王都道中膝栗毛
いや、おったまげた。まさか倒れるとは思わなんだ。また、ゼリグに迷惑をかけてしまったようで申し訳なく思う。
相も変わらず、私はゆらゆらと背負子の上で揺れている。自分で歩くと伝えたのだが、おとなしく座っていろと言われてしまった。何度もぶっ倒れているので、彼女の中の私は、すっかり病弱美少女になってしまったのだろう。いや、でも地味につらいんです。これ。落ちそうなのだ。っていうか酔いそう。
酔った。落ちた。べちょり。ゼリグに、私は大丈夫だから、自分で歩かせてくれと頼み込む。どうせまたぶっ倒れんだろこいつ、みたいな目で見られたが、私もここで引くことは出来ぬ。このままでは、遊山に興じることも出来そうにない。
結局、彼女は折れてくれた。ゴネ得である。やったぜ。ようやっと、景色をみやる余裕が出来た。己の三半規管に感謝しつつ、ゼリグの後ろをてこてことついて歩く。
視線をめぐらすが、絨毯と呼ぶにはいささか背高の過ぎる草花が、チビの私の視界を塞いでいる。ひょいと背を伸ばせば、遠方には深く濃い緑色が見えた。未開拓の原野はどこまでも続くばかり、あの村にはまだまだ拡張の余地があるようだ。
文字通り、道ともいえぬ道をゆく。ときおり、草花が折れ曲がり、踏み倒されているのは獣道であろうか。ウサギでも出てこぬものかとひょこりと覗き込んでみたが、その姿を認めることはできなかった。
むむむ。ちょっとだけ、先っちょだけだからと頭を突っ込むが、ゼリグに首根っこを掴まれる。ちょろちょろするなと叱られた。そんな彼女は、私が歩きやすいようにと、先ほどから背高のある草花を剣で打ち払ってくれている。優しみ!
そうこうするうち、長い歳月かかって踏み固められたとみえる、街道と思しき場所に出た。いまだ、人影は私達しか認められぬが、これに沿って王都へ向かうのだろう。
まばらではあるが、時折、人とすれ違うようになってきた。私の歩みがのてのてと遅いので、どんどん追い越されていくのだ。道行く人々の後ろ姿を見やる。行商人のような者がほとんどであるが、まれに軽装の者も見かける。旅芸人か歩き巫女か、あるいはゼリグのような傭兵やもしれぬ。
さながら亀の歩みであるが、この分であれば日が落ちるまでには宿場に辿り着けるそうだ。ていうか宿場なんてあるのか。まるで東海道だの中山道だののようだ。景色は先ほどからさして変わらぬが、王都道中膝栗毛というわけである。さしずめ私たちはヤジキタといったところか。そう思って見ると、変わらぬ景色と、そこを行きかう見慣れぬ風体の人々も、なにやら味わい深い。
興が乗り、宿場まではどのくらいかねえキタさん。と声をかけてみた。振り返ったゼリグの目が、何言ってんだこいつ。と言っている。へこむ。
しかし宿場があるとは思わなかった。こういうものの定番は、野営地があって、そこに馬車やなんかが集まって野営をするものとばかり思っていたのだ。指を頭上にぴしりと突き上げ、ここをキャンプ地とする!とか言ってみたかった。野営では駄目なのかとゼリグに問うてみれば、夜は化け物の世界であり、少人数で夜に出歩くなど自殺と同義であるという。なにそれこわい。
化け物。知らぬ情報が出てきた。んむ、こういう情報をゼリグから引き出したかったのだ。お持ち帰りされた甲斐がある。さて、化け物とはどのような存在であろうか。邪神は、この世界では人族と蛮族が争っていると言っていた。化け物とは蛮族の事を指すのだろうか。ゲーム気分で言うなら蛮族系モンスターというところだろう。
化け物とは蛮族の事か、と問えば、違うと言われた。化け物とは、人族でも蛮族でもない、夜の闇に潜む危険な存在であるという。なるほど、魑魅魍魎、狐狸化生の類というわけだ。文字通りの怪物、モンスターというわけである。なるほど、なるほど。
頷いていると、蛮族の事を化け物などと絶対に言うな、面倒ごとを呼び込む。と、釘を刺された。
聞けば、蛮族たちとは国家間では対立関係にあるものの、個人間では全てがそうというわけでも無く、少数ながら人族領域で暮らしているような変わり者もいるそうなのだ。多少、価値観の相違はあるものの、大半の蛮族とは意思の疎通が出来るのだという。
というか、私が着ている旅装を売ってくれた行商人も蛮族なのだそうだ。なんと、蛮族とはそんな身近な存在であるのか。ともすれば、この、周りを道行く人々の中にも彼らが紛れているやも知れぬ。蛮族が化け物などと、とんだ失言であった。思わず口をふさぐ。
だが、少々うれしくなった。邪神はこの世界を血みどろの世紀末であるかのように語っていたが、そこで暮らす住人は悪の思惑に乗せられず、しっかりとそこに根を張っているのだ。ゲームが思うように進まず、黒いモヤを苦々しく歪ませる邪神が頭に浮かぶ。ざまあ。邪神ざまあ。ちょっと留飲が下がった。
しかし、これは危険な情報だ。邪神はこのゲームに飽きてきていると言っていた。だからこそ、私を捕まえて送り込んだのだ。飽きたゲームはどうなるか。放置されるのならまだよい。怖いのはリセットである。この世界のすべてを壊し、邪神はつよくてニューゲームを始めるかもしれない。
私のすべきことが定まってきた気がする。私はこの世界で、台風の目にならねばならぬのだ。
とはいえ何をしたら良いものやら。きゅっと固めた決意がへにゃりと萎える。とりあえず、大魔王となって人族、蛮族、すべてにとって共通の敵として立ちふさがるのはどうであろうか。
無理、いや無理。さすがに多勢に無勢である。私はろくに武術の心得も無い、可憐な怪力マッチョ再生ゾンビ少女なのだ。せめて魔法の類でも使えたら話は違ったやもしれぬが、今のままでは取り囲まれてぼっこぼこであろう。
頭の中の大魔王ノマが、囲んで棒で叩かれる。よくよく見れば、その中にはゼリグの姿も認められた。ブルータス、お前もか。大魔王はきゅうと声をあげてのびてしまうと、そのままお持ち帰りされてしまった。やめて、薄い本になっちゃう。
うむ、とりあえず後で考えよう。今日できることは明日やる。明日からがんばるの精神だ。
そういえば、吸血鬼とはこの世界でどのような立ち位置にいるのであろうか。蛮族の一勢力として、国家の一つでも築いているのだろうか。
横を歩くゼリグに聞いてみるが、なにやら怪訝な顔をされた。吸血鬼というものがわからぬようだ。彼女に説明する。曰く、人の生き血を啜り、動物や霧に変化し、人心を操り、高い身体能力を持った、恐るべき不死者であると。
それは化け物の類だ。と言われた。蛮族としての吸血鬼はこの世界におらぬようだ。しかし、化け物か。そっかあ。私、化け物か。へこむ。吸血鬼かっけー!とかそんなノリで化け物になってしまったのだ。自業自得である。へこむ。まったいらになってきた。ちがう、胸の話ではない。
うなだれてしまった貧乳を、ゼリグがひょいと背負子に積み込んだ。ご迷惑おかけします。
再び、ゆらりゆらりと背負子に揺られる。道行く人達は、足早に私たちを追い越していく。日暮れが近いのだろう。間に合うだろうかと、ちろりとゼリグのほうを見やったが、彼女は心配するなと言ってくれた。
なんとか、日が沈む前に、私たちは宿場に入ることができた。小高い塀に囲まれたそれは、町というには如何にも貧相で、必要にして最低限のいくつかの施設が軒を連ねている程度のものである。
こんなもので化け物とやらを防ぐことが出来るのだろうか。さっさと宿に入ろうとするゼリグの手をくいくいと引けば、彼女は私の不安を察してくれたのだろうか。心配するなと言ってくれた。いや、これは面倒臭がられている気がする。でも説明、お願いします。ゼグ右衛門さん。
ゼグ右衛門が言うには、夜が化け物の世界であるように、昼が人の世界である事を連中は弁えているのだという。それと同様に、人が集まって暮らしているかぎりは、人の世界であるそこに奴らは手を出してこない。奴らは、人の世界から零れ落ちた者をこそ、掠め取っていくのだそうだ。
なるほど、化け物には知性があるらしい。字面の通りの、おぞましき存在というわけでは無いようだ。しかし時には、狂った獣としか言い様の無い化け物が、人里を襲って死人が出ることもあるという。まあ、滅多にある事では無いので、その時は諦めろと言われた。
こえーよ。三毛別かここは。諦めろとか言われても困る。せめて戸締りはちゃんとしておく事とする。
荷物として背負われていたせいかは知らぬが、幸いにも弾かれたりすることは無く、宿に入ることが出来た。吸血鬼の弱点に、未踏の建物には家人に招待されないと入れないというのがあるのだが、私の場合これが機能しているのかよくわからぬ。とりあえず今は問題無かったのだ、困ったら考える事とする。
大部屋で荷を下ろす。湯は貰えるが食事はつかぬようだ。木賃宿というやつだろうか。背負子から放り出されてころりと転がると、腹の虫がぐぅとなった。
ゼリグを見やれば、あやつは湯で体を拭きながら、干し肉を齧っておった。一切れ貰う。固い。しょっぱい。食えたもんじゃない。どうにかこうにか、先端をふやかしながらあむあむとしていると、メシを食うからついてこいと言われた。なんだ、あるじゃないか。飯。
宿の裏手に回ると篝火が焚かれており、その下では、行商人が集まって何やら商談をしていたり、むしろを敷いて品を並べている者の姿が窺えた。見れば、干した芋やら、粥のようなものを売っている者も見受けられる。なるほど。人が集まれば、それを目当てに商売する者もまた、寄ってくるというわけである。
きょろりきょろりとしていると、彼女は地べたにござを敷き、品物を並べている一人の小男のところへ近づいていく。男の横では寸胴に入った白いものが、ごぼりごぼりと音を立てていた。彼女の後をついていくと、それは異様な風体の男であった。
背丈は見た目10歳児である私と同じ程度しかなく、その癖に身体はみょうにずんぐりむっくりとしている。これがドワーフというものかと思ったが、短い手足はひょろりとしていて、耳は頭の横に長く突き出て垂れさがっている。なんともコミカルな姿をしていた。まるで人形のようだ。素肌はほとんど見せておらず、その顔はゴーグルのついたマスクで覆われていて、表情は窺い知れなかった。
男をまじまじ眺めていると、不意に声をかけられる。
「なんだ、人間。おれ、行商人メックルマックル。なんでも売る。なんでも買う。人間、なんか持ってるか。」
びくりと思わず身体が跳ねて、ひしりとゼリグの腰にしがみつく。なんだ、今の言い草は。まるで己が人間では無いかのようではないか。
「人間、ひやかしか。なら帰れ。用は無い。」
怒られてしまった。小さい身体がますます縮み、そのままゼリグの背中にすすすと隠れる。
「よう。今朝ぶりだな、メックルマックル。まだここら辺に居たのかよ。お前の事だから、もうとっくに先に行っちまってるもんだと思ってたぜ。」
「今朝ぶりだな。傭兵ゼリグ。お前の村で、炭、買えなかった。おれの鞄、まだ空いてる。他所でもうちょっと品物買う。」
「あぁ、山爺が死んじまったからな。あの村で外に売るほど炭を焼いてんのは山爺くらいだったし、悪いけど、もうあそこじゃ炭の買い付けは出来ないと思うぞ。」
「そうか、じじい、逝ったか。残念だ。じじい、山、好きだった。きっと赤の神の御許へいける。」
どうやらゼリグの知り合いのようだ。隠れて様子を窺っていたが、彼女にむんずと掴まれ、前に押し出されてしまった。
「ところでさ、お前、こいつ見てどう思うよ。高く売れそうか?」
おいい!私を売る気か!何言ってんだこいつ!!ぱくぱくと口を動かすが言葉が出ない。驚きすぎて何と言ったらよいかわからぬ。
行商人は私をじぃっと、ゴーグルの奥から見ると、駄目だな。とつぶやいた。セーフ!私の市場価値は低かったようだ。
「そいつの髪、綺麗。きっと売れる。でも合わせれる色、無い。もっとまとまった量が欲しい。」
「そっか。路銀になると思ったんだけどな。まあ、考えてみりゃそれもそうだよなあ。」
アウトだった。ていうか髪の話か。それくらいならゼリグの為に売ってやっても良かったが、どうやらひと房ふた房程度では駄目らしい。ゼリグがぽりぽりと頭をかく。
「そいつ、まとめて売るか?絶対売れる。おれ、おんなを扱ういい商人しってる。紹介してやる。」
頭に添えた手をぴたりと止めて、ゼリグがちらりとこちらを見た。みてんじゃねーよ。回避したはずの薄い本が再び襲ってくる。おかえり。ザッケンナコラー!
「悪いね。こいつはアタシのもんだ。まだ手放す予定は無いさ。」
ゼリグにぐいっと、肩を抱き寄せられる。きゃー!ゼリグさんかっこいい!濡れちゃう!!でも勝手に私を切り売りしようとしたことはマジ許さんからなお前。
「そうか、残念だ、傭兵ゼリグ。売りたくなったらいつでも言え。」
行商人は私から興味を失ったのか、そう言うなりふいと視線を外した。ゼリグはそのあと、彼と一言二言交わすと、どろりとした粥と、石のようなパンを受け取って私に突き出した。これが今日のごはんであるらしい。
食事を摂ろうにも腰掛ける場所も碌に無いので、ゼリグと二人、行商人に場所を借りて、ござの端っこに座り込んでもそもそ食べる。麦の粥はろくに味もしない。石の塊も粥でふやかせば食べやすいかと思ったが、石にどろりとした何かがコーティングされただけだった。食べにくい。大人しくもそもそと口を動かす。
行商人の店は繁盛しているらしく、入れ替わり立ち代わり、人がやってきては何事か商談をしていた。顔も見せぬ、いかにも怪しい風体であるのに意外な事だ。パンの欠片をごがりごがりとかみ砕きながら、彼の事をちらりちらりと盗み見る。と、不意に彼が、こちらを向いた。
「なんだ。人間。じろじろ見るな。ゴブリンがそんなにめずらしいか。」
なんと、彼は蛮族、それもゴブリンであるらしい。私の中でゴブリンといえば、人や家畜を襲い、女をさらい、激しく前後するヒャッハーさんである。ところ変われば変わるものだ。きょとりとしていると、ゼリグが割って入ってくれた。
「悪いな、メックルマックル。こいつは、まあ、なんだ、ちょっと世間知らずなお嬢ちゃんでな、こうして旅をするのも初めてなんだよ。でもまあ、そのおかげでお前が持て余してた、ゴブリン用の旅装が売れたんだ。ちょっとくらいは感謝してくれよ?」
「そうか、悪かったな、人間。おれ、なんでも売る。なんでも買う。また欲しいものができたら言え。」
ゴブリンの行商人は、そう言って放つと、もう用は済んだとばかりにぷいと前を向いた。
ゴブリンの隣に座り込み、もそもそと食事を続ける。なんとも不思議な気分だ。私にとってゴブリンと言えば、一山いくらの経験値用モンスターである。それが、まるで最初からそうであったかのように、隣人としてそこにいるのだ。いかにも不愛想な口調であったが、彼は意外と話好きらしく、こわごわと話しかけると相手をしてくれた。
人族の領域に暮らすゴブリンは、一部では略奪を生業とする野盗のような者もいるが、その多くは彼のような行商人であるらしい。顔も素肌も見せぬこの異様な風体も、人族に嫌悪や恐怖を与えぬようにという、彼らなりの気遣いなのだそうだ。まったくもってゴブリンらしくない。でも彼はゴブリンだ。彼らが、この世界のゴブリンなのである。
邪神はこの世界に飽きてきたと言っていた。争いを好まぬ彼らのような存在を、あいつはどう思っているのだろうか。
お椀に目を落とし、匙でつついて渦をつくる。私は、この世界で台風の目になろうと思った。でもそれは、ゼリグやゴブリン達の生活を、ただいたずらに脅かすだけでは無かろうか。私は何をしたら良いのだろう。
どろりどろりと渦を巻く、腕の中のそれをじっと見つめていたが、なにも、答えは見いだせなかった。
食べ終わったので、きょろきょろりと椀と匙を捨てる場所を探していたら、かえせと言われてゴブリンに取り上げられた。そりゃそうだ。ここは大量消費社会とは程遠いのである。ごめんなさい。