深海魚は雨を知らない
本作はグロテスクな表現を含みます
「あー。今更で言うも何なんですが、べつに、上で待って貰ったったって良かったんじゃあ?」
噛んだ。
「嫌よ、強襲でも受けちゃ死ぬでしょう? 此処まで来たんなら守ってちょうだい。」
「ごもっとも。承りです。」
遊戯でいうところ中ボス戦。それを退け穴へと潜り、坑道とも呼べぬ狭いを抜けて、曲がってくねって真下へと。降りて立ったのは広い空間。鍾乳洞? 溶岩洞? 素人さんにゃあ解りはせん。が、ともあれ上のそれとは違う、ナニカであることは事実であった。『ヒトの手が入っていない』。天然自然の形を残す……。あるいは、枯れた地下水脈か。遠くの羽音、蟲のそれ。
ふーむ……。居るな、此処か、何処だか知らんが。いちおうクルリ振り向いて、ゼリグ、マガグモ、キティーとそれと、へたばりデーモンお嬢様。後者二人に声掛けをして、返ってきたのは同行の旨。サタナチア嬢は魂出てる。けども、そうならお願いします。どっち行くだかわからんし。見識ある組の意見は欲しい。わたし暴力しか出来んので。下を見る。僅かな傾斜。さて、ならば登るか下るか。
「よし。んじゃー、行きますか。ほらぁ、サタナチアさん起きて、起きて。フレルティさんと魔王様、どっちもお助けにゆくんでしょう?」
「ぜぃ……、ぜひぃ……。お前……、なんぞにぃ、言われずともぉ……! ぜひ……。辺境伯魂を、舐めんじゃねぇぇ……!!!」
「その意気です! いっしょに無限に頑張りましょう!」
ぐしゃり。崩れ落ちて静かになった。そういや無理か、生者に無限は。そのあたりちょっと忘れてた。では、それはさて置いてどうしたものか。上を見る。天井はかなり高い。繰り返しになるが横も広い。整っていない岩肌があり、それが似たように延々続く。うーん。取りの敢えずは歩いてみます? 蜘蛛もそれな後ろに付く。うろうろする。あっちこっちあっちこっち。うろうろすんな。怒られた。
ゼリグ、キティーと限界娘、曰く痕跡を探すらしい。底面に薄く芥の積もる、大型動物もニンゲンも、明らか出入りの無かった場所。そこを彼女らは敗残の身で、這う這うの体で逃げたのだ。ならば足の轍が残る。言われてもみりゃあ当然であり、よって私もきょろつく所存。『あ? ニンゲン、なんじゃその言い草は。喧嘩振ろうってなら喰ろうてやるぞ。』マガグモ、ステイ。
どう、どう、どう。人参たべる? 殴られた。それはそれとして足元見つつ、今度は歴と目的を持ち、乱された塵のそれをば探す。すろすろと行く、矯めつ、眇めつ。すろすろすろ、すろすろすろ。うん。無理だってこれわっかんねぇ。『おーい、あったぞ。』すげーなオイ。声を上げたのはサタナチア嬢。言われその場所へみんなで集い、ひょいっと覗いて小首を傾げ。うーん? 多い。多くない?
「あー、めっちゃくちゃだな。踏み荒らしていきやがったか。」
「……止め足のつもりかしら? あ、ここ。踏み切ったわね。」
「跳ばれたな。四方に散るぞ。人族、お前たちは下流を頼む。」
「すいません解説ってお願いできます?」
疎外感からツッコんで、ゼリグ、キティーと復活娘、曰く攪乱のそれであるらしい。野生動物が足跡を、追跡を躱すその目的で、踏んで戻って遠くへ跳ぶ。それになんとなく似てるんだとか。ほーん? そうか、そういうものか。兎角そうと決まったもので、皆様それぞれ方向を決め、円を広げるようにして。ぐるぐる探す。ぐるこんぐるこん。『お? くひひ! あったぞニンゲン!』マガグモの喜色の声。
何処ぞやら知らん大空洞。の、件の僅かな傾斜の中で、『見た』は上流いわゆる上手。んじゃー、アレか。探すならソッチのアレか。ふわふわである。ご指示をください。『それじゃノマちゃんはあっちの方ね。』『わしは?』『アンタも。』『任せておけい!』蜘蛛の機嫌も治ったらしい。何時ものことながら締まらんな。わしが見つける! と気炎を吐いて、私捨て置いてどったんばったん。お子様か。
あった! ない。そっちかよ!? 探す阿呆と見る阿呆。しかし別段踊るで無しに、跳躍の跡を辿って歩く。謎な地下道を登りつつ。上で見かけたかつての未来。直上まで掘った誰かの骨も、果たして、此処を見たのだろうか。作為があったかはわからない。が、近づいたことは事実である。あるいは『掘り当ててしまった』のか。……酷く、寒いような感じがした。五感とは違う第六感。通り風、嘆く声。
ひょーう。ひょーう。ひょーう。
「……正体不明。……なんつってな。」
「なんじゃ? ノマ。なんか言うたか?」
「いえ。なにも? ……空気の流れがありますから、閉鎖空間じゃないんだなぁと。」
「ふぅん。瘴気溜まりは確かに無いの。ヘェサの何がどうだか知らんが。」
遡る。遡る。遡る。遡る。次第に空気が重くなり、皆の口数も減ってきた。やっぱりな。この場所な。なんか、ナンカ、フツウじゃない。霊山のような畏れがある。あるいは危険に近づくという、動物としての忌避がそうさせるのか。風に混じった反響音。チック、タック、時計のそれ。断言させて? ろくでもねぇ。お嬢さん方に目を向ける。大なり小なりは感じるようで、次第、足取りも揺揺なった。
「……おい、蜘蛛。」
「……なんじゃ、ニンゲンモドキ。」
「モドキとか言うんじゃねえ。今度こそ……、ほら? 迷宮だろ?」
「阿呆。こんな冷たい……、刺すようなご加護があるか。」
次に見つけた着地の跡。なんとなく、そこで誰ともなしに足を止め、波及してそれが輪留めとなった。誰も言の葉に上げるで無い。が、たぶん全員が同じである。先に進むかを迷っているのだ。何故? 不安だから。何に対し? 正体不明。強いて言うなれば未知への恐怖か。ぐるり、眼を一周見る。困惑、怯え、疲労、苛立ち。それを差し置いて一歩踏む。待ってます? 舐めんじゃねーと、異口同音。
そうという事になりまして。そうという事になったので。よって皆さん引き連れまして、お団子のようにのてのて進む。五人、並んで見照らさない。ちょうど相手も足らないようで……、気力とか。此処らで跳ねるのを止めていた。コッチものてのてアッチものてのて。足取りも重く引き摺って、蛇行する跡を追い掛け追い越し……。ようのやっとで行き止まり。来た。見た。いまから勝ぁつ!
「まぁったく! ほんっとお手間かけさせやがる、ますね? こら。ムシムシさん。」
「……ああ。……そうだな。」
「……なんですそりゃ? もうちっとこう……、あるもんでしょう? 『此処ガ貴様ノ滅ビレロ!』とか。」
「……ああ。」
乗りが悪い。まぁ、言うて私も口先だけで、乗られても正味後ろが困る。『左様で。』口内で小さく返した。行き止まり。吹き溜まり。蟲の娘となんやかその他、目の前にして両手を広げ、背後から来る団子を制す。なんとも、光景は奇妙であった。不気味怪々大回廊。そこの終端の扉の前で、何をするというわけでなく。分厚い無骨な金属目にし、ただ、立ち尽くすだけの誘拐バッタ。追い詰めました。
……の、割にゃ? 感じ、窮鼠じゃねえな。傍には逃げ去った悪い子ちゃんの、踏んで地団太元気な方。それと近くの岩場の影に、伏して物言わぬ影三つ。フレルティ嬢と魔王様。一瞬ざわりと総毛立ち、胸の上下の確認をして、激発の矛はいったん収めた。いずれ、老骨にゃあ無体である。残る一つは両手足、失ったままの球根ちゃんで、どうやら力尽きたらしい。身を投げ出す。冷たく硬い、岩の肌。
……涎を垂らして爆睡していた。回復中。……いや、まぁ、いいけどさ?
「ゴギー! ちょっと! なんでっしょ!!? そこ! 前! 入っちゃったなら勝ちっしょ勝ちぃ!!?」
「……嫌だ。近づきたくない。」
「だーかーらっ! 銀バカのやつが来てるっしょホラぁ!!!」
「銀バカて。」
気を取り直して落ち着いて、やり取りを聞いてツッコミ入れる。どうも怖気が付いちゃった? オウド・ゴギー。北の化生の親分務め、ドが付く迷惑お掛けになって、ここに来て妙に神妙である。それに業を煮やしたか、親分の隣手の娘。再び現す巨大なお手々、左右のそいつをがっちんこ! して、ぶくり、膨らせ蕾を作る。そこを親分に制された。ゆっくりとこちら向いた顔。貌の青、陰りの色も。
「……銀色。お前も、『これ』を求めたのだろう? 教えろ……。なんだ? 『コレ』は?」
「知りません。」
「ならばっ! 何故こんなにも恐ろしい!? お前もハリルも、何故こんなモノを知っているのだ!?」
「だから、別に識りませんって。」
微妙に嘘は言っていない。ヒト伝に聞いただけですもので。左右後方をちらちら見れば、こちらの四人も個人差あれど、寄り難いというはどうにも同じ。露骨に顔を顰めていた。手の娘の威嚇の分、フシャー! のそれも含めるとする。サタナチア嬢は駆け寄れず、ゼリグ、マガグモも障りが見えて、特にキティーが青息吐息。悪心を覚えたか口元押さえ、膝をつくような有様で。少しね、皆休ませないとか。
「では、さて。……此処は、譲って頂けることで宜しいわけで?」
「……条件がある。」
「……なにか?」
「負けることに納得させろ。」
ぎちん! 翻る大きな鎌。死神・サンのそれでは無しに、蟷螂っぽいギバギバである。それが両腕先端部。生えて、伸びて大見得を切り、次いで四枚震える翅。『一騎打ちです?』『一鬼打ちだ。』おっしゃ戦ってやろーじゃねーのサあんた。手出し無用を宣言し、誰にとも無しに語って聞かせ、邪魔しちゃタイマン遺恨が残る。『お前さぁ、けっこう育ち悪いよな。』うるへー。赤毛の言い分黙殺です。
互い、一歩前に出る。ついでで懐漁ってみるが、生憎コインは見当たらなかった。決闘とくれば合図がね? 荒野に倣うはまたの機会で。二歩、三歩、構え、ふんす。『……マガグモ、なんかこーいうの作法てあります?』『知らん。打って伸めしゃあ喧嘩は勝ちじゃ。』おーけーとってもわかりやすい。礼を言う。互いの一挙手一投足を、ムシムシ女とじろじろする。垂れ雫。天井のそれが一滴落ちた。
ぽちゃん。
転倒。なに? 突然足を払われた。私は視線を外していない。なのに、奴が消え去ったのだ。横槍を受けた可能性。ぎょろり目玉を動かし見るが、あちら、お仲間は後方見守り面のまま。超高速? 知覚と注意の落とし穴? 兎にも角にも起き上がる。出来ていないのをようやく気付く。『右の膝から先が無い』。剥き出しになった肉と骨。流れ出す赤は半透明。色の艶やか紅でなし、それを失った黒でなし。
って、いうかなんか生えんが足が!? それを考える暇も無しに、今度は支えの右腕斬られ、すってん! 再び姿勢を崩す。ど畜生。溶血性の出血毒? 私の再生を阻害するのか。たぶん代謝にゃ時間が掛かる、ええいどうにもめんどい真似を!前方の元の位置、高速振動翅を広げ、舞い戻る視野へムシムシ女。音も無し。そうかと思えば後からきた。空気の壁の貫き音。超高速! 衝撃の波でぶっ飛び思う。
「くく! どうだ? 銀色? 首を落としたら私の勝ちで!」
「それじゃコッチが不利でしょう!?」
「私は困らんっ!!!」
再び奴が掻き消える。残る手足も断たれて落ちる。くそ、視てても脳が追いつかないな。芋虫のように転がった。それでも千切れた手足を化かし、迎撃オオカミで狙ってみるも、捉えきれずに返り討ち。牙も爪も宙を切り、空気の壁ごと粉砕されて、私も巻き添えズタボロぼろり。赤達磨。皮膚を剥がされてぎょろつく目。……他は? みんな岩陰か。奴は? 居た。側面あたり。大分と息が上がってなさる。
翅の付け根の駆動部分。赤くシュウシュウと漏れ出る煙、少しばかりの焦げ臭さ。過負荷で筋肉が焼けているのか。ならばアチラも長くは持たず、次あたり断! と終わらせたいはず。転がる胴体仰向けに、髪の一房大蛇へと。変えて伸ばしてシュウシュウ狙い、当然の如く女が消える。熱源探知が真上を向いた。だろね。そーくると思ったよっ!!! 迎え撃つ、残る銀糸の大蛇の群れ。
いまの私のこの態勢で、首を獲りたいんなら上しかない! 赤い熱源流れ星。点で捉えたその目標を、蛇の本能でがっつり捕捉。名付けて野と成れ山と成れ! 群れる鎌首と女の鎌と、上空で派手にぶち当たる。牙と鱗が砕け散り、アバラ諸共に縦へと裂かれ、雷光一閃! くらう側。あ、やっべ押し負けた。女の右腕もひしゃげちゃいるが、しかし残ってもう片方が。ぐちり。私の首が飛ぶ。
どん。ごろごろごろ。
ぐちり。ワタシの首が飛ブ。ゴん! っと岩間にぶち当たル。ソレを真っ赤の断面の中、赤い眼球を開いて視タ。ヤラレチャッタ、シカタガナイナ。アあも成ってしまった以上、脳に居たって仕方が無いシ。残る胴体全面部、目玉の五十個展開をしテ、一撃を決めた女を探ス。マだ直上。イまの状況に胡乱の目。ソの推察は正解ダ。嬲リ、犯シ、八つ裂いて喰ろうてくレ、レ、れ、る。でえぇぇいっ!!!
がばちょ、理性が浮上する。意識の表層が剥けるとコレだ、ええい! さっさと制御を返せ! ワタシを私の統制下、正気が主導権を取り戻す。四肢も頭も皮膚すら無いが、こんな程度でどうにかできるとマジで思ったってダメのよアンタぁ!? お腹から『手』を伸ばし、離脱しようとする女の足を、がしっと掴んでそれをば防ぎ。傷が治らないんなら増えればよいのだ。わかります? 金窩、爛々。
ばっくり背中に空く切れ目。掴んだ女を引き込みながら、残った胴体裏返しつつ。牙伸ばし、鱗を生やし、ヒレと、エラと、でっかい口と! 赤い眼窩もしゃがりと開く。狼狽の顔と目が合った。知ってますかね提灯アンコウ。罠を構えて下から襲う、でっかいマッドなアングラー。こーいう風に! 上下閉じ、彼女の拘束完全として、おへそから下を牙の中。筋肉を噛んでごりごり潰す。美味しくない。
「かはっ!? が……! ぐ……っ! おい、銀色ぉ! ちゃんと首は刎ねただろうがっ!!?」
「うるへー! 殺し殺されなんて勝ちゃいいんですよ勝ちゃあっ!」
「言わせておけばぁ! ……ふん! 真正面からやり合ってな、打ち破られたと成ったとあれば、腑にも落ちると思っていたが……。」
「が……、なんです?」
「理不尽過ぎてなんかムカつく。」
「……殺し合いで無きゃあまたどうぞ。」
脊椎を噛み切った。どちゃり、胴体が脱落し、布に包まれたお胸が揺れて、腕の娘が慌てて駆け寄る。これで、北の化生らは全滅か。本当にお手間掛けさせやがる、ただし見えない犬面除く。……うん。アレの動向は気になるな。ひっくり返ってる親分娘、起こしたら後で聞いとくか。ともあれ終わり、伸びをしたい。したいが人体残っておらず、いまや十割魚類である。お腹は変わらずぷにぷになのだが。
ヒレと尻尾をべちべちし、のってのってとその場で歩き、不格好ながら方向転換。転がっていた『頭』を咥え、ひょい、ぱくっ! と丸吞んで、破って提灯付け根の辺り、ぞるりぞるりとワタシを生やした。赤い目銀髪ちんちくりん。脳の辺りに意識を移す。ノマちゃん復活! お手々がもげた。うーわさっきの毒かこれ。タンパク質がぶっ壊れとる、私がやり合って正解でした。内臓も溶けて漏れてるし。
手を増やす。右の脇腹ぷにぷに辺り、穴の開いた箇所をぎゅむっと押さえ、ようやくにそれで一息つく。……ふむ。ムシムシ女は戦闘不能、腕の娘は戦意なし。倒れてる組は倒れたままで、お味方のほうはドン引きである。なんやねん。いまさらやん。北の親分上半分が、抱いて起こされるのを横目に見つつ、ちょいとばかりに不服を示す。サタナチア嬢の後退り。代わってゼリグが前に出た。
「……おーい。ノマ?」
「なんですかー? 人類か? ってならちょっと魚類ですけどー。」
「茶化すなよ。お前さぁ。……さっき、ちゃんと、『お前』だったか?」
「…………で、なかったら何方であると?」
「……ならいいさ。」
なんとも怖いことを言わんでください。胸ビレべちべち抗議する。魚体の口内に引っ掛かってる、異物感に気付きもごもごする。まったくマッタク失礼ナ。ワタシハワタシハこんなにモ、正気ノ徒であるト言いますのにサ。舌の先でほじくり出して、異物の正体をんぺっ! と吐いた。千切れた女の下半身。正気だよ。だってほら、あの子は化け物だから平気じゃないか。だから、私は正気だよ。
片方の足が転がっていく。ごろごろごろ。ころころころ。
地下の異様の大空洞。高い、高い天井の下、奥の奥に来た行き止まり。これまた異様の『扉』に当たり、湿り気の音がびたりと響いた。




