ノマが残した爪痕 その②
「どういうつもりダっ!? 何故本国ハ、何の返答も寄越してこなイっ!?」
力任せに手を叩きつけ、石の天板が軋んで傾く。我らソシアルが第四軍、発生した不測事態への対応として、崩壊した通信網に手こずりつつも、残存兵力の集結脱出を完遂させた。現在地は収奪から植民へと移行中である、旧獣人国領の行政区画、その南部東端が一室である。ここまでは戻ってこれた。交戦による消耗戦力、行軍による消費人員、予想していたよりはいずれも軽微。だが解せぬ。
レガトゥス・フォウの越権行為。人族に味方するバケモノである、王国のノマの存在とその危険性。それら私の見聞を伝達すべく、帰還してすぐにしたためた女王陛下への上奏文を、託して待つこと実に七曜。前者は社会的適応行動への反逆であり、後者は我々の防衛戦略において、非通常対応を必要とする憂事である。この種の報告には規定上の優先があり、通常放置されるなどありえない。はずなのだ。
「どうしタ? サクロルム・フォウナイン。心拍数が上昇していル。感情を中央値へと戻したまエ。」
「認識していル。デクリオ・フォウナイン・サーティーシックス。それでもう一度確認するガ、確かに何も無いのだナ? 預かってきた本国からの伝文ハ。」
「無イ。我が小隊は規定に従イ、陽が二度昇るまでの待機を実行しタ。しかし回答を得られなかった為、丁種区分である破却に該当したと判断。以上の経緯によりこうして復シ、貴殿への報告に至った次第であル。」
第四軍第九師団、序列第三十六位の十人隊長。私が先だって文を託し、本国との繋ぎに使ったその男から、改めて『何もない』旨の言質を得る。彼は規定に従って行動した。しかしその結果は定められた、我々の社会的規律に反している。何故だろうか? 我々は『ソシアル』である。全ての我々は我々の為に行動し、そうである以上はこのような、意思決定の誤りを起こす事など異常であるのだ。
個を排した完璧にして、完全である集団構造。それを持つ我々の中に、こうしてあるはずの無い綻びが観測された。ならばそこに挙げられる理由は一つ。我々の中に、我々では無いものが混じっている。あの狂ったレガトゥス・フォウのように。それが眼前の彼であるのか、元老院であるのか、あるいは女王陛下であるのかはわからない。しかし誰かしらが狂っている。迅速なる排除が必要だろう。
「了解しタ。ではそれを踏まえた上デ、貴官には改めて情報収集を願いたイ。まずは元老院をはじめとしタ、本国の意思決定に関わる機関についテ、その上位序列との接触ヲ……。」
「否であル。我が小隊は本日付けで廃棄となリ、食肉加工へ回される事が決まっていル。よって貴殿の要請は承諾できズ、現刻を以って本件の対応を終了すル。特務の継続を求める場合、貴殿の権限を以って後任の指定を行われたシ。以上。」
言うだけを言って踵を返す、かつて養育期を同じ施設で過ごした男。その彼へ私も『そうカ。』と返し、次いで向けられる背を前に立ち上がって、掴んで引き留めた腕の感触に我へと返る。なんだ? 私はいったい何をしている? 不自然な点など何も無い。先の作戦では繭の中で、待機状態にあった予備役を大量に動員した。その兵力は平時に比して百倍であり、それを以って我らは強行を成し遂げたのだ。
が、一方でそれら拡大する人員に対し、見合う兵站を用意するなどは到底不可能。加えて待機状態は不可逆であり、既に蛹の段階を終えた兵士達を、再び繭に押し込んだとて無意味である。よって我々は使い潰す必要があった。平時の生産能力と釣り合うまでに、戦力として、糧食として、資材として、我々自身を。故に今しがたの発言において、そこに不自然な点などは何も無い。無いはずである。
「懸案は無いと認識していル。貴殿がこの私に対シ、何らかの疑義を持つのであれば述べるべきダ。サクロルム・フォウナイン。」
「すまなイ。私にモ、私自身の行動が理解できなイ。しかし言語化は困難ながラ、それでも敢えて胸中を語るのならバ、私は以下の事項を言い表したイ。貴官ハ、本当にそれで宜しいのカ?」
「発言に対シ、要領を得る事が不能であル。ここで言う宜しいとハ、何を対象として指しているのダ? 私が食肉になる事モ、貴殿がこうして管理活動を行う事モ、『我々』という総体の存続において欠かせぬはズ。よって貴殿の抱いたといウ、その懐疑には同調できヌ。」
「……私モ、貴官の得た所感に対し同意であル。どうか先の言動は忘れて欲しイ。」
「了承しよウ。では先に逝かせて貰ウ、去らばだ友ヨ。貴殿もその思考処理においテ、あまりにも不具合が生じるようであれバ、自身を処理する事をお勧めすル。私のようニ。」
俯いたままに触角を、三度も震わせてから顔を上げる頃、既に彼の姿は失せていた。その今生の別れにかぶりを振って、砂岩の椅子へと身体を預け、向けられた最後の言葉を反芻する。『友ヨ』とはどういう事か? 意味そのものは理解している。我々では無い者達が、深く知っていて好意を感じ、信頼できる他者に対して用いる言語。ではここに生じていた関係性は、それに対し適切であったのだろうか。
個では生きてゆく為に力が足りず、故に我々の祖は群として生きるを選んだ。頭は考え、手足は動き、臓腑はそれを円滑にすべく整える。かつて我々は我々自身を、乾いたあの南端の砂漠において、それと同じように配したのだ。つまり私と彼の間にあったものは、五臓の一部と指の一本のそれに等しい。そこに親しみや好意といった、並列性を乱すだけの不明瞭さなど、本来必要無いもののはずである。
「……理解モ、納得も出来はせんナ。だが悪い気はしなイ。去らばダ、サーティーシックス。」
「ホホホ。そのように動かせる情動があっテ、何故に我々はあぁであるのカ。ほんに難儀であるとは思わんかエ? のウ、第九師団のサクロルムヨ。」
不意に響いた女の声。その甲高いそれを外耳で捉え、音紋を記憶と照合する。該当は本国が元老院所属、第四十八王女のピンキピッサ・フォーティーエイト。それが何故此処に居る? 見れば気付かぬうちに踏み入ったようで、その用途不明の装飾を大量に纏う様は、あの狂った男を思い出させる。果ては軽装歩兵までを数体連れて、軍の私物化も甚だしい。何だコイツは。
「着任の連絡は受けていなイ。我々の意思決定を司る者の末席ガ、我ら第四軍に対し何用であるカ?」
「その地位は南に捨ててきタ。今はわらわこそが第四軍団長、新たなるレガトゥス・フォウであル。ただし公的な呼称を要さない場でハ、メーマメーマと呼ぶがよイ。親しみと尊敬をしっかと込めてナ。」
「不可解であル。メーマメーマ? 我々の命名規則に反している。所属名称と序列番号はどうしたのダ?」
「ホ、ホ、ホ。貴様も姉上達と同ジ、さても詰まらぬ事を言ってくれル。己を数字のみで表すなどト、実に趣きに欠けた無粋な話ヨ。知っているカ? それを満たそうとするこれら嗜好ヲ、人族は風流であると称するらしイ。」
「……かぶいているとも言うらしいがナ。」
「知っているではないカ。」
そう言って断りの一つも入れず、新任の統率者殿は不躾にも近づいてきて、私の対面へとドッカと座る。なんとも奇矯で奇異なる女だ。我々のあるべき姿から外れているし、いちいち実行される奇妙な発声も理解をしかねる。たしかこれは感情表出行動の一種、『笑う』であったか。しかし現状況下において、その必要を認める事象は存在し得ず、故にその異常性も顕著である。あとはその呼称のあたりも。
ひと際に細く長い触角。艶やかに光る華奢な顎。それらを更にギラギラと飾るこの女は、その立場上本国において、陛下のもっとも近しい場所へ位置していた。そこにこのような狂気が潜んでいたのだ。ならばその影響力は絶大であり、悪しき感化によって我々の合理性へ、不具合をもたらしていたであろう事は想像に難くない。つまりは排除されるべき対象だ。綻びの無い我らの為に。
「まァ、そう凄んでくれるなヨ? サクロルム。母上の許可は貰っていル。わらわという『個』を主張する呼称についテ、既存と併せ用いるのを条件にナ。」
「しかし我々の規則には反していル。女王陛下は何をお考えカ? もしも最高意思決定の機能についテ、不具合が生じているならば交換の必要性を認め得るガ。」
「規則、規則と小うるさいワ。そこで思考を止める貴様らよりモ、母上のほうが余程に『我々』らしかったゾ。それこそ御役に支障をきたさぬのならどうでもよいト、娘の決心に欠片の興味も示さぬほどにナ。マ、今はそんな事よりも『ノマ』であル。わざわざ足を運んだのダ。さっさと本題に入った話をしたイ。」
「……なゼ、その情報を知り得ていル? 上奏の吟味は貴公の管轄下には無かったはずダ。」
「貴様の文書、握り潰したのはわらわであるゆエ。」
こともなげに言い放ち、身を乗り出してみせる女の首を、叩き落とすという私刑が頭をよぎる。否、それも正規の手続きに反しており、しかして我々の為である事は間違いない。が、同時にそれを許される為の方便に、私という『個』の考えを『我々』の意に、すり替えている可能性もまた否めなかった。私が私に騙されるのだ。それを考慮すれば情動を初期値に戻し、まずは同調に走るのが無難であるか。
「……わかっタ。いずれにせよ王国のノマへの対応についテ、上位者に判断を求めるという事に変わりは無イ。新たなるレガトゥス・フォウであるところのメーマメーマ。軍団長である貴公に対シ、我が軍の統一意思となるべき見解を求めたイ。」
「ウム、よかろウ。まずはこのとおり贈り物ダ。奴とは個人的な友誼を結んでおきたイ。へりくだって見せて機嫌を取るゾ。」
細い指の腹が空気を弾き、パチンと甲高く音を鳴らす。それを合図に大振りな箱がゴトリと置かれ、そして歩み出た兵達は再び下がり、控えに戻るべく配置に就いた。贈り物? へりくだる? ふざけた事を言ってくれる。やはりこの首叩き落とすか。ちなみに妙に勿体ぶった仕草で以って、その展開する様を見せつけられた華美なる箱、中身は真っ黒い団子である。構成物は主に土。たわけた真似を。
「何の実用的価値も無イ、ただの固めた土では無いカ。」
「そのとおリ。これは七日と七晩を投ジ、わらわ自らが手掛けた土の団子ヨ。どうダ、この微細なひび割れの一つも無イ、きめ細やかで滑らかな肌。これぞ用途無き物をこそ重んじル、人族が芸術であると呼称する物体に相違あるまイ。」
「そうカ。では第九師団付き祭儀監督官であるこの私ハ、貴公の組織内におけるその適格性に対シ、深刻な疑義がある事を表明すル。明日までに弁明の文書を作成のうエ、第六百六十六審判所まで出頭されたシ。」
「良いから落ち着いて聞ケ、規則馬鹿。幼年法で定められタ、『他者の弁舌中は黙するべシ。』を実行しロ。」
退出をしようと立ち上がり、すかさず腕の一本をハッシと持たれ、強引に着座へと引き戻される。何を言うかこの女。私はとても落ち着いている。この場で術式の起動もせず、規則に則った対応をせんとするこの私に、非難されるべき謂われなど何も無い。これはあくまでも上役に対する不信であって、奴に降ることで我々の矜持が傷つくだとか、そういった非建設的な情動から来る行動では無いのである。
「貴様の文書に記されていタ、個体『ノマ』の異常性には目を通しタ。第九師団司令部を単独で急襲、破壊。さらには他のバケモノを従えてみセ、前任のレガトゥス・フォウ暗殺をすら完遂していル。例の爆発との関連は不明であるガ、いずれにせよ我々の生存圏拡大にとリ、著しい脅威であると認めざるを得なイ。」
「遺憾ながらその通りダ。よってこれ以上の拡大は即刻中止。国境線に防御構築物を厚く築キ、有事の際はその縦深を用いて迎撃に注力すべシ。そのように私は具申をしていル。」
「ではサクロルム。我々が貴公の想定をすら越えテ、その案を完璧に実行したと仮定しよウ。もしも母上の首を狙イ、そのバケモノが真正面からただ歩いてきた場合、我々にその撃退は可能であるのカ?」
撃退は可能か否か。その問いを受けて答えに窮し、遅滞戦闘を以って応じる旨をどうにか返す。その間に首都機能を移転して時間を稼ぎ、反撃として奴の所属する組織体に、数個師団を差し向けることで殲滅する。それで国家間の闘争には勝利が可能だ。国家間の闘争には。問題は直後に始まるであろう生存の為の闘争であり、その解決の糸口のあまりの無さに、私もやむを得ず筆を折っていた。絶念である。
「ホ、ホ、ホ。まぁそんなことであろうと思っておったワ、あの歯切れの悪い文章からナ。我々が戦略的勝利を収めたとしテ、しかるのち怒り狂ったノマとやらニ、追い回されて蹂躙をされるはおそらく不可避。よって初期方針からを転換し、奴の関心を買って守りに入り、交戦を回避せよと言っておるのダ。」
「その言い分には理解を示そウ。だが土くれは所詮土くれであリ、どう箔を付けたとて無価値であル。そのように無用な贈与の類、奴が迎合と見做すとはとても思えヌ。」
「人族は無価値にこそ価値を見出ス、ト、先ほど言っタ。そしてそのバケモノが人族の側に属する以上、集団としての趣味嗜好ハ、概ね共通しているものであると想定されル。つまりはこの無用である土の玉ハ、その無用さが故に奴にとって、著しい価値というものを発揮するはズ。我々では無い者達ガ、宝玉を無闇にありがたがるそれと同じにナ。」
「なるほド、奴らの習性を利用するのカ。しかしこんナ、ただの土くれに過ぎぬ物ヲ……。人族、やはりわかりかねる存在ダ。」
「それにまァ、価値を見出されなかったと仮定をしてモ、誠意が伝わるのであればそれでよイ。このわらわが分析するニ、奴は『敵』と決めつければ非情になるガ、そこへ至るまでには段階を踏む傾向があル。よって我々への評価に揺さぶりを掛ケ、段階を『敵』の前段へと引き戻しにかかる事は、謀略の効果を極めて期待出来るものであると認められル。どうダ、これ以上に何か不満はあるカ?」
我々は奴を手玉に取る。だから我々の面目は保たれるわけで、これ以上に文句を言うな。言外に放たれたその言葉に、触角を繰り返し左右に揺らし、次いで土玉に伸ばした手をベシリと叩き落される。『貴様! へこみがついたらどうしてくれル!?』というその激高に、出かけた『もう好きにしロ。』という言葉を一応飲んだ。なにが無用か。貴様も価値を付与しているのではないか、この土くれに。
「……指揮命令の系統上、私は第四軍軍団長であル、貴公の命令に従う義務があル。よってこの作戦に支持を示シ、文と贈与品の輸送を目的としテ、滞在中であるゴブリン・マーチャントの旅商確保を提案すル。」
「言いざまに凄まじい不服を感じるナ。まァ、よイ。構わんから良きに計らエ。しかし神殿や遺構を荒らしまわル、犬の面をつけた奇怪な女の一件もあるというニ、どこもかしこも慌ただしさに窮したものヨ。ホホホ。この潮流に上手く乗れバ、わらわという新しき『ソシアル』の時代が来るのも夢では無いゾ。あの母上をすら出し抜いてノ。」
「犬の面。例の本国への侵入者カ。未だ捕縛にも至っておらぬとは存外であっタ。それと今しがたの放言についテ、私は聞かなかったものであると評しておク。我々という総体の存続に対シ、従前と貴公、どちらが正であるのかがもはやわからヌ。」
「ならば私に賭けておケ、サクロルム・フォウナイン。貴様が散々に狂人であると評した男、奴に見えていたものを教えてやろウ。我らが今以上の高みに昇ル、素晴らしきその萌芽をナ。」
かつてのレガトゥス・フォウと同じ、新しきソシアルを語る奇矯にして奇異なる者。やはりこの女は不可解である。そして彼女を排しようという意欲の失せた、この私も同様にして不可解である。あるいはサーティーシックスが勧めたように、私も不具合を起こす自身に対し、処分を考えるべきであるのだろうか。しかし隆盛というものは求むにあたり、時に革新を要すという点で同調出来る。わからない。
「……了解をしタ。だがレガトゥス・フォウであるところのメーマメーマ。貴公の人格的特性に対シ、私が重大な瑕疵のある事を認めた場合、それは即座に女王陛下へと進言されル。それだけは臓腑へと命じておケ。」
「ホホホ。母上もまた古いお方ヨ。わらわこそが進歩的であるト、そう認めざるを得ない成果があれバ、喜んで身を引かれるに違いあるまイ。喜ぶという情動があるかは知らぬがナ。さてそんな事よりモ、ダ。公的な呼称を要さない場でハ、メーマメーマと呼べと先に言ったガ?」
土くれの玉を恭しくも、大仰に箱へと戻す女の顔。それがするりと近づいてきて、触れ合う触角が乾ききった音を小さく立てた。篭絡のつもりだろうか、姑息な奴め。自身の情の揺れ幅の至大を用い、他者のそれにまで波及をさせて、操ってやろうという魂胆が透けて見える。だからこそそれを退け、私は語気に持ち合わせるだけの冷淡を乗せ、こうと言ってやったのだ。
「貴公の『個』を主張する呼称についテ、既存と併せ用いよとの規則であル。」
「……貴様、思っていたよりも面倒くさいナ。」
やかましい。友と呼べるようになってから出直してこい。
真っ直ぐ行ってぶっ飛ばす。右ストレートでぶっ飛ばす。ノマのそれを阻止できない以上、敵対勢力も変化を受け入れざるを得なくなります。




