野盗の群れ
ゼリグに背負われ村を出て、はや数日が経った。背負われ、歩き、宿場で雑魚寝して、また歩き、背負われる。目深に被ったフードの下で目を凝らせども、景色はさして変わらぬ。する事も無し。
この間に暇つぶしと実益を兼ね、同行する彼女に色々と物事を問いかけた。周辺の地理であるとか、この先向かう王都の事であるとか、人族と蛮族の関係性であるとか、とにかく、思いつく限りの事をだ。彼女は鬱陶しそうな顔をしていたが、それでもあちらも暇であるのか、私の問いかけに応じてくれた。さも面倒くさそうではあったが。
彼女が教えてくれるこの世界の物事は、多分に彼女の主観が入っておるので、そのまま鵜呑みにするというわけにもいかぬ。そのことを心に留めつつ、彼女から引き出した情報を私の中に蓄積させていく。
それにしても、彼女の顔は読みやすい。嫌々付き合ってくれているのが手に取るようにわかるので、私のメンタルはもうぼろぼろのぼろりんちょであるが、それでも私はこの世界の理を知らねばならぬ。過日は蛮族の事を化け物などと口にしてしまった。幸いにも、彼女以外のものに聴きとがめられた様子は無いようであるが、物事を知らねば、そのうちにまた、同じような事をしでかすであろう。
さも、常識知らずの阿呆であると思われておるに違いない。そう、内心で恐々としながらも、今日も今日とて彼女に問いかけをしていたが、やおらこちらへ振り向くと、お前、ほんとに物を知らないんだな。とため息を吐かれた。わかってた。わかってはいたが、口に出されると傷つくのだ。泣きたい。
彼女はそう、言うだけ言って前を向きなおすと、何かを目に留めたようで、歩調を速めて先に行ってしまった。呆れられてしまっただろうか。嫌われてしまっただろうか。今の私には彼女しか頼れるものがおらぬのだ。心細い。なにか、なにか弁解せねば。
背中を追いかけつつ、視線を彷徨わせて言葉を探していると、いつのまにか彼女は立ち止まっていたようで、おでこにべちんと背中が当たった。
痛ひ。何事かあったのであろうか。でこを背中から引き剥がし、その影から頭を覗かせる。はたしてやはり、何事か起きていたようで、街道を行く私達の前方では人が溢れかえってなにやら列を成していた。はて、関所でもあるのだろうか。だがそれらしきものは見当たらぬ。
列の周囲には、旅人と呼ぶにはいささか趣の異なる風体の男達がおり、如何にも柄の悪そうな顔つきをして、各々、手に手に剣やら槍やらを握って弄んでいた。はてさて野盗か山賊か。呼び名などどちらでもよろしい。いずれ碌な連中ではあるまい。それにしても、昼間からかような無法者共がのさばっていようとは。既に王都は近いだろうに、なんとも治安のよろしくない事だ。
先頭を見やると、みな、連中に金品を渡しており、渡し終えた者は足早にこの場を去っていく。ゼリグの尻にしがみついて周囲を見渡せば、いつのまにやら、私達はすっぽりと野盗の群れに取り囲まれているようであった。見上げると、彼女は諦めてしまったのか、その顔からは抵抗の意思は感じ取れなかった。
さてどうするべきか。別に連中が恐ろしいわけでは無い。私のこの身は、馬鹿げた怪力と再生力、そして、お犬様の牙をも通さぬ頑健さを有しておるのだ。あやつらが切ろうが突こうが、我が身に何の痛痒も与えぬであろう事は想像がつく。
だが、ゼリグはどうであろうか。彼女は如何にも強そうであり、まさに女傑といったていではあるが、いづれ人の身。何人かは切り倒したとしても、そのうちに連中に囚われるであろう事もまた、想像がついた。達人であっても、三人にかかられて勝つことは難しいと聞く。多勢に無勢というやつだ。
あのような連中に女人が、まして彼女のような若い娘が囚われてどのような目に遭わされるかなど、わかり切った事。考えたくも無い。私は彼女の事を、守ってやらねばならぬのだ。思考は最初に戻る。さて、私は、どうするべきか。
右手を見る。そこには五本の爪がはえている。この世界にやってきた日、私の左手を突き破り、引き千切ったあの爪だ。私に、人が、殺せるのだろうか。
殺す事は簡単だ。私に武術の心得など有りはせぬが、手足を振り回して飛び掛かり、手が触れた部分を、どこでもよい。掴んで握りつぶし、引き千切ってやればよろしい。
だが、覚悟は別である。私はお犬様を殺す事はできた。しかし人はどうであろうか。いや、やはり覚悟などできぬ。できてたまるか。目を閉じて、深く息を吸い、吐く。
殺すと決めた。後悔は後でしよう。
自分の目つきが剣呑なものになっていくのを感じる。かきりと、横で音が鳴った。気づけばゼリグも剣を抜きかけている。彼女もやる気になったようだ。そういえば、彼女の尻にしがみついたままであった。このままでは彼女が剣を振るう邪魔になるであろうと、手を放し距離を取る。
野盗の一人が近づいてくる。距離をはかり、指に力を籠める。攻撃的になった自らの思考に興奮しているのか、次第に息が荒くなった。
こい。こい。もう少し。一足飛びに駆け寄れるところまでこい。そうすれば、お前の腹を引き裂いてやる。
前のめりになる。口の端が吊り上がる。今まさに飛び掛からんとした、その時。
「よう!ゼリグじゃねーか。なんだお前、もう王都へ戻るのか?」
…………ん?
私の殺意が霧散して、ゼリグがかちりと剣を収めた。
「あの…………こちらの方々は、野盗とか山賊とか、そういうお仕事の方では無いのでしょうか?」
すすすとゼリグの近くに戻り、後ろに隠れて問いかける。ゼリグでも推定野盗でもどっちでもよい。誰か答えてくれると嬉しい。
「こいつらは自警団だよ。自称な。」
「これ、お前のガキか?いつのまにこんなでかいガキこさえやがったよお前。」
「るせぇ、アタシがそんな年に見えんのかよ。そもそも相手なんざいねーよ。」
「ぎゃっはは! そりゃあそうだ。でもまあ、お前顔だけは良いんだからよ、股開きたくなったらいつでも来いよ。可愛がってやるぜ?」
ゼリグの拳が男の顔面に突き刺さり、ぽーんとばかりに吹っ飛んだ。それを見ていた周りの野盗共が、指をさしながら下品な笑い声と共に、やんややんやと喝采をあげる。お前らどこの世紀末だ。
つまり、えーと。なんだこれ。
聞けばゼリグが言ったように、彼らは自警団を名乗っているらしい。この街道近辺を縄張りとし、旅人から通行料を徴収して生活の糧としているのだそうだ。
それだけ聞けばならず者としか思えぬが、彼らのようなものが居るからこそ、物盗りや人攫いなど、よりタチの悪い連中が寄ってこないのだという。なるほど、先ほど関所でもあるのかと思ったが、あながち的外れというわけでも無かったようだ。
同時に彼らは周辺の食い詰め者共の駆け込み先にもなっており、このあたりの治安に一役も二役も買っているのだとか。
ゼリグの村でも近年の不作から離散してしまった一家がおり、先の顔見知りと思しき男はジロといってその一員であったらしい。あっぶねぇ。早とちりで彼女の知人を惨殺するところであった。冷や汗が止まらない。
それにしても、贔屓目に見ても野盗か何かにしか思えぬ連中だというのに意外な事である。彼らは、街道とその周辺を守る警備員なのだ。なお、行政に対しては無許可であるらしい。やっぱり野盗じゃねーかこいつら。
まあ、国だか地方領主だか知らぬが、そちらからしても治安に関して手が回らぬのが実情なのだろう。無い袖は振れぬのだ、彼らのような存在が黙認されるのもわかる。都合が悪くなれば潰されるであろうが。だが、一つ気になるところがある。
「なあ、お頭。ずいぶんと物々しいじゃねーか。なんかあったのかよ。」
ちょうど、ゼリグが口を開いてくれた。それを聞きたかったのである。彼らは、その全員が刃物を下げており、抜き身を手にしているものすら見受けられた。街道警備にしてはいささか剣呑に過ぎる。彼女の問いに応じて、あご髭を蓄えた大男がのしのしと近くまでやってきた。
「おうゼリグ、すまんな。ガキをびびらせちまったか?この近辺で殺しをはたらいて逃げた奴がいてよ、いつもの仕事ついでにこうして網張ってんだよ。」
「はん、自警団様もご苦労なこったな。そんな奴、もうとっくに化け物の腹んなかに収まってんじゃねーか?」
「がっはは!まあ、俺もそう思うけどよ、後の無え奴ってのは中々油断ならねえもんだ。何しでかすかわからねえ。死体があがらねえ限りは用心しとかねえとな。」
なるほど、あの物々しさは、殺しの下手人が未だうろついている故であったか。お頭殿は網を張ると言ったが、捉えた者は行政に突き出すのだろうか。この国の司法はどうなっているのかと興味が湧く。すっかり定位置となったゼリグの腰の後ろから、おずおずと口を挟んでみた。
「あの、お頭さん。捕まった者はどうなるのでしょうか。やっぱり領主様に引き渡したりするんですか?」
「おう嬢ちゃん、目の前で怖え話しちまったな。安心しな、殺しは重罪だ、俺らがきっちり捕まえてやるさ。」
お頭はいかにも強面であるが、良い御仁であるようだ。屈みこんで私に視線を合わせると、安心させる為か、幾分か優しい口調で私の問いに応じてくれた。
「だが領主に突き出すってえのはちぃっとばかし違うな。殺されたのはそこらの村民だ。お偉いさんが謝礼を弾んでくれるわけもねえ。そうだなあ、とりあえず縄で首を括ってから、杭にでもぶっ刺しておくかな。俺らの縄張りでふてえ事をしやがるとこうなるっつう、見せしめによお。がっはははは!」
やっぱり野盗じゃねーかこいつら。っていうかこえーわ、串刺し公かお前は。何と戦ってんだ。この街道には野生のオスマン兵でも出没するのか。
私の視界の端の方から、隊伍を組んだ兵士たちが歩いてくる。彼らは串刺しにされた哀れな犠牲者の前で足を止めると、槍を掲げてアララララーイ! と雄叫びをあげた。マケドニア兵じゃねーか。
「お頭、わりぃけど、こいつは世間知らずの箱入りでな、あんまりびびらせないでやってくれ。固まっちまってるじゃねーか。」
「がはは、すまんすまん、つい調子に乗っちまった。詫びと言っちゃなんだが、その嬢ちゃんの分の金は負けといてやるよ。知らねえ仲じゃねーんだ。遠慮なくとっとけ。」
「おう、あんがとよお頭。」
私が明後日の方向を向いて妙な空想をしている間に、いつの間にやら話は終わっていたようである。ゼリグはお頭に貨幣を何枚か投げ渡すと、私の手を引いて歩きだそうとしたが、情報交換がしたいというお頭に呼び止められた。彼女の村があった、東部周辺の近況を聞きたいそうだ。
ゼリグの奴はすっかりと話し込んでしまい、私は暇であるので、手頃な倒木を見つけると腰かけて待つことにした。
呆けていると、先ほど彼女に殴り飛ばされたジロという男がやってきて、私になにやら砂糖菓子のようなものを差し出してくる。子供の舌にはちょうど良かろうと、通行料と一緒に巻き上げたものを持ってきてくれたそうだ。っていうかこいつ、いま巻き上げたって言ったな。
ふん、お前がゼリグに失礼な事をぬかしおったのはばっちり聞いておったのだ。今更こんな菓子で機嫌が取れるとでもあらやだ美味しいわこれ。
元々甘いものは嫌いでは無かったが、そういえばこの世界に来て甘味を初めて口にしたのだった。たまらず、まぐまぐと甘い菓子にかじりつく。ジロは嬉しそうに眼を細めると、私の隣にどっかと腰を下ろした。
「いやー、銀髪の嬢ちゃんもよく見たら上玉じゃねーか。あと数年もしたら食べ頃だよなー。そん時は俺とかどうよ、優しくしてやるぜ?」
まったく、懲りん奴である。とりあえず、お前ら下半身でもの考えるのやめーや。まあ、連中はどう見ても男所帯。万年女日照りであるのだろう。矛先がこちらに向かぬよう、衆道にでも励んでほしいものだ。
むっくむっくと口を動かしつつ、ぷいと顔を背ければ、視線の先で、ゼリグの尻を揉んだお頭が宙を舞っていた。荒くれ者共が、剣や槍を打ち鳴らして喝采をあげ、ヤジを飛ばす。どこの世紀末だ。
ううむ、薄々感じてはいたが、現代人の私には、この世界はいささか刺激が強すぎるようである。ゼリグは今の私にとって頼れる保護者であるが、少々暴力的に過ぎるのでは無かろうか。だが、彼女のような強さが無ければ、この世界で女一人、生きてはゆけぬのだろう。
明日はいよいよ王都に到着するという。ゼリグから話の上で聞いてはいるが、見ると聞くとは大違いとはよくある話。はてさて、どのような場所であろうか。まさかこのような世紀末ではあるまいな。
顔を背けて菓子を頬張る私の事を、隣に腰かけたジロがぺらぺらりと口説き続ける。まったくもってよく回る口をしておることだ。
無視してやっても一向に引かずに嬢ちゃんお話ししようぜーなどとのたまいおるので、私は返事代わりにもっと菓子を寄越せと、腕をずいと突き出してやったのであった。