経験と自信
「あー、あー。ノマの奴め、派手にやってくれやがったなぁおい。ほれ若様、起きれるか?怪我とかしてねえだろうな。」
「は、はい。ありがとうございますゼリグさん。しかし……すごいものですね。ノマさんのこの力、まるで物語に出てくる英雄のようです。」
父の雇い入れた来歴不明の銀髪少女。彼女の為した一撃によって爆ぜ飛んだ大岩のその衝撃に、思わずひっくり返ってしまった私は差し伸べられた手に腕を掴まれ、引っ張り上げられて身を起こしました。
王国の名家たるマッドハット侯爵家、その次期当主であるこの私が、まして男児であるこの私が女性の前でこのようにみっともない姿を晒してしまうなどと、いやなんともお恥ずかしい限りです。
羞恥のあまり、思わず頬が熱くなるのを感じました。特に今は、己の恰好良い姿を見せたい相手がすぐ傍に居るというのに。
手をひかれつつもおそるおそると隣へ視線を向けてみれば、そこに居たはずの獣人少女達の姿は既に無く、はてと首を傾げた私の意識は次いで天幕の外から聞こえてくる黄色い声に向けられます。
「うおーーー!すげー!すっげーーー!!!なんだよぅ!ギンの奴こんなに強かったのならさっさと言えよなあ!そうすりゃああの人攫いの悪党共だってぶっ潰してやれたってのによぉ!」
「すごい!これはすごい事ですよおやびん!なんたっておやびんはギンちゃんのおやびんなんです!おやびんは子分よりもすごいんですから!おやびんはギンちゃんよりもっとすごいって事になります!!!」
「すげー!おやびんすっげーーー!!!」
「すげー。」
「お、おう?そうか?」
気づけばクロネコを筆頭としたお付きの彼女達はいつの間に移動したのやら、砕けた大岩の周囲に取り付いて既にやんやと騒ぎ立てており、共にひっくり返った主人である私の事など気にも留めていない様子です。
ちょっぴり寂しくも思いましたが、正直に言えばすこしだけホッとしました。男の癖に、時期当主様の癖にまるでお姫様のように助け起こされるなんてと、面白おかしくからかわれるのでは無いのかと内心気が気では無かったのですから。
なんせ私はこの遠征で男を見せて、あの日あの夜、私の事を笑った彼女達の事を見返してやるつもりだったのです。それがこんなところで早々に躓いてしまうところでした。危ない危ない。
「ははは。よかったなあ若様、若様お気に入りの嬢ちゃん達はご主人様がひっくり返って転げた事、別に気にしてないみたいだぜ?」
「ゼ、ゼリグさん。別に私はそのような……。」
「んな真っ赤な顔して何言ってるんだってーの。女みたいな顔してる癖にそういうところは親父さん譲りだよなあ、若様も。」
胸を撫でおろしたのも束の間で、己を引っ張り起こしてくれた赤毛の傭兵の一言に、私は思わず身を震わせました。どうやら私のちっぽけな心配事など彼女にはお見通しであったようです。
隻腕の異名を持つ赤毛の傭兵、ゼリグさんとは父が以前に手柄首の名誉を買い取った事もあり、知らぬ間柄というわけでも無いのですが……どうにも私はこの人が苦手です。
いかにも気が強そうで、ちょっと怖い感じなのがいけないのでしょうか。彼女といつも一緒にいるドーマウス家のご令嬢、キルエリッヒさんは毅然としながらも穏やかで優しそうな方なので、その対比で余計にそう見えてしまうのかもしれません。
でも明るくて快活なその姿は大人になったクロネコを連想させて、そんな彼女に手を繋がれた事に少しだけ、ドキドキしました。
「ふわぁー!ノマさんってばこんな事まで出来てしまうんですねえ。これほどの力を持った子がキルエリッヒお嬢様のお味方だとは、なんとも心強い限りでございますね!」
「そうだろそうだろー!ギンは何でもできるスゲー奴なんだよ!アンタずっと澄ました顔して黙ってるからつまんねー奴かと思ってたけど、中々どうして話がわかるじゃねーか!くふふ!」
「ちょっと~、シャリイちゃんも猫耳ちゃん達も、そんな近づいてぴょんぴょん跳ねたら危ないわよぉ。ほらそこ、まだ岩が崩れてきそうじゃない。」
「坊ちゃま、危険ですのでもう少しおさがり下さい。このマリベルめの前に出ないようお願い致します。」
「しかし……確かに凄まじいとしか言い様がありませんが、同じ身体強化術を扱う私からしてもこれは明らかに異常な力です。果たして五色の神のご加護の賜物という言葉で片付けても良いものでしょうか…………。」
クロネコ達に続き天幕の外に出て、皆してノマさんの為した破壊の跡に集まります。そうこうする内に先ほどの大音響に驚いて飛び出してきた傭兵や騎士達により瞬く間に人だかりが出来上がり、周囲は方々から飛び交う困惑の声によって騒然とし始めました。
「マ、マリベルの姉御ぉ!さっきの轟音はいったい!?」
「傭兵団火炎獅子、全員集まったぞい。隻腕殿、なんぞ大岩がぶっとんでえらい事になっとるが何が起こったんじゃこりゃあ?」
「メルカーバ卿!ご無事でありますか!?我ら血薔薇騎士団、いつでも動けます故ご命令を!!!」
大人たちの声の圧力に気圧されて、砕けた大岩の前で振り返りつつもただその状況をぽかんと見つめていた私でしたが、使用人のマリベルに軽く背中を押されて促された事によって我に返りました。
そ、そうでした。私には遠征軍を預かる責任者の一人として、この状況を治めるべき義務があるのです。でも、どうしたら良いのでしょうか。
別に敵襲を受けたわけではありません、被害が出たわけでもありません。ただこの場を纏めて皆を落ち着かせるだけで良いというのに、頭が真っ白になってしまって考えが纏まらないのです。
ええと……ええと……。な、なにか、何かを言わないと…………。
「おーう!全員聞けえ!!!この砕けた大岩を見ての通り!この夜営地は化け物連中からの襲撃を受けた!昼間にアタシらの肉をつけ狙ってやがったあの連中だ!!!」
考えを纏められずに狼狽える私の事を見かねたか、クロネコ達を押しのけて大岩の破片をコンコンと叩いていたゼリグさんが突然に岩塊を蹴り飛ばし、声を張り上げて周囲の注目を集めます。
でも化け物からの襲撃とは?いや、アレをやったのはノマさんなのですが、ゼリグさんはいったい何を言おうとしているのでしょう?
「だが心配するなぁ!そこにおられるマッドハット侯爵家時期ご当主であるルミアン様の命により!先日に王都を襲ったはぐれを退治した侯爵家の懐刀が既に!連中を森に追いやって事の対処にあたっている!!!」
「以前に仲間の仇を討ってくれたあの怪物姫様がこの場にいらっしゃるってか!?そいつぁ心強えや!」
「おうともさ!だがアタシ達だってただおんぶに抱っこってわけにもいかねえ!あいつに追い散らされて飛び出してくるだろう怪鳥共の始末くらいはさせて貰わなくちゃあな!さぁてルミアン様!ご采配を!!!」
赤毛の傭兵はひとしきりそう言ってまくしたてると、驚いて目を見開く私を見ながらさぁお膳立てはしてやったぞと言わんばかりに、ニィと唇を歪めて笑います。
彼女の言はハッタリも良いところですが、森の中に潜んでいるだろう怪鳥達と化け物に対する備えという意味では的外れというわけでもありません。例え大人数で固まっていようとも、隙を見せれば一人二人は容易に攫って行くのが化け物という存在なのですから。
そしてなにより、混乱していたこの場全員の意識を同じ方向に向けさせる事が出来ました。あとは私が号令をかけるだけではあるのですが……。
しかしその……ご采配をと言われても、王太子派に属する私がこの場を取り仕切ろうとしたところで王女派である血薔薇騎士団の面々が素直に従ってくれるとは思えません。まして団長であるメルカーバ卿は、その初対面からして如何にも敵対的であったのですし。あと怖いですし……。
そう考えながらそろりと視線を向けてみれば、横に立つ件の団長殿は部下から槍と戦斧が合わさったような厳つい得物を受け取りつつも、何事かを指示している最中でした。
さてどう言って彼女を説き伏せたものかと考えたその矢先、こちらへ振り返ったメルカーバ卿の視線が私のそれと絡み合い、唇を吊り上げた彼女は私に向けて、手にした斧槍の先端を突き出します。
突然の事に思わず私は一歩を下がり、そして刃を向けられた事に反応し、後ろに控えていたマリベルが私を押しのけて庇うように前に出ました。
「……マッドハットの坊や。良い機会です、この場を見事仕切ってみせなさいな。そうすれば、まあ王太子派はともかくとして貴方の事は認めてあげましょう。上役である貴方の事を気にかけているノマさんの顔を立てる意味でもね。」
「メルカーバ様、そうは仰いますが、本当はあの少女の力が怖くなっただけでは無いのですか?万が一にもあの娘の不興を買って敵対するわけにはいかないと。いえそれとも、あの子に貸しを作って王女派へ取り込む切欠でも作りたいのでしょうかね?」
「…………貴様、先ほどから使用人風情がペラペラと貴族の会話に割り込むなどと、無礼極まる真似をしてくれますね。このような厚かましい者を重用しているようでは王太子派の程度も知れるというものです。」
「それはどうも。生憎と元傭兵のガサツな女でしてね。メルカーバ様の方こそ、その高圧的な態度を先ほどまで隠していたあたり、余程あの子に嫌われたくないとお見えになる。」
それきり女性二人は目線を絡ませたまま無表情で黙り込んでしまいましたが、やがて重なった舌打ちが聞こえると、どちらからともなく視線を逸らして顔を背けました。
いえ、その。きっと彼女なりに私の矜持を守ろうとしてくれたのだとは思うのですが、子爵とはいえ王家との繋がり深い人物に真正面から喧嘩を売るのは控えて欲しいものです。
ああ、お腹がチクチクします。でも、庇ってくれたお礼は言わないと。
「あ、あの。ありがとう、マリベル。でも、その……。」
「いえ、私も主家を軽んじられた事につい気が立ってしまいました。申し訳ございません。ですが、これは坊ちゃまが経験を積むための良い機会である事は確かです。今しがたゼリグが言ったとおり、森から追いやられてくるであろうハルペイア達の対処について、ご采配をお願い致します。」
我が家のおっかない使用人はそう言って腰に下げたメイスに手を伸ばし、それから下がりかけた眼鏡をくいくいと上げてみせました。
メルカーバ卿の言い草もそうでしたが、どうやら彼女の中でも怪鳥達がこちらに襲い掛かってくるというのは既に決定事項であるようです。
「……本当に、怪鳥達はこちらに向かってくるのでしょうか?そうさせない為に、ノマさんは単身乗り込んでいったのでは無いのですか?」
「あの娘の心配はされないのですね?」
「……先ほどの石投げと称した異形を見せつけられるまでは、心配していたのですけどね。」
「ごもっとも。私もあの娘の脅威は知るところではありますが、それと同時に案外と大雑把であるという事も知っています。今頃あの娘はハルペイア共の群れを森の深部へ追いやろうとして、躍起になって追いかけ回している事でしょうね。」
「それならばなおの事、統制を失って四散した群れはバラバラに逃げ散ってしまうのでは?」
「散ってしまうからこそ、彼女の動きを逆手に取って逆側へ逃げ延びようとする連中も出てくるはずです。そしてあの怪鳥共は無様に追い散らされたその腹立たしさを、自分より弱そうなものにぶつけて憂さを晴らそうと考える程度のオツムは持っているのですよ。っと、ほぅら坊ちゃま!言ってるうちに出てきましたよ!」
メイスを引き抜いて暗い森の中を指し示すマリベルの動きに釣られ、視線を向けた先にいたのは闇の中に浮かび上がる白い体毛。
揺らぐ白い影のようにも見えたそれは瞬く間に数を増し、十にも二十にもなった影達は森の境界からもんどりうって飛び出すと、ギャアギャアギィギィと叫び声をあげながら仲間同士ぶつかり合い、引っかき合ってそのおぞましい醜態を晒します。
やがて大人の男性ほどもある怪鳥達の、最も小さな一匹が仲間の手によって引き裂かれ、そいつは悲し気な声音と共に血肉と臓腑を撒き散らしながら絶命しました。
残る怪鳥達は哀れなそいつの臓物を咥えて引きずり出し、食べるでも無くそこらに投げ捨てて遊ぶような仕草を見せると、今度はその老婆のような頭をこちらに向けて、血泡を飛ばしながら唸り声をあげるのです。
産まれて初めてこの目にする、人を殺し得る人外の脅威のその姿に思わずゴクリと息を飲み、知らず震えてしまった己の身体を抱くようにして、私は内心の恐怖を押し殺しました。
私は、今までずっと父に言われるがままに生きてきました。それが悪い事であったとは思っていません。父は父なりに、私の事を思ってくれていたのでしょうから。
でも、いつまでもそのままでいたいとも思いませんでした。私は侯爵である父の息子としてでは無く、ルミアンという一人の男として、皆に自分の事を見て欲しかったのです。名を上げて、一角の人物になりたかったのです。
そうです。その為に私はこうして、前線に出てきたのですから。クロネコに私の恰好良い所を見せて、男として見直して貰うために、私はこの場にいるのですから……!
「おうおうおう!ぞろぞろと出てきやがったなぁおい!思ったより数が多いがどうするよ若様!?」
「……ゼリグさんはクロネコ達を連れて一度下がってください!そしてメルカーバ卿!私はマッドハット侯爵の名代、ルミアン・マッドハットとして貴方に指示を下します!この場にいる兵達を指揮し、前方の脅威を撃滅して下さい!!!」
「あらあら、せっかく好機を与えてあげたというのに、政敵であるこの私に指揮権を投げてしまっても良いのですか?」
「私は実戦経験に乏しいものでして、ならば出来る人に事を託すのは当然の事です。卿は私の采配によってその能力を振るい、私は卿に権限を与えた事に対して責任を取る。違いますか?」
「…………ふん、なんとも口の回る坊やですこと。まあ、知識も無い癖に無駄に口に出したがる無能よりは増しと言うものです。宜しいでしょう。」
メルカーバ卿はそう言って口角を上げ、斧槍を担いだまま前に出ました。口調こそ辛辣でしたがそれでも少しだけ嬉しそうな声音であったあたり、少しは私の事を認めてくれたのでしょうか。
本当は、自分の決定が正しかったのか自信が持てません。もっと自ら統率力を示すべきであったのかもしれません。
爪を噛み、自分の胸を強く押さえます。心臓の音がうるさくて、上手く考えを纏めることが出来ません。けれども私は方向性を示しました。指示を出したのです。ならば、後は信じて任せるのみ。
「聞けえ!この場は血薔薇騎士団のメルカーバが指揮を執る!全員、半円状に密集して得物を突き出せ!槍衾を形成してハルペイア共の突進を阻止する!上空にも槍を向けろ!ぐずぐずするなぁ!!!」
私達上位者の意思決定が為されれば早いもので、彼女の号令がかかるや否や、優秀なる我が王国の騎士や傭兵達は手にした武器を突き出しながら密集し、瞬く間に大きなハリネズミのような集団が出来上がりました。
合同訓練を積んだわけでもない即席の戦闘集団での突発的な遭遇戦。だからこそ複雑な連携を必要としないこの単純な命令は効果的で、巨大な針山は月明かりを反射したその冷たい輝きでもって怪鳥達を威嚇します。
所詮相手は野生動物。この刃の列を前に諦めて引き返してくれる事も期待したのですが、とはいえそう簡単に物事は運んでくれない様子。
鈍い光を前にした怪鳥達は一瞬怯んだ様子を見せたものの、それでも興奮しきり、今また仲間の血に酔って奇声をあげる彼らは既に正気を失っていると見て取れて、まるで引く気配がありません。
そのうちに、翼を広げた一匹が宙に飛び上がって吠え猛り、巨大なカギ爪を突き出しながらこちらへ向かって突っ込んできました。
そしてそれを皮切りに他の怪鳥達も次々に空へ向かって舞い上がると、繁みに隠れた獲物を狙う猛禽のように勢いをつけて私達へ襲い掛かります。
槍衾に衝突し、己の身体が傷ついて血を流すのもお構いなしに、狂乱しながら暴れ回るその姿はまさしく話に聞いた化け物そのもの。
ですが周囲の大人達の余裕を崩さない態度を前にして、ならば彼らが恐れる本物の化け物というのはどんなに恐ろしい存在であるのかと想像し、知らず、私は身を震わせずにはいられませんでした。
「そのまま陣形を維持!女子供は内側に入れろ!いいか!?こちらから攻めようと思うな!陣をこじ開けられない事だけ考えておけ!!!」
メルカーバ卿が身振り手振りを加えて叫び、手にした斧槍の石突を地に突き立てます。
そしてその音と共に跳ねるようにして飛び込んできたクロネコ達に圧し掛かられて、またしてもひっくり返りそうになった私はそれでもマリベルに抱き留められる事で、なんとか腰を入れて踏み止まりました。
「わっりい!大丈夫かよ若様!?」
「へ、平気です!このくらい!男なんですから!」
「妙なところで見栄を張りたがるよなあ若様もさぁ!んで、どうすんだよあの気持ちわりぃ怪物共!守ってばっかりじゃ埒が明かねーぞ!?」
「殺りますか!?」
「ぶっ飛ばしますか!?」
「ぶっころー。」
「……私も猫耳ちゃん達と同意見ねぇ。どうするのメル?このまま連中が諦めて引き下がるまで、耐え続けるとでも言うつもりかしら?」
私に抱きついたまま耳元で怒鳴るクロネコ達の言葉を引き継いだのは、重そうな鉄球のついた杖を手にしたキルエリッヒ嬢。隣にはドーマウス邸で面通しをされた使用人の少女も控えていますが、彼女と共にいた赤毛の傭兵、ゼリグさんの姿は見えません。
彼女もまた、怪鳥達と押し合いへし合いを繰り広げるこの集団のどこかに、得物を片手に混ざっているのでしょうか。
「私がやられっぱなしで黙っているような女で無い事は良く知っているでしょう?キリー。攻勢には私が出ます。この薄暗い中、碌に各隊の動きも練っていないのに乱戦などと堪ったものではありませんから…………ねぇ!!!」
言うが早いが、混戦の槍衾から飛び出したメルカーバ卿は斧槍を振りかぶり、手近に居た一匹の怪鳥の頭を叩き潰しました。一瞬の悲鳴と共に撒き散らされた脳漿と血飛沫が私の元にまで飛んできて、衣服の裾に赤黒い染みを作ります。
得物を振り下ろしきった彼女の無防備な背中を目掛け、息つく間も無く新たな怪鳥がその爪を突き立てるべく襲い掛かったものの、しかしその身体は振り返りながら強引に切り上げられた一振りによってひしゃげながら吹き飛ばされて、さらに数匹の怪鳥達を巻き込むともんどりうって倒れさせました。
巨大な斧槍を軽々と振り回すその姿は到底彼女のような細い女性の膂力が成せる業だとは思えませんが、これが王国随一の身体強化術の使い手と聞くメルカーバ卿の実力というわけなのでしょう。今朝方に巨大な荷馬車を止めてみせたその腕前は、見間違いなどでは無かったようです。
しかしやはり多勢に無勢。その矛先を槍衾の先に隠れた私達から一人大立ち回りをするメルカーバ卿へと向けた怪鳥達は、次から次へと彼女の元へ殺到すると振り回される斧槍へ食らいつき押さえつけて、その動きを封じようとするのです。
そして涎にまみれた口元から泡を飛ばす怪鳥達の一匹がついに彼女に迫り、その細い首筋に牙を突き立てようとしたその瞬間、口内に突き立てられた赤い槍によって頭蓋を貫かれたそいつはぐるんと大きく振り回されて地に叩きつけられると、びくりとその身を震わせながら絶命しました。
「子爵様よぉ!助太刀はいるかい!?まあもう手は出しちまったけどな!!!」
「貴方は……傭兵「隻腕」ですか。私は守りに徹しろという命令を発したはずですが?」
「お貴族様に二つ名を覚えていて貰えるとは光栄だねぇ!でも助けて貰っといてその言い草は無いんじゃぁ無いのかい!?」
「貴方の事は、あの少女と最初に接触した人間という理由で調査対象に挙がっていたに過ぎません。私が貴方自身を買っているような言い草は止めて頂きたいものですね。そもそもにして、その矛先が私個人に向かうのであれば、ハルペイア程度の攻撃など私には大した痛手にもなりませんので。」
「っちぇ!お貴族様はただの平民なんぞには礼の一つも言えねえってか!?そんな狭量じゃあキティーの奴にもノマの馬鹿にも嫌われちまうぜぇおい!」
「あ、あの二人は関係無いでしょう!?なんて無礼な!!?」
メルカーバ卿の窮地を救ったのは赤い槍を手にしたゼリグさんで、二人は互いに軽口を叩きあいながらも背中を向け合い、飛び掛かる怪鳥達を切り捨て、薙ぎ払い、吹き飛ばして縦横無尽に暴れ狂います。
彼女が五色の神のご加護を賜っているとは寡聞にして聞いたことがありませんが、それでもメルカーバ卿にも匹敵しそうなその身のこなし、さすがは若くして二つ名を持つだけの事はあると言うべきでしょうか。
「ちょっとゼリグ!貴方まぁた私の治癒術をあてにして無茶をしてるんじゃあ無いでしょうねぇ!?」
「勿論あてにはさせて貰ってるけどよぉ!なんかわかんねぇけどこないだ死にかけてからえらく身体の調子が良いんだよな!あんまり考えたくはねえんだけど、やっぱりコイツのせいかなあオイ!って、おわぁ!!?」
キルエリッヒ嬢からの問い掛けに、怪鳥を叩き伏せて蹴り飛ばしたゼリグさんが、その赤毛の中に混ざった銀色の一房を指でつまんでピシリと弾きながら答えます。
しかし彼女の意識を逸らしてしまったのがいけなかったか、次に私の目に入ってきたものは頭を蹴り飛ばされて首の曲がった怪鳥がそれでも跳ねるように飛び起きて、のたうちながらも地を這って彼女の右足に食らいつかんとするその姿。
足首の肉と腱を食い破ろうとしたであろう怪鳥の執念は、けれども顔面に叩きこまれた礫と短剣の山に妨げられて目測を見誤ると、地に突っ込んで転げたそいつは赤い槍の一撃によって首の血管を切り飛ばされて、血泡を吹きながら絶叫を上げました。
「ゼリグさん!及ばずながらこのシャリイ!お嬢様の為にも御力添えをさせて頂きます!」
「はっはー!アタイ達だってちょっとはやるもんだろう!油断してんじゃねーぞ!赤毛のねーちゃん!」
「「「ねーぞぉ!!!」」」
「おう!わりぃなシャリイに獣人の嬢ちゃん達!無事に戻れたらなんか甘いものでも奢らせてくれや!」
夜目の利くクロネコ達と、そしてこの薄暗い中でも正確な投擲術を見せる使用人の少女が援護に加わった事で暴れ回る女傑二人の隙を潰され、一匹また一匹と数を減らす怪鳥達は次第に逃げ腰になり始めます。
羽根が舞って首が舞い、そして血を吸った地面が折り重なった死骸の山で、足の踏み場も無い程になるその頃には、既に怪鳥達の姿は片手で数えられるほどに減じており、私はこの場における勝利を確信しました。
ノマさんのやり過ぎから始まったこの偶発的な戦闘は、それでも空の脅威であったハルペイア達の排除という勝利を私達にもたらしてくれたのです。多少の怪我人と武具の損壊も出ているようですが、取り返しのつかないような損害は皆無と言えるでしょう。
結果的にではありますが、彼女の行動は私をはじめとした若い者達に自信をつけさせ、オーク達との戦いを前に士気を高めて勢いづかせる事に繋がってくれました。残る懸念はこの怪鳥達の背後にいるという化け物の存在なのですが……果たして森に入っていったあの少女は上手くやってくれているでしょうか。
指を噛んだ私が思考の深みに嵌まっているうち、ついに最後の一匹がメルカーバ卿の一撃によって叩き伏せられ崩れ落ち、見守る兵達の間から歓声が上がりました。
私は号令をかけただけ。それでも初めて間近にまみえ、命のやり取りに関わった初めての実戦です。その勝利に思わず胸を撫でおろし…………。
そして私は、すぐ後ろに控えて万が一に備えてくれていたマリベルの手によって引き倒され、うつ伏せに転げて雑草の中に顔を突っ込みました。え?
「坊ちゃま!上です!上空!月の影!!!何か落ちてくる!!!!!」
突然の凶行に固まった私の耳に、次いで届いたのはいつも冷静な使用人の聞いたことも無いような焦りの声。
声に釣られて思わず上を見上げた私の目に映ったものは、金色の月を背景にしてこちらに迫る、銀と金が混じり合った大きな大きな謎の塊。
「ぎゃあああああ!落ちる!落ちる!落ちる!死ぬ!!!死んでしまう!!!!?」
それは少女のような悲鳴を上げながら私達の頭上を通り過ぎ、そして土を掘り返し草木を巻き上げ、轟音と土砂を撒き散らしながら地に突き刺さって跳ね飛ぶと、ノマさんが砕いた大岩の破片に突っ込んで。
銀色の破片を撒き散らしながら、爆ぜ散ったのです。
ゼリグの槍はノマちゃんのお土産です。




