ノマの占有権
「さぁさ!寄ってらっしゃい見てらっしゃい!この度皆々様の為にご用意させて頂きましたのは王都でも珍しい嗜好品の数々で…………って、ノマの嬢ちゃんじゃねーか。なんかの遊びか?そりゃあ。」
「……いえ、なんかもう、私にもよくわかりません。」
お日様も傾き始めた昼下がり、タッタカタッタカと黒猫ちゃん達の小脇に抱えられたままに運ばれて、お店に群がる人々の最前列にポーンと躍り出た私はものの見事にサソリの旦那と目が合った。うーん気まずい。
これが遊びであったのならば、商売のお邪魔をしてしまってごめんなさいで済んだのだが、なんせ今から始まろうとしているのは女の子の矜持を賭けた復讐戦である。願わくば、なるべく大事にならずに済んでくれますように。
「おうおうおう!人攫いの兄ちゃんよぉ!ここで会ったが百年目だ!アタイ達とギンに対してしてくれた事、忘れたとは言わせねーぞぉ!!!」
「「「言わせねーぞぉ!!!」」」
あ、無理ですわこれ。衆目監視のその中で、旦那に向かって指を突き付けビシっと見得を切るのは我らがおやびん黒猫ちゃん。子分ちゃん達もそれに追随して騒ぎ立て、人攫いだの悪党だのと口走ってはやんややんやと騒ぎ立てる。
いやまあ、事実目の前の優男は立派な悪党ではあるのだが、買い物の邪魔をされたお客さん方からしてみればそんな裏事情はわかるわけがない。今彼らの前で繰り広げられているのは真面目に商売をしていた若いお兄さんに、妙な言いがかりをつけて営業妨害をしようとしている女の子ヤクザのその雄姿なのだ。
さぁてどうか、袋叩きにされて放り出されたりするような事にはなりませんよーに。と願いつつ、チラリと周囲を窺ってみたらば意外や意外。
周りのお客さん方は不快感を見せるどころか、いつの間にやら物見高い見物客へと転職を果たしており、さも、面白い見世物が始まったぞと言わんばかりに昼間っから酒の小瓶なんぞを取り出して見せるのである。図太いなアンタ達。
たまにちょっと腰の引けた若いのが混じっているのは、私の異形を見てしまっている遠征軍の人達だろうか。というかその端っこで串焼きを齧ってる赤毛の傭兵、ニヤニヤしてないで助けてくれ。「お前にも一緒に遊んでくれる年の近い友達が出来たんだなぁ、ホロリ。」みたいな生暖かい目で見てんじゃねーよ。
「おっと待ちな、獣人のお嬢ちゃん達。俺の事を人攫いだのなんだのと好きに言ってくれちゃあいるが、そいつは言いがかりってもんだぜ?商売の邪魔をしたいのだったら、まず証拠ってもんを見せてほしいねえ。」
「なーに訳のわかんねえ事言ってんだよ!アタイ達はあの地下牢でバッチリシッカリ顔を合わしてんじゃねーか!?オツムが足りてねーのかテメー!?」
「いや、申し訳無いがお嬢ちゃん達と俺は初対面だよ。人違いじゃあ無えのかい?まあそこの銀髪の嬢ちゃんとだけは、先日にお貴族様のご紹介で顔を合わせちゃあいるけどな。」
「んだとコラーッ!!?」
まあ、そう来るよなあ。如何に黒猫ちゃん達が声を荒げてみたところで、目の前の男が悪事を働いたという証拠を出せない以上、旦那からしてみれば知らぬ存ぜぬを貫き通せば良い話である。このような感情に任せた追及を躱す事など容易であろう。
いやそれどころか、こうして彼女達が暴れれば暴れるほどに、私達はただの厄介客としてどんどん自らの立場を悪くしていってしまうのだ。旦那の視線も痛い事だし、ここは一度引き下がって別途交渉の席を設ける事を提案せねば。
有力貴族の嫡男である、ルミアン君の寵愛を受けているこの子達の立場であれば、彼をその席に引っ張り出す事も容易なはず。権力者が同席するとなれば、サソリの旦那としても私達の誘いを早々無下には断れまいて。
あとは旦那の口八丁で多少の譲歩を交えつつ、黒猫ちゃん達を上手いこと丸め込んで貰えば良い。なーに、どうせ苦労するのは旦那である。私はその席の端っこの方で、ときおり机の角をむしり取ったりしながらニッコリ笑っていれば良いのだ。うむうむ、この案で行こうではないか。
「あの、落ち着いてください親分さん。このままではこちらの分が悪い事ですし、また日を改めてですねー……。」
「おうおう悪党めぇ!アタイ達にそんな口をきいていいとでも思ってんのかぁ!?アタイ達はなー!今やあのマッドハット侯爵家の若様のお気に入りなんだぞー!そこんとこわかってんのかテメー!!!」
「そうですそうですー!特にこのおやびん様はですねー!将来には若様の奥方になられるお方なんですよー!逆らうなんてとんでもない!!!」
「おやびんの言うことを聞かなかったら若様が黙っちゃいませんよー!さー!ひざまずいて許しをこうが良いのですー!!!」
「ひれふせー。」
「え、何それアタイ聞いてない。」
あかん。もう完全に発言が悪役のそれである。このままでは一山いくらのチンピラルートまっしぐらだ。早いところ皆の首根っこを引っ掴んでズラからなければ、衛兵さんのお世話になること間違いなし。
幸いにして、今の一連のやり取りによって親分格の黒猫ちゃんは、顔を真っ赤に染めて固まってしまっているようである。彼女をこの場から引っ張り出せば子分ちゃん達もついてくるであろうから、今はそれでなんとか……なるんだろうか、コレ。
「あのー、ですからね皆さん。このままでは埒が明きませんから…………。」
「お嬢ちゃん達、悪いが色恋話なら他所でやってくんな。これ以上こんなところでキャイキャイ騒がれたんじゃあ溜まったもんじゃねぇんでな。」
「う、う、ウッセーッ!色恋なんかじゃねーっつーの!この悪党めぇ!妙な話でアタイを惑わせやがって!!!」
「そうですよ卑怯者めー!おやびん!もうこうなったら最後の手段です!この場は先生にお願いしましょう!!!」
「先生!ギンちゃん先生!よろしくお願いします!!!」
「ぶっころせー。」
ならんかったわ。ごめんちょっと喋らせて。
黒猫ちゃん達に担ぎ上げられた状態からズドリと地面に突き立てられて、ちょっぴりの砂ぼこりと共に姿を現したのはわたくしノマちゃん大先生。満を持しての真打登場に、事情を知らない観客の皆さんも口笛なんか吹いちゃったりしてご満悦である。帰りてえ。
しかしまあそうも行かぬ。さっきまでは良いとこ大道具扱いであったのが、今や舞台に上がった美少女俳優になってしまったのだ。酒も入って良い感じに温まってきた観客の期待には応えねばなるまいて。
いや冗談を言っている場合では無かった。だが考えようによっては、これは良い機会であるやも知れぬ。なんせ周囲の観客達の中には、私の異形を知る遠征軍の方々がちらほらと混じっていらっしゃるのだ。
そんな彼らの視線の先に、荒事を匂わせる発言を伴って私という化け物が存在している。ならばこの注目を逆手に取って、私がむやみやたらに暴力を振るう者では無いという事を訴えかけてみるのもまた一興。というかそうでも思わないとやってられんわ。あーもー。
「あー……。ドーモ、用心棒です。改めて、お久しぶりですねサソリの旦那。いえ、バラッドさん。」
「よう、元気してたか?ノマの嬢ちゃん。ま、お久しぶりって程でもねーけどな。」
「よっしゃ!頼んだぜギン!アタイ達の分もみんな纏めて、お前の恨みをこの悪党にぶつけてやれ!!!」
「んっふふー!お兄さんだって、大鷲の怪物をぶっ飛ばしたギンちゃんの事は見てたんでしょう!?降参するなら今のうちですよぉ!!!」
「にゃふー!命と有り金!全部置いていきやがれですぅ!!!」
「ぐへへへへ。」
「すいません、ちょっとみんな静かにしてて下さい。あとチンピラ発言も止めて。」
フシャー!フシャー!と興奮する彼女達を宥めつつ、ぽつりぽつりと歩を進める。さしもの旦那も私相手に空手では反論出来ぬと見たか、一歩下がると襟を正して息を吐き、それから抵抗の意思は無いとばかりにスルリと両手を掲げてみせた。
「まぁ待て待て、待ちなってノマちゃんよぅ。まさか俺も、アンタ相手に荒事で敵うだなんて思っちゃいねーよ。この通り、何も隠し持っちゃいねえだろう?」
「同感ですね。私としても、こんな場所で事を荒立てようなどとは思っていません。この子達を連れて一度引き下がらせて頂きますので、後ほど改めて席を設けさせて貰う形で宜しいでしょうか?」
「なんでぇ、嬢ちゃんもアレかい?俺が人攫いの悪党だのなんだのと難癖をつけて、金品でも引き出そうってぇ腹積もりか?ああ、なんてこった。悪い子になっちまったなあノマちゃん。人生の先輩として、友人はよーく選ぶべきだと忠告させて貰うぜ。」
「まあ、友人のくだりに関しては正直なところ反論の一つも出来ませんが、だからといって旦那にそれを言われたくはありませんね。それで?私がそんな腹積もりであったとしたなら、どうするおつもりなのですか?」
うーむ、さすがに安易に首を縦には振ってくれぬか。とはいえこちらとしても、これは一つのけじめでもある。私としては黒猫ちゃん達の心に落着をもたらす事で、ルミアン君の元で気兼ねなく新たな生活を送ってもらいたいのだ。まあその結果として少年が色々枯れ果てたりするかも知れぬが、それは若さとかそういうもので頑張って頂きたい。
よって、改めて話し合いの場を設けるというのは譲れない一線であるのだが、一方の旦那からしてみれば、この提案を飲んでしまった時点で己に痛い腹がある事を認めてしまったも同然なのである。ましてこのように大勢の他人の目もあるとあっては尚更の事。
ちなみにその猫耳ちゃん達は私の後ろに隠れつつ、「いいからさっさとぶっ殺しちまえよー!」だの「おやびんのごめーれーですよー!」だのと騒ぎ立ててなんとも気楽なご様子で。はいはい、お黙りやがってて下さいねー。
「そうだなあ……仮にだ。仮に、俺が人攫いまがいの事をしでかしていたとして、お嬢ちゃん達はちょっとばかし勘違いって奴をしているようだな。あれは悪い事なんかじゃあ無く、慈善事業っていう良い行いだったんだぜ?」
「……意図が計りかねますね。何を仰いたいのでしょうか?」
「そこの獣人の嬢ちゃん達、どうせ薄汚れた裏路地で食うや食わずの生活をしていた口だろう?攫われるような災難に遭わずとも、遠からずタチの悪い性病にでもかかって野垂れ死んでいたはずだ。それが今や、お貴族様のお手付きになって綺麗なおべべが着られているんだぜ?むしろ感謝して貰いたいくらいだね。」
「結果論です。物は言いようですね。それに、語るに落ちていますよ?」
「おおっと待て待て、早まっちゃいけねえ。仮に、って言っただろう?それに物事ってのは結果が一番大切でな、それで言えば、そこのお嬢ちゃん達は新しい生活を手に入れて、慈善家様の懐は温かくなり、浮浪児が減った事で街の治安も良くなって八方好し。万々歳だ。誰も損なんてしちゃあいねえんだよ。」
「……詭弁ですね。」
「だが事実だ。事実から目を逸らしちゃあいけねえなあ、ノマちゃん?」
むむむ、どうにも口先では敵わないか。到底納得しかねる言い分ではあるものの、結果で言えば黒猫ちゃん達が安定した暮らしを手に入れられた事は確かなのだ。かつて地下牢で聞いたこの子達の境遇を考えるに、あのままでは彼女達の命は長いものでは無かったであろうことは想像に難くない。
そういう意味では変な話、旦那たち人攫いは王都の浮浪児達にとって、働き口を斡旋してくれる命の恩人であると言えなくも無いのである。ご飯にオヤツもつけてくれたし。いかん、なんか私の方がコロっと言い包められそうになってきた。
ちなみに一緒に攫われてきた私の方は、本当にただ酷い目に遭わされただけであったのだが、まあそれについては触れないものとする。別に端っこのほうで見物している赤毛の女の目の前で、あの金貨千枚事件を蒸し返すような真似をする事が怖かったわけでは無い。無いったら無い。
「な、なるほど!そういう考え方をしたことは無かったです!おやびん!あの人攫い、ひょっとして意外といい奴かもしれませんよ!?」
「にゃ!?何言ってるのシロゲ!?アイツはあたし達やギンちゃんに酷い事をした、とってもとっても悪い奴なんだよ!?」
「考えてみてチャトラ!そりゃあ色んな事があったけど、結果としておやびんは若様に巡り合う事が出来て、あたし達はそのおこぼれで美味しい汁を吸う事が出来るようになったんだよ!?ギンちゃんだってこんなに真っ赤で綺麗な服を着てるし、大事にして貰ってるに違いないよ!!!」
「にゃにゃ!?なるほど!さすがシロゲ!あったまいいー!!!」
「すごーい。」
「すごーい。じゃ、ねーーーよ!!?あっさり騙されてんじゃねーお前ら!あとアタイのおこぼれとか言うな!!?」
うおお、なんという事だ。さすが旦那、私を説き伏せようとする振りをして、まさか背後の黒猫ちゃん達に離間の計を仕掛ける事によってその結束にヒビを入れてしまおうとは。このノマちゃんの目をもってしても見抜けなんだわ。いいぞもっとやれ。
まあ子分ちゃん達のオツムが想像以上に軽かっただけと言えなくも無いのだが、そもそもにして私が引き下がれないその理由は、彼女達に納得をして貰いたいが為であったのだ。どうあれ、この子達が暴力に訴え出る事無く自分の気持ちを飲み込んでくれるのならば、私はそれで構わないのである。
そしてそうであってくれるのならば、後はこれ以上騒ぎが大きくならぬうちに引き下がり、然る後にルミアン君の権威を笠に着た上で慰謝料でも請求してやれば良ろしい。ふへへ、逃げ切りなどと許さんぞ旦那ぁ。
「くっそー!!!ギン!いつまでもそんな悪党とくっちゃべって無いで、さっさとぶん殴って黙らせちまえ!!!」
「いやいやいや、そんなわけには行きませんよ親分さん。殴るにしてもそれなりに筋の通った理由と言いますか、法的なそれがですねー…………。」
「うるさーーーい!!!アタイは親分なんだぞ!子分なら親分の言う事を聞くもんなんだぞーっ!!!」
味方を失って孤立してしまった黒猫ちゃんはついに強硬策に出たようで、親分としての権力をもってして私を命令に従わせようと躍起になり始めてしまった。そんな彼女にさんざっぱらに揺さぶられ、私の首はもうガックンガックンである。
いつの時代も追い詰められた権力者の末路というものは悲しいものだ。彼女もまた、なりふり構わずノマちゃんという最終兵器によって全てを無に帰すことを選択してしまったのであろう。いや寸劇をしている場合では無かった。ちょっと黒猫ちゃん落ち着いてっていうかどうやって宥めろと言うのだコレ。
「くっくくく。苦労してるようだなあ、えぇ?ノマちゃんよう。なんだったら、そんな連中さっさと見限ってこっちにつかねえか?待遇は保証するぜ?」
「いやいや旦那。この有様の何を見てその結論に達したんですか。でも癇癪を起こした女の子の落ち着かせ方を教えてくれるって言うのなら、ちょっとだけ考えてあげてもいいですよ?」
「生憎と俺だって知らねーよそんなもん。もし知ってたら今頃俺はお父さんになってたさ。」
「使えねーなこの失恋サソリ!!!」
「振られてねーし!?俺の方から振ってやったんだし!!?」
なんというかもうシッチャカメッチャカである。黒猫ちゃんは私の頭を揺さぶりながら何事かを喚いているし、子分ちゃん達はそんな親分を見てオロオロとするばかり。そして颯爽と会話に入ってきたサソリの旦那は見事な自爆をかまし、周囲の観客からはパラパラと小銭が投げ入れられる。
いや小芝居やってるんじゃないんですけど!?笑ってんじゃないよそこの赤毛!!?
「あぁもう!ウッセー!!!とにかく獣人のガキ共!お前らがこうも強気に出て来られるのはノマの嬢ちゃんがついてるからなんだろう!?なら嬢ちゃんを味方につけた側が勝ちになるってぇ事だ!金なら弾んでやるからこっちにつけ嬢ちゃん!」
「ふん、見くびられたものですね。この私が、お金なんかで動くとでも思っているのですか?」
「王室御用達製菓店の、季節の果物を使った超高級タルトでどうだ。」
「……………………も、もう一声。」
「うおおおおおい!?何言ってんだよギン!?くっそ!ならこっちもとっておきだぁ!!!シロゲ!さっきのアレ見せてやれえ!!!」
「え!?あ!はい!!!見てくださいギンちゃん!さっき捕まえた丸々太ったおっきなネズミです!これぜーんぶギンちゃんにあげますから!だからあたし達のお友達を辞めるだなんて言わないで…………!!!」
「すいませんサソリの旦那!それで手を打ちますから宜しくお願いします!!!」
「「「ギンちゃーーん!!?」」」
ノマちゃんの占有権が旦那へ移りました。いやごめん黒猫ちゃん。ごめん皆。私は不死身で最強だけど、生のネズミを口にねじ込まれたら多分死ぬわ。身体は無事かもしれないけれど心が死ぬわ。
だからそんなでっかいネズミを恭しく差し出さないでってまだ生きてるぅ!?喉を切り裂かれて息も絶え絶えだけどまだ動いてるぅ!!?
「よっし!これで俺の勝ちだな!オラオラさっさと散れいガキ共ぉ!商売の邪魔だ邪魔だぁ!!!」
「おやびん!どうしようどうしよう!?早くギンちゃんを取り返さないと負けになっちゃいます!!?」
「お、落ち着けチャトラ!アタイ達の持ってるもので、他になにかギンの気を引けるものが無いか考えるんだ!!!」
「シロゲちゃん。そのネズミ、要らないなら食べていい?」
「うん……いいよ、トビ。」
高くなった視界の中で、見下ろす瞳に映るものは私を肩車して勝ち誇るサソリの旦那と、挽回の一手を見つけようとして右往左往する黒猫ちゃん達。
もはや完全に趣旨が変わってきているというかなんというか、状況は私を味方につけた側がとにかく勝ちという妙な争いごとに突入しており、既に人攫いへの復讐という当初目的は見る影もない。
あーあーもう。サソリの旦那も調子に乗って、私を王冠扱いなんかしちゃってくれているし全くもって大人げない事この上ない。いや、私もすっかり場の雰囲気に飲まれてしまい、冷静な思考が出来ているのかと問われてみれば怪しい所ではあるのだが。
「あ!そうですおやびん!血です血!!!ギンちゃんは血を飲むんだって言ってました!きゅーけつき?なんだって!!!」
「む!でかしたぞシロゲ!そういえばそれがあったな!おーいギン!アタイ達のでよければチョピっとだけ飲ましてやるぞ!痛いのヤだからチョピっとだけな!!!」
「うぇ!?ちょっと!?こんな公衆の面前でコイツは吸血鬼ですだなんて暴露されても困るんですけども!?」
「うっせー!つべこべ言うな!飲みたかったらさっさとこっちに帰ってこーい!!!」
いやいやいやいや、困る困る。別にもう私が化け物である事を隠し通そうなどとは考えていないものの、だからといって無遠慮に私が人外であるという情報をばらまかれてしまっても困るのだ。そんな事をされようものなら天井知らずに厄介事を呼び込みかねない。
しかしその一方でこの申し出に歓喜のあまり、思わず舌なめずりをしてしまう私がいる事もまた事実。なんせ年若く健康な少女の血だ、どれだけ甘く蕩ける様な味わいである事だろうか。それを相手の承諾を得たうえで、気兼ねなく貪る事が出来るのである。うーんお腹減ってきた。
「あん?ノマちゃん女の子の血を飲むような趣味があんのか?変態じゃねーかおい。まあ、世の中色んな趣味を持った連中がいるけどよ、あんまり褒められたもんじゃねーぞ、ああいうのはよ。」
「変態言うな。このまま髪の毛むしりとりますよ?」
ああ。そういえばこの世界においては、吸血鬼なる怪物の存在は知れ渡っていないのだった。単語を聞かされただけではイコール化け物だとは結び付かないというわけか。でも変態趣味とは結び付いてしまうらしい。甚だ遺憾である。
ちなみに周囲の観客の中でも私が化け物であると知っているのだろう一部の方は、銀の巨腕で人間を捕らえて干からびるまで血を吸い尽くす悪鬼の姿でも想像してしまったのか、いささかばかり顔色が悪い。いや、もういいや。別に世の全ての人に好かれようなどとは思っていないのだし、好きに想像してくりゃれ。
「う~~ん、そうですねえ。じゃあ後でちょっとだけ飲ませてくれるのなら、親分さんの子分に戻ってあげてもいいですけども……あ、ネズミはちゃんと処分しておいてくださいね?」
「うおおおい!?待て待て待てノマの嬢ちゃん!血が飲みたいのならウチからガタイの良い奴を何人か見繕ってやるからよ!そっちなら好きなだけ飲み放題だぞ!?」
「いえ、なんかギトギトしてそうなんで結構です。」
「くふふふふ!!!どーだどーーだぁ!悪党めぇ!これでアタイ達の逆転勝利……ってふきゃあぁ!!?」
「ちょーーっと待ったぁぁ!その男を張り倒すというのであれば、どうぞこの私めも混ぜてくださいませ!!!」
少女達の甘美な誘いに目が眩み、私が再び占有権の移動を宣言しようとしたまさにその時。観客達の肩の上を軽業師のように飛び交いながら、聞き覚えのある声と共に宙を舞って落ちてきたのは怪しい人影。
すわ何者か!?と身を乗り出せば、スチャリと見得を切りながら立っていたのはドーマウス家金髪メイドのシャリイちゃん。新たなる芸人の華々しいその登場に、観客達も拍手喝采の大盛り上がりで……って芸人じゃねー!キティーの事をほっぽりだして何やってるんですかアナタ!?
まさかのここにきて新たな勢力の登場である。っていうかその体重を感じさせない見事な体捌きはお見事ですから、早く黒猫ちゃんの前からどいてあげてください。いきなり真上から落ちてきたものだから、驚いてひっくり返ってしまっているじゃあないですか。
「お待たせいたしましたノマさん!このシャリイ、キルエリッヒお嬢様の命により、ノマさんとゼリグさんの事をお迎えに参った次第であります!さぁ、早くそのクソ野郎をぶっ殺しましょう!!!」
「いや、文脈繋がってないですよ!?っていうかなんでそんなに殺意高いんですか!?あとキティーが私達を呼んでる事については了解しました!」
「それはもう!お話は全て伺わせて頂きました!この私もかつて貧民街で泥水を啜った者の一人として、孤児を攫って金に換えるような真似を正当化しようとする輩を見逃すわけには参りません!ぜひともお力添えをさせてください!!!」
開口一番、ピシリと短剣を構えるその姿はたいそう様になっているものの、果たしてこれは空気を読めているのかいないのか。いやまあ言ってることは正しいんですけども。
いずれにせよ、彼女がただでさえ収拾がつかなくなってきたこの状況を、さらに引っかき回しにやってきた事だけは確かである。いやあもう、一周回って楽しくなってきちゃいましたねアハハハハ。誰か何とかして下さい。
「だ、大丈夫ですか!おやびん!?」
「おやびん!あたいの手につかまってくださーい!」
「おやびーん。けっぷ。」
「び、びっくりした……。な、なあ、ドーマウスの家の姉ちゃんは、アタイ達に手を貸してくれるのか?」
「任せなさい獣人のお嬢ちゃん達!女性の血を差し出す事でノマさんを味方に引き込むことが出来るのならば、私もこの身を張らせて頂こうではありませんか!お菓子だって最高のものをご用意させて頂きますよ!」
「んー?姉ちゃんだってアタイ達と同じ、ただの使用人だろう?そんな権限あんのかよ?」
「なぁに、料理人にちょっと太ももでも見せてやれば一発ですよ。今度やり方を教えてあげましょう。一度釣ったらそれ以上はエサを与えてやらないのがコツです。」
「くふ!くっふふふ!わっりぃ姉ちゃんだなぁおい!じゃあアタイも一つ、若様におねだりしてみようかな!」
いやー、聞きたくなかったなー。聞きたくなかったわー。シャリイちゃんはまともで真面目な子だと思ってたんだけどなー。というか、他所のお家の使用人に変な教育を施すの止めなさいよアナタ。
「……おい、ノマの嬢ちゃん。あの変な姉ちゃんもアンタの知り合いか?って痛ってぇ!?うおい!?虚ろな目ぇして髪の毛を引っ張るんじゃねえ!?痛ってぇ!!?」
「旦那ー。もう私、細かい事とか考えるの止めようと思いますー。」
「さーぁそこな人攫い!大人しくノマさんの占有権をこちらへ寄越すのです!さぁさぁさぁ!!!」
「ほらほら!大人しくこっち来いよギン!これでお前はアタイ達のもんだからな!くっふふふふふ!!!」
「あー…………。ちょいと待った待った。そういう話なら、ちょっと待っておくれよ……っと。」
宴もたけなわ、私と言う王冠を巡って皆が気勢を上げるそんな中、旦那の頭に座っていた私は突然伸びてきた細い腕に、ヒョイと横からかっ攫われて目を見開いた。
いや、少々投げやり気味になっていた事は確かであるが、だからといって誰のものとも知れぬその腕に抱かれる事に、私はまったくこれっぽっちも警戒を抱かなかったのであるから驚きである。何奴!?
「悪いね、頭取の旦那に使用人の嬢ちゃん達。でもこいつはアタシのもんだからさ、占有だの所有だのって言うのなら、ちょっと譲ることは出来ねーんだよなあ。」
突然の横槍にみながポカンと顔を見合わすその前で、思わず上を見上げた私の瞳に映ったものは、かつて隠遁者を気取って強がっていたこの私に、人恋しさというものを思い出させてくれた赤毛の女。
実に良く見知ったそいつは私の事をヒョイと抱え上げてそう言うと、ニィと口角を上げながらそれはもう堂々と、私の占有権を主張したのであった。
「なぁ、お前だってそう思うだろう?ノマ。」
うーん。は、恥ずかしい。ゼリグの奴め、こんな衆人監視の中で臆面も無くこんな台詞を言ってのけるとは、こいつ実に女ったらしである。
でもまあ、ちょっと、本当にちょっとばかしだけども……カッコいいと思いました。むふー。
話の本筋にはあまり関係無いという意味ではやや冗長ですが、サソリの旦那が同行しているのに黒猫達が何の反応も示さないというのも不自然ですのでエピソードを挿入してみました。
作中におけるキャラクター同士の顔合わせも兼ねています。




