謎の銀髪少女
「不気味な子ね。」
ノマを部屋に放り込んで階段を下る。テーブルに戻れば、我が悪友が勝手にアタシの腸詰肉をつついてやがった。
「その割には随分と可愛がってたみたいじゃないか。」
「当然よ。見た目は可愛いもの。でも中身は駄目ね、どんな育ち方したんだか。」
悪友が酒をあおる。だからアタシのを勝手に飲むんじゃねえ。手から酒瓶をもぎ取ると、不満げに唇を突き出しやがる。文句を言いたいのはこっちだこの野郎め。
「子供はね、子供らしくしているから可愛いの。いくらそうと躾けられた子だって、背伸びをして大人ぶろうとしている所が透けて見えるものよ。でもあの子は駄目、堂に入り過ぎてるわね。」
「お前の経験談か?まあ、それはアタシも思わんでは無いけどよ、でも馬鹿だぞ、あいつ。」
「で、そのお馬鹿さんをどこで拾ったのかしら。」
「山の中。まあ、聞いてくれよ。アタシだってどうしたらいいのかわかんねーんだ。」
酒を注ぎ、キティーの奴が勝手にほぐした腸詰をぽいと口に放り込むと、アタシはあの銀髪を拾ってからの事を悪友に聞かせてやった。
「まーた妙なこだわりで面倒ごとを抱え込んだものね。でも女の子を山に捨てるなんて暴挙を仕出かさなかった事は褒めてあげるわ。」
「アタシもやっちまったなとは思ってるよ。で、アタシはな、あいつは妙な厄介ごとを抱えた、無駄に頭の回る良いとこのお嬢ちゃんじゃないかと検討をつけたわけだが、お前どう思うよ。」
おやっさんが追加のベーコンを持ってきてくれた。片手で受け取って銅貨をはじく。
「その前に、あなたこの数日、ノマちゃんとずうっと一緒にいたんでしょう。羨ましいわね。それで、なにか心象の変化はあったかしら。」
「あー、そうだな。得体の知れない謎のお嬢様だと思ってたんだけどな、得体の知れない謎の馬鹿だったわ。」
「んふっ、なによそれ?」
キティーがアタシのベーコンに手を伸ばす。もういいや。あとで金よこせよお前。
「飯食ってる最中に祈りなんか捧げ始めるもんだからさ、神学生だと思ったんだよ。王都のエリート様だってな。でもそれにしちゃあ、ものを知らなさ過ぎる。街道のど真ん中でよ、野営はしないんですかとか言い出した日には、思わず首根っこを引っ掴んでやったよ。お前死にたいのかってな。」
「あらあら、ノマちゃん随分と箱入りなのねえ。王都から出たことも無くて、怖い話からも一切遠ざけられてたのかしらね。」
「神学校ってのはそんな物知らずでも金を積めば入れるのか?」
「それもそうね。」
悪友がひょいと肩を竦めて酒をあおる。アタシも久しぶりの、王都の安酒に口をつけた。土産で買い込んだ高級酒も美味かったが、やはり飲みなれた安酒が口に合う。
こうして友人に語り、言葉にすると頭の中がまとまるもので、今まで言い表せなかった違和感がアタシの中で形を持ち始める。けれども結局、学の無いアタシではノマは正体不明の妙な奴である。という以上の答えは出せなかった。
そしてなにより、あの銀髪について見過ごせない点がある。
「あいつな、怯えないんだよ。」
酒杯の端をチンと弾くと、キティーの奴は半眼になって、アタシをじとりと見た。
「よくわからないわね。状況を具体的に言ってちょうだい。」
「街道のな、自警団いるだろ。熊のお頭が頭を張ってるやつだ。」
「ああ、あの野盗ね。ノマちゃん怖がらなかったの?」
「怖がるどころじゃねーよ。あいつ、アタシの真後ろで興奮して殺気立ってやがった。思わず抜きかけたよ。」
腰に佩いた剣をかきっと鳴らす。キティーの目付きにも剣呑なものが混じりはじめたが、口からベーコンがはみ出していて締まらない。いいからさっさと食え。
「それで?殺し慣れてる感じはした?」
「そうは見えなかったな。ただ、自分が危ない目に遭うとはこれっぽっちも考えてないなこいつ、とは思ったよ。慣れない状況に興奮して、馬鹿みたいにはしゃいでただけかもしんねーけどな。」
「もし、ノマちゃんが子供の頃の私だったなら、あんたの腕にしがみついてガタガタ震えてたと思うけどね。」
「同感だ。まあ、腕にくっ付いてんのがお前だったなら、いい機会だから引っぺがしてそのまま売り飛ばしてやったろうけどな。」
人の酒をぱかぱかと空ける桃色を、同じく半眼でじろりと睨み返してやったが、当の本人はどこ吹く風だ。なんでこんなのとつるんじまったんだか。
「あとな、昨日の夜なんだが……あいつ、宿場を抜け出してどっかに行ってやがった。」
「夜這いでもしに行ったんじゃなくて?」
「お前と一緒にすんじゃねーよ。一回り探しても居やしねえもんだからさ、まあ、化け物の事はさんざ忠告してやったんだから、一人で死にに行ったところで知ったこっちゃねーって、そのまま寝直したんだけどよ。」
「ふーん?わざわざ探してあげたのね。ゼリグちゃんやっさしーぃんだー。」
「るっせぇよ。茶化すな。」
「んっふふー。んでもー、こうしてノマちゃんがここに居るってことは、ちゃんと帰ってきたわけだ。」
「ああ、夜明け頃に帰ってきてな、私の懐に潜り込んできやがったよ。血の臭いをぷんぷんさせてな。」
残った酒を一息にあおって酒杯を置く。頬杖をつき、人差し指でテーブルをトントンと叩いていると、キティーの奴も酒杯を置いて視線で続きを促してきた。
「アタシはさ、あの妙ちきりんなお嬢様が厄介ごとに首を突っ込んでると思ってな、村の連中が危ねえ事に巻き込まれないよう、こうしてあいつを連れてきたわけなんだけどさ、どうも見立て違いをしてた気がしてならねえ。キティー、お前はどう思う?」
「そうねー……その前に、お酒、もう一本頼んでいいかしらね?」
この野郎。もう空にしやがったか。
「んー、そうねぇ。まずノマちゃんが、何かの事件に巻き込まれた良家の子女なんじゃないかって見立てだけども、少なくとも神学校に通えるほど有力なお家の子が行方不明にって話は聞かないわね。」
「お前の実家からの情報か?」
「お兄様はまだ私の味方だからね。上流階級での噂の類は色々と流してくれるのよ。で、ノマちゃんに繋がるようなそれらしき情報は無し。さすがに他国の貴族だったらわからないけどね。」
「私の生まれは東の外れだ。衆国が近い。その線は無いのか?」
「さてね。でも政変が起こったって話は聞かないわ。ま、結局のところ情報不足。絞り込めないわねぇ。」
キティーが空の酒瓶をぷらぷら揺する。頭の上でひっくり返すと、桃色の舌の上に数滴、雫が落ちた。意地汚いやつだ。注文してんだからもうちょっと待ってろ。
「そもそもよ、神学生だって見立てが間違ってたって事は無いのか?別に神学校で無くても、良いとこのお嬢ちゃんならものは教えて貰えるだろ。」
「神様とはね、付き合い方ってものがあるのよ。貴族の子女なら家庭教師をつけてものを教えるのは常だけど、実際に祈りを捧げるなんて事はまず無いわ。むしろ、むやみに神に祈りを捧げないようにって口を酸っぱくして教え込むでしょうね。」
「んな事言われてもなー。神様の話はよくわかんねーんだよなー。」
「餅は餅屋ってね。あの子が上流階級の息女で、神職の端くれだっていうなら、私に任せときなさい。」
「モチってなんだよ。」
「知らないかしら?コトワザよ。ひんがしの国のね。」
「へーへー。どうせアタシは学の無い馬鹿ですよーだ。」
残ったベーコンに八つ当たりをして八つ裂きにしていると、ようやく追加の酒が来た。っていうかおやっさんの顔がいつもより怖え。どうせ対面の桃色がなんかしやがったんだろうが、出禁にされても困る。
何か言ってやろうかと思ったが、キティーの方に向き直ると口を開く前に酒杯を突き出された。余計な事は言うなってか。こんにゃろうめ。
「まあ、それも全て、あの子が本当に良家の人間ならっていう、仮定の話だけどねー。」
「ものを知らないだけで頭は悪くなさそうだがな、あいつ。そこらの農村やスラム育ちじゃああはならねえ。」
「そっちじゃなくてね、人間ならって事よ。」
「長命種か?エルフのガキだってもうちょっとガキっぽい仕草するけどな。」
酒を注いでやると、だいぶできあがってきた桃色は一息に飲み干しやがる。もう少し味わえよ、うわばみが。口の端を歪めて、自分の酒杯に酒を注ごうとした矢先。
「心当たりあるでしょう?人族でも蛮族でも無い、外見と中身が釣り合ってない連中。」
手元がぶれた。酒が零れてテーブルを汚す。
「昼間から動き回って、人里にまで入ってくる化け物だってのか?聞いたことも無えよ。」
「あくまで可能性の話よ、私もそんなの聞いたこと無いわ。」
ノマが化け物か。昨日の夜、血の臭いを撒き散らしながら帰ってきたあいつを見て、それは考えないでもなかった。なかったのだが……。
「あらあらあら。なんだかんだ言ってお気に入りなんじゃない。怖い顔してるわよ、あなた。」
「っち、結局なんにもわかんねーって事じゃねーか、役に立たねー。酒代返しやがれコラ。」
「んふふー、お待ちなさいな。あの子の正体を暴くなら、一番確実で手っ取り早い方法が残ってるじゃない?」
目の前の桃色がニタっと笑う。だいたいこういう時はろくな事にならないのだ。火の気の無いところにこいつはわざわざ火種を投げ込みやがる。
「おい、何する気だよお前。」
「んふふふ、簡単よ。ノマちゃんから直接聞けばいいじゃないの。あなたはどこの誰なんですかってね。」
「とっくに聞いたよ。でもな、あいつは何を言ってもはぐらかしやがるぞ。」
「ええ、私も何度か問い詰めてみたけど、知らないとかわかんないとか言って教えてくれなかったのよねー。お酒に酔わせてみたらどうかと思ったけど、やっぱり駄目だったわね。」
ノマの奴がべろんべろんになってたのはそのせいか。何してやがるこいつ。
「で、対処は簡単。押して駄目ならもっと押せばいいと思うのよねー。」
何言ってんだこいつ。どうせ面倒ごとだ。聞きたくないが話を持ち込んだのはアタシである。聞かないわけにはいかないだろう。
「明日、ノマちゃんを私の家に連れておいでなさいな。あの子が自分から話す気になるよう、じーーっくりと躾けてあげるわぁ。朝までねぇ。」
目の前の女の胸ぐらを掴み上げて立ち上がる。酒杯が倒れ、白の神に仕える者であることを示す法衣を汚した。
「落ち着きなさい。仮にあの子が化け物であったとして、こうして王都に入り込んだ目的はなに?人を喰らう事以外に考えられるかしら?」
キティーの首元で握りしめた拳に、細い指が添えられてとんとんと叩かれる。
「私はね、白の神に仕えるものとして、そのような存在を見過ごすわけにはいかないのよ。可能性があるのなら、疑念は晴らしておかないとね。」
しばらく睨みあった。理解は出来るが、感情が追い付かないのだ。キティーもそれは察してくれたらしく、アタシが飲み込めるまで何も言わずにいてくれた。
「悪い。気が立っちまった。」
手を離してガタリと座り込み、爪を噛む。
「んっふふー。本当に気に入ってるのねえ、お姉さん妬けちゃうわー。」
「うっせーよ。でもまあ、やっぱりそれしかねーんだろうなあ。明日連れていくけどよ、手荒な真似はすんじゃねーぞ。」
「まーかせなさい。どんな口の堅い子だろうと、私にかかればお茶の子さいさいってねえ。」
「またひんがしの国のなんとかか?頼むから妙なクスリとか使うんじゃねーぞお前。」
「使わないわよそんなもの。反応が無くなったら楽しめないじゃない。」
「おいこら。」
こいつにノマを預けるなど不安しか無いが、どの道、このまま無為に過ごし続けるわけにもいかないのだ。多少強引であろうと、ここらで手を打つべきだろう。
もし、あの子が本当に化け物であったなら、アタシはどうするべきか。目の前の桃色はおそらく、容赦なく叩き潰す事だろう。まあ、その前に神罰とかぬかして楽しむかもしれないが。
数日の付き合いだが、四六時中べったりとくっ付いてくるあの銀髪は、面倒な奴ではあったが嫌いでは無かった。必要な事だと言われても、好んで手にかけようとは思えない。アタシは……
「ゼリグ。」
「なんだよ。」
「その時は覚悟を決めなさい。」
返事は出来なかった。わかってるよと、言おうとはしたのだ。王都に化け物が入り込んで夜な夜な人を喰らうなど冗談では無い。滅するべきだ。それは、わかっているのだ。
「じゃあ、また明日ね。」
キティーの奴が席を立つ。去り際に銀貨を数枚、投げてよこした。
「多くねえか?」
「そうかしらね。明日うちに来る時にでも、ノマちゃんになにか買ってあげたらいいんじゃないかしら。最後に、良い思い出になるわ。」
「……まだ、そうと決まったわけじゃ無ぇだろう?」
扉に手をかけた桃色が、ふわりと揺れながらこちらを向いた。
「そうそう、さっきノマちゃんを抱っこしたんだけどね、ひんやり冷たくて抱き心地が良かったのよねぇ。わかってるんでしょう? 死体みたいに冷たかったわよ。」
何か言い返してやろうと思ったが言葉が出ない。キティーは私を一瞥すると、それ以上は何も言わず、扉を開けて出て行った。一人、酒場の喧噪の中に取り残される。
酔っ払い共の笑い声がアタシの神経を逆なでし、無性にイラつかされるので、じろりと睨みつけてやると連中は肩を竦めて静かになった。
くそ。アタシは酒瓶をひっつかみ、残った酒を一息にあおろうとしたが、あの桃色はしっかり飲み干していったようで、雫が数滴、零れるだけだった。