢を回収しようと、ごぼりと血を吐く頭から抉り出す。矢尻は砕けていた。碌な報酬も無いのにとんだ赤字だ。クソが。
あれからしばし歩き回ったが、野犬が見つからない。もう逃げ散ってしまったのだろうか。茂みをそうっと掻き分けながら様子を窺いつつ進んでいると、やがて開けた場所に出た。
途端、目を剥く。
樹木の幹に寄り掛かるように、血濡れの子供が倒れていた。銀糸の髪は振り乱され、身に纏う上等な仕立てであったろうそのドレスは、元の色が判らないほどに赤黒い。
矢をつがえて辺りを窺うが、野犬の気配は感じられない。子供に肉が残っているのが気になった。連中は共食いするほどに飢えているのだ、あのような獲物を仕留めてそのままにするだろうか。罠かと一瞬考えたが、犬にそのような頭があるとも思えなかった。
子供に近寄り、顔に手をかざす。呼吸をしていた。生きている。
両手が塞がるのも構わずに子供を背負いあげ、一目散にふもとへくだる。せめて、この場で傷の処置をしたかったが、これほどに血の匂いを振りまいていては何が寄ってくるかわかったものではない。日が沈むまでに村へ戻れなければ、野犬どころでは無いモノが湧いてきかねないのだ。
腹を空かせ、大人に黙って、勝手に里山に入ったのだろう。自業自得だが、目の前で子供が死ぬのを指を咥えて見ているわけにもいかなかった。気分が悪い。
揺れ動く視界の端に、銀の髪が映る。綺麗な髪だ、さぞ高く売れるだろう。見ない子供だが、村にこんな美しい少女が居ただろうか。
幸いにも、血に引かれて野犬が集まってくることは無かった。やはり、既に逃げ散ってしまったようだ。村に着くなり家に転がりこんで、両親への説明もそこそこに子供を寝床につれていく。止血をしようとして……。
脈は、もう止まっていた。




