稀なる客人
「サクロルムさん! そろそろ夜明けも近いようですけどもね! そのあなた方の前線基地ってのまでは、もう如何ほども走らせたものでっ!?」
「この歩みの速さならバ、もう一昼夜ほどと言ったところダ。あまり急くナ、王国のノマ。それで現在地を見失っては元も子も無イ。」
「そりゃあごもっともではありますが! そいつは難しい注文ですねっ……っとぉ!」
月明りすら射さぬ木々の下、巨大なトカゲの背に跨って、ひたすらに山を駆け下りますはわたくしノマちゃんとしゃべくるアリ。その二足歩行の獣脚類、もといゴリアテ君の疾走はさすが太古の覇者と言ったもので、自動車並みの速度でかっ飛ばす彼が沢を飛び越えたその衝撃に、私も思わずつんのめって変な鳴き声をふにゃんと漏らした。
東西より敵軍二十万侵攻セリ。突如もたらされたその報に対する対処は早く、ドロシア様は友軍への一方的な通達となる事を承知の上で、即時後退を決定された。と、同時に私に与えられた命は、このサクロルムなる蛮族のお望み通り、ちょっくら敵の総司令をぶち殺して来いという極めて雑な一言である。いや、そんな買い物感覚で申されましても。
とはいえ断わるに足る理由は無し、まして問答をしている余裕も無し。そういうわけでそれから小一時間も経たぬうちに、あれよあれよと準備を済まされた私は馬上あらため恐竜上の人となって、こうして暗い山中を真南に向け、夜間ぶっ通しの疾駆を強いられているというわけなのである。いやぁ、この身が人外でホントに良かった。
元来化け物たちの領域である夜闇の中を、それも見通し利かぬ山中を敢えて進むを選んだのは、道中案内を買って出た後ろに座る、かの不愛想な蛮族氏からの発案である。それは先に退けた敵軍陣中に突っ込んでしまうを危惧したもので、同時に化け物に対し数の利を活かせない山中ならば、彼らソシアルも迂闊に兵は配せないという確信あっての話であった。
一応は納得のいく言い分だ。しかしこうも思うのである。いや、別に突っ込んだところで問題は無いんじゃあなかろうかと。氏の語る価値観が彼らソシアルにとって普遍的なものであるのならば、そこから逸脱した行動をとる軍団長殿を疎んじるもまた、彼らにとって普遍の思いであるはずである。こちらの事情をつまびらかとし、協力を要請したほうがむしろ吉と出るのではないだろうか。
尻を叩かれながらの出発ののち、道中手持ち無沙汰にそんな疑問をぶつけてみれば、返ってきたのは事はそう単純にいかぬという否定の言葉。なんでも彼ら第四軍、いずれも最初から軍の編成を目的として生産された個体であり、それこそ生まれる前から兵種階級に至るまでもが確定済みであるのだとか。いやぁ参った。やっこさん方、どうやら私の思っていた以上にアリンコである。
つまるところ、そんな彼らにとって指揮命令系統とは絶対であり、それに従って各々課せられた役割を果たす事をこそが、己が生きて存在する理由そのものなのだ。それへ反旗を翻せなどと、なるほど確かに埒外も良いところの話であろう。聞く耳持たれず交戦状態に入ったあげく、切った張ったの大立ち回りを再度強いられて足止めを喰う。うぅむなんとも、目に浮かぶような様ではないか。
「っぷう! 車輪付きと違って不整地をものともしないってのは助かりますね! で! ある種の裏切り者になってしまった貴方がですね! こうしてお仲間を避けて通るってのはわかるんですが! こんな夜道で化け物に出くわしでもしたらどうするつもりで!?」
「どうにも出来ヌ。よって対処は一任すル。人族に飼い慣らされたとはいエ、同じ化生の身である貴様ならバ、立ち塞がるを突破し抜けるは容易であろウ?」
「考え無しのうえに丸投げとなっ!?」
「出来ぬことを出来ぬと述べル。これほど肝要なこともそうはあるまイ。期待しているゾ、王国のノマ。」
思わず頷ける金言であり、その実ただ開き直ってるだけじゃねえかと一太刀ぶちかましたくもある。そんな微妙な心持ちにいびられつつも、藪を踏み折り野を駆け下り、ようやっと開けた視界に飛び込んできましたのはこれまた開けた不毛な野っぱら。遠目に広がるのは受粉前の麦の穂が為す青い帯で、剥き出しの赤い地肌との間に境界を形作るそれは、天然にしてはちょいと不自然をかもす光景である。
ここまであくせく走らせてきた彼の歩みをゆるりと落とし、妙にいびつでありながら起伏に欠けたその足元へと視線を落とす。冷たくざらざらとした鱗越し、見えたものは汚れた赤黒いお人形で、きれを張り合わせた手作りと思しきそれを、目に留めた瞬間あぁと悟った。人里か、ここは。続けてそれを念頭にぐるり周囲を見渡してみるが、残念ながら生きた人間は見受けられない。遺体さえも。
「……これは、あなた方が?」
「如何にモ。この村は我らが進軍の経路上にあっタ。故に人族および家畜の消費は済んでおリ、建造物も資材として解体済であル。」
「……そうですか。私はね、サクロルムさん。あなた方ソシアルの文化というか習性というか、ともかくそういうものについて、出来得る限りの尊重をしたいと思っています。終わってしまったあれこれについて、とやかく口を出すような事も致しません。ですけれどもね。」
「聴こウ。好きに述べるが良イ。私は貴様から利を引き出すにあたリ、同じく貴様へ利を提供する義務があル。」
「では、遠慮なく。私の手の届く範囲でね、次にこれをやったならば殺します。侵攻先での略奪が利益とならず、逆にとんだ損失を招く行為となるくらい徹底的に。宜しいですね?」
発した自分でも驚く程に、低く冷たい声音が響く。振り向きもせぬまま虚空を睨み、背後の侵略者へと告げる脅しの言葉。それはしばしの重い静寂を生み、やがて『留意しよウ』という短い一言を引き出すに至って霧散し果てた。顔を合わせられなかったは詰まるところ、暴力に訴えるしか出来ぬ己自身を恥じたが故か。私にもよくわからない。
「貴様の危険性は認識していル。今さら言わずとモ…………、待テ。近づいてきたナ。不明個体メ、ようやく接触を図るつもりとみえル。」
「まったく。あなた方も感傷ってものをですね、ちょっとは理解して欲しいもんですよ。んで、何がですか?」
「ノマヨ、無意味に戯れるのは止めて貰おウ。貴様もとうに気づいていようガ、我らが砦を発った時分より今に至るまデ、つかず離れずの追跡を続けてきた者達がいル。どうやラ、人族に信用はされておらぬようダ。お互いにナ。」
「……え? あのいやちょっと、初耳なんですけど?」
先の心模様もどこへやら、思わずぐりんと振り返ったその眼前で、鉢合わせるはこちらを見入る異形の面相。その喜怒哀楽に欠ける中にあって、なおわかる冷めた視線を受け流しつつ、そっと周囲一帯を窺い見る。いやまぁ待て、まだ慌てるような時間じゃない。ノマちゃんアイは吸血鬼。この目はどんな暗闇であろうと見通すのだ。
なによりも鼠の正体について、大方のところ察しはついた。出発直後からの尾行とくれば、まずは間違いなく内部の犯行。それでいて私のかッ飛び道中についてこられるとなれば、おのずと候補者も絞られてくる。そこからゼリグとメルカーバ嬢にフルートちゃんを引いてやれば、残る容疑者はぴったり三名。あとはみなまで言うまいて。
「……ふ~む。ふむ。ん~、そうですねえ。……いるんでしょう? 少女十字軍のお三方。いや、三馬鹿とお呼びしたほうがよろしいですかね?」
「だぁれが三馬鹿だ! ふざけんなよこの田舎娘ぇ!」
「そぉだそぉだぁ! 馬鹿って言うほうが馬鹿なんだぞ! このばぁか!!!」
「あはははは。語るに落ちる~。」
ものの見事に爆釣である。ずびし突き付けた指の先、倦怠を込めて軽く煽りを放った先で、すっくと現れましたは例の如くの三人娘。いやまぁ正味三十度ほどズレてはいたが、そこはこそりと向き直っておいたのでばれちゃあいまい。ただし後頭部にひしひしと感じられる、白眼視はますますきつくなったような気がしなくも無いが、そこはまぁ見て見ないものとする。わたくしノマちゃんは大人なのだ。
ゴリアテ君の背を軽く叩いて待てを命じ、鱗の傾斜を滑り台として地べたへ降りる。そして向かい合ったその正面、藪を掻き分け悪びれもせず、早速こちらへといらっしゃいましたは馬尻尾のティミー嬢。続けてギャンギャン吠えるミーシャ嬢と、それを当て擦るクリスティー嬢が後ろに続き、場はまさに一触即発ってなぁもんである。穏やかじゃないですね。
「……さぁてもさても、お嬢さん方。こいつはいったい、どんな風の吹き回しでしょうかね? 私達の置かれた状況について、そちらへも話は伝わっていたはずです。あなた方とて懐刀、こんなところで遊んでいてよい戦力では無いはずですが。」
「はんっ! どんな風の吹き回しとはこっちの台詞さ! ムシケラ共の仲間とコソコソ密会をしていたあげく、連れ立って抜け出すような奴に信頼なんて置けるもんかよ!」
「そんなわけでさ~ぁ、先生から監視を仰せつかったミーシャ達がぁ、わ~ざ~わ~ざ~こうして、お前を見張りに来てやったってぇわけよ。わかるぅ?」
「あは~。それくらいの事さ~、一目見て察しろってぇ感じだよね~。めんどくさいや~つ。」
「正論吐きながら無意味に喧嘩売るのやめて貰えません?」
相も変わらずの敵愾心。所かまわず向けられるそれを前に、思わず指の腹で額をつつき、ドッと襲ってきた疲労感にはふんと一つため息をつく。いやまぁとはいえ否定はすまい。こちらの行動が独断であり、こうして猜疑を持たれるに足るものである事は確かなのだ。その主義主張はごもっとも。ただしこの差し迫った状況において、それが最適解であるかはまた別のお話である。
「……私としてはですねぇ、あなた方は本隊の退却に同行し、不測の事態に備えた突破力となるべきだと思っています。とはいえこうしてここまでついてきてしまったものを、今さら追い返したとて無意味でしょうね。ま、どうか邪魔だけはせんでくださいよ。」
「ボクらの先生が間違ってるって言いたいのか!? 田舎娘が! 偉そうな口をっ!」
「おぅおぅガキんちょめ! なんならミーシャ達ともう一回やるかーっ!? っていうかムシ野郎と一緒に何してんのさお前っ!」
「あ~……。全っ然情報を貰ってないんですねあなた達。クラキリンさんを無能だとは思いませんが、どうにも考えが読めませんねぇあの人は。というか前から気になっていたんですが、その『先生』とは一体どういうご関係で?」
「ふん! お前に答えてやる義理なんてあるもんかよ! このボク達がなぁ!」
「リンはね~、私達の先生なんだ~。最初は友達になって欲しいって言われたんだけど~、いつの間にか先生に変わってたの~。不思議だよね~。」
「「うぉいこらクリスティーっ!!?」」
コント集団かお前らは。あはは~、だってリンの事は喋りたいじゃん~等とのたまう二つ結いの少女の肩を、詰め寄った馬尻尾と悪童がガックンガックンと激しく揺すり、その度に括られた長い髪があっちやこっちやとピョンピョコ跳ねる。その様は脱力を誘うのに十分なもので、もうこいつら簀巻きにして出発すんべかと投げやりになってきたおつむに向かい、不意にかけられた声で我に返った。
「……王国のノマ。貴様の知る個体はそれで全てカ?」
「ええ、まぁ。なんというかこう、お恥ずかしい姿をお見せしまして。」
「そうカ。でハ、残る二体は別の口だナ。もう呼吸三つもあれば接触すル。構えておケ。」
「へ? 二体? 別口っ!?」
思わずオウム返しに言葉を放ち、再びにぐるり向き直った視線の先で、複眼四つ腕の彼が長い触覚を大きく揺らす。その背後に見えた暗い中空。がらんどうであったそれが突然ゆがみ、うねり集まって成した形は輪郭おぼろげなる黒い布。すわ、何奴か。よもやお化けの類ではあるまいな。
不意の異様にぎょっと仰け反りながら目ん玉を剥き、それはそれとして両手の十指を胸の前で広げて構え、暫定お化け様を何時でも叩き落せるよう警戒する。死者が化けて出るなどと信じがたいが、考えてもみれば私だって生き汚い亡霊なのだ。死を恐れた者が同じように、現世へしがみついてはならぬという法も無かろう。
うねり、くゆり、渦を巻いてこよりのように細くなる。その妙な動きを危ぶむさなか、不意に走った鋭い痛みにギクリと跳ねて、慌てて己の足元へと視線を落とした。霜である。周囲一帯の土を雑草の根ごと浮き上がらせて、その霜柱の長い帯を伝って私の足へ、蛇の如くに絡みついた氷の結晶。突如急激に冷やされたその感覚を、私は痛みであると誤認したのだ。
何が起きたか。敵はどこか。他の者達を逃がすべきか。混乱に頭の中がぐるぐる回り、それでも咄嗟に周囲を窺い見ようとしたその瞬間。先の黒い布がギュルリと伸びて、私の左胸を穿ち引き裂いたのだから堪らない。衝撃は更なる混乱を呼び、おまけに足元が固定されているものだから倒れも出来ず、出来るといえばくの字となって、ただ無様に圧し折れる事ばかりである。あ、やばい腰がグキって鳴った。
「ん~? なんじゃ、まだ動いておるではないか。おぅいヤマヂチ。せっかく私が足を縛ってやったというに、おんしそれを台無しにして外しよったな?」
「ひ~ぃい、ひ~ぃい。ひひひ、そんなこたぁないよぅタルヒぃ。ちゃ~んと心の臓、このとおり貫いてやったさぁ。」
「では、あれはお仲間か? 死んでおらんぞ。」
「では、あれはお仲間だなぁ。知らぬ顔だが。」
嘲るような響きを孕む、知らぬ娘子の声音が二つ。それを聞きつつじったばったと手を振り回し、ようやくに引き起こしたその眼前で、居座ってらっしゃいましたのはやはりと言うか見知らぬ顔。一人は年の頃にして十と幾つか。今生で初めて目にする和装を纏い、髪から足袋に至るまでが白一色のその出で立ちは、さながら雪女といった風情である。いやまぁ男を誘うには少々ばかりちんちくりんだが。
もう一人は黒い女。破れ擦り切れた暗幕のような胴体を持ち、幾重にも巻かれたその先端から黒い髪を垂らした様は、これまたなんともに奇々怪々。見れば私の胸元からひゅるひゅると去っていく黒い布が、彼女の胴にくっ付いて長い腕を成したあたり、今のご挨拶はこちらの女怪からのものであるらしい。片や全身に氷を纏い、片や姿すら定かでは無い二人の娘。いずれ人間ではあるまいて。
「……おい田舎娘。ちょっと目を離した隙に化け物が増えてやがるんだけど、あいつらお前が呼び寄せたのか?」
「そんなわきゃあ無いでしょう。揉め事荒事お断り、それが私の座右の銘です。あと私は化け物とは違いますよ。まぁ似たようなもんですけれど。」
「ん~。夜更けに随分と動き回っちゃったし、そりゃあ変な連中もやってくるよねぇ。でもま、それでもミーシャ達の敵じゃあないけど!」
「あはは~。お化けを燃やすのは初めてかな~?」
ぞわぞわと迫る冷気に混ざって送られてくる、殺意と食欲がない交ぜになった冷たい視線。それに応じた三人娘も手に手に自慢の得物を持って、殺る気満々に対峙をしてくれるのだから頭が痛い。ちなみにサクロルム氏はゴリアテ君の背をペシリと叩き、既に私を盾としてそっと後ろに下がっているような有様である。おいこらアリンコ、せめて手伝おうっていう姿勢を見せろ。
ええいくそぅ、次から次へとお客人が現れよって。こちとら急ぎの真っ最中、こんなところでドンパチやっているような余裕は無いのだ。ここは穏便に言葉か暴力、どちらかで以って速やかに退散を促したいところであるが、とはいえ事がそう上手く運んでくれるという期待も持てない。なんかもう膝の上まで凍っているし。
前からは殺意と冷気、後ろからは殺意と熱気。それに挟まれた私は文字通りに足を縫い付けられて、どうにも動けない事この上無い。ううむ困った。どうにかこの状況を打開してくれる、起死回生の一手は無いものだろうか。そう、例えばこの暗がりのそのまた奥に、それを為してくれるような都合の良い誰かさんが……。
「おぉいこらぁ! ヤマヂチ! タルヒ! 勝手に飛び出すのも大概にせい! せっかくあの馬鹿を避けて東くんだりまでやってきたんじゃ! もうちょっと慎重に………うげ。」
「うぅぅ、怖い、恐ろしい、おっかない。のぅのぅマガグモ、土地を離れてこんなところまで来てしもうて、混沌様はお怒りにならんじゃろうか? 祭壇も置いてきて…………ぴぎゃあああっ!!? でたああああっ!!!?」
「あ……。どうもお久しぶりで。」
現れた。現れてくれましたよ。更にこの紛糾に拍車をかける、なんとも稀なるお客人が。夜の帳のそのまた奥で、ガサゴソと藪を掻き分け現れたのは、勝手知ったると言うにはいささか遠い程の顔見知り。その片割れは蜘蛛の胴体に少女の半身、褐色白髪で黄色い瞳。もう片割れは見上げるような巨躯の鷲、首の代わりに生えているのは少女の裸身、金髪金目の半泣き顔。
マガグモちゃんとイツマデちゃん。いずれもしばらくぶりにお目にかかる、王国周辺を根城とするお二方である。あらまぁやっぱり。ちぃとも接触が叶わないと思っていたら、私を嫌ってこんな遠出をしていらっしゃったご様子で。それが先走ったお友達の後ろをつけて、この混迷のど真ん中においでなすってしまうとはまぁ、奇遇な事もあるもんですな。ははははは。
いやぁ、はははは。いやぁまったく。
どないしよう。
なんだかとってもわちゃわちゃしてきました。




