神を名乗る顔の無い男
いつの間に現れたのか、私の前には妙な男が立っていた。とはいえその顔にあたる部分では黒いモヤが渦を巻いており、男であるか等と判別は出来ぬのだが、なぜか、私はそれが男性であると感じたのだ。
彼は黒い服と白い手袋を身につけており、その姿はどこか神父のようなものを思わせた。
「あの……すみません、どちら様でしょうか。」
思わず声をかけてしまったが、自己紹介から入るべきであっただろうか。彼が何者かはわからぬが、それでもこのような場所に居るからには、私と同じ死者ではあるまいかと見当をつけた。
いやしかし、不安に圧し潰されそうになっていただけにこの出会いには嬉しいものがある。他者の存在を確認し、自分が一人では無い事を認識できるだけでも中々に安心できるものなのだ。願わくば良好な関係を築きたいものである。
「んふふふふ。いや失礼、ずいぶんと不安そうなご様子でしたのでお声をおかけしたのですが、少々驚かせてみたくなってしまいまして、意地の悪い真似をしてしまいました。申し遅れましたが、わたくしは無貌の神を名乗らせて頂いているものでして、所謂カミサマというやつをやっております。」
想像だにしない答えが返ってきた。これはどう反応したものであろうか。常であれば神を騙るなどと一笑に付すところであるが、それにしては今の状況は少々どころでは無く非日常が過ぎる。
このような場に居るのだ。気狂いの死者と考えることも出来なくはないが、ここは本当に神様であると考えて対応したほうが無難であろう。
しかし、はて、日本に無貌を司る神様とやらは居ただろうか。天津神だの国津神だのと単語だけは知っているものの、あいにくとサブカル程度の知識しかないのだ。死ぬ前に日本書紀でも読んでおくべきであった。
「あの、私は✖✖と申します。申し訳ございませんが、私は無貌の神という神様を存じておりませんが……その、私に何か御用がおありでしょうか。」
何と答えて良いかわからず、それでも回らない頭で無理くり言葉をひねり出す。が、彼は返事を返してくれず、一度は引いた不安感が再び募り始めた。
この状況は何なのだろうか。私はいったいどうなるのだろうか。不安からか、渦を巻く彼の黒い顔が、なぜかひどくいやらしい笑みを浮かべているように見えてしまう。あるいは、私は何か失言をしてしまったのだろうか。
「ふっふふふ、こちらこそ、申し訳ありません。気狂いの死者などと思われてしまったので、意趣返しに少々意地の悪い事をしてしまいました。この度は、あなたにお願いしたい事があり、こうして参った次第でして。」
私の心の内を言い当てられたのであろうか。それとも本当に、彼は心が読めるのだろうか。背筋に冷たいものが走るのがわかる。これはいよいよ、彼を本当の神様だと思って接したほうが良いようだ。
彼の言うところのお願いとは何なのか。問いを発したいとは思うものの、神様に対して失礼の無い問い方というものが思いつかぬ。何度か口を開こうとして、それでも言葉は一向に出てこない。
「お願いというのはですね、わたくしが箱庭にして遊んでいる……いえ、管理している世界があるのですが、あなたにはその世界へ行って何か騒動を起こしてほしいのですよ。」
「はぁ……その、世界?ですか?」
「ええそのとおり。世界です。これまでは観察しつつも多少の手を加える程度で楽しんでおったのですが、最近はいささか飽きが来たもので、ここいらで一石投じて波紋でも作ってみようかと考えたのですよ。ああ、ご心配なく。勿論、あなたがその世界で不自由無く振舞う為の、ご協力はさせて頂きますので。」
彼は神様なのかもしれない。ただしこれは邪神の類だ。この思考も彼に読まれているのかもしれないが、そう思わずには居られなかった。彼の言が事実であるかどうかはわかりかねるが、話を合わせておくに越したことは無いだろう。
「世界、ですか。あなたの言うところのその世界とは、私が生前暮らしていた場所と同一の存在なのでしょうか。」
「いえ、いえ。それがですね、わたくし最近は人間のサブカルチャーというものに大変興味がありまして、それらを元に一つ世界を作ってみたのです。シミュレーションゲームというやつでしょうか。苦労の甲斐あって中々に面白い世界を運営できていると、自負させて頂いている次第でして。」
そう言って、彼は楽しそうに自らの作品について語り始めた。さながら他人の夢の話を聞かされているような気分だが、かといって耳を傾けぬわけにもいかないだろう。まだ一言二言しか交わしておらぬが、なにか彼には狂気を感じる。機嫌は損ねぬほうがよい。
小一時間ほど彼の独演会を聞いていたが、そのうちにいくつか疑問が浮かんできた。これまでに他者に語る機会が無かったのだろうか、熱弁を振るう黒い渦は熱に浮かされた顔のようにも見えて、そんな彼の顔を伺いつつも、話の切れ目をみて問うてみた。
「いくつか、質問をさせて頂いてもよろしいでしょうか。私はその世界で何をしたら良いのでしょうか。そして、なぜ私なのでしょうか。最後に、その、あなたのお願いをお断りさせて頂いた場合、私はどうなるのでしょうか。」
壊れたテープレコーダーのように言を吐きだしていた彼の動きが止まり、黒い渦がこちらを見据える。途中で口を挟んでしまったのはやはりまずかったかとも思ったが、しかしそれでも、聞かずにはいられなかったのだ。特に最後の質問、私に選択肢はあるのかという点については。
「ふぅむ宜しい。では、お答え致しましょう。まず貴方にして頂きたい事ですが、これは別に何でも良いのです。わたくしを楽しませてくれるような、何事かをやって頂けるのであれば何でもよろしい。」
なんとも曖昧な答えである。私が良かれと思って行った事が、彼の期待に応えられなかった場合はどうなるのだろうか。明確な目的を設定し、できれば書面で頂きたいところなのだが。
「次に貴方が選ばれた理由ですが、これはまあたまたまです。貴方である理由は特にございません。通りを歩く人々を見ながら、次に私の前を通った人を勧誘しようかとか、まあその程度のものなのです。最後にこのお誘いを断った場合ですが、私は、貴方に、なにも致しませんので、どうぞご安心ください。」
……なに一つ安心できない。先ほど彼から感じたいやらしい笑みは気のせいでは無かったようだ。私を選んだ理由のいい加減さにも不信感を覚えるが、なによりも断った場合に何もしないという言葉が恐ろしい。
これを額面通りに受け取っても良いものだろうか。何もしないとはつまるところ、私をこの何もない暗闇の中に、このまま置き去りにするという事を表しているのではなかろうか。ここまで接してきて、私が彼の言葉から感じとれるものは後者であった。
彼に選ばれた時点で、既に私に選択肢など無かったのだろう。いいように転がされることには反発心を覚えぬでも無いが、その一方で私という存在が消えること無く、新たな人生を歩む事が出来るという提案には大変な魅力を感じさせた。
しかしこれは堕落への道だ。とても正道とは言えないだろう。永遠の生を求めたという先人達に対する嫌悪感が、そのまま自分自身に対して向けられる。しかし、それでも、己が消えて無くなるのは恐ろしいのだ。
「…………わかりました。そのお話、お引き受けさせて頂こうかと思います。その代わりに貴方の目的を果たすための協力とやら、どうぞご配慮のほどをお願い致します。」
「ふっふふふ。どうもどうも、ありがとうございます。いやぁわたくし、無駄な問答はどうにも嫌っておるものでして、話の早い方には好感が持てますよ。では早速、貴方の新しい体についてお話させて頂きましょうか。」
無駄な問答が嫌いと言う割には、先ほどの独演会はずいぶんと長かったな。ひっそりと心の中で毒づいたが、その瞬間に黒いモヤがぐにゃりと歪んだのが見えたので、引き続き心の中で謝罪しておいた。
う~む、やはりこいつは心が読めるらしい。邪神め。以後、邪神と呼称しよう。




