黒猫の親分
「よーう新入り!この部屋を取り仕切る、黒猫の親分様に挨拶も無しか?あん!?」
「そうだそうだー!生意気だぞ新入りー!!」
「おやびーん!かっこいいですー!!」
「お腹すいたー。」
牢名主かお前は。部屋の奥からわちゃわちゃと出てきたのは、いずれも私と同じ年の頃か、やや上程度の四人の少女であった。
髪を腰まで伸ばした黒髪の少女を先頭に、子分と思わしき少女達が後ろに並んでやいのやいのと囃し立てる。特徴的なのは彼女らの頭の上とお尻のあたりで、猫のような耳と尻尾が生えており、それがぴくぴくと動いているのだ。本物だろうかあれ。気になって仕方が無い。
「ま、そんな縛られたまんまじゃ話もしづらいだろうさ。お前たち、解いてやんな。」
「「「へい!おやびん!!」」」
床に倒れた私の上に、子分共が一斉に群がって縄に手をかける。だが所詮は子供のやる事か、それとも如何にもオツムの足りてなさそうなこの子達のせいか、無駄にぐいぐいと縄を引っ張るものだから、解けるどころかぎゅむぎゅむと締まっていくのだ。ぐえー。
「もういいですから!自分でやりますから!!」
ぶちっと縄を引き千切り、その勢いで子分たちを跳ね飛ばす。ぽーんと飛んだ子分たちは、狙い通りに寝具の山に着弾してぽてぽてと床に落ちた。
「解けましたおやびん!」
「やりました!!」
「ふんす。」
「よーし!よくやったお前たち!!」
お、おう。まあいいや。なんかいろいろ足りてなさそうな子達であるが、しばらくは彼女達と共に暮らしていくのだ。心証は良くしておきたい。
その場で姿勢を正して正座すると、床に三つ指をついて頭を下げた。
「お初にお目にかかります、親分さん。私はノマと申しまして、今日攫われてきたばかりの新参者でございます。どうぞ、よろしくお願い致します。」
「お、中々物分かりがいいな新入り。どうせお前も、裏路地でいつくたばっちまうかわかんねえような生活してた口だろう?この黒猫の親分様の子分になったからには、しっかり食い物にありつかせてやるぞ。」
「えーと、はい。よろしくお願いします?」
いつのまにか、私はこの黒猫ちゃんの子分になっていたらしい。知らんかったわ。だが勝手のわからぬこの状況、下手に口を利いて彼女の機嫌を損ねることも無いだろう。長い物には巻かれろと言うやつである。そういうの得意ですよ私、大人ですから。
しかし子分になる事と、食い物にありつけるという発言が結びつかない。食い物はあの人攫いのおっさん達が用意してくれるそうであるからして、何もせずとも食事にはありつけるはずなのだ。あるいは黒猫ちゃんが全部取り上げて、自分の子分にしか分けてやらないつもりであろうか。
自分一人でたらふく食べて、残りを子分たちにくれてやる黒猫ちゃんが頭に浮かぶ。だが実際はと言えば、子分たち三人はこの黒猫の親分さんをずいぶんと慕っているようだ。今も黒猫ちゃんの周りを取り囲み、姦しく騒ぎ立てている。
「よろしくな新入り!」
「毛並みが銀色だからギンちゃんだな!!」
「よろしくギンちゃん。」
「ノマです。」
思わずこめかみを押さえた。見てくれこそ同年代だが、こちとら中身はたいそうお年を召しておるのだ。このテンションにはちょっとついていける気がしない。かつてない強敵の出現である。
少々出鼻をくじかれてしまったが、自己紹介を続けることにした。信頼を得るには襟を開いて話し合う事が肝要だ。アイスブレイクののち、彼女達にも自己紹介をさせる事で出来る限りの情報を引き出したい。もっとも溶ける氷など最初から無い気がするが。
「えーとですね、それで、自己紹介を続けさせて頂きますと、私は親分さんの言ったような裏路地暮らしではありませんでした。」
「ん、なんだ。路上暮らしのお仲間じゃないのかい。」
「はい、私は知人の家に居候している身でして、ご厄介になったままというのも心苦しいものですから、お金を稼いで家に入れようと仕事を探していたところを……。」
「ふんじばられて攫われたってわけか。へん!余所者め!!よく見たら綺麗なおべべ着やがって!アタイらに見せつけようってかこら!!」
むんずと胸ぐらを掴まれた。路上の余所者ってなんだよ。全方位まんべんなく余所者じゃねーかと思ったが、口に出さずに飲み込んだ。ノマちゃんは空気が読める子なのだ。
しかしまあ、いきなり地雷を踏んでしまったようだ。今私が着ておるのはキティーが用意してくれた余所行きの代物で、かつての旅装と違って中々に上等な仕立てである。
仕立てて貰う際、寸法を測るため私も付いていったのだが、向かった先はなんとも立派な店構えの呉服商であった。いや、和服では無いのだから洋服商か。
この王国において、基本的に庶民が着るのは古着である。新しく服を仕立てるなど金のかかる話なのだ。当然、この余所行きも安い買い物では無かった。私は古着でいいと言ったのだが、キティーの奴ときたらそれを無視してどんどんと注文をつけていくのだ。おかげで値の方も随分と膨れ上がってしまった。
こんなにお金を使わせてしまって大丈夫だろうか。申し訳ない気持ちで一杯になったが、キティーは私を手で制すと、笑顔でこう言ったのだ。
『気にしないでノマちゃん。綺麗でかわいい服のほうが、脱がせるときの楽しみが増えるのよ。』
申し訳なさが一瞬で吹き飛んだ、店員さんの顔も真っ赤である。おいふざけんなこら。
……いや話が逸れた。そういうわけで、私の着ている余所行きは金のかかった上等品なのである。一方で親分さん達はと言えば、懐かしの給食エプロン、もとい貫頭衣を着ていた。
「いえ、そのようなつもりはございません。それに、親分さん達の着ているそれも、簡素ではありますが清潔な布地ではありませんか。中々良い品をお召しになられていると思いますよ。」
胸ぐらを掴んだ黒猫ちゃんの小さなお手々を、まあお待ちなさいなと、軽くとんとんと叩いてみせる。こういうのはビビったほうの負けなのだ。舐められたらお終いである。子供の意地の張り合いとも言う。
「おうともよ!前に着てたやつも拾った時は白かったんだけどよ、ゴミ漁りしてるうちに真っ黒になっちまいやがって、くせーし汚ねーし散々だったんだよなー。あのおっさん達に攫われてきた甲斐があったってもんよ。」
私が臆せぬ態度を見せた事が、思いのほか彼女のお気に召したのか、黒猫ちゃんはにかっと笑って手を放し、こちらの話題に乗ってくれた。私達のメンチの切り合いに驚いた子分たちが、黒猫ちゃんの後ろに隠れてぷるぷるしているのは見ない事にする。
ふむ、彼女たちは所謂ストリートチルドレンというやつであろうか。だがその割には身ぎれいである。貫頭衣は清潔な白い布で、髪も皮脂でべとついておらぬし、体臭が臭うわけでもない。床は固いが厚手の布地でこさえられた寝具を与えられているあたり、あの人攫いの悪党ども、存外に攫った少女に対する扱いは良いらしい。
「私の事は簡単に紹介させて頂きました。今度は親分さん達の事を教えていただけませんか?」
「アタイらか?別に自分の事でしゃべりたい事なんて無いけどなー。」
黒猫ちゃんが子分たちに目配せをするが、子分たち三人もぷるぷると首を横に振った。
「親分さん達がここに来るまで何をしていたか、ここに来てからどうしていたのか。簡単に教えてくれる程度で構いませんので。」
「んー?そうかー、そうだなー。アタイらはな、貧民街のゴミ溜めみてーな裏路地で暮らしてたんだけどなー…………。」
聞くんじゃなかった。痛々しい。
彼女ら四人はいずれも孤児で、物心ついた頃には裏路地でゴミを漁って暮らしていたらしい。とはいえ幼い子供の身、浮浪者同士の縄張り争いに勝てるわけもなく、飢えて弱って死を迎えるのは時間の問題であった。
それを解決したのが黒猫だという。身を寄せ合って力なくうずくまる三人に、アタイが食い物を探してきてやるから待っていろと言い残し出て行った彼女は、宣言どおり、数個の硬いパンと干し肉の切れ端を持ち帰って見せたのだ。
食料を手に、三人の前で笑う彼女の姿はぼろぼろであったという。顔は何度も殴られたかのように腫れ上がり、ただでさえ襤褸切れ同然であった衣服は破かれて乳房が露出し、そこには噛みつかれたかのような歯形が残っていた。ふらふらと覚束ないその足元で、脚の付け根から流れ出した血と粘液が、汚れた水たまりを作っていたそうだ。
その日から、黒猫は四人のリーダーとなり、親分になったのだ。子分になれば、食い物にありつかせてやるとは、つまりそういう事であろう。親分は子分を決して見捨てないのだ。
「いやー、あんときは困っちまってなー。せっかく食い物を持ってきてやったのに、こいつ等ときたらアタイに縋り付いてびーびー泣きわめくんだもの。余計な体力使うなっての。」
「だっておやびんは私達の為にがんばってくれたんです!おやびんは命の恩人です!!」
「おやびんに一生ついていきます!」
「おやびーん。」
子分ちゃんたち三人が、そう言って黒猫ちゃんにひしりと抱きつき、黒猫ちゃんは支えきれずにひっくり返った。私の前で、重いんだよお前ら~!どけってば~~!!と楽し気な声があがる。
この子達に、黒猫ちゃんが何をしたのかを理解できているかは定かでは無い。だが、彼女が自分たちの為に、身体を張って、何かただ事では無い事をしてくれたというのは解かっているのだろう。黒猫ちゃんに抱きつく彼女らの目には、親分に対する全幅の信頼が見て取れた。
「そうですか……その後は、食糧事情も改善されたのですか?」
「いや、結局その場を凌げただけだったんで、それからはまあ、盗んだり、売りをやったり、とっつかまって半殺しにされたりだったよ。」
私の問いに、子分ちゃん達にぎゅうぎゅうと押し潰された黒猫ちゃんが答えてくれた。うごごごご、さっきからちょっとヘヴィーが過ぎる。私はどんな顔をしてこの話を聞いたら良いのだろうか。
「そ、そうですか。では、ここにいる理由は、盗みに入って捕まったから、とか?」
「いや、違うな。貧民街にある暴力酒場知ってるか?黄色い旗がかかってるところ。」
知ってるよ、今日行ってきたよ。っていうか通称からして既に暴力酒場なのか。さすがの世紀末酒場である。
「ええ。知っています。」
「最近はさ、あそこのおやっさんに仕事を紹介してもらってたんだ。それでなんとか飯を食えてた。」
なんですと?むう、おやっさんめ、私には仕事を紹介してくれなかったのに。あのハゲどうしてくれようか。
「おやっさんの紹介してくれる客は上客ばっかでさ、アタイ達を殴ったりもしないし、首を絞められて気を失って、目を覚ましたら食い物も金も寄越さずにとんずらされてた何てことも無かったんだ。さすがに稼ぎは大したこと無かったけどさ、四人も集まればそこそこ食っていけたんだよ。」
「がんばりました!」
「がんばったー!!」
「ふんす。」
お、おう。すまんかった。もうおやっさんに謝っているのか黒猫ちゃん達に謝っているのかすらわからない。とりあえず、すまんかった。私恵まれてたわ。爛れた生活とか言って、私めちゃくちゃ幸せだったわ。マジですまんかった。
というか子分ちゃん達も経験済みであったか。辛い経験にもかかわらず、まっすぐ育ってくれたようでお姉さんは嬉しい。撫でてあげたい。
相変わらず小山になったままわちゃわちゃとしている黒猫ちゃんと子分ちゃん達に近づくと、一人ずつ頭を撫でてあげた。ついでに猫耳をもみもみする。なにこれめっちゃ気持ちいい。
「ふしゃーーーー!!何すんだお前!!!」
「あ、すいません。つい。」
ばしーんと子分達を跳ね上げて飛び起きると、黒猫ちゃんは真っ赤になって私を睨みつけた。子分達も驚いたのか、親分の後ろに隠れてしまう。そうかー、耳は触っちゃあかんかったかー。
「いえ、すみません。悪気は無かったのです。あんまり気持ちよかったのでつい……それで、お話の続きなのですが。」
「ったくこんにゃろうめ。そんで、あー、そっからはな、アタイ達を買ってくれる常連客に飯でもせびりに行こうと思ってよ、こいつらと歩いてたんだけどなー。」
「なかなかたくましい生活力をしてらっしゃいますね。」
「にしし、褒めんなよ。そうでなきゃ生きていけねーって。そんでな、裏路地を歩いてたら、獣人か、珍しいな。とか声が聞こえて、袋をかぶせられて、なんか気が付いたらここに居た。」
「なるほど、なるほど。私から見ても、親分さん達の見目は良いほうだとは思いますが、獣人というのが決め手になったのでしょうかね。」
「この耳と尻尾がそんなにめずらしいか?」
黒猫ちゃんが、頭の上の猫耳をくいくいと引っ張って見せた。子分ちゃん達も、自分達の耳や尻尾を、興味深げにぎゅむぎゅむと引っ張って見せる。いや、遊んでるだけだなありゃあ。
「獣人は、この王国から遠く南にある獣人国にその大半が暮らしており、国外に出てくるものは少ない。と、以前に本で読みました。親分さん達はその希少価値に目をつけられたのでは無いでしょうか。」
「ふーん、国とかキショーカチとか言われてもよくわかんねーや。アタイ達はずっと、あのゴミ溜めで暮らしてたんだ。難しいこと言われたってわかんねーっつーの。」
黒猫ちゃんがぎゅーぎゅーと耳をひっぱる。柔らかそうだ。もう一撫でさせてくれないだろうか。
獣人国について、いつだか読んだ書簡の内容を思い出す。なんでそんな代物に目を通しているのかと言えば、なんかキティーの家の書架にあったのだ、獣人国周辺における干ばつと、それに伴う難民の流出に関する報告書が。なぜにこんなものがと思ったが、彼女が実家からいろいろとかっぱらった際に混ざったのだろう。
察するに、この子たちは獣人国周辺から一縷の望みをかけて脱出し、王国周辺にまで流れ着いた流民の子では無かろうか。両親がどうなったかは知らないが、彼女達がおかれた境遇を考えるに、到底生きてはいまい。
報告書では、流出した難民は、そのほとんどが、化け物に喰い散らかされて姿を消したと締め括られていた。
「なるほど……苦労をされてこられたのですね。」
「同情なんて要らねーよ。ここの生活は悪かないぜ?着るものも貰えたし体も洗ってもらった。寝てたって飯が出てくるんだ、今までに比べたら天国さ。ま、散歩の一つも出来やしねーけどさ。」
そう言って、黒猫ちゃんは格子扉を蹴っ飛ばし、思ったより痛かったか口元を歪めると、ばたんと仰向けにひっくり返る。
「あー、それにしても腹減ったなー。飯、まだかなー。」
「お腹が空きましたね、お夕飯は用意して頂けるという話でしたが……ああ、そうだ。」
「なんだよ?」
「親分さん、親分だからって私のご飯、盗らないで下さいね?」
ふふふ、と、先ほどの勘違いを冗談に載せてみたのだが、一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、黒猫ちゃんと子分ちゃん達から、すとんと表情が抜け落ちた。
「へっ!心配すんなって!それくらい弁えてるよ、食い物の恨みはおっそろしいんだ。なあ?」
黒猫ちゃんが笑い、子分ちゃん達に話を振ると、彼女ら三人も力強く頷いた。
「はい!ご飯はとっても大事です!」
「人のご飯を盗るなんて絶対ダメです!!」
「例えおやびんでも容赦しない。」
「ま、そういうわけだ。お前もアタイの子分になったんだから、仲間から食い物を奪うなんて事したら絶対許さねーかんな。しっかり覚えとけよ。」
黒猫ちゃんも子分ちゃん達も、笑っている。笑顔なのだが、目が笑っていない。彼女達の目が語っているのだ。仲間の食い扶持を奪うような奴は裏切り者だ。殺してやる。と。
少々オツムが足りてなかろうと、この子たちは飢えに耐え、飢えと戦い、数々の修羅場を潜って今日まで生き抜いてきた猛者であるのだ。見た目どおりのか弱い少女では無いという事を、肝に銘じるべきだろう。
「ふふふ、わかっていますよ。だって、私達は仲間ですもんね。」
この年頃の子供たちが、こんな目をするのか。内心では冷や汗ものであったが、どうにかこうにか、余裕の構えだけは維持する事が出来た。
精一杯の、私の強がりである。




